夢見るちから〜名プロデューサー・猿之助
1)猿之助歌舞伎の舞台裏
面白い本を見つけました。脚本家・横内謙介氏と市川猿之助との対談をメインとした「夢見るちから・スーパー歌舞伎という未来」(春秋社:1800円)という本です。横内氏は猿之助のスーパー歌舞伎の脚本を担当し、「八犬伝」・「カグヤ」・「新・三国志」などを書かれた方だそうです。残念ながらそのどれも私は観ていないのですが、観ていない方でもこの本は十分読めますから、機会があれば是非手に取って読んで見てください。
[夢見るちから」は、ジャンルとしては現代劇出身の横内氏が猿之助歌舞伎のスタッフとして参加し、猿之助に何度も脚本の書き直しを命じられながら、苦労してつかんだ歌舞伎発見の過程を、猿之助との対話のなかで見事に描き出しています。ここに浮かび上がってくるのは「歌舞伎とはなにか・演劇とはなにか・創造とはなにか」という問いです。横内氏はその発見の喜びを実に素直に、無邪気なほど素直に語っています。あわせて、猿之助の人間的魅力も十分に描かれています。
この本を「歌舞伎の入門書」として読むことも可能だと思いました。たとえば「新・三国志」の登場人物である劉備玄徳・関羽や曹操などの性格をどう描き出すか、どういう形でそれを示せば舞台で効果的でよりリアルであるのか、現代劇出身の横内氏の感覚と猿之助とのそれとの違いが描かれます。人間の複雑な心理を描こうとする横内氏に対し、猿之助は場面や科白を削ぎ落としストーリーと人物の線を太くして歌舞伎の強烈な表現方法に耐えられるようにすることを求めます。そして横内氏が最初に構想したものとはまったく違ったものになっていきます。そこには読むためではなく上演されるための・観客に驚きと感動を与えるための演劇を考えるヒントがいろいろ散りばめられています。同時に、猿之助歌舞伎の舞台裏も覗けて、とても興味深く読めます。
この本で印象に残るのは横内氏と猿之助との間の信頼関係です。猿之助は横内氏の脚本のある部分の書き直しを命じる時に、「ここが気に入らない・歌舞伎になってない」とは指摘するようですが具体的に「こう書き直せ」とは指示しないようです。横内氏はこうすれば猿之助の考えに沿うのではないかと考え抜いて書き直す、それをまた猿之助が気に入らないところを指摘し書き直させる、横内氏はさらに工夫を加えてこれならどうだと書き換える、こういうやり取りを果てしなく続けたようです。こうしたことはお互いの技量に対して尊敬と信頼がなくてはかなわぬことです。結果として、横内氏はスーパー歌舞伎の製作ブレーンとしてなくてはならない存在になったのです。実に「猿之助は名プロデューサーであるなあ」と感心させられます。
猿之助がさすがに「歌舞伎を面白く見せる」ための精神に骨の髄まで徹しているプロだなと思わず唸ってしまうのは、ディズニー・プロのミュージカル「美女と野獣」で野獣が王子に空中を飛びながら変身していくシーンを見て「あのシーンは駄目です」と言い切る箇所です。猿之助は「だって拍手がきてないじゃないか」と言うのです。
『なぜあれで拍手が来ないかというと、すごく手が込んでいたとしても、吹き替えを使ったって成立する演出だからです。拍手させるには、見物に息を詰めさせておかねばならない。意表を突かれて「どうなったの?」となると、うっと一瞬とまる。そうして詰めた息をはーっと吐き出すところで拍手するわけだけど、それが「美女と野獣」にはないわけですよ。普通の呼吸だけで続いていく演出で。』(対談3:伝統の心を学ぶ)
これなどはまさに身体を張って早替りを見せてきた人間にしか言えない科白です。観客に面白く見せるために・芝居を楽しませるために何をすべきかを猿之助はいつも考えているということなのでしょう。
読んでいてちょっと疑問に感じる箇所もないではありません。たとえば横内氏の「字余り字足らず」の科白に調子を整えるために言葉を付け加える。すると科白が歌舞伎らしく響く、という箇所です。
『歌舞伎の台詞というのはたいてい七五調だから、字余り字足らずは言いにくいんですよ。「ちと」とか「まあ」とかを入れることで、言いやすく美しく、音楽として聞かせる。これが歌にするという事なんです。』(対談3:伝統の心を学ぶ)
