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「近江源氏先陣館」・床本
坂本城の段、盛綱陣屋(和田兵衛上使の段、小四郎恩愛の段、盛綱首実験の段)
坂本城の段
中へ入りにける。
夜もはや更けて深々と、音は湖水の浪ならぬ敵か味方か、白妙の雪にきらめく陣羽織、武頭巾に目ばかり出し、後先見回し城門を忍びやかに打敲けば、かねて抜からぬ佐々木が下知、門番櫓に駆上り透かし窺ふ星月夜、喚鐘ちゃんと打掛に押取り刀篝火が城門近く走り出で
「注進の者か、何者なるぞ」
「名を名乗られよ、何と/\」
と尋ぬる声、
「アヽ騒がしゝ音高し、斯くいふ我はこの城中の主、佐々木高綱が兄三郎兵衛盛綱、弟が顔見たさ秘かにこれまで来りし」
と案内の趣取次に、篝火不審晴れやらず
「一家は内証、明日は互に剣を振合ふ敵の大将、三郎兵衛盛綱どの、如何なる手だても図られず、内へは得こそ通すまじ、たってとあらば容赦はならず、ソレ何れも防矢の用意々々」
と云ふ折から、奥の間より早使ひ
「高綱様の仰せには、兄盛綱様の久々の御入り、門を開いて御通しあれ、対面なされんとの御事」
と聞いてなほしも訝しながら
「夫の深い思案こそありつらめ、このうへは門を開き、御通りなされと申しませい」と礼儀の詞打掛に小太刀隠してしづ/\と、油断あら木の門の閂、かった犇めく(ひしめく)城門を開けば、盛綱のっし/\通る客ぶり、出迎ふ気配り、互に見合す四つ目結ひ、坐するも針の青畳、上ずんべりの会釈して「コレハ/\珍しい盛綱さま、久しうお目にかゝらねど、何方様にもお揃ひ遊ばし御健勝の御様子、陰ながら承って夫をはじめ妾が喜び」
「イヤモウそれは相互ひ、今日も指折って数ふれば、弟に別れて今年で丁度十三年、その節一子も当歳なりしが定めて成人したであろ、此方にも小三郎といふ同年の倅、先立っての合戦には国に残し置きたれど、このたびは母も子も是非に同道してくれと親子の願ひ、久々一家の対面せねば余り/\懐かしさに参った。小四郎が成人顔早く見たい、一目逢はしておくりゃれ」
と世に睦じき盛綱の詞は『二心もあるまいか、どうか、かうか』と胸は燻る(ふすぼる)篝火が「なるほど、あなたのおっしゃる通り、太平の御代なれば小四郎も伯父御さまにお引合せ申して、何か差置きお盃を頂戴いたすが順道なれど、サままにならぬは敵同士、どうで明日は初陣、父御に引添ひ出ますれば、御対面は戦場にて、倅小四郎が小腕の拳、矢一筋射かけませう、それを一家の盃と思召して下さりませ」
と否とは云はぬ尤もごかし、盛綱返す詞さへ鴛鴦の間の襖押開き
「四郎左衛門高綱それへ参って対面仕ろう」
と立出るその形、軍の出立引替へて兄弟因の長羽織はるか下って座に直り
「一別以来御意得ねど、兄弟人にも御健勝、永々母の御介抱身に余って大慶、先立っては由なき詞の論によって兄弟の仲不和となり、国を立退きこれまで疎遠に年月を送りし失礼、全く御免下さるべし」
と親兄の礼こまやかに手をつき畳にひれ伏せば、盛綱も居直って
「ホヽ音信不通は相互ひ、今日来るは久々にて対面が致したさ、またその他に折入って頼みたき仔細あって押して推参」
「コレハ/\兄者人、改ったるお詞、身分相応な御用ならば聞かうぢゃまで」
「ホウまづ以て忝し、頼みたいは別儀でない、今宵密かに陣屋を抜出でたゞ一人来た仔細は、某今日より心を改め頼家公へ降参に参った、何卒御前へ取次がして貰ひたい、斯様に云へば盛綱、卑怯者と思はうがさうでない、明日の合戦は何れが勝つとも定まらぬ互角の合戦、旗色悪さに降参する三郎ならねど、つくづく思へば兄弟弓を引合ふも武士の習ひとは云ひながら、昔の為義義朝の保元の戦、正しく天の道に背けば、平治の乱れに義朝は長田に討たれ源家を潰し、永く武道の悪名を残す、いずれが討ち討たれても、父尊霊の魂魄、悲しみはいかばかり、兄弟が不幸の罪、天より高く滄海(そうかい)よりなほ深し、それを思へば何と刃が合されう、今日只今心付き、恥を捨て兜を脱ぎ降参に来たこの盛綱、頼家公へ御執成(とりなし)頼み入る、弟」と手をつき頭を下げにける。物をも云はず高綱ずんと立って入らんとす。
