伊右衛門はホントに大悪人なのか
〜「東海道四谷怪談」
1)伊右衛門の色悪的性格
「歌舞伎の大悪人」というと頭に浮かぶのはまずは仁木弾正、それから蘇我入鹿といったところでしょうか。それに「四谷怪談」の民谷伊右衛門も五指に入るであろう人気の悪人です。特に伊右衛門は「色悪」とも呼ばれる役どころです。伊右衛門は、その父を殺してまでして一緒になったお岩を仕官のために見限り死に至らしめ、伊藤家の者も次々に殺害します。さらに「隠亡堀の場」においては、伊右衛門は伊藤家の乳母お槇を何の苦もなく殺害し、それを見ていた直助権兵衛に「おまえもよっぽど強悪だねえ」と言わせています。
「四谷怪談」は繰り返し上演されていくなかで「お岩の怪談劇、復讐劇」としての性格を強めてきたように思われます。お岩の怨念を凄まじいものにしようと考えれば、当然その怨念の対象になる伊右衛門の存在がクローズアップされることになります。伊右衛門が容色を武器にして世を渡ろうとするしたたかな悪人、いわゆる「色悪」として演じられるのも、ともすれば肥大し勝ちなお岩の存在に対して敵役として相応の位置を確保しようという意図から出てくるものに違いありません。
近年の鶴屋南北ブームのなかで、伊右衛門の「近代人的性格」が論じられるようになっています。周知のとおり「四谷怪談」は「忠臣蔵」の裏の世界として設定されています。伊右衛門を忠義の名のもとに討ち入りを強制しようとする封建社会の非人間的論理に敢然として反逆をいどんだ自由人と見ようというわけです。
ここではお岩は伊右衛門に討ち入りを強制しそれを拒否した彼を恨んで苦しめようとする体制的存在とみなされます。これに反抗する伊右衛門の気概を示す科白として挙げられるのが有名な「首が飛んでも動いてみせるわ」です。しかしこの科白は実は文政八年(1825)江戸中村座での初演にはないもので、翌年大坂で改作された「いろは仮名四谷怪談」で初めて登場する科白です。したがってこの科白で南北の作意を論じることはできないと思います。
しかしよく考えてみると、本当に伊右衛門はそんなたいそうな悪人なのだろうかという疑問がついつい湧いてしまうのです。
2)お岩を殺したのは伊右衛門ではない
うっかりすると錯覚してしまうのですが実は伊右衛門はお岩を自ら手を下して殺したわけではありません。お岩の面相が変わってしまったのは、彼が知らないうちに伊藤家の乳母の渡した毒薬のせいです。またお岩が死ぬのも、彼女がもののはずみで柱に刺さっていた刀にあたったからです。したがっていずれの場合にも伊右衛門は直接の当事者ではなく、伊右衛門の意思にかかわらず事が進んでいきます。もちろん結果的には女房を裏切っていてその死の責任を負うべき男ではありますが、しかし容色にかけて世を渡ろうとするしたたかさが本当に伊右衛門にあるのかはどうも疑問に思えるのです。
伊右衛門は事の成り行きからついふらふらと女房を捨てたけれども、心のどこかでは「これは俺のせいじゃない」と思っていて、どうして自分がお岩に追いまわされなければならないかを根本的に分かっていない人物なのです。どうしてこのような人物が、「体制への反逆者、あくなき自由を求める自由人」なのでしょうか。伊右衛門がお岩を捨てたのは、ただ若くて金のある女の方が寄生の対象として好都合だからに過ぎなかったのではないでしょうか。
例えば「蛇山庵室」での伊右衛門がお岩の幽霊に対して言う科白には、「喜兵衛が娘を嫁にとったも高野の家へ入り込む心。義士のめんめん手引きしようと不義士とみせても心は忠義。夫をあざとひ女の恨み。」とあり、最後に及んで見苦しく言い訳をしているのです。
