超自我の奇蹟〜「本朝廿四孝・十種香」
*本稿は吉之助の音楽ノート:ワーグナー・歌劇「さまよえるオランダ人」としてもお読みいただけます。
1)ゼンタと八重垣姫との符号
ワーグナーの歌劇「さまよるオランダ人」(1843年初演)は、「呪いを受けて7年に一度上陸できるが・乙女の愛を受けなければ呪いは解かれず・死ぬことも許されず永遠に海をさまよわなければならぬ」という幽霊船の船長がゼンタという娘の自己犠牲によって救われて昇天するという物語です。第2幕では・船乗りたちの帰還を待つ娘たちが歌を歌いながら糸を紡いでいます。しかし、ゼンタだけは壁に掛かっている「さまよえるオランダ人」の肖像画を見てひとり物思いにふけっています。そこへ商人の父親ダーラントがオランダ人を連れてやってきます。ダーラントはオランダ人の財宝に目がくらんで・娘をオランダ人と結婚することを承諾してしまったのです。しかし、ゼンタは目の前に肖像画とそっくりの船乗りが立っているのを見て呆然とします。オランダ人もゼンタを見て・彼女こそ自分を救ってくれる娘だと直感して、ふたりは言葉もなく立ち尽くします。
このオペラのヒロイン・ゼンタは壁に掛かった会ったこともない男の肖像画を見ながら「私こそあなたを、まごごろでお救いする妻です。おお天使さま、私をお引き合わせください。私こそこの人をお救いする者です」と叫んだりする空想癖のある・ちょっと変わった娘です。糸も紡ぎながら楽しげに歌を歌ったりしている娘たちのなかでゼンタは完全に浮いています。娘たちがからかうと、「よして、あなたたち、そんなふざけた大笑いして、私を本気で怒らせるつもり。そんなつまらない歌はもうやめて。頭がガンガンするばかりだわ。少しはまともな歌を歌いなさいよ」とエキセントリックに怒ったりします。
ところで男の肖像画を見ながら・何やらブツクサ言って空想に耽る女性と言えば、歌舞伎ならばそれは「本朝廿四孝・十種香」で勝頼の肖像画を見ながら空想に耽る八重垣姫を思い出します。片や「オランダ人」の方はゼンタの自己犠牲によって・呪われたオランダ人船長が救われるという奇蹟、もう一方の「十種香」は勝頼を慕う八重垣姫に狐の霊力が乗り移って・張りつめた諏訪湖の氷の上を一気に走っていくという奇蹟です。そうやって見るとふたつの作品はヒロインの雰囲気が驚くほどよく似ています。
まずゼンタの場合ですが、父親ダーラントは商人であり・ゼンタの母親は若くして亡くなって・ゼンタは乳母のマリーに育てられたと思われます。父親は事業拡大の意欲に燃えており・本当は男の子が欲しかったのですが、その望みはなくなりました。したがって父親の望みは娘を裕福な商人と結婚させて、自分の事業を継がせたいということです。男性中心社会にはよくあることですが、ゼンタは男性論理の補助として父親の期待を背負っていたということです。したがって彼女は自立した自我を獲得することができません。彼女にできることは絵のなかにある男性の姿を投影することだけです。それによって自分の欠けたものを補うことができるし、何よりそれが父親の期待に応えることでもあるからです。しかし、彼女は何かしらそこに「高いもの」があると信じています。
一方、糸紡ぎの歌を歌う娘たちですが、彼女たちの彼氏は水夫であり・ゼンタとはちょっと階層が異なります。彼女たちは他愛のないおしゃべりを楽しみ、ゼンタをからかって・彼女に理由もなくしきたりに従うことを要求します。なぜならば古い歌を歌うのも・古いしきたりを守るのも、決してぶらぶらしてはならぬ・主婦たるものそういうものだと思い込んでいるからです。そういう理由のないことを言われるとゼンタは猛然と反発します。そしてますます高いものへの奉仕への空想に耽ります。ドイツの演出家ヨアヒム・ヘルツは次のように書いています。
『ゼンタという女性のなかに、われわれはロマンティックな精神的な態度を芸術家が透視するように見た象徴的な姿を見ることができる。彼女は自分の環境に満足できない。なぜならそこには完成すべき行為というものがないからである。彼女にはふたつの道だけが開かれている。ここから逃げ出すか、あるいは自分のために夢の世界を創り出すか。夢の世界でなら、生活が彼女にかなえてくれなかった偉大な 行為がまだ可能だった。彼女の憧れは自分の人生のための生き甲斐を求めることだった。彼女の生まれつきの強さが、健全な性格が、彼女の周囲のもったいぶって偉ぶるものに反抗して自己を主張する。』(ヨアヒム・ヘルツ:「さまよえるオランダ人の演出」・1962)