「コレサ弟、聞届けておくりゃるか、返答いかに」
と引留むれば、立てたる重籐押取ってりう/\発止と擲り(なぐり)打ち「こは何事」と驚く妻、本筈しっかと
「まづ待て高綱、現在の兄を打擲するは何故の立腹」と云はせも立てず、はったと睨み「兄とは推参慮外千万、凡そ弓取の操はな、善にもせよ悪にもせよ一度頼まれたる詞を変ぜず、危きを見て命を捨て二君に仕へぬを道とする事犬打つ童まで知る所、一旦鎌倉に味方しながら今さら旗色の悪しきを感じて生面下げて降参とは、腰抜けの犬侍、兄弟の縁切った、それとも御辺まこと高綱が兄ならば、その腐った根性を改め、いよいよ敵味方となって戦場にて四郎左衛門高綱が首取って見せうとお云やれ、それこそ誠の兄者人、有難く存じ奉らん、いつの間にそのやうな臆病神は憑きたるぞ、エヽ情なや、口惜しや」
と或は励まし或は敬ひ、怒りの眼にはら/\涙
「ヲヽ尤も至極、盛綱も返す詞はなけれども、御辺は一途に忠ばかり孝の道に付かず、この頃わが陣中へ慕ひ来る母微妙(みめう)御辺がためにも親ならずや、どちらが討ち討ちたるとも、お年寄られし母人の御歎きを思ひ遣り、孝行の降参、聞分けて是非お取次、弟嫁も執成を頼む/\」
の真実も、夫の心はかりかね何と挨拶口ごもる。
「ヤア恥を恥じとも思はぬ人畜、顔見るも穢らはしい、城内には暫時も叶はぬ、はや出て行きゃれ」
と荒気の高綱
「あかの他人の卑怯者、ぼひ捲って門を固めよ、無益の事に陣立の支度延引隙惜しや、篝火来れ」
と立って入る。兄はすご/\計略の裏掻く矢先に返し矢も思案とりどり塞の馬場先、窺ひ寄ったる侍は古郡新左衛門
「盛綱殿か、城内の首尾、何と/\」
「イヤモウ弟高綱が義心は鉄石、某も北條殿の御頼み、何卒高綱を鎌倉へ味方せんと他所ながら心底を探り見れども、いかな/\二君に仕へる所存のない事、しっかりと錠が下りました、とてもお手に入らぬ高綱、この上暫時の猶予ならず、短兵急に取囲んで城を落すが肝要々々、はや明方も程近し、大将へ御注進」「げに尤も、いざござれ」
と逸足出して行く跡に、高綱しづ/\揺ぎ出で
「時政に頼まれて我を鎌倉の味方につけんと、あざとき兄が偽り表裏、計略を仕損じたれば時を移さず寄せ来らん、ヤア/\陣所の諸軍ども、鉄砲火矢の用意せよ」
と桴押取って陣太鼓、乱声に打立つれば、東の山に茜さす、白旗赤旗鬨の声、はや寄せ来る。 朝風、待設けたる坂本勢、砦櫓の矢馬より敵を寄せじと差詰め引詰め、射かくる矢先は雨霰、射竦められて寄せ手の軍兵攻めあぐんでぞ見えたるところに、城の大木戸押開き花やかなる若武者一騎、駒に鞭を打立て/\手綱掻繰り乗出し
「ヤア臆したる鎌倉勢、われ討取って手柄にせよ」
と鞍笠に突立上り
「我こそは佐々木四郎左衛門高綱が嫡子小四郎高重、今日が初陣」
と名乗りかけ/\東西に駆廻れば『よき敵なり打止めん』と数多の軍兵押取巻く。櫓より母篝火、わが子の初陣勝負は如何と見れば、平場の戦ひに、斬立てられて軍兵ども立つ足もなく逃げ散れば、櫓より見る母親は嬉しさ足も千鳥泣き、浜辺の方より年配恰好、同じく駒に跨り乗り出し
「目覚しき小四郎殿の働き驚き入る、某は其方の伯父佐々木三郎兵衛盛綱が一子小三郎盛清、互いに初陣従兄弟同士の晴勝負」
と両人馬を駆寄せ/\太刀抜きはなし手を尽くしてぞ。左手の山の尾先より小三郎が父佐々木盛綱、忰が初陣勝負はいかにと見下ろす遠眼鏡、母は櫓に目も放さず胆を冷する子と子の勝負。
「そこを付込め小三郎」
と傍なる人にいふ如く父があせれば、篝火は
「ソレ小四郎、打太刀が鈍って見える」
「そこを/\」
と力む父親、あせる母、互ひに勝負もつかざれば
「寄れ組まん」
「もっとも」
と馬を乗寄せむずと組み「えいや/\」と揉み合ひしが、鐙蹴放し組みながら両馬が間にどうと落ち、上になり下になりころ/\転び打ったりしが、小三郎運や強かりけん、小四郎を取って引伏せ上帯解いて高手小手、折重なって大音声「佐々木の小四郎高重を初陣の手初め生捕ったり」と呼ばゝれば、寄せ手はどっと褒むる声、櫓の上に篝火が『わっ』と泣く声、勝鬨は谷に響きて
