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「実盛物語」における反復の構造〜時代と世話を考える・その4

〜「源平布引滝・実盛物語」


○今回は「源平布引滝・実盛物語」を考えます。この芝居の幕切れは爽やかなので・私の好きな芝居です。

山本常朝が「葉隠」のなかで次のように書いていますね。『やさしき武士は古今実盛一人也。討死の時は七壱拾余也。武士は嗜(たしなみ)深く有るべき事也。』

○なるほど実盛はやさしき武士なのですね。

常朝の書いているのは歌舞伎の実盛のことじゃないのですけどね。 老い故によき敵と思われないのは悔しいとして・最後の戦いで実盛は鬢も髭も黒く染めて出陣したということです。この「平家物語」の逸話は名を惜しむ武士の嗜みであるとして・永く武士の理想として伝えられてきました。

○大坂夏の陣に髪に最高級の香を薫き染めて出陣した木村長門守重成も同様ですね。

木村長門守も実盛の例に倣ったのでしょう。実盛は生締という色気のある武士の役どころですが、この「平家物語」のイメージが歌舞伎の「実盛物語」に反映しているわけです。「実盛物語」は「平家物語」の逸話を解き明かすお芝居なのですね。

○それはどういうことでしょうか。

寿永2年(1183)に加賀の国・篠原の戦いで実盛は戦死するのですが、この時に実盛が鬢も髭も黒く染めて出陣したのは何故かということをこの「実盛物語」が解き明かしているのです。実盛は手塚太郎の母親である小万を斬った。その仇を討たせてやるという太郎との約束で・「若君(木曽義仲)が成人した後に兵を挙げた時に討たれてやろう・その時は自分は白髪になっているだろうから鬢も髭も黒く染めて若やいで出陣しよう」と言うのです。そして 28年後に太郎に対面して・そしてその約束通りに討たれるのです。つまり、ここで実盛は自分の未来の死の光景を予言しているわけです。

○しかし、自らの死を予言しているにも関わらず・「実盛物語」の幕切れは陰惨でなくて・実に爽やかなんですねえ。

それはこの芝居が因果の物語(否応なしに実盛が受けねばならない暗い運命の結果)として在るのではなく、実盛が自分の意思で決めた未来だということに拠るのでしょう。 「その時こそは実盛が鬢髪を黒に染め・若やいで勝負を遂げん」という台詞は壮年の男の色気さえ感じさせますね。実盛の未来は明るいのです。それは後世の武士たちの誰もが崇める理想の死 に方なのですから。こうして実盛は「平家物語」の世界のなかに自らの意志で帰って行くのです。

○「実盛物語」は時代物ということになりますが、どこに時代物としての核があるでしょうか。

「実盛物語」のドラマ構造は意外と単純です。一見すると実盛という人物には葛藤が見られないような感じがしますね。爽やか一辺倒に見えます。源氏でありながら現在は平家の禄を食んでいることの悲哀、平家方でありながら内心では源氏に心を寄せているということの苦しさが芝居からはあまり見えてこない。その辺が作品として 若干弱いところかも知れません。そこに九代目団十郎が「実盛は二股武士だ・そこに反省がない」と言って嫌って演じようとしなかった理由があるのかも知れないですね。

○「実盛物語」のドラマに葛藤はあるのでしょうか。

史実における「老い故によき敵と思われないのは悔しいから・鬢も髭も黒く染めて出陣する」という行為は実盛の単なるダンディズムから来る行為ではなく、その背後に実盛の葛藤が濃厚にあるのです。これを芝居の「実盛物語」のなかでどう表現すべきかということをちょっと考えてみても良いことじゃないかと思いますね。

○実盛の葛藤とは何でしょうか。

これは実盛が戦死した寿永2年(1183)時点の史実における実盛の状況を考えねばなりません。ひとつは源氏でありながら・時代の流れのなかでこれまでずっと平家の禄を食みながら生きてこなければならなかったという悲哀です。もうひとつは、この時点で源氏の勢いは平家を圧倒せんばかりになっており・源氏に乗り換えるならばこの時だという情勢であったということです。しかし、ここで右往左往して勝ち馬に乗ろうとすることは見苦しく・武士としての自らの名を辱める行為であると実盛は考えたのです。そう言うことをするには自分はもはや年を取りすぎた・自分は もはや時流に乗り遅れたということもあったかも知れません。ならば敗北が目に見えたこととしても・自らの名を惜しんで死ぬしかない・死ぬならば名誉のある死に方をしたいということであったと思います。その死の覚悟が鬢も髭も黒く染めて出陣するというダンディズムになって現われるわけですね。

