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ハイティンク&ペライア来日公演2015


○ハイティンク&ペライア来日公演2015・その1

御年86歳になるベルナルト・ハイティンクがロンドン交響楽団と、ソリストにマレイ・ぺライアを同道して来日しました。吉之助は9月29日(サントリーホール)と10月5日(東京文化会館)の演奏会に行って来ましたので、その感想をメモがてら記しておくことにします。実は吉之助のお目当ては、ピアノのぺライアでした。現在のピアノ界においては、アルゲリッチとポリーニを別格として、ペライアは今聴いておくべき五人のピアニストに入ると思いますね。吉之助が推す五人 のピアニストとは、ツィメルマン・シフ・ポゴレリッチ・ルプーにペライアですが、まあ人によってお好みはあろうかと思います。

ペライアの魅力は何と言っても、そのニュアンス豊かなタッチにあります。どんなピアニストも独自の音色を持つものですが、ペライアの音色は暖かいうえに香りが立ち上るようです。
この魅力的な音色で作り出す音楽が独特の揺らぎを持 っていて、旋律のすみずみまで息遣いが練れていて、聴いていてホントに落ち着きます。演奏を聴いて感嘆させるピアニストはたくさんいますが、その音楽を聴いてペライアのように心底落ち着くピアニストはそうはいません。そういうわけで、吉之助は目下のところベタ惚れに近いくらいにぺライアを評価しています。しかし、ペライアは日本ではあまり人気がないみたいで、昨年のアカデミー室内管との来日もコンチェルトのみでしたし、今回の来日も滞在日数は結構長いのにコンチェルトのみで、 ソロ・リサイタルをまったく行わないというのは、何とも残念なことです。派手さに欠けるように見えるのですかねえ。ペライアはもっと評価されて良いピアニストだと思います。 まだペライアを聴いたことのない方、吉之助に騙されたと思って一度聴いてみてください。

昨年のアカデミー室内管とのモーツアルトのピアノ協奏曲第21番は心が洗われるような清廉な演奏で素晴らしかったですが、今回(9月29日)のモーツアルトのピアノ協奏曲第24番も素晴らしい演奏でした。まずハイティンクのサポートを褒めておかねばな りません。当然ですがアカデミー管と比べれば重めの響きですが、序奏部からしっとり豊かで・しかしどこか暗い陰りを帯びた響き がモーツアルトのデモーニッシュな世界に引き込まれるようでした。全体のテンポはややゆっくりめでしたが、ペライアのソロ は、これがまた旋律を慈しむかのように繊細なタッチで素晴らしい。そこでこのテンポが効いてきます。旋律の息がとても深いのです。このように心の底からゆったりさせてくれる落ち着いたモーツアルトを聞くことは近頃稀な事だと思います。軽快な第3楽章でも急くところがまったくない。

一方、10月5日のベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番でのペライアは、モーツアルトとは違うペライアの一面を魅せました。かっきりとしたなかにも澄んだリリシズムを感じさせて、これも良い演奏でした。この曲は名曲であるから両端楽章はどんな演奏でもそれなりに良いものなのだけれど、第2楽章は位置付けが難しいなあと思うことがあります(第2楽章が良い演奏はそう多くはない)が、今回の演奏はここもぴったりはまっていましたね。(この稿つづく)

(H27・10・28)


○ハイティンク&ペライア来日公演2015・その2

ハイティンクについては後半プロ(9月29日はマーラーの交響曲第4番・10月5日はブラームスの交響曲第1番)もなかなか充実した演奏でしたが、吉之助はちょっとだけ気になるところがあったので、そのことを記しておきたいと思います。著名なマーラー研究家であるアンリ-ルイ・ド・ラ・グランジュが、指揮者エリアフ・インバルがマーラーの交響曲について語った言葉を紹介していました。インバルは「マーラーの交響曲は少し歪んでヒビの入った鏡みたいなもので、そこに映る像は歪んで見える。だから自分はマーラーを純粋にロマンティックなものと考えることができないのです」と語ったそうです。(アンリ-ルイ・ド・ラ・グランジュと諸井誠氏による、1986年10月来日時、「レコード芸術」誌のための座談会)吉之助のマーラーに対する考え方もインバルと同様で、マーラ―の交響曲はよく聖と俗の相克と云われますが、むしろ聖の部分が危険だと考えます。旋律が揺れ始めて、調性が無調の方へ傾斜していきます。マーラーの曲調がロマンティックに傾く時ほどむしろ危ういのです。マーラーの交響曲第4番は、彼の交響曲群のなかで清廉な印象を持ち・ちょっと特異な位置にあります。一見すると特異的に落ち着いた平和な印象があるメルヒェンティックな交響曲です。しかし、実はこういう交響曲こそ実はマーラーのメンタリティが危ういのかも知れません。