和田兵衛上使の段
其源は近江路の比叡山下し隔てられ便り堅田の鴈たへて、武士の義は石山や月の弓張矢叫びの矢橋(やばせ)の帰帆陣幕も、ひらめく比良の陣館小三郎が初陣の手柄初めと父の悦び妻の早瀬、老母の微妙、軍の安否聞くまでは心許さぬ持刀、腰元どもも鉢巻しめ、追々告げる高名噂
「めでたい/\、和子様がけふの手柄の一番帳、同じ初陣同じ年の小四郎を生捕り給ふは大の男を仕留たより遥かの誉」
と口々傍から早瀬が嬉しさ。
「申しお聞きなされたか、ほんそ孫の小三郎、是からは猶ばゞ様のあまやかしが思ひやらるゝ、さりながらひょんな事は、其の手柄の相手が他人なればよけれど、やっぱりお前の孫の小四郎、嬉しいと悲しいと片身がはりのお心を思ひやって」
といふを打消し
「アヽコレ嫁女そりゃ婆への当言か、尤も孫の名あれど、不所存な倅佐々木高綱、音信不通の中に出来た小四郎とやら、終に顔見た事もなし、よしは不便に思へばとて、かう敵味方と別れた上、我も源蔵義秀という弓取りを夫に持ち、盛綱を生んだ母、涙かけてよいものか、そんな事云ひ出してもくださるな、シテ兵衛盛綱孫の小三郎まだ帰館召されぬか」
「ハイお二人ながらお具足をお裃に召し替へられ、道より直に石山の御陣所へ御出仕遊ばしたとの注進、定めてきつい御褒美」
とざゞめき渡る程もなく、立帰る佐々木兵衛、小三郎盛清、諸人の尊敬身の面目、裃衣服も花やかに自然と威を持つ其後に、無残やな小四郎は高手に締むる縛め縄、雑兵に取巻かれ、羽がい叶はぬしょげ鳥の顔見初めの孫かとも、いふに云はれず面ざしの別れし我子高綱に、似たと思へば不便さを、嫁の手前とまぎらせど胸つぼらしう姿かたち、見まいと思へど目にかゝる血筋の因果ぞせん方なき、兵衛盛綱謹んで
「倅小三郎初陣の手初め、是成る縄付生け捕りし事、誰々よりも目ざす大敵、佐々木四郎左衛門が倅擒(とりこ)とせしは味方の強味、抜群の高名と時政御感斜ならず、御悦びの盃を下され手づから感状を下し賜はる、御前に並居る諸大名凡そ子を持つ程人羨まぬ者もなく、子息の武勇にあやかる為そこへも盃こゝへも頂戴と、もてはやさるゝ親の面目、それ故退出も遅なはる、首尾残る方もなし、御悦び下され」
と語る中より早瀬がうき/\
「何と御覧じましたか、かはいさうに軍の供したがるものを、足手まとひぢゃ留守してをれと呵り付けて鎌倉に残してお出なされたれど、今度の軍にはづれたら、生きては居ぬとせがみにせがまれ、せうことなし、いっそ婆様三人連れ後追うて来た時にもさんざんに呵られたが、けふの手柄を見た時はよう連れて来たと私が自慢、オヽ出かしゃった/\、産んだ母まで俄に肩がいかって来た」
「和子様お手柄/\」と誉そやしたる喧しさ(かまびすしさ)微妙も倶に「出かした」
と勇んで見てもどこやらに済まぬは胸の汐ざかい分け兼ぬるこそ道理なれ。小三郎手をつかへ
「分けて君の御諚には、囚人の小四郎首討つ事必ず無用、いつ迄も助け置くこそ味方の計略、縛めはそのまゝにて随分大切に仕れとの御事なり、ナウ小四郎殿、こなたとは従兄弟同士、初陣の軍に仕負けさぞ無念にござろう」
と云はれて小四郎顔振りあげ
「父様の兼ねての教へ、勝つも負るも軍のならひ、まさかの時に逃るのが侍の恥辱ぢゃげな、生捕られても恥とは思はぬ、早首斬って下され」
と、目をふさいだる立派さは誠に父が子なりけり。物見の侍罷り出
「和田兵衛秀盛と名乗り盛綱公に見参致さんと供廻り僅か一両人にて通り候」
と訴ふれば
「ハテ心得ぬ、敵方の侍大将軽々しく来るは一物、ソレ囚人奥へとり逃すな、皆退け」
と追立てやり、騒がず座席取片付け、衣紋繕ひ出向ふ、甲冑の姿引替へて長裃踏みしだき、伊達拵への大小もさしも武骨の荒くれ男、目礼式礼悠々と上座にどっかと押直り
「さて/\この度の合戦、佐々木、三浦、斬申す和田兵衛、火水の勝負を決せんと牙を噛んで相待つ所に、鎌倉の悠長武士、一日寄せては二日見合せ、睨み合うて日を送る中、此方はほっと退屈、それ故今日は是足も取置き太平の姿、坂本の城より使者に参った」