この最後の科白が伊右衛門の「真の心」を吐露するものだという説もあります。いわば伊右衛門の「隠れ義士説」ですが、これはどうも疑わしいように思います。それならばお岩は最後に伊右衛門の誠を認めて彼を許さねばならないし、芝居としては権太ばりの「モドリ」の結末をつけねば納まらないように思います。
伊右衛門はその軟弱な行き当たりばったりの無定見な生き方ゆえに、自らの意思とかかわりなく復讐の対象に仕立て上げられ破滅していくのです。
3)お岩には伊右衛門を殺せない
このような伊右衛門を討つのに忠義の論理が役に立たないのは言うまでもありません。「隠亡堀」において「薬下せい」と言って出てくる小仏小平の幽霊はご主人大事の論理だけの幽霊ですが、伊右衛門に斬り付けられると骨に変わってバラバラと崩れ去ってしまうのです。
そこへいくとお岩の幽霊はしたたかです。お岩だと思って斬り付けてみれば、それは新妻お梅であったり喜兵衛であったりするのです。ここでも伊右衛門はそのつもりもないのに大量殺人者に仕立て上げられていくのです。
しかしお岩も「忠義の論理」を振りかざしている以上は、伊右衛門を脅し恐れさせても殺す事はできないのです。最終的にこの芝居で伊右衛門を殺し罰するのはお岩ではなく、佐藤与茂七なのです。(このことは別稿「与茂七と三角屋敷の意味」をご参照下さい。)
4)「夢の場」の意味
「夢の場」は美しいお岩の姿を見せるという意味でも必要なのですが、この場が暗転しそのまま「蛇山庵室」に続いていることを考えれば、伊右衛門という男の本質的な甘え症をロマンティックに描いてみせていると見るべきでしょう。お岩に追いまわされ散々苦労をしながらも、まだ伊右衛門は「あいつも昔はいい女だったんだがなあ」みたいなことを考えているのです。
一方のお岩の幽霊も「恨めしい」などと言いながら実は伊右衛門が好きなのじゃないかと言う人がいますが、「幽霊は恨みを晴らそうという一念で出る」ものでしょうから、お岩の幽霊が「恨めしいけどホントは好き」というような複雑な思考を持っている存在とは思えません。
しかしなにやらそう思わせるような、男と女の腐れ縁のような不思議な面白さを感じさせるのが「夢の場」での南北の作劇術の妙味なのでしょう。
5)理想の伊右衛門役者は?
そう考えると伊右衛門が単純に色悪の役どころだと決め付ける訳にはいかないことが理解されると思います。さてこうなると理想の伊右衛門役者はどういう仁の役者でしょうか。
従来イメージの色悪の役どころならば、ぴったりはまるのはやはり十二代目市川団十郎ではないでしょうか。昭和五十四年九月歌舞伎座での歌右衛門との舞台(当時海老蔵)は、線の太い豪気な雰囲気で妖しい光を放つような魅力がありました。
それでは本稿で述べた甘え症、無定見な軟弱な小悪人伊右衛門には誰がはまるでしょうか。私は案外十五代目片岡仁左衛門がいいのじゃないかと思います。昭和五十八年六月歌舞伎座での玉三郎との共演(当時孝夫)では、もちろん従来の色悪の線で演じていた訳ですが、どこかに甘えん坊的な感じがありたいした覚悟もないのに成り行きで悪ぶっている伊右衛門の薄っぺらさがよく出ているように感じられました。仁左衛門は「吉田屋」の伊左衛門を得意としていますが、一字違いの「伊右衛門」に必要なのはもしかしたら和事のじゃらじゃらした雰囲気であるのかも知れません。
そう言えば、武智鉄二演出(昭和五十一年六月岩波ホール)では三代目中村鴈治郎(当時扇雀)が伊右衛門を演じていますが、さすが武智の脚本読みの鋭さを感じさせる配役です。伊右衛門の凄みより和事の色気を重視したということではないでしょうか。
(参考文献)
武智鉄二:「四谷怪談」の新即物主義的演出(定本武智歌舞伎第1巻)
*別稿「与茂七と三角屋敷の意味」もご覧下さい。
(H13・1・10)