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吉之助の音楽ノート

シューマン:「謝肉祭」


別稿「ショパン:ワルツ集」において触れましたが、一般に典型的なロマン楽派と思われているショパンはとても形式(フォルム)を大事にする作曲家で・実は古典楽派的な一面があることを紹介しました。そのショパンをいち早く評価して、「諸君、帽子を取りたまえ、天才だ !」とショパンを新聞で紹介したのがシューマンであります。若きシューマンはピアニストを目指していましたが、過度の練習で指を痛めて・その夢を断念せざるを得ず・作曲と評論で生計を立てていました。

その若きシューマンの作品に「謝肉祭」作品9があります。作曲は1834年から35年とされていますから、1810年生まれのシューマンの二十代半ばの初期の作品です。この「謝肉祭」は20曲の小曲が連なって・カーニバルの仮装のように次々と表情を変えて繰り広げられるパレードのような作品です。その「謝肉祭」の第12曲に「ショパン」と題される曲があります。これはシューマンが高く評価したショパンに対する尊敬の表れであり、あるいはシューマンはショパンを自分が断念せざるを得なかったピアニストの夢の体現者のように感じていたのでありましょうか。

この「ショパン」の旋律ですが、一聴すると夜想曲(ノクターン)風のゆったりとした幻想的な旋律です。しかし、この曲は実は楽譜の指定通りに弾きますと・ 音楽が固くなってしまってシューマンらしさが出てきません。つまり、左手の波のように上下するノクターン風の伴奏は八分音符の流れで示されていますが・この楽譜通りに音符の長さを守ってテンポを一定にして「古典風」に弾きますと、シューマンらしい「ロマン的」なフォルムにならないのです。シューマンらしいフォルムを示唆する大事な手掛かりは、楽譜の冒頭に記されている「アジタート」という表記です。これは「気ぜわしく」あるいは「急き立てるように」という意味です。ここで言う「アジタート」とは何でありましょうか。この「ショパン」ではそれは、微妙に・音符では表せないほどに微妙なリズムの揺れです。リズムが波のように揺れながら・微妙に早くなってまた遅くなるという風に変化していくのです。これがシューマンのフォルムなのです。(下の譜例をご参照ください。)

非常に興味深いことは、このような微妙な表現をシューマンが「気ぜわしく」あるいは「急き立てるように」と記していることです。「気ぜわしく」と言うと普通は速度を段々と早めていって・聴き手を追い立てていくアッチェレランドのリズムを指すように思えますが、ここでシューマンが指定した「ショパン」でのアジタートは感知できるかどうか位の微妙なリズムの揺れです。この点を注目したいと思います。

そう考えると「謝肉祭」にはテンポの揺れる場面が実に多いのです。付点付き音符で飛び跳ねるようなリズム(「アルルカン」や「踊る文字」)、突然断ち切るようにフォルテで切れる旋律(「ピエロ」や「コケット」)、押しては引きながら次第に高まっていき・また引いていくリズム(「キャリーナ」)、突然急加速するリズム(「フィリスティンたちを討つダヴィッド同盟の行進」の中間部)などです。そういう表記はありませんが、これらすべてが「アジタート」のバリエーションなのです。旋律は古典派の音楽のように論理的に発展しながら展開するのではなく、それ自体は断片的で短く・断片がモザイクのように積みあがっていくのです。そこにシューマンの繊細で・傷つきやすく・さらに持続が続かない・情緒不安定な性格がよく出ています。さらに言及すれば、これこそ揺れ動く19世紀の西欧の気分そのものなのです。(このことは別の機会に詳しく考えてみたいと思います。)だから、その気分において・そしてその音楽に文学的思想的な要素を盛り込んだ点においてシューマンは最もロマン的な作曲家のひとりと言えます。

*クラウディオ・アラウの「謝肉祭」の映像をご覧ください。1961年・ロンドンBBCスタジオ。これも素晴らしい。

「謝肉祭」は吉之助の最も好きなピアノ曲のひとつですが、作曲家でもある吉之助の友人は「この曲はまとまりがなくて大嫌い」と言っておりました。まあ、それもよく分かりますがね。悪く言えば、きまぐれで・落ち着かなくて・分裂症的に聞こえるかも知れません。がっちりした構成感はなくてバラバラなのです。でも、次から次へと繰り出される旋律がおもちゃ箱みたいで楽しいじゃありませんか。

数ある「謝肉祭」の演奏のなかで吉之助に特に強く印象に残っているのは、ウラディミール・ホロヴィッツの1983年の来日公演の演奏です。この時のホロヴィッツは当時使用していた薬物の影響でコンディションが最悪で・史上に残る悪評の演奏会となりましたが、テレビで中継された第1日目より・吉之助が聞いた第2日目のコンサートの方が状態はかなり良かったと思いました。また体調万全でなかったとは言え、ホロヴィッツの打鍵の強さとダイナミクスの大きさはやはり度肝を抜くものでした。(この迫力は体調持ち直した86年の再来日公演では聴かれなかったものでした。)この83年来日公演でホロヴィッツが「謝肉祭」を弾いたのです。ホロヴィッツは「クライスレリアーナ」や「子供の情景」の優れた録音を残しており・シューマンには相性が良いピアニストですが、結局、残念なことにホロヴィッツは「謝肉祭」の正規録音を残しませんでした。おそらく「謝肉祭」のライヴ録音としても残っているのは、この時の来日公演のテレビ中継(第1日)のものだけかも知れません。しかし、この時のホロヴィッツの演奏は、ミスタッチが多い・あまり状態の良くない演奏であったとは言え・アジタートなシューマンのフォルムを見事に表出している点では・吉之助にとって最も印象的な演奏なのです。例えば「コケット」や「踊る文字」の付点つき音符の斬れの良いリズムの面白さと・「ショパン」などでの煌めくような音の揺らめきはちょっと他のピアニストからは聴けないもので、実に素敵でありました。

なお、この時の演奏でホロヴィッツはシューマンが楽譜に記載していながら・通常は演奏しない約束になっている四つの単音からなる謎めいた第9曲「スフィンクス」を弾いたことを付記しておきます。「スフィンクス」を弾くピアニストは滅多にいませんが、ホロヴィッツの先輩格で・彼に強い影響を与えたラフマニノフもやはり「スフィンクス」を弾いています。これは恐らくラフマニノフの踏襲なのでしょう。


(吉之助の好きな演奏)

上記のホロヴィッツの83年来日公演は・第1日目のコンサートがテレビ中継されたので吉之助はそのテープを大事にしていますが、それ以外の市販録音で吉之助の好きなのは、ホルへ・ボレットの演奏(デッカ録音)です。とても落ち着いた古典的風格の演奏で・ある意味ではホロヴィッツと対極の名演でありましょうか。もうひとりは「謝肉祭」を得意にして・この曲の録音を何種類も残しているべネディティ・ミケランジェリの演奏も素敵だと思います。

シューマン:謝肉祭/幻想曲ハ長調(ホルへ・ボレット)


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