「ハア/\是は/\名にし負ふ和田兵衛殿能々大切の儀なればこそ、お使者の趣逐一に仰せ聞けられ」
とありければ
「アヽイヤ別儀でござらぬ、今朝高綱構にて其許の手へ生捕られし小四郎高重、ちと此方に入用なれば只今お返し下されとの使ひなり」
と事もなげに述べければ
「ハヽヽヽ是は存じの外の御事、何ぞや一人の童づれに侍大将の自身馬を向けられしは珍説々々、あの小倅一人がなければ合戦も得なされぬか、何故に左程の懇望、事おかしう存ずる」
とあざ笑へば
「実尤も、併此方に不審なるは其童の小四郎を貴殿の子息が生捕りしを一城をも乗取りしがごとく悦びいさみ、鎌倉方の勝軍の基なりと箙をたゝき勝鬨を作って引かれしは是いかに、左程鎌倉方に懇望せらるゝ小四郎故此方にも惜しく存じ、ぜひ所望に参ったり。其代りには少分ながらこの和田兵衛が髭首進上申す、お望みならば手柄次第に、随分取って御覧なされ」
とむづと座したる不適の顔色、盛綱打笑み
「扨々サテ弟ながら高綱は大功の勇士と思ひしに伜に迷ふ未練の性根、そこを察して傍輩のよしみ命を救ふ情のお使者、あれしきの小児いかやうとも申したけれど、生捕りの帳に記した上は時政公より預りの囚人、盛綱私には渡されず。ならば踏み込み奪取って帰られよ。其座は一寸も立たせじ」
と反り打って詰めかくれば
「アヽじたばたなされな、埃が立つわさ、貴殿と拙者只今こヽで差違へては、敵味方によき大将二人を失ひどちらも両損、よし/\御辺のまゝにならぬ囚人、この上は石山の陣に参り、時政殿に直談して自他とも所望致して帰らん、盛綱さらば」
と立上り、広庭におり立てば
「ヲヽそりゃ兎も角も勝手次第、さあらば石山へ御案内申させん。ヤア/\誰かある」と詞の下、小具足かためし覚えの力者ばら/\と取巻いたり「ハテ仰山な案内者、敵の陣所へのう/\と一人参る和田兵衛、不地案内の武骨者万事よろしう」
「気づかひあな。ソレ必ず大将の御座近く、お引あはせ申すならば、大事の珍客随分御酒を、合点か」「イヤ御酒とはかたじけない、我等別して大好物御馳走ならば湖もかへほして御目にかけう、おさかなの飛道具鑓長刀の串ざかな、何本なりと賞翫いたす、盛綱殿おさらば」
「和田殿御苦労」
「案内大儀」
と長袴、虎を放してやる勇気、火焔の中へ行く大胆、心の具足、鉄石の石山
小四郎恩愛の段
さして出て行く。
盛綱は只茫然と、軍慮を帳幕の打傾き思案の扇からりと捨て
「母人それにおはするや」
と音なふ声に立出る。陣屋のくまぐま後先見廻し、母の膝にすり寄って
「親の役目を子が勤むるは順なれども、御老体の母人に御苦労をお頼み申さねば叶はぬ事、申さぬ先から心得たとある。御誓言承りたし」
と、事有りげなる願ひの品、聞かねどさすが佐々木の後室うなづき
「親子の中に改めて頼むと有るはよく/\の事ならめ仔細はしらねど心得ました」
「ハアハ早速の御承知忝し、お頼みの仔細と申すは最前の囚人、拙者がためには甥、母人の為には孫の小四郎を今宵の中に母のお手にかけられて」
と聞きもあへず
「コレ/\盛綱、最前我君よりの仰せ渡され、必ず小四郎に過さすな殺すなとの御諚ならずや」
「サア其殺すなと御諚故に猶以て殺さにゃならぬ、弁舌を以て人を懐くる北條殿、小四郎を殺すなとの上意は生け置いて人質とし、子を餌に飼うて佐々木四郎左衛門高綱を味方に付けん謀鏡にかけて現れたり。中々心を変ずべき弟高綱とは思はねどもいかなる大丈夫も我子の愛には迷ふ慣ひ万が一この謀に陥って、降参などの心付かば子故に不忠の名を流さん事残念至極。よしさはなくとも、小四郎が擒となって、生きある中は恩愛といふ大敵に高綱が弓勢も弱り、刃金も自然となまる道理、迷ひの種の我小四郎一時も早く殺して仕舞へば、弟が義心猶々鉄石、是ぞ兄弟弓矢の情、と有って我手にかくる時は主君北條の命に背き、稚な心にこの理を弁へ自身に切腹するならば我は油断の誤りばかり、兄が義も立ち弟が忠も立つ、双方全きこの役目は、御苦労ながら母人密に小四郎に腹切らせて下されかし。現在の甥が命、申し宥めて助くるこそ情ともいふべけれ、殺すを却って情とは情なの武士の有様や。いかなれば兄弟敵味方と引別れ、今朝の矢合せに敵は甥なり味方は我子、肉親と肉親の剣を合す血汐の滝、修羅の巷の攻太鼓、胸に磐石こたゆるつらさ、弓馬の家に生れし不祥、コレ/\聞分けてたべ母人」