ハイティンクは長年マーラーの交響曲を得意のレパートリーとしていますが、どの演奏もバランスが取れた・良く云えば中庸で・エキセントリックなところが少ない演奏です。交響曲第4番はハイティンクにとって体質的に合った曲だと思いますし、総体においては今回の演奏も良かったと思います。全体にロマンティックでヒューマンな暖かさを保ちながら、これを古典的交響曲の枠組みのなかにしっくり納めた感じがします。まあコンセプトとしてはそれで良いのだけれど、そこにどのようにして鏡の歪みとヒビ割れをさりげなく・そっと仕込むかなのです。そこがちょっと不満です。例えば第2楽章のヴァイオリン・ソロです。このコンサート・マスター(ローマン・サイモヴィッツ)のソロはかなり物足りない。オケに溶け込んでしまって、曲に軋みを入れる感じがまったくありません。これではマーラーの意図がまったく体現できていません。 ほんのちょっとで良いので乖離感覚が欲しいわけです。第3楽章は遅いテンポで旋律をゆったり歌わせ・その意味ではロマンティックなのだが、テンポを 律儀にインに取り過ぎに感じます。旋律が高揚したところでテンポをもっと揺らす(この場合はテンポをさらに落とす・あるいは音を引き延ばす)必要があると思います。もうほんの少しのことで良いのです。そうするとロマンティックなところから裂け目が出来て、そこから真っ黒い闇が見えてくるのだがなあ。そこをイン・テンポで行ってしまうので、醒めた感じがしてしまいます。交響曲第4番では第3楽章のウェイトが異常に重いと思いますが、マ-ラーはこれで古典交響曲のバランスを意図的に崩しているのです。だから第4楽章がエピローグのように軽く聞こえることになる。この点は大事なことだと思います。ソプラノのアンナ・ルチア・リヒターは声は美しいけれど、もう少し言葉を大事にしてもらいたい。歌うというよりも語って欲しいのだがねえ。(この稿つづく)

(H27・10・29)


○ハイティンク&ペライア来日公演2015・その3

10月5日のブラームスの交響曲第1番の演奏は冒頭が堂々たる足取りで感嘆させられましたが、聴き終わって吉之助はいくつかの点で不満を覚えました。そのことを書く前に、1884年に若き日のマーラ―が当時バート・イシュルに滞在していた晩年のブラームス と会った時の逸話について触れておきます。手元に本がないので記憶で引きますが、マーラーの楽譜をブラームスに見てもらってしばらく談話した後、ふたりは戸外に散歩へ出たそうです。川辺を散歩している時に、マーラーが「マエストロ、ご覧ください。新鮮な川水に太陽の光が美しく輝いていますね」というような・ちょっと歯が浮くようなことを言ったらしい。するとブラームスがクルッと振り向いてこう言ったそうです。「君ィ、問題は、その水が大海へ注ぐか・それとも沼に入って淀むかということじゃないのかね。」

ブラームスはマーラーを快く思わなかったようだとされています。確かに老ブラームスはマーラーの音楽が良く理解できなかったかも知れませんが、「これからの音楽はどういう方向へ進んで行くか・マーラーの音楽がその方向を示すのか」ということを散歩している間ずっと考えていたに違いないのです。当時ブラームスの音楽は、対立するワーグナー親派から「形式・形式・形式ばっかりの、保守反動勢力の権化」と散々批判されていましたが、 しかし、ブラームスの音楽はまだロマン性の伸びしろがあ ったと思います。形式ばっかりと揶揄されながら、ブラームスは形式のなかに濃厚なロマン性を封じ込めてみせました。そこにブラームスの革新性があったと思います。(グレン・グールドならば奇態指数と云う言葉を使うところです。)形式という容器から まさにロマン性が溢れんばかりになって形式が危うくなる場面は、例えば交響曲第4番の第4楽章・パッサカリアなどを聴けばよく分かります。交響曲第1番で、そのようなブラームスの危ういロマン性が感じられる場面を探すならば、まず第2楽章、あるいは第4楽章の序奏第2部あたりでありましょうか。ハイティンクの演奏はまさにそこのところに欲求不満を感じます。

ハイティンクは吉之助がここでブラームスのロマン性のなかにどっぷり浸ってしまいたいと思う箇所で、インテンポでさっさっと行ってしまう感じがします。第2楽章では、マーラーでも同様でしたがコンサート・マスターのバイオリン・ソロがあっさり風味で、これも かなり物足りない。もっとオケと乖離して・テンポがずれるくらいに旋律を引っ張ってもらいたいのですがねえ。第4楽章も基調のテンポをインに取ることは大事なことですが、もっと微妙にテンポを工夫してもらいたいという気がしました。 ハイティンクの解釈としては新古典主義の視座なのかも知れませんが、今回のマーラーとブラームスを聞くと、もしかしたらハイティンクには若干醒めたところがあるのかもなあとも思いました。

(H27・10・31)

(ちなみにプログラムは以下の通りでした)

9月29日(サントリー・ホール)
モーツァルト: ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491(ピアノ: マレイ・ペライア)
マーラー: 交響曲第4番 ト長調(ソプラノ: アンナ・ルチア・リヒター)

10月5日(東京文化会館)
パーセル(スタッキー編): メアリー女王のための葬送音楽
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58 (ピアノ: マレイ・ペライア)
ブラームス: 交響曲第1番 ハ短調 op.68

以上ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン交響楽団


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