(TOP)        (戻る)

ワレリー・ゲルギエフ/ミュンヘン・フィル来日公演2015年


急に思い立ってワレリー・ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルを聞いてみるかと思って調べてみたらたまたま切符が残っていたので、12月2日の演奏会(サントリー・ホール)に行って来ましたので、その感想をメモしておくことにします。「思い立って」と書いたのは、ゲルギエフがミュンヘン・フィルの首席指揮者に就任したのはこの9月からのことですが、当初の吉之助の印象は現在最も多忙な指揮者のひとりであるゲルギエフとミュンヘン・フィルの組み合わせというのがどうもピンと来なかったせいで、なかなか切符を買えずにいたせいでした。ゲルギエフはマリインスキー劇場管弦楽団との長年の組み合わせではロシア的な濃厚な色彩感覚を持った名演奏を展開して来たわけですが、ミュンヘン・フィルというのは渋く重厚なドイツ的感覚を持ったオケで、(日本人のイメージからすると)ベルリン・フィルのようなインターナショナル的印象よりはローカルな印象が強いわけです。ゲルギエフは2007年からのロンドン交響楽団の首席指揮者のポストもそれなりの成果を挙げて来たと思いますが、今回は何だかちょっと奥に引っ込んだ感じがしなくもありません。日本人にとってはミュンヘン・フィルというと未だにチェリビダッケの印象が強いと思います。しかし、よく考えてみるとチェリビダッケが亡くなったのは1996年のことで、この後、首席指揮者はレヴァイン・ティーレマン・マゼールが勤めて、ゲルギエフは四人目なのですね。そうするとインターナショナル・オケへの飛躍を志向するミュンヘン・フィルと、新たな音色のパレットを以て新境地を拓きたいと考えるゲルギエフと思惑が一致したということなのかなと、何となく思い直した次第。今回のプログラムは新しいコンビの相性を確認するのには良い曲目ですから、急に思い立って演奏会に行ったというわけです。

最初のプロコフィエフ・「ロメオとジュリエット」からの抜粋は、ゲルギエフにとっては得意のお国もの、ゲルギエフがオケを完全にリードできる曲です。冒頭の「キャプレット家とモンタギュー家」ではミュンヘン・フィルの低弦の良く効いた・渋く重厚な音色が効果を上げて、オオッと思わせました。当然ですが、ミュンヘン・フィルのことだからリズムは重めになります。だからロメオとジュリエットの悲劇の軋みが、重さを以て突き刺さるように聞こえます。これは悪くありません。ミュンヘン・フィルはゲルギエフの棒によく付いて行っているようです。この印象は次のR・シュトラウス・交響詩「ドン・ファン」では確信に変わりました。テンポをやや速めに取り疾走する感じでしたが、暗めの重厚な響きが渦巻く・これがドイツのオケの響きだなあというR・シュトラウスを聞いたのは久しぶりのことで、この演奏には吉之助は心底満足しました。

ブルックナーはチェリビダッケとミュンヘン・フィルのコンビの看板レパートリーで、その遅すぎるテンポが再三話題となったものでした。逆にゲルギエフというとブルックナーのイメージがあまりありません。今回の第4交響曲が興行主の意向だったのか・本人の希望なのかは知りませんが、これはゲルギエフとミュンヘン・フィルとの相性を読むうえで興味あるところで、果たしてどんな感じになるかという不安も多少 あったのですが、今回はまあオケの個性が勝つだろうなということは予想が付きます。ゲルギエフの演奏は快速テンポで、そこはもちろんチェリビダッケとは全然違います。ジェットコースターのように曲の起伏を滑走するような感じでしたが、前半・特に第2楽章はまだちょっと曲の流れをつかみ切れていない感じがありました。しかし、後半からはフォルムがぴしっと決まった感じで、ダイナミックな動きが堪能できました。第3楽章はそのリズム処理を面白く聴きました。今回は確かにオケ主導であったかも知れませんが、ゲルギエフとミュンヘン・フィルの個性が互いに触発し合って、このコンビは今後はマリインスキー劇場管弦楽団とひと味違ったゲルギエフの新境地を見せてくれるのではないかと大いに期待したいと思います。

(H27・12・14)


 (TOP)         (戻る)