センタには完成すべき行為というものがありません。裕福な商人と結婚として父親を満足させるだけの道具に過ぎないということです。しかし、ゼンタは・父親が婚約者として自分に引き合わせたオランダ人を見て・衝撃を受けます。自分がずっと眺めてきたあの肖像画にそっくりな男がそこにいたからです。ゼンタはオランダ人に対して次のように言います。
『たとえあなたがどなたであろうと、むごくも運命があなたに強いた破滅がどんなものであるにしても、また私が負うべき運命がどんなに恐ろしいものであろうとも、どこまでも私は父の言う通りにいたします。』
どうしてゼンタはすんなりと結婚を受け入れ「私は父の言う通りにいたします」と素直に言うのでしょうか。オランダ人が肖像画の「運命の男」そっくりの・彼女好みの男性だったからでしょうか。これはオペラでは判然としないところがあります。壁に掛かっている肖像画に気付いて・ダーラントもオランダ人本人も「画とそっくりじゃないか」と驚くような場面がオペラではまったく出てこないからです。ワーグナーがタネ本にしたとされるハイネの小説ではオランダ人は壁の肖像画が自分とそっくりなのに気が付くことになっています。しかし、ワーグナーはオペラではこの部分を採用していません。
この点はこう考えるべきだと吉之助は思っています。ワーグナーの場合には肖像画の男性がオランダ人そっくりかどうかは重要なことではないのです。 父ダーラントはオランダ人をゼンタに引き合わせる時に「さ、手を出しなさい。お婿さんと呼んでも良い方だぞ。お前がお父さんに同意なら、明日からでもお前の旦那さまにしてやるぞ」と言っています。ゼンタは父親の期待に応えることと・自分の思い描いていた夢の世界を実現することを両方いっぺんに叶える方法を思いついたのです。それは父親の引き合わせてくれたこの男性に全身全霊で尽くすということです。これは義務(やらなければならないこと)でありながら・同時に自分が自発的に奉仕する喜びを伴った極めて高い務めであると・そう思える倫理的な根拠をゼンタはついに見出したのです。このことで彼女の願望はもはや空想ではなくなり、父親の期待にも添うところの現実の目標となったのです。ゼンタは自立への糸口をついに見つけたと感じたと思います。ここからゼンタは突っ走ります。
オランダ人と出合った時点(第2幕)でゼンタがオランダ人の為に死ぬことを想像していたとは思えません。ゼンタが自分は彼とともに死ぬつもりだとひと言も言っていません。ゼンタは自分の願望が救済であると確かに信じていますが、それは 彼女が死ぬことではなく・現世において彼女の愛を通じてオランダ人を救済することでした。しかし、オランダ人は自分は幸せを見出したと歓声を上げます。ゼンタの願望は一旦は実現されるかに見えます。しかし、第3幕でゼンタの周囲の状況が一変します。以前にゼンタがつきあっていたエリックという猟師とゼンタが言い合いになってしまって・これを見たオランダ人が絶望して出帆してしまいます。後を追うゼンタは断崖から身を投げます。
「あなたの天使さまを、そしてその仰せごとを讃えてください。この通り、命を捨てても、私はあなたにまごごろを捧げます。」
その瞬間にオランダ人の船は轟音を立てて沈没し、海中から昇天していくオランダ人とゼンタの姿が見えます。これが「さまよえるオランダ人」の最終場面です。(この稿つづく)
(H20・10・23)
2)「あの男が絵姿の男だから尽くせ」