と事を分けたるものがたり、母は手を打ち
「尤も/\、兄のそなたも弟の高綱も我子に依怙はなけれども、隔て居る程不便もまさり、有りやうはそなたにも心を置いて居ましたが、弟に不忠の悪名を付けさすまいと左程まで心づかひの親切、ヲヽ忝ないぞや嬉しいぞや、世の喩へにも小の虫を殺して大功を立つる事、事実親身は子よりも可愛い孫なれども、思ひ切って切腹させう」
「ヲヽお出かしなされた、健気者とは見ゆれども、稚き小四郎もし小腕に切損なはゞ母人宜しう御介錯、はや、短日の暮近し、佐々木兄弟が苗字を穢すか名を上るか、二つのさかい涙ばしかけ給ふな」
「気遣いひめさんな、おくれはせぬ」
「必ず気強ふ遊ばせ」
とわたす一腰、受取る腰のはり弓に詞つがふて別れ入る。峰吹き返へす木枯に早園城寺の鐘諸とも、誘はれ来る白羽の矢、紅葉のしげみに射込みしは、主を誰とも人目せく、陣笠まぶかに篝火が、男出立ちの半弓に、やはか仇には帰らじと陣屋間近く慕ひ寄り
「和田殿の供廻りに紛れ込み、こゝまでは忍び入ったれど、用心堅き陣屋の木戸口、心を通はす矢文の謎、小四郎が目にかゝれかし。祝ひ祝ふた初陣にいたましい縄目の恥、外の手でも有る事か、従兄弟同士の小三郎、憎たらしい手柄顔、甥を縛らせ伯父の身でそれが本意かうらめしい、どうして居るぞ只一目、見たい逢いたい」
間の戸に我身をひしと立板も通すは涙の矢数なり。洩れてや奥に声高く
「侍中々々、夜廻り怠り申されな」
と、女の声も敵の中、胸驚かれ篝火は差足ながら忍び行く。障子をさっと目早の早瀬、紅葉の矢文抜取って、つくづく眺め
「扨(さて)こそ/\、羽響きもなき忍びの矢、女業と推量に違はぬ手跡、状の文体にも有らず『名にしおはゞ逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな』と古歌を書きしは、ムヽヽヽ手は見知らねど、相嫁の篝火、囚はれの小四郎にこの陣屋を抜け出て人しらずくるよしもがな、こゝは所も近江路や、世に逢坂の関の戸を明けて逢わんとしらせの謎、エヽ侍の母の様にもない、未練なさもしい、軍に立てば討死は覚悟の前と、立派な小四郎に悪気を付け、もし取逃しやなどしたら其不調法は誰にかゝる、一家の誼(よしみ)は生捕っても命に別状ない様子、知らせて安堵さす程に、必ずこゝらに狼狽えて、親子一所の縄目を受け夫の名まで汚しゃんな」
と恨みの裏の反古文、打返したる返事の古歌、矢立の硯さら/\と書認めてくゝり付け、内にも人目重籐(しげどう)の弓打ちつがひ陣外の小松にひょうと手ごたへと倶に立て切る障子の内、稚な心に油断せぬ縄付きながら小四郎は、そっと一間を忍び出で
「今おば様の読ましゃった、矢文の手は母様、ここを抜けて戻れとの、しらせは聞いても敵の中、見とがめられては恥の恥、とはいへ母さまどこにござる死ぬともちょっと顔見たや」
とそろり/\と抜足も危き毒蛇の陣の口、あはや痕より窺ふ微妙「小四郎待ちゃ」
と声に思恟り(びっくり)
「アヽイどっこへも行きゃ致しませぬ、御赦されて」
とばかりにて、わな/\震ふ有様をつくづく見れば見るに付け
「同じ佐々木の血筋でも扨も果報の拙い子や、囚人の身となったれば子心にも気おくれして、身すぼらしい顔形、今宵限りの命とは云はねど虫が知らすか」
と、思へばそゞろ先立つ涙、胸に押しさげ撫でおろし
「ヤレ孫よこゝへおぢゃ、コレそなたの祖母ぢゃはいの、器量骨柄揃った子にいた/\しいこの縄目、解いてそなたにこの婆が云聞かす事あり」
と立寄りほどく血筋の縄、子ゆえに引かれ篝火が又立戻る陣屋の前
「矢文の返事は兄嫁の早瀬の手跡『行くも帰るも別れてはしるもしらぬも逢坂の関』とは時節を待てとの事か」
いかにと見やる戸の透き間、微妙は孫をそばへ寄せ