これなどは、猿之助が横内氏に「場面や科白を削ぎ落とし煮詰める」ことを要求しているのとは正反対を言っているように感じます。私の場合は武智鉄二の影響で、科白に「・・・じゃわいなあ」とか「・・・であるわいの」とか、語調を整えるだけの余計なじゃらじゃらを科白に付けるのは表現意欲の減退の証拠で良くないと考えているせいもありますが、猿之助のこういう発言は 吉之助にはちよっと気になるのです。結局これは、歌舞伎役者は黙阿弥狂言のテクニックでしか科白を処理できないというのを認めたようなものじゃないでしょうか。
2)歌舞伎のなかの「変革の精神」
とは言え、この本に見られる猿之助の発言は随所に熱いものを感じさせます。
『猿之助の精神は江戸歌舞伎の精神です。江戸歌舞伎はつねに改革を繰り返し、新しい表現に挑戦していました。その精神が猿之助のなかで今に世に燃えているだけなんです。ただし燃えるためには空気がないといけない。私の場合は今の空気によって燃えている。ここを忘れて欲しくない。』(対談9:今の空気によって燃える)
その意気や良しです。私が歌舞伎を一生懸命観ていた昭和五十年代の猿之助は、早替り芝居の決定版というべき「慙紅葉汗顔見勢(伊達の十役)」(昭和54年4月明治座)や、映画との組み合わせによる連鎖劇の試み「奥州安達原」(昭和54年11月サンシャイン劇場)、舞台装置を一新したニュー・ディレクション「義経千本桜」((昭和62年5月新橋演舞場)などの試みを次々に打ち出しました。私も今度は猿之助は何をやるのかと、ワクワクしてこれらの舞台を見たものでした。また「義経千本桜」の知盛・権太・忠信の三役を一日通しで演じ切る試み(昭和55年7月歌舞伎座)、このときの「鳥居前」での忠信の花道の引っ込みなどはまさに汗が玉と飛ぶ感じで、まさに壮年期の猿之助の頂点を示すものでした。さらに数多い復活狂言、なかでも「菊宴月白浪」(昭和59年10月歌舞伎座)は鶴屋南北作品だけに実に趣向か面白く、こうした作品を掘り起こす猿之助の目はさすがだと思いました。
スーパー歌舞伎の第1作「ヤマトタケル」の初演(昭和61年2月新橋演舞場)の時のことを思い出しました。あの幕切れ近くのヤマトタケルが死んで白鳥に変わるシーンでの長科白の時に、正直に申し上げると実は 吉之助は猿之助の科白廻しに「もう少しひと工夫が欲しいなあ」などと思って聴いていたのですが、吉之助の横に座っていた女子大生らしい二人の女性は驚いたことに、ハンカチを握りしめて「かわいそう・・・」と言って泣いていたのでした。
「多分、彼女たちが正しいのだ」とその時に吉之助は思いました。こういう芝居は「科白回しがどうの」などと面倒な難しい理屈をつけて観るものではない、彼女たちこそ猿之助歌舞伎の本当の理解者だ と吉之助は思いました。誤解しないでいただきたいが、吉之助は皮肉を言っているのではありません。猿之助が「歌舞伎を支える素人のお客さんが観て面白い歌舞伎を作りたい、そしてなるべく多くの人に感動を与えたい」と言う、その熱意には敬服するものがあります。 吉之助はスーパー歌舞伎第1作の「ヤマトタケル」しかお付き合いできませんでしたが、その後の興業を見ますとスーパー歌舞伎もすでに「新・三国志」で七作目ということだそうで、猿之助歌舞伎として定着した、というより松竹の興業としても完全に計算できるものとなっていることなど、驚くべきことだと思います。この実績に誰も文句はつけられないでしょう。
猿之助の行きかたにはとかくの批判が付いて廻ります。しかし猿之助歌舞伎を歌舞伎でないと否定するのは、九代目団十郎の活歴を否定するのと同じくらいに無意味なことだと思います。歌舞伎のなかにある「変革の精神」を猿之助とともに信じたいと思います。
(追記)猿之助関連本はたくさんありますが、もし興味がおありなら、(今は古本屋でしか手に入らないかも知れませんが)猿之助自身の手になる「演者の目」(朝日新聞社)をお読みになってください。「四の切」の仕掛けを細かく説明してあったり興味深く読めますし、また芸談としても優れております。
(H13・4・29)