翻って・ここで「本朝廿四孝」のことを考えます。「本朝廿四孝」とは中国の故事「廿四孝」の日本版という意味です。「廿四孝 」は元の時代に編纂された二十四人の親孝行者の話で・いつの時代に日本に伝わったのか定かではありません。儒教精神が鼓舞され・忠孝の道が強調された江戸時代に寺子屋教育によって「廿四孝 」は庶民に普及しました。「廿四孝」の忠孝譚は継母のために体温で池の氷を溶かして魚を取った王祥の話であるとか、貧しくて母を養えないので・子供を犠牲にして埋めようとしたら地中から黄金の釜が出てきた郭巨の話とか、現代人にはついていけない・あり得ない極端な話ばかりです。(「廿四孝」を通じて・当時の庶民が何を感じていたのかは後ほど考えます。)
人形浄瑠璃「本朝廿四孝」(近松半二作・明和3年・1766・竹本座)の三段目(勘助住家・通称「筍掘り」)では、母のために祈り・寒中に筍を求めて雪の藪を掘る孟宗の話を取り込んでいます。三段目幕切れの詞章に「返らぬ昔唐土の廿四孝を目の当たり。孟宗竹の筍は雪と消えゆく胸の中、氷の上の魚を取るそれは王祥これは他生の縁と縁。黄金の釜より逢ひ難きその子宝を切り離す、弟が慈悲の胴慾と兄が不孝の孝行は、わが日の本に一人の勇士、今に名高き山本氏、武田の家の礎と、事跡を世々に残しける」とあります。したがって「本朝廿四孝」の外題は三段目から来るとされています。
これはもちろんその通りに考えて良いのですが、吉之助は以前からずっと疑問に思っていたことがありました。それでは「四段目・十種香」は「廿四孝」と関係はないのかということです。八重垣姫の勝頼を想う一途な恋心はおよそ忠孝と程遠い個人的心情に見えます。四段目幕切れでは父・謙信が家来を呼び出し・勝頼の殺害を命じます。八重垣姫はこの危機を勝頼に知らせようとして・諏訪明神に祈り・狐の姿になって諏訪湖を渡ります。つまり八重垣姫は父の命に背いて・姫という立場さえ忘れ・恋心という最も個人的心情に導かれるままに動き・その情熱が奇蹟を起こす・現代人から見るとそこが八重垣姫の魅力だということになります。
しかし、四段目というのは時代物の構造のなかでも重い位置を持つ段です。その四段目に作品の主題(この場合は「廿四孝」)とかけ離れた筋を近松半二が持ってくるはずがないと吉之助は思うわけです。ということは「十種香」は一見すれば反・忠孝の物語のように見えますが、「十種香」は実は忠孝の物語なのではないのか。八重垣姫の奇蹟は忠孝の奇蹟であり・これこそが「日本版・廿四孝」ではないのかというのが吉之助の推論なのです。ここで「さまよえるオランダ人」のゼンタの考察が役に立ちます。
長尾謙信の娘・八重垣姫は武田勝頼と許婚の関係です。大序において国境の隔てて対立する甲斐の武田と越後の長尾の両家の和睦のために八重垣姫と勝頼との縁組みが提案されました。つまり政略結婚です。八重垣姫は勝頼に会ったことはなく、結婚は姫の意志に係わりのないところで取り決められたものでした。しかし、二段目において勝頼は切腹してしまいます。その日から八重垣姫は館に引きこもり、まだ見たこともない勝頼の絵姿を見ながらお経を読む日々を過ごしています。そして勝頼の絵姿に向かって何やらぶつくさ言っています。
「申し勝頼様、親と親との許嫁、ありし様子を聞くよりも、嫁入りする日を待ち兼ねて、お前の姿を絵に描かし見れば見る程美しい。こんな殿御と添ひ臥しの身は姫御前の果報ぞと、月にも花にも楽しみは、絵像の側で十種香の、煙も香花となつたるか。回向せうとてお姿を絵には描かしはせぬものを、魂かへす反魂香、名画の力もあるならば可愛とたつた一言の、お声が聞きたい ・・」
実際は例外はいくらでもありますが、戦国時代の大名のお姫様に自由意志はないことになっています。政治の取り引きの材料として他家に嫁いで、実家の安泰を保つのが大名の娘の役割です。また大名の娘とはそういうものだと八重垣姫自身も思っていて・そこに彼女は何の疑念も持っていません。八重垣姫には完成すべき行為というものがありません。八重垣姫は 政治的取り決めで許婚と定められた武田勝頼と結婚して実家を守るための道具に過ぎず、その期待に応えることが彼女の使命でした。ところがその縁組み相手の勝頼が突然切腹してしまいました。八重垣姫の生き甲斐は失われてしまい、彼女は絵姿に向かってぶつくさ言うことで自分をどうやら保っています。