「ナウ小四郎、高綱に別れてから十三年の年月、孫ありとは聞いたばかり、なつかしさ逢ひたさは、膝元で育てた小三郎より顔見ぬそなたの不便さは百倍、殊更長の浪人の貧しい中に育てられ、武具馬具迄もさぞ不自由に口惜しう暮しつらんと思ひやる程、片時も忘るゝ隙はなけれども、思ふに任せぬ敵味方、この裃は婆がそなたへ引出物、着てたもやいの」
と差出せば何心なく押しいたゞき取り上げて不審顔「申し婆様、この裃にはなぜ紋がござりませぬ、九寸五分が添えてあるは高名手柄せよとある、首掻刀(くびかきがたな)でもあるまい、こりゃ私に腹切れとの死装束でござりますな」
と、悟る思悧発に驚く篝火、微妙はがばと泣き倒れ暫し詞もなかりしが
「ヲヽさすがは親の子程有る、人に勝れてその様に聞き分けよい程助けたさは胸一杯にせまれども、殺さにゃどうもならぬといふは、父親の高綱が武勇智謀の勝れたがそなたの身の仇敵(あだかたき)、助けよとある、北條殿は子を人質に高綱を降参さする謀(はかりごと)、それまでは殺しもせず、まして助けて帰しもせず、いつ迄も陣中に捕へて置けとの主命、生きて居る程高綱が武勇の妨げこゝの道理を聞き分けて潔う腹切ってたも、エヽ見れば見る程目付なら鼻筋なら、眉に一つの黶(ほくろ)まで父親に此似よう、智恵才覚まで逢はぬもの、生ひ先も見ずむざ/\と莟(つぼみ)の花を散らすか」
と老の繰言涙のはぐき、もれて外面に聞く嫁の
「何ぼ道理は道理でも余り気づよいお袋様、我子は殺さぬ/\」
と伸上れども芦垣の隔つる中ぞ是非もなき、母の心の通じてや小四郎おとなしく手をつかへ
「私が命一つで父様や伯父様の手柄になる事なら、何の惜しみはいたしませぬ。尤も腹の切りやうも稽古して常々聞いて置いたれば切り損ひもせまいけれど、私が一つのお願ひ、昨日軍の初陣に直ぐに敵へ生捕られ、このまゝ死ぬるは弓矢神の冥加にも尽きたかと何ぼう悲しい口惜しい、どうぞま一度お帰しなされ、父様母様にたった一目逢ふた上、せめて雑兵の首一つ取って立派に死んで見せませう、このお願ひを」
「アヽこれなう、賢い様でもさすがは子供、預りの囚人敵に帰して盛綱が武士が立つものか、とゝやかゝに逢はされる程なればこの憂目はないわいの。とはいふものゝ逢ひたいは道理、道理ぢゃもっともぢゃわいの。世が世の時なら二人の孫、右と左に月花とならべて置いて老の楽しみ、この上もあるまいに、生捕るも孫、捕られるも孫、小三郎が手柄したと煽ぎ立つる真中へ縛られて引出されし、顔見た時の婆が胸は、はり裂く様にありしぞや、とても甲斐ないそなたの運、最期が未練にあったなどと、口の端にかけられては親高綱が弓矢の名をれ、サ尋常に死んでたも、ヤヽ、介錯はこの婆可愛孫を先立てゝ、いつまで因果の恥さらさうぞ、婆も直ぐに自害して三途の川を手を引いて渡るわいの」
と抱きしめ泣く/\剣差しつくれば
「只二親に逢ふまでは許して下され婆様」
と未練も親子の恩愛に道理といとゞ目もうろ/\孫もうろ/\隙あらば逃げんと見やる木戸口の
「こゝに」
と母の呼子鳥
「ヤア母様か」
と飛立つばかり、かけ出す孫を引留めてせき立つ老母の声あらゝか
「エヽ未練者、卑怯者、さては母親と内通してここを抜けて出る心ぢゃな、それならばなほ助けられぬ、望みの通り親にも一ト目逢うた上は、サアサア切腹、たゞし婆が手にかけうか」
「サアそれは」
「サア」
「サア」
「サア/\/\何と」
とおどしに抜いて振上ぐる剣の下に手を合せ
「母様の声聞いてから一倍命が惜しうなった、どうぞ助けてお情ぢゃ堪忍して下さりませアレ/\」
と逃げ廻りおくれる孫になほ気をくれ
「コレ最前の健気な覚悟忘れしか、とても叶はぬ期になって、臆病者の名を取るかや、伯父が見ぬ先自害して、立派な最期と誉められてくれ、ヨウ婆が方から手を合す、頼む」といへど逃げまどふ、外には酷や情なやと恨みは三方三悪通「前生の敵同士がいとし可愛の孫や子に生れて憂目を見するか」
と老母が親身の血の涙、時雨の中の枯れ紅葉露より先に散りぬらん。
盛綱首実験の段
折からさっと山風の遥かに陣鐘攻め太鼓
「事こそあれ」
と早速の早瀬、長刀かい込み走り出で、木戸押開けば駆け入る篝火
