歌う女優・ナタリー・デセイ来日リサイタル2017
ナタリー・デセイは卓越したコロラトウーラ歌唱とその演技力で、吉之助が贔屓にしていたオペラ歌手ですが、2013年にオペラからの引退を宣言し、現在はリサイタル活動に専念しています。前回(2014年)の来日リサイタルも素晴らしかったのですが、今回はリート(歌曲)だけでなく、プログラムのなかにオペラのアリア、モーツアルト(スザンナとパミーナ)とグノー(マルガリータ)のアリアを挿入したのが長年のファンとしては嬉しいことと、初めて聴くシューベルトのリートが聴けることも大いに興味があったので、4月12日に東京文化会館へ行ってきました。
デセイは自らを「歌う女優」と称しています。根っからの演技者なのです。これはマリア・カラスの印象と似た感じがありますねえ。遺された数少ないリサイタル映像で確認ができますが、カラスも曲が変わると、ガラッと雰囲気を変えて役に成りきりました。まあオペラの場合は、もともとが演技付きだから兎も角 、リートの場合は、「成りきり」は別の意味において難しい。リートは言葉と音楽との関係性を突き詰めたものであって、原則的にはリートは身振り・手振りの演技を見せるものでないからです。でもリート・リサイタルでも、歌手のちょっとした表情の変化 や身振りが曲の味わいをグッと濃くするということはあるもので、吉之助にもいくつかそんな思い出がありますが、しかし、演技があまり過剰であると、リートではそれはちょっと違うという感じはある。もともとデセイは演技に長けていますから、前回(2014年)の来日リサイタルでも、演技する感じがありました。しかし、まだそれは抑制されていたと思います。今回のデセイは、全体のプログラムを「恋する女性」に定めて、歌う女優という自らのコンセプトを、思い切って前面に押し出してきました。今回の来日リサイタルの特徴はそこにあると言えます。
プログラム中のオペラのアリアが見事にはまるのは、デセイならば、当然のことです。後半のフランス歌曲もほんとに素晴らしく、チャーミングです。問題はシューベルトのリート5曲でしょう。シューベルトはロマン派の作曲家ですが、リートはほんとにストイックなほど古典的に 煮詰めた印象が強いと思います。吉之助の場合はドイツ・リートはフィッシャー=ディ―スカウと、女声ではシュワルツコップでイメージが固まっちゃっているので、吉之助にはデセイのシューベルトは過剰にオペラティックに聴こえて、会場で聴いた時にはちょっと期待外れの気がしたのです。ドイツ語ネイティヴではないから子音が甘いのはまあ目をつぶるとしても、描線がちょっと滑らか過ぎ。これは前回 来日公演のR.シュトラウスのリートでもちょっと気になりましたが、当然ながら今回のシューベルトではもっと気になる。カサールのピアノ伴奏もこれに合わせて意識的にタッチをソフトにしていたように思えます。さらに見振り手振りの演技が盛んに入るのが、気になる。ムーディとまでは云わないが、まあフランス人のシューベルトであるなあ、しかし、これはオペラじゃないんだからねえと思って聴いてましたが、リサイタルを聴き終って、今回のデセイのコンセプトを理解してみると、まあそれはそれとして、デセイの芸を味わうということでこのシューベルトを聴かなきゃいけないなあという気が段々としてきました。まあ歌う女優のシューベルトということで、ファンとしては許しちゃうと云うところもあるが。
来日に合わせてデセイの最新録音・シューベルト歌曲集のCDが出ました。YOUTUBEに仏ソニークラシカルのメイキング映像がありますから、ご覧下さい。参考になるところがあると思います。ドイツ語の発声についての苦労はデセイもインタビューで正直に語っていますが、盛んに手を振りまわして演技しながら歌っているデセイの 映像を見ると、これからのデセイのは映像付きDVDで出してもらわないと、歌う女優の魅力が十全に伝わらないと思うので、これは是非そうしていただきたいものですね。
(H29・4・14)