そう考えると「さまよえるオランダ人」のゼンタが会ったこともない男の肖像画を見ながら「私こそあなたを、まごごろでお救いする妻です。おお天使さま、私をお引き合わせください。私こそこの人をお救いする者です」と叫ぶのとまったく同じ心理状況が八重垣姫にある ことが分かります。ゼンタも八重垣姫も隔離された環境のなかに閉じ込められており、自立した自我を獲得することができない状況にあります。
しかし、八重垣姫がふっと外を見ると・そこに絵姿そっくりの男(蓑作)が立っている。ここで突然八重垣姫の空想が現実のものになります。勝頼は死んだはずだから・勝頼様によく似た別のお方だと思うところですが、八重垣姫はこの方は勝頼に違いないと直感します。ここが大事なところです。八重垣姫はこの蓑作と名乗る男が 勝頼そっくりの男だから好きになって「見初めたが恋路の始め」と言って迫るのではありません。八重垣姫は直感的にその男を「絵姿の男」だと見定めて迫るのです。八重垣姫は父から定められた役割が何かしら「高い義務」であると信じて生きてきました。八重垣姫はそれを絵のなかの男性に託して思い描いていました。絵のなかの男性に尽くすことは自分が自発的に奉仕する喜びを伴ったものであると同時に、父親の期待にも添うところの義務を果たすことでもありました。この行為は八重垣姫にとって自分の恋であると同時に・忠孝の行為でもあるのです。その絵姿の男性を八重垣姫はついに見出しました。それが蓑作です。蓑作が「絵姿の男」だということは彼が尽くすべき許婿の勝頼であるというのが八重垣姫のロジックです。八重垣姫の直感が正しかったことが後で分かります。
壁に掛かった肖像画がオランダ人とそっくりであったという設定を・ワーグナーがオペラでは採用しなかったことは先に触れました。一方、「十種香」では蓑作が絵姿の男に生き写しであるということが重要な伏線になっています。父謙信が八重垣姫に「お前のお婿さんだよ」と言って蓑作を引き合わせたのではありません。八重垣姫は自分で「絵姿の男」を見つけ出して・自分から蓑作に迫ります。八重垣姫と蓑作との出会いは宿命論的な色合いを強く帯びてきます。
別稿「宿命の恋の予感」において・「新薄雪物語」の薄雪姫と左衛門との恋を考察しました。宿命の恋とは自ら望んで恋に落ち・恋の喜びに震えるというような無邪気なものではありません。それは運命によって義務付けられた恋・自分の意志とは無関係にそうなるとあらかじめ定められた恋です。ここでの愛は自分のなかから湧き出て・愛に服従するように自分を強制して・自分の心の自由さを失わせるものとして意識されています。同じ宿命の恋でも八重垣姫の恋が薄雪姫と違う点は義務という意識が非常に強いことです。これは 八重垣姫の恋が戦国時代のお姫様の政略結婚を背景としているせいです。神様の定めた恋ならばロマンチックかも知れません。しかし、八重垣姫の場合は政治的に親が取り決めた結婚ですから・それは打算的意味合いを持っています。しかし、彼女はこれを宿命であると思い込もうとしています。なぜそうかと言えばそれが親に対する忠孝(=高い義務)の成就であるからです。八重垣姫の場合は忠孝だから恋するのか・忠孝それ自体に恋しているのかその境目が見えません。つまり「あの男が絵姿の男だから尽くせ」と言う内面の声に突き動かされるが如く八重垣姫は蓑作に恋するのです。
「あの男が絵姿の男だから尽くせ」というのは八重垣姫のなかの超自我の声です。そう考えると八重垣姫のお姫さまにあるまじき言動・あられのない行動も、実は内面から突き浮かされる衝動から来ていることが分かります。五代目歌右衛門は芸談で「姫らしい品位と高尚な色気を見せることが大切で、決して蓮葉な真似をしてはいけません」と語っています。そう言いながら八重垣姫のやっていることは実は大胆で蓮葉と言ってもいいほどなのです。お姫さまの品位と・大胆な行為との間で八重垣姫は乖離しています。そこが八重垣姫のバロック的な要素です。(この稿つづく)
(H20・10・29)
3)高い義務の掟