「待った/\高綱のおかもぢ、こりゃどこへ」「知れた事、我子の小四郎取返す」「ならぬ/\相嫁の初見参、長刀に乗りたいか」
「イヤ推参な」
ときしみあふ真中に三郎兵衛、小四郎小脇にひんだかへ
「石山の御陣所に事ありと覚ゆるぞ、ヤア/\小三郎は何処に有る」
「ハア則ち只今御加勢」
と、用意の小具足兜の緒締むる間遅しと駆け出す。引違へて知らせの軍兵馳参じ
「時政公の計略の如く佐々木四郎左衛門高綱、我子を取られし憤り今宵自身に馬を出し手勢漸々二千余騎、鎌倉の総大将時政公に直見参仕らんと死にもの狂ひのその有様、鬼神の如く見え候、しかし味方は兼ねての用意、大将の陣は数万の警固、盛綱公には気づかひなく擒の伜を守護あるべしとの御事也、なほ追々に御注進」
と申し捨てゝぞ翔り行く。三郎兵衛大息つぎ
「ハヽア南無三宝しなしたり、さしも抜からぬ弟高綱の子故の闇に心くらみ、謀に陥たるな、摩利支天なればとて、数万騎の其中へ一騎がけの死軍、討死せんこと眼前たり。この上は親の御慈悲、仏間で御回向なされかし」
「盛綱」
「母人エヽ力なき武運の末、残念さよ」
とばかりにて、眼を閉ぢて奥に入る。篝火なほも気はそゞろ、我子も気遣ひ夫もいかゞ千々に砕くる軍の破れ
『えい/\おう』
と勝鬨は敵か味方か二人の妻、胸の陣鐘足も空、二度の注進勇みの大音
「御悦び候へ。軍は十分味方の勝利。大軍に取囲まれ、集り勢の高綱方途を失うて逃走るを、或は掻首、或は射取り、残る兵さんざんに追ひまくり、諸葛孔明と呼ばれたる四郎左衛門高綱を榛谷(はんがえ)十郎が討留めて候」
と聞くより妻は
「ハアはっ」
と心散乱燃へ立つ篝火
「夫の首は渡さじ」
と行くを
「やらじ」
と止むる早瀬
「大将軍時政公、御成りぞ」
と呼ばるゝ声
「ハアはっ」
と早瀬は大将の御座の設けと走り入る。竜の雲に沖るがごとく、一陽の春を待つ平時政、近習の武士古郡新左衛門、佐々木小三郎盛清御供に扈従(こじゅう)して、御召替への鎧櫃御座の次に飾らせて寛然と入給へば、三郎兵衛、母微妙、敬ひ請じ奉る。竹の下の孫八、あはたゞしく罷り出で
「最前、和田兵衛秀盛、御陣所へ参りし所、日頃好める酒をしいて酔ひ臥させ、居間の四方に金網をかけたれば、籠の鳥同然と思ひの外の痴れ者、隠し火矢を以て屋根を打抜き、御座の間の白旗を奪ひ取り立退いて候」
と言上すれば時政公
「ハヽヽヽ敵の軍中へ鎧も着せず只一人、踏込む程の不敵者、汝等が手に合ふべきか、第一の大敵佐々木四郎左衛門を討取れば腹心の害は払うたり、さりながらこの佐々木、古の将門に習ひ一人ならず二人三人の影武者有っていづれをこれと見わけがたし、誠の佐々木か贋首か、弟が首よも見損ずまじ兄盛綱実験せよ」
と仰せの下に新左衛門、首桶御前に直し置く。三郎兵衛承り大将に一礼し、無慙の弟が死首に是非もなき対面やと呑込む涙、後ろより父の死顔拝まんと窺ふ小四郎、盛綱が引明る首桶の二目とも見もわかず
「父様さぞ口惜しかろ、わしも後から追付く」と氷の刃雪の肌、腹にぐっと突立つる。「ヤレ母人お留めなされ、何故の切腹、仔細をいへ様子はいかに」
と人々あはて介抱に、小四郎きっと目を見開き
「何故死ぬとは伯父様とも覚えませぬ、卑怯未練も父様に逢たさ、父を先立てて何まだ/\と生き恥をさらさん、親子一所に討死して、武士の自害の手本を見せる」
と、きりゝ/\と引廻すその手に縋り母微妙
「ナウその立派な心を知らず、呵った婆が面目ない、こらへてたも」
と右左、目をしばたゝく三郎兵衛
「猶予は如何に、早実験、何と/\」
と御上意に疵口拭ひ耳際までとっくと改め故実を守り、謹んで両手に捧げ「矢疵に面体損じたれども、弟佐々木高綱が首、相違御座なく候」
と御前に直し押し下れば
「ホヽウ骨肉の兄が実験と云ひ、首に向かって小四郎が恩愛の涙切腹の有様、誠の首の証拠明白、思へば昨日はこの首に後を見せし時政が今手の下に誅罰する我武運の強さ、ウフ、アハ、/\/\、ウハヽヽヽ心地よや嬉しやなハヽヽヽ、今といふ今時政が初めて枕を安く寝るは盛綱が働き我着替の鎧一領当座の褒美に残し置く。小三郎そのほかには陣中にて勝軍の恩賞せん、皆万歳を唱へよ」
