「曽根崎心中」での「男」徳兵衛
〜「曽根崎心中」
1)花道での引っ込み
宇野信夫脚色の「曽根崎心中」は昭和28年8月新橋演舞場で、二代目鴈治郎の徳兵衛、二代目扇雀(現三代目鴈治郎)のお初で初演されました。現在上演される「曽根崎心中」はこの宇野版の脚本に拠ります。その初日のこと、「天満屋」でお初が「死ぬる覚悟が聞きたい」で、お初は他人に分からぬように縁の下へ右足を差し出します。 竹本の「独り言になぞらえて、足で問えば、(徳兵衛は)うちうなづき足首取って喉笛なで、自害するとぞ知らせける」で、徳兵衛がお初の右足を自分の喉笛に当てる場面では客席は興奮の渦であった そうです。
「天満屋」をふたりで抜け出す緊迫した場面では、客席の前の方から「早く、早く・・」と声が掛かり、「命の末こそ短かけれ」でようやくふたりは舞台に飛び出しますが、客席はハンカチを目に当てている人ばかりで、初日の熱気に演じる方が当てられてしまって、思わずお初が徳兵衛の手を引っ張って花道を引っ込んでしまったと二代目鴈治郎が回想しています。心中ものでは男が女の手を取って花道を引っ込むのが普通ですが、思わぬハプニングが新鮮な感動を呼んで、以後の本作ではお初が徳兵衛の手を引いて花道を引っ込むのが型になってしまったそうです。(二代目鴈治郎:「役者馬鹿」より)
お初が徳兵衛の手を引っ張って逃げる型は初日のハプニングから出たものだったと鴈治郎は言っていますが、この型は役になりきった鴈治郎と扇雀が感覚で探り当てた真実だと思います。他の心中ものはいざ知らず、この「曽根崎心中」の場合にはやはりお初が徳兵衛を引っ張って花道を入る方が感覚として「正しい」と思わざるを得ません。この心中は確かにお初の「かぶき的心情」が原動力になっているからです。
しかしこれは徳兵衛が、お初にあおられて・お初にひっぱられるままに心中に向ったということではありません。お初が「オオ、そのはずそのはず、いつまでも生きても同じこと、死んで恥をすすがいでは」と叫んだ時、徳兵衛はお初に心意気に触発されて、心のどこかに火が付いた・何かに目覚めたということ だと思います。徳兵衛はお初に「男」にしてもらったということだと思います。もちろん徳兵衛が「男」でなければ「心中」にはなりません。そのことが次の「道行」で明らかになります。
2)神事としての道行
『西洋では、こんな芝居は絶対にありません。(徳兵衛は)まったくみじめな姿で第2幕(天満屋)に登場し、縁の下に入って、お初の足首にしがみつくんです。西洋の芝居ではあれほどみじめったらしい主人公はまずいないと思います。ではそれほどにも頼りない男がなぜ主人公になる資格を持つのか。それは道行があるからなんです。あの道行がなければ、「曽根崎心中」という芝居もありません。(中略)お初と徳兵衛は、世界苦の代表・人間の業の代表として死に場所へ向うんです。だからこそ二人は歩きながら背も高くなります。そして、目指す曽根崎の森に着いたときには徳兵衛は立派な人間です。彼は偉大な人物として死んでいくのです。』(ドナルド・キーン/徳岡孝夫:「棹友紀行」(中公文庫)
ドナルド・キーン/徳岡孝夫:悼友紀行―三島由紀夫の作品風土
通常の道行というのは、長い芝居のなかの「つなぎ」であったり気分転換だったりします。お初・徳兵衛の心象風景を、近松は独特の文章で見事に描写しています。しかし、「曽根崎心中」の道行はちょっと独特で、冒頭の「観音廻り」と照応しているようなところがあります。つまり、一種の神事なのです。「観音廻り」であの世からこの世に再び呼び出されたお初は、ここで少しづつ姿を質的に変化させていって、またあの世に戻る準備をこの「道行」でしているように思われます。
キーン氏はこのことを『道行でお初・徳兵衛は歩きながら背が高くなる』とズバリと指摘しています。ここでのふたりは、世間に対する見栄・憤り・義理・あるいは未練というものから解き放たれて、ふたりだけの自我の世界へ没入していきます。これから死に向う二人には、それまでの見慣れた風景さえもはやあの世から眺めているように異なった風景に見えています。近松の名文が観客の気持ちをふたりだけの世界にクローズアップさせていきます。そして、相対的に観客の心のなかでふたりの大きさが大きくなっていくのです。ここでの徳兵衛はもはや醤油屋のみじめったらしい手代ではありません。徳兵衛はお初にとってだけでなく、観客にとっても、この世界の唯一の男性になるのです。
「かぶき的心情」とは「自己のアイデンティテイーの主張」・「自我の主張」であることを、本サイト「歌舞伎素人講釈」で考えてきました。「曽根崎心中」の道行でのお初・徳兵衛の場合は、「自己のアイデンティテイー」がそれなりに実感され、そこにある種の充足感が見られます。死への恐怖は確かにあるけれども、その先にある至福がふたりにはっきりと見えています。この段階においては、世間・社会はふたりのなかにもはや意識はされていません。ここに当時の時代的気質であった「かぶき的心情」のもっとも美しい形での実現が見られます。だから当時の観客は「曽根崎心中」に熱狂したのだと思います。
3)心中場での徳兵衛
「曽根崎天神の森」に着いたふたりに、どこからか二つの人魂が飛んでいくのが見えます。お初は「今宵は人の死ぬ夜なのか、嘆かわしいこと」と泣くと、徳兵衛ははらはらと涙を流し、「あの二つの人魂を他人の身の上と思うのか、あれはお前と私の魂なのだよ」と言います。「それではもはや我々は死んだ身なのか」とお初は驚きますが、ここでの徳兵衛は死の覚悟を決めて男らしく冷静です。
「オオ常ならば結びとめ、繋ぎとめんと嘆かまし。今は最後を急ぐ身の、魂のありかを一つに住まん。道を迷うな・違うなと・抱き寄せ、肌を寄せ、かっぱと伏して泣きいたる」
「天神の森」での徳兵衛はそれまでのみじめで、他人に振り回されて決断力のない徳兵衛の姿ではありません。お初も「天満屋」とは違っていて、この場ではこの世への未練をもって泣くばかりで受動的です。心中場ではお初と徳兵衛との関係は逆転しているのです。ここでの徳兵衛は包容力がある男で、死の恐怖におびえるお初をやさしく抱きしめます。しかし、徳兵衛をこのように大きくしたのはお初であるということは意識しておかねばなりません。
近松の心中場での「残酷なほどのリアリズム」については、すでに別稿「曽根崎心中:観音廻りの意味」において触れました。近松はふたりの心中をけっして美化はしていません。もちろん、否定もしていません。しかし、近松は「その瞬間においてお初・徳兵衛は最高に生きた」ということは認めていると思います。このことは「かぶき的心情」においてこの芝居を読むことで明らかになると思います。だからこそ当時の観客はこの芝居に熱狂したのです。
今回、「曽根崎心中」を読み直して、近松が実に入念にこの作品の構成を仕掛けていることに改めて思い至りました。実在のお初・徳兵衛が曽根崎の森に心中してから、近松がこの作品を世に問うのに1ヶ月しか掛かっていません。近松はここに観音廻りと道行という「仕掛け」を入れて、まだ心中のイメージの固まっていない観客を自然な形で誘導していきます。突貫工事で書いたこの作品がごく自然に・当たり前のようにこのような緊密な構成を持っていることに、近松の天才を感じずにはいられません。
(H13・12・23)