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本サイト名「歌舞伎素人講釈」の由来


このサイトの「歌舞伎素人講釈」というのは、お分かりの通り、杉山其日庵(すぎやまそのひあん)の名著「浄瑠璃素人講釈」の題名をもじったものです。

杉山其日庵は本名を杉山茂丸といい(作家夢野久作の父でもある)、明治大正にかけての政財界の黒幕中の黒幕と言われた人物でした。其日庵は浄瑠璃をよくし、摂津大掾や三代目大隅太夫、絃阿弥(六代目広助)といった名人たちを援助し、またその教えを受けました。その交流の体験をもとにして浄瑠璃の秘訣をまとめたのがこの「浄瑠璃素人講釈」です。この本のなかで紹介された名人たちのエピソードはじつに面白く、また芸の本質についてふかく考えさせられるものです。とくに浄瑠璃の「風」についての記述はこの本に始まり、この本なくして浄瑠璃の研究はならぬと言ってもよいほどです。

このように本サイト名はその名著の名前を借りたものですが、同じくこれをもじって「歌舞伎素人講釈」を名乗ったものがもうひとつ、ずっと昔に雑誌で連載されていたのをご記憶の方もおられるかも知れません。それは季刊雑誌「序破急」に昭和58年11月から昭和60年にかけて連載された武智鉄二氏の「歌舞伎素人講釈」です。

この連載は武智氏の伝統芸術に関する考察と長年の歌舞伎演出の経験とを折り交え、武智歌舞伎のある意味での集大成になるものと期待されましたが、おそらくは武智氏の体調不良などの理由から中断されたものと思われます。 吉之助の手元には連載6回分までの切り抜きが残っていますが、雑誌「序破急」自体もその後どうなりましたでしょうか。武智氏は昭和63年7月に亡くなりました。この「歌舞伎素人講釈」は「定本武智歌舞伎」編纂以後のものなので、もちろん全集には収録されていませんし単行本にもなっていませんから、その存在さえ忘れられていると思います。

吉之助は武智鉄二氏に個人的にお目にかかったことはありません。その演出作品のいくつかを目にし、何回か講演会などでお見かけしたことがあるくらいです。武智氏は単に能狂言、歌舞伎、文楽といった伝統芸能の最後の保護者(パトロン)であったというだけでなく、その鋭い観察眼で芸能のなかに秘められた日本人のこころ・日本人の生活の本質をわれわれに教えてくれたすぐれた審美家でした。その点で武智氏は吉之助にとっては「師」とも仰ぐべき存在なのです。その業績をまとめた「定本武智歌舞伎」は吉之助の座右の書であり、このサイトをご覧になればおそらく「これは武智さんの受け売りなんじゃないの」と分かる部分も出てくると思います。それくらい吉之助は武智氏に影響されております。

このサイトの名前を付ける時にはちょっと考えました。おそれ多いので別の名前にしようかとも考えました。しかし考え直して、やはり評論における武智鉄二の後を継ぐべく「歌舞伎素人講釈」の名を頂戴しようと決意しました。

浄瑠璃セミプロで大通人の杉山其日庵や、伝統芸術の最後の保護者というべき批評家武智鉄二が「素人」を名乗るのは謙遜を通り越していささか・・・・という感じがないわけではありません が、しかし、吉之助の場合はこのサイトを通じて気負うことなく勝手なことを、しかし真面目に考えていきたいと思っています。

(H13・1・15)


 

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