「十種香」後半・事態は急変し、謙信は蓑作(勝頼)に文箱を託して立ち去らせた後・すぐさま家来を呼び出し・勝頼殺害を命じます。「諏訪法性の兜を盗み出ださんうぬらが巧み、物陰にて聞いたる故、勝頼に使者を言ひ付け、帰りを待つて討ち取らさんと、示し合はせし討手の手配り」というのです。八重垣姫は勝頼の助命を請いますが、謙信は聞き入れません。次の「奥庭・狐火の場」で八重垣姫は「みすみず夫を見殺しにするはいかなる身の因果。アヽ翼が欲しい、羽根が欲しい。飛んで行きたい、知らせたい。逢ひたい、見たい」と煩悶します。ところが諏訪明神に祈り・諏訪法性の兜の押し戴くと、不思議や諏訪明神に守護する狐が現れ・その狐に守護されて・八重垣姫は勝頼の元へと諏訪湖を渡っていきます。
これは「あの男が絵姿の男だから尽くせ・恋せよ」と命じる超自我が引き起こす奇蹟です。超自我は内面の声に服従するように自己に強制します。超自我のロジックは極めて狡猾です。絵姿の男に尽くさなければ自分は生きていると感じない・絵姿の男に尽くさなれば罪悪感を感じてしまうのです。その喜びは決して自然発生的な喜びではありません。八重垣姫のアイデンティティーは「あの男は絵姿の男だから尽くせ ・恋せよ」という超自我の命令によって維持されています。それは父親の願い(勝頼は父親の定めた許婚である)と沿っていると見える状況においてはその実相があからさまに見えて来ることはありません。「どんな状況であったとしても・たとえ父親が逆らってでも・絵姿の男に尽くせ」という状況になって八重垣姫が自己のアイデンティティーにどれほど忠実であるかが試されることになります。
八重垣姫の奇蹟は第三者から見ると父親の意思と反するように見えます。謙信は家来に勝頼の殺害を命じており、八重垣姫は父に逆らって勝頼を助けようとするからです。八重垣姫を突き動かしているものは最も個人的な心情・彼女の恋心のように見えます。しかし、実は八重垣姫は父に背いているつもりは全然ないのです。もともと八重垣姫の政略結婚を決めたのは父謙信であるからです。八重垣姫は「私の許婚にあの人(勝頼)を定め・あの人に尽くせと言ったのは父上よ。だから私は父上の言い付けを忠実に守っているのよ。」と言うことでしょう。実はこの八重垣姫のロジックにはちょっと微妙なところがあるのです。これが超自我の狡猾さです。超自我の命令は八重垣姫のアイデンティティーに強く結びついており・これを決して分けることができません。だから「勝頼を許婚に定めた父の意思に忠実である」ということが八重垣姫の行動の正当性の強い根拠になっています。つまり、八重垣姫の行動は忠孝の行為であるということができるわけです。同時にそれは八重垣姫のアイデンティティーと強く結びついていますから・その恋心は情念として非常に強固なものとなり、それが八重垣姫を内面から突き動かすことになります。
ゼンタの場合を見てみます。ゼンタの恋人であった猟師エリックは彼女をなじって・こう言います。「親の言葉に従順だからって、おい君、そりゃ無茶じゃないか。お父さんの目配せを喜んで」第三者の目からはゼンタが父親の言葉に振り回されて・父親を喜ばせる為だけにオランダ人とつきあっているようにしか見えません。これに対してゼンタはこのように言います。
「よしてちょうだい。ねえ、黙って。私はもうあなたに会ってはいけないの。心に思ってもいけないの。高い義務(つとめ)の掟なのよ。」
ゼンタはこれを「高い義務」であると言っています。ゼンタが言う高い義務とは超自我の命令を忠実に遂行することです。ゼンタの父親ダーラントは彼女がオランダ人のために死ぬことを望んだわけではありません。結果的にゼンタは父親の世俗的な期待を裏切って死を選ぶことになりますが、ゼンタもまた「父親が引き合わせてくれたあの人に尽くすことは私の義務なのです」と言うことでしょう。ここでも父親の意思に忠実であることがゼンタの行動の正当性の強い根拠になっています。つまりゼンタの奇蹟も・八重垣姫の奇蹟も忠孝の奇蹟であると言えるのです。(この稿つづく)
(H20・11・9)
4)究極の思いが奇蹟を引き起こす
