シミオナートと六代目菊五郎
昨今は海外の一流オペラハウスが歌手・合唱団・オーケストラから装置・衣装まで全部持ち込んで・続々と来日公演して、どれを聞こうか選ぶのも困るくらいです。その昔は交通手段も発達していませんでしたし・費用も莫大に掛かりましたから、1970年以前には海外オペラハウスの公演が非常に稀でした。そのなかで音楽ファンの渇を癒してくれたのが「NHKイタリア・オペラ」(正確には「NHKイタリア歌劇団」と称す)という企画でした。NHKイタリア・オペラは1956年から76年まで8回に渡り、オペラの本場イタリアから一流歌手と指揮者・演出家をNHKが招聘し、管弦楽はNHK交響楽団・合唱団は二期会 など・装置製作は日本で受け持つ形で・オペラ公演を実現したものです。NHKイタリア・オペラ公演が日本音楽界に与えた貢献は実に計り知れないもので、これでオペラというものを知った人が大勢いたと思います。ハイライトは何と言ってもデル・モナコやデバルディやシミオナートが登場した第1次〜第3次でありました。もちろん招聘元がNHKですから、テレビ放送もされました。当時の欧米でのオペラ舞台の映像はあまり残っていないので、NHKイタリアオペラの録画は、海外のオペラ・ファンが随喜の涙を流す貴重なものです。
吉之助自身もNHKイタリアオペラにお世話になった世代でして、71年9月(第6次)のイタリア・オペラ公演で・パヴァロッティが歌うマントヴァ公爵の「リゴレット」をテレビで見たのが 吉之助の最初のオペラ体験でした。73年9月(第7次)の「ファウスト」でのアルフレート・クラウスのファウストとニコライ・ギャウロフのメフィストフェレス、それと「アイーダ」でのフィオレンツァ・コッソットのアムネリスも素晴らしかったですねえ。コッソットのアムネリスは、ジュリエッタ・シミオナートのアムネリスと並んで・戦後のアムネリス歌手の最高峰でありました。
ところで作家谷崎潤一郎は言わずと知れた日本文化の目利きであり、歌舞伎・文楽を愛好しましたが、六代目菊五郎が昭和24年(1949)に亡くなってから・歌舞伎への関心を無くし・ しばらく歌舞伎から遠ざかった時期があります。その後、若き五代目訥升(後の九代目宗十郎)を見て・再び歌舞伎への関心を取り戻します。訥升のことは「瘋癲老人日記」(昭和36年10月より翌年5月まで雑誌「中央公論」に連載)のなかで取り入れられています。
谷崎が歌舞伎から遠ざかっていた時期と前後しますが、谷崎が武智鉄二に「イタリアオペラがあれば歌舞伎はもういらないね」と言ったことがあるそうです。これは56年(昭和31年)9月〜10月・第1次イタリアオペラでの「アイーダ」でのシミオナートのアムネリスを見た谷崎の感想でした。武智は「六代目菊五郎の芸風とシミオナートの芸風は似たところがあり、それが(谷崎)先生の関心を惹いたのであろう」とも書いています。
『シミオナートは世界最高の名優だと思う。オペラ歌手としては…というような、条件つきの名優ではなく、演劇もバレエも、すべての舞台芸術を通して、第一級に位する大女優なのである。私は彼女の芸品の中に六代目菊五郎に匹敵するものを見出す。』(武智鉄二:1959思い出のステージアルバム・「音楽の友」1959年12月号・・これは第2次イタリアオペラについての武智の記事です。)
六代目菊五郎とシミオナートが似ているというのがとても面白い指摘です。谷崎・武智がこう言ったというだけでも歌舞伎とオペラが相通じるという立派な証拠になるではありませんか。なおシミオナートは61年(昭和36年) 9月〜10月・第3次にも来日して「アイーダ」でアムネリスを歌っており、この公演は市販DVDで映像が見られます。この時のアイーダはガブリエルラ・トゥッチ、ラダメスはマリオ・デル・モナコでした。これも素晴らしい。
(H20・8・23)
谷崎潤一郎や武智鉄二はシミオナートのアムネリスに六代目菊五郎の芸風に通じるものを見出しました。昭和の最高の芸の目利きである谷崎や武智がそう感じたということは とても大事なことです。この逸話は芸の真理はジャンルを問わず何か共通したものがあるということを改めて思い起こさせます。六代目菊五郎の芸を知ろうとすれば芸談・文献に頼るしかなく・映像ならば「鏡獅子」しかまともなものはないわけですが、シミオナートの歌唱から類推してみることだって可能なわけです。キーワードは「かっきりしていて・規格正しい芸風」ということです。
かっきりとしたシミーナートの芸風はアムネリスの映像でもよく分かりますが、もしかしたら下の映像の方がさらに分かるかも知れません。1956年・第1回イタリア・オペラでのシミオナートのケルビーノ(モーツアルト:「フィガロの結婚」)の映像です。ここで聞かれる有名なアリア「恋とはどんなものかしら」ですが、まだ知らぬ恋に憧れる少年の内心を歌うもので・傷つきやすい心情を表現するようにナイーヴな感覚で歌われることが多いものです。いかにも少年の役を歌う女性歌手の歌唱という感じですかねえ。もちろんそれも悪くはないですが、シミオナートのケルビーノにハッとさせられるのは、ここには力強い「男性のケルビーノ」がはっきり聴こえることです。ケルビーノの直向(ひたむき)さ・情熱の強さが感じられます。
ケルビーノは「フィガロの結婚」では主役ではありませんし・このことは格別の意味を持たないように見えますが、「フィガロ」原作のボーマルシェが書いた続編「罪の母」ではケルビーノは伯爵夫人と出来てしまうのです。モーツアルトがそこまで意識してアリアを書いたかどうかは分かりませんが、そう考えればこの場面でのケルビーノと伯爵夫人との出会いはとても意味があるわけです。多分天才モーツアルトは無意識のうちにそのアリアのなかにケルビーノの未来の人生を映し出したのです。まだ若くて青臭いし・見た目はなよなよしているので・みんなにからかわれていますが、「見かけは頼りなくたって・僕だって男の子なんだ」というところがこのシミオナートのケルビーノだととてもよく分かります。このことが大事なのは・こうしたとんがった感覚が「フィガロ」のもつ革命性・民衆の目覚めというところの感覚にどこか深いところでつながるからでして、それがこの場面を「フィガロ」のなかで最も忘れがたく美しいものにしているわけです。
この印象はひとつには若干早めのキビキビしたテンポのせいもありますが、このテンポはこの時代(50〜60年代)にはよくあるテンポで・シミオナートにだけ特徴的というわけではありません。大事なことはきちんとリズムが取れて・旋律線が明確で無駄なところがない・シンプルさが際立つ歌唱であるという ことです。つまり声に強弱を付けたり・テンポを揺らしたりする技巧に頼らずに・無駄な表現の技巧を排除して・旋律そのものの魅力で直截的に聴き手に迫ろうという感覚です。その結果・ケルビーノのアリアから「僕だって男の子なんだ」という本質がホントに何気なくすっと立ち現れるのです。シミオナートのかっきりしたシンプルな芸のなかから役の本質が抽出されたように現れます。谷崎や武智がシミオナートに見出したものはそうした芸です。そんなことを考えながら六代目菊五郎の舞台を想像することは楽しいことですね。
(H20・9・21)