○しかし、それは「実盛物語」の場面から見ると28年後の事と言うことになるわけですよね。

「平家物語」の逸話は江戸時代の誰もが知っている話でした。実盛が芝居に登場するならば・彼が篠原の戦いで鬢も髭も黒く染めて出陣して戦死することになるのは・既定の事実なのです。この前提はどんな場合でも揺らぐことはありません。逆に言えば、この前提において「実盛物語」も作られているわけです。史実の実盛が駒王丸を木曽に送り届けたのが久寿2年(1155年)ですから、そこから見れば実盛の戦死は28年先の未来のことということになりますが、この場面においても「平家物語」の実盛の逸話は投影されねばならないのです。そう考えながら「実盛物語」を見ていくと、実盛の葛藤が表現できそうなところは一箇所しかないと思いますね。

○それはどこでしょうか。

実盛が小万を斬った時の情景を語る物語りの場面です。「源平布引滝・三段目切」を・歌舞伎では「実盛物語」と呼ぶわけですが、この場を「実盛物語」と呼ぶのはとても意味があることです。実盛の物語りこそこの芝居の核心 であるからです。

○物語りとは「過去の出来事を語って聞かせる」と言うことですが、この芝居のなかでどういう意味を持つのでしょうか。

義太夫狂言の「物語り」というのは三味線のリズムに乗って・調子よく語り、役者にとっては舞踊の要素も入って来るものです。時には役者が台詞を語り・時には太夫が語るという・役者と床の受け渡しの面白さもあって、とにかく派手な場面ですね。と言うことは芝居の時空間からちょっと切り離された時間帯であるのです。そこに「物語り」の引き裂かれた要素があります。

○「物語り」の引き裂かれた要素とは何なのでしょうか。

「物語り」とは一人語りによる劇中劇なのです。傍らにその劇中劇を見る観客としての聞き手がおり、幕によって仕切られてはいませんが・物語りの場面は前後の芝居の流れの中で隔絶した劇空間であるということです。そこに劇空間の歪(ひず)みが 生じるのです。この歪みが芝居をググッと時代の方向へ引き寄せる力になっているのです。

○劇空間の歪みはどういう力を持つのでしょうか。

「物語り」の場合には、過去の出来事をその場に再現して・過去と現在との繋がりをそこに現出させるということです。これは反復という行為です。「反復」には三つの段階があるということをキルケゴールが言っています ね。

○反復の三段階とは何でしょうか。

キルケゴールは、「反復」には美的段階・倫理的段階・宗教的段階の三つがあると言っています。美的段階においては過去に経験した快感の充足をもう一度味わおうとするものです。倫理的段階においては行動を普遍的規範という形で繰り返す ことによって確実さへの過程を無意識的に取ろうとするものです。以上のふたつの段階は 実盛の「物語り」においては当たりませんね。当てはまるのは最後の宗教的段階です。それは反復することが如何に虚しい行為であるか・そして新たな現実のなかに憧れを見出そうとすることも如何に虚しいことか、そして過去と現在は同じ深淵によって脅かされているということを語る行為なのです。だから「物語り」とは決して回想なのではなく、反復する行為によって自己を照射 しようとするものです。

○反復の宗教的段階が実盛の物語りではどう言う風に現われるのですか。

ここでは源氏でありながら平家の禄を食んでいるという実盛の葛藤が、源氏の白旗を持って琵琶湖を泳いで平家の追っ手から逃げている小万を斬ると言う行為のなかに現われています。小万を助けてやりたいが・それでは源氏の白旗は平家に奪われてしまう・源氏にとっては恥辱である。したがって、やむなく小万の腕を切り落とすという行為に実盛は出るのです。

○やむなく小万を斬ったことにより・結果として実盛は手塚太郎に仇と言われることになるという因果ということでしょうか。

そう考えても良いと思いますが、これを「因果の物語」と言ってしまうと・仏教的な因縁の暗さに繋がってしまいますね。「実盛物語」は実盛が自分で運命を選び取るという明るさを持つものですから、 もうちょっと違う風に考えたいのです。つまり、小万を助けてやりたいけれど・源氏の名誉のために・涙を飲んでやむを得ず斬るという葛藤のなかに、二股武士である実盛の状況が照射されているのです。

○この視点で「物語り」の前後をちょっと読んでみましょうか。

まず注目すべきは「某(それがし)もとは源氏の家臣なれど、ゆえあって平家に随い、清盛の禄を食むと言えども、旧恩は忘れず、今日の役目乞い請けたも、危うきを救わんため」という実盛の台詞です。ここに実盛の苦渋をちょっと漂わせたいところですね。「もとは源氏の家臣なれど・ゆえあって平家に随い・清盛の禄を食む」なんてのは爽やかに朗々と言 える台詞であるはずがないのです。「不思議なはこの腕、矢走の船中にて某が切り落としたる覚えあり」という台詞もドラマの展開に係わる大事の台詞ですから注意したいですね。もし実盛がこんなことを言い出さなければ・実盛は太郎に仇だと言われることはないわけです。つまり 、実盛は28年後に死ななくて良いわけです。本来ならば実盛はそんなことは黙っていれば良いのです。だから、ここで「不思議なはこの腕・・」という台詞を実盛が言うのは、実盛自らは知らずとも・まさに28年後に死ぬために言っていることになります。これが物語りへの導入になるわけですね。