中国の故事「廿四孝」は江戸時代の寺子屋教育の重要な教材でした。その説話は教訓のためとは言え・いかにも中国流の極端過激な設定で、現代の感覚で見れば横暴な親に子供がひたすら献身的に尽くすことを強要する自虐の美学という風に見えるかも知れません。しかし、民衆に「廿四孝」がこれほど普及した背景をもうちょっと考えてみた方がよろしいようです。「廿四孝」の流行は「君君たらずといえども、臣は以て臣たらざるべからず。父父たらずと言えども、子は以て子たらざるべからず」(古文孝経序)という儒学の倫理観に支えられています。「たとえ親に親としての徳がなかったとしても、子は子としての本分を尽くせ」ということです。つまり子としての(あるいは家の一員としての)アイデンティティーをそこに強く見ており、これに対して全身全霊を尽くすことを義務であると当時の人は見ていたということです。当時の人々もそれがあり得ない珍談奇談だと分かっていたでしょうが、しかし、そこに何かしら高いものを見ていたこともまた事実なのです。
ひとつには大坂町人の世界においては身分制度を基盤とした社会の基盤が急速に固まって・社会のなかの家・家のなかの個人の位置付けが固定化されたということがあります。言い方を変えれば、それは 身分社会が柔軟性を失 って・個人がそのような閉塞した枠組みのなかで生きることを余儀なくされたということです。この気分が元禄あたりからとても強くなってきます。枠組みのなかで生きることを強いられた個人は、枠組みをアイデンティティーであると思い込まないと生きられないのです。つまり、「あれが私の尽くすべき人だ」と絵姿を拝むうちにこれを自分のアイデンティティーに遂に同化させてしまった・八重垣姫やゼンタ はその究極の形態を示しているのです。その究極の思いが奇蹟を引き起こすのです。「その時に奇蹟は起こるのかも知れない」というのが当時の民衆の感覚です。
「本朝廿四孝」を書いた近松半二は儒学者穂積以貫の次男として生まれました。以貫は竹本座と関係が深く、その著書「浄瑠璃文句評注難波土産」のなかで近松門左衛門の「虚実皮膜論」を記録していることでよく知られています。一般に儒学者は浄瑠璃など芸能を嫌った人が多く、江戸の太宰春台などは「今の世に淫楽多きなかに、うたひ物のたぐひには浄るりに過ぐる淫声はなし」とまで書いています。ですから以貫は儒学者としては相当さばけた人だったと思いますが、その息子の半二が浄瑠璃作家になってしまったわけです。(半二とは半人前で及ばぬ近松という謙遜です。) 近松半二はさすが儒学者の息子であるなあと思う作品を多く書いています。この「本朝廿四孝」もそうですが、夫と父親の間で引き裂かれる時姫(鎌倉三代記)・殺されることで北の方と呼ばれて喜んで死んで行くお三輪(妹背山婦女庭訓)・腹を切って敵の行方を聞き出そうとする父親に泣きながらその行き先を告げる十兵衛(伊賀越道中双六)などです。
八重垣姫は大名のお姫様ですが、実はこれは大坂の大店の娘に置き換えてみれば良く分かります。大坂の商家では男の子よりも女の子が生まれることを喜んだものでした。息子が必ずしも優秀な経営者の才を以って生まれてくるとは限りません。娘ならば雇い人のなかから優秀な者を厳選して婿に取ることができます。その方が店が発展存続する確実性はグッと増すのです。つまり八重垣姫の政略結婚は大坂の大店の娘が置かれた状況によく似ており、当時の大坂町人は「本朝廿四孝」をそのように重ねて見たわけです。
ゼンタが商人の娘であり・父ダーラントは娘をオランダ人と結婚させて・自分の事業を拡大 しようと考えたということは先に触れました。ヨアヒム・ヘルツは「オランダ人」で描かれているダーラント家は・その作品の成立時期と同じく・1840年代のドイツ市民階級を明確に想定すべきであるとしています。19世紀初頭のドイツではフランス革命によって市民社会という概念が普及しました。しかし、王政復古によってその夢は破れ、世の中は再び閉鎖的な社会に逆戻りしてしまいました。このような諦めムードのなかで・理念的なものよりも・日常的なものに眼を向ける(言い換えれば内に閉じこもる)市民階級の風潮をビーダーマイヤー文化と言いました。ビーダーマイヤー時代は概ねウィーン体制(1815年)から3月革命(1848年)までの時期とされます。元禄期(1690年頃)〜天明期(1720年頃)の大坂と非常に似た状況がここにあるのです。ゼンタと八重垣姫の様相が似るのも当然であることが分かると思います。
(H20・11・19)