と悦喜の粧ひ傍を払ひ、本陣、ワハヽヽ、さして帰陣有盛綱辺りをとっくと見廻し
「佐々木高綱が妻篝火、計略の贋首仕畢せたれば小四郎に最期の暇乞、許すこれへ」
と一言を聞く間遅しと転び出で我子にひしと抱き付き、わっと泣くよりほかぞなき、涙ながら母微妙
「贋首と知って大将へ渡したそなたは京方へ味方するサ心底か」
「イヽヤいっかな心は変ぜねど、高綱夫婦がこれ程まで仕込んだ計略。父が為に命を捨つる幼少の小四郎が、あんまり神妙健気さに不忠と知って大将を欺きしは弟への志。彼が心を察するに、高綱生きてある中は鎌倉方に油断せず、一旦討死せしと偽って山奥にも姿を隠し不意を討たんず謀。しかれども底深き北條殿、一応の身替りは中々喰はぬ大将、そこを計って一子小四郎を、うま/\とこの方へ生捕らせしが術の根組、最前の首実験、贋首を見て父上よ誠しやかの愁嘆の有様に、大地も見抜く時政の眼力をくらませしは教へも教へたり、覚えも覚えし親子が才智、みす/\贋首とは思へども、かほど思ひ込んだ小四郎に何と犬死がさせらう。主人を欺く不調法、申し訳は腹一つと極めた覚悟も、負うた子に教へられ浅瀬を渡るこの佐々木、甥が忠義にくらべては、伯父がこの腹百千切っても掛け合ひがたき最期の大功。そちが命は京鎌倉の運定め、出かいたな出かした」
と手負の顔を打守り/\悲嘆の涙にくれければ、篝火いとゞかきくれて
「子を誉められる親の身の、悦ぶは常なれど、生きて高名手柄して、今の仰せに預らば何ぼう嬉しかるべきに、年相応より利発な子が生まれ付いたこの子が因果、天晴れ弓矢打物まで誰におとらぬ物覚え、腹切る事までこれほどに器用になくば何事ぞ、今伯父様のおっしゃった事聞き取りゃったか、そなたの命捨てたので高綱殿の忠義が立つと褒美のお詞、それを未来の引導に迷はずと仏になってたも」
といひ聞かすれば嬉しげに
「そんならわしが死ぬるので、父様の軍が勝になるか、エヽ忝い、婆様はどこにぞ、わしゃ縛られても卑怯者ぢゃないぞえ、それで死んでも本望ぢゃ、伯父様伯母様婆様にも母様にも逢うて死ぬるは嬉しいが、たった一つ悲しいは父様に/\」
と後は得云はず舌こはゞり、次第々々に弱り果て、惜しや実生(みばへ)の無常の風に散り行く
「コレなう小四郎、孫やい、今はの際に父様を尋ねて死んだ子の心、思ひやって只一目なぜ顔見せに来てくれぬ。千騎万騎の大将にも成るべきものを栴檀の二葉で枯らせし胴慾は神も仏もなき世か」
と歎く微妙の声限り、涙の早瀬、篝火も消ゆるばかりの思ひなり、三郎兵衛泣く目を払ひ
「ハア歎きに紛れおくれたり。実験を仕損じたる鎌倉への申訳、母人さらば」
と差添に手をかくれば
「ヤア/\盛綱、和田兵衛秀盛これに有り。敵を見かけて自害とは臆したるか」
と声かけられ
「シヤ幸ひのよき敵、帰らばそのまゝ帰さんに、運尽きたる秀盛、逃しはせじ」
と突立てば
「ヲヽ和田兵衛が習ひ得し南蛮流の懐鉄砲、受けて見よ」
とどうと打つ、ねらひはそれて鎧櫃、内に忍びし榛谷十郎太腹射抜かれのた打ったり
「見よや盛綱、底の底まで疑ひ深き北條の隠し目付、汝が手にかけざれば不忠にあらず、サ彼めが不運、今又御辺自害せば鎌倉への義は立つべきが、佐々木が首は贋物なりと忽ち露顕し、これまでも砕きし心は水の泡。時を待って佐々木高綱、誠はこゝにと切って出ずるその時に潔く切腹せば、忠も立ち義も全し、腹の切り様早い/\」
「ハヽア実に誤ったり我命、暫く生きるは弟へこれも情の一つには、甥への寸志追善供養、野送り万事も一家の内証、諸事何事もこの座切り」
「表は京方鎌倉方、右大将実朝の御座の白旗奪ひ取りしは軍の吉左右重ねて再会、留めて見ぬか」
と出でゝ行く。
「ヤア盛綱が陣中にて味方の武士を討ったる曲者」
返へせ戻せは弓矢の儀式、ちなみは兄嫁小姑孫よ甥子の亡骸に憂き事三井の晩の鐘、消え行く子より親心我からさきの夜の雨、父には一目粟津の風、木の葉の紅葉かきよせて夕べを照らす勢田の橋、門火は狼煙敵味方さらばとばかり別れ行く。
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