○つまり、二股武士であることによって実盛は死ぬという史実と・小万を斬ったことにより実盛は死すという虚構とが「物語り」で重なっているわけですね。

このふたつが重なっていることが観客にはっきりと分るのはお芝居の最後の場面においてなのですけれどね。 つまり、実盛の物語りの反復は「未来に向けて」反復されているのです。反復ならば・普通はその元は過去にあるものですが、この場合にはその元は未来にある。なぜならば、28年後の実盛の死に様を観客はよく承知しており・観客はそれを反復するからです。そこに実盛の物語りにキルケゴールの言うところの「反復の宗教的段階」が見て取れ ますね。作者竹田出雲は、そのことをはっきりと意識して「物語り」を書いているのです。

○だとすれば実盛の「物語り」は華やかに演じてはならぬのでしょうか。

いや、そうではないでしょう。冒頭の「さては其方達が娘よな、ハテ、不憫なことをいたしな。実盛が非道にあらぬその場のあらまし、申し聞かさん、承れ・・」の台詞は沈痛な思いを込めるべき台詞でしょうが、「物語り」自体は派手に演って良ろしいと思いますね。それによって前後の芝居空間とは違う・時代の歪んだ劇空間を表現できるわけですから。

○実盛の「物語り」における時代は、様式的にはどういう現われ方をするのですか。

床の三味線のリズムに乗った舞踊的かつ・様式的な動きは、非人間的な何ものかを描写しているのです。 三味線のリズムは軽快で心地良いように感じるかも知れませんが、実は反写実的なものを志向しています。三味線のリズムに乗った台詞は自然なしゃべりではないことからも・それは分ると思います。そのリズムは何かに強制されたような心地良さ、つまり、どこか反自然・反人間的な要素を描いているのです。

○非人間的な何ものかとは、二股武士である実盛の葛藤を引き起こすものということでしょうか。

直接的にはそういうことになるでしょうね。源氏だ・平家だという社会の柵(しがらみ)が実盛を苛(さいな)むのです。もっと広義に考えるならば、人間は生きている限り・そのような柵から逃れることは出来ない・その有様 こそ生そのものであるという哲学的観念にまで至るでしょう。ここまで至らないと「実盛物語」の爽やかさは説明できないような気がしますね。実盛の物語りはどうも「熊谷陣屋」の熊谷直実の物語りほど主人公の葛藤の構造が明確ではないようです。そこが作品として弱いところ かも知れませんが、こう考えれば実盛の物語りの意味が見えてくると思います。

○話がそれるようですが・「熊谷陣屋」の直実の物語りの場合は、直実は須磨浦で小次郎を斬ったのに・物語りでは敦盛を斬ったと言う・嘘の物語りなわけですが、これは反復の意味から見るとどうなるのでしょうか。

「熊谷陣屋」の物語りは直実の葛藤の構図がこの時点で観客に明瞭に見えますね。しかし、作者並木宗輔はそこにひねりを入れています。直実の物語りは嘘の物語りですが、それはこの「熊谷陣屋」のドラマが最終的に目指すべき結論を語っているのです。須磨浦で直実が斬ったのは敦盛であったという「平家物語」の史実を無意識的に倫理的に反復しようとしているという要素があります。同時に直実は我が子小次郎を斬ったという過去を宗教的に反復して ・この世の無常感の方向へこのことを照射するという要素もあります。このように「熊谷陣屋」の物語りは二重構造になっているわけです。

○実盛の物語りによって、二股武士である実盛の葛藤が・小万を斬ったことによる太郎に対する負い目として形象化されていくと言うことですね。

そう考えればまさに「実盛物語」という通称通り・物語りがこの芝居の核であることが理解できると思いますね。この後のドラマ展開は瀬尾のモドリ も含めてすべて・幕切れの「その時こそは実盛が鬢髪を黒に染め・若やいで勝負を遂げん」という実盛の台詞への段取りとなっているわけです。

○そして「その時こそは実盛が鬢髪を黒に染め・若やいで勝負を遂げん」と実盛が言う時に28年後の「平家物語」の実盛の最後のシーンが観客の脳裏に見えてくるわけですね。

28年後の実盛の死は決して陰惨な哀しい未来ではなく、実盛自身が選び取った・意思的な未来としてあるのです。それは実盛にとって明るい未来なのです。 後の武士たちの誰もが理想とするところの死に方です。だから「実盛物語」の幕切れは爽やかに感じられるのですね。

(後記)

別稿「実盛の運命」もご参考にしてください。

(H19・1・7)



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