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十七代目勘三郎の大判事


十七代目中村勘三郎の当たり役を挙げるとすれば、世評ではやはり世話物の役柄が中心となることでしょう。時代物で挙げるなら大蔵卿・俊寛などでしょうが、いわゆる大時代の役柄だと勘三郎でなくてはという役は限られてくるようです。勘三郎のこうした役は多少下世話に型が崩れたようなところがあって、見巧者には必ずしも評判が良くなかったようです。

晩年の「忠臣蔵・大序」の師直にしても、高家筆頭の人物にはどうも見えず、つまり品位に若干欠けたところがありました。しかしそれは理屈優先の見方であって、勘三郎の師直が面白いのはやはりその品位がないところなので、顔世御前を見てエレクトしているのがはっきり分かるなど、その傲慢な好色爺ぶりはそれなりに面白く思いました。

こうした点は勘三郎の役者としてのサービス精神から発したものかも知れません。勘三郎は型をただなぞることに満足できず、観客に分かるような人間味のある人物像を描きたいといつも思っていたように思います。したがっていわゆる「型もの」の役では型が崩れていい加減な感じも多少ありましたが、しかしそれが部分でもピタリとはまったときには、中村屋にしかない味があって忘れ難いものがありました。

その一例として昭和63年5月歌舞伎座における「妹背山婦女庭訓・吉野川の場」の勘三郎初役での大判事を挙げたいと思います。ちなみにこの時の「吉野川」は、勘三郎初役の大判事と歌右衛門の定高、延若の久我之助、芝翫の雛鳥という大顔合わせでありました。大判事は勘三郎の兄である初代吉右衛門の当たり役でした。勘三郎は晩年になってから「誠忠録」の清正をはじめ、「逆櫓」の樋口、「陣屋」の盛綱、熊谷など吉右衛門の当たり役を意識して勤めてきましたが、これもそのひとつです。

兄の当たり役の初役ということもあったでしょうが、初日の勘三郎の大判事の演技は気合いが入っていたと思います。大判事の仮花道からの登場などなかなかのものであったと思います。特に情味において際立った大判事であったという印象です。

特に忘れ難いのは「雛渡しの場」で、定高が雛鳥の首を斬った後、腰元たちに命じて雛の道具を嫁入り道具として対岸に流させる場面です。この場面の大判事の演技は役者によってさまざまな演じ方があるようです。雛鳥の首を載せた琴が流されるのを見て大判事は掻き寄せ引き上げるために弓を取りに急いで屋台へ戻ります。ここで大判事は屋台へ駆け上がり弓を取るや、傍で刀を腹に刺して突っ伏している久我之助にわき目も振らずに川岸に急いで戻ってしまうというのが大判事の普通の演技かと思います。

ところが勘三郎は弓を取って行きかけて立ち止まると、久我之助の横に片膝を突き、突っ伏している久我之助の肩を右手でぐっと強く抱いて、それからダッと川岸に向けて駆け出したのでした。「今、汝が嫁をこの場に連れてくるによって、それまで気を確かに持てい」という感じでした。これはよかった。父親の情味があって、それが観客に迫ってきて実によかったです。こうした演技が古来の型にあるのかはよく分かりません。文献を調べてみましたがそれらしきものが見当たらないので、もしかしたら勘三郎の考案だったのかも知れません。

この部分の演技に感激したので、その一週間にまた「吉野川」を見たのですが、この時はこの部分は駄目でした。タイミングがずれたのか気が乗らなかったのかわかりませんが、、久我之助の横に立ち止まって立ったままで「ちょっと待っててね」という感じで右手をちょっと振っただけでした。手元に当時のNHKの舞台録画ビデオがありますが、千秋楽近くの録画だと思いますが、これも中途半端。久我之助の背中 を立ったままポンポンと叩いて駆け出しています。これがあの情味あふれる演技の残骸だとは、しかもこの映像で勘三郎の大判事が後世に残されてしまうとは残念なことです。

評論家の渡辺保氏がその著書「中村勘三郎」で、この時の大判事を「勘三郎の失敗作である」と評して、「久我之助が腹を切ったあと、雛鳥の首をいま持ってくるから「ちょっと待っていなよ」と言う感じで、久我之助の背中を立ったままで二度も叩いたのには、正直驚いた。肚がないから、こういう上っ面で無神経な動きがつい出てしまうのである。」と書いています。

渡辺保:中村勘三郎

これは録画された日の演技ならば確かにそのように見えます。あの演技ならそのまま久我之助の横を通り過ぎてしまった方がよかったかも知れません。しかしこれは渡辺先生が初日をご覧になってないからであって、「初日の勘三郎の演技はこれとはまったく違って素晴らしかった」ということは中村屋ファンとしてはどうしても言っておきたいところです。

初日の勘三郎の大判事に話を戻します。

入鹿の計略により死なねばならぬ身とは言え、大判事はもちろん息子久我之助を切腹させることには無念を感じており、久我之助が短刀を腹に突き立てた時に、「ヤレ暫く引き廻すな、覚悟の切腹急くことはない。コリャ冥土の血脈。読み差しの無量品、親が読誦する間、一生の名残り女が面、一目見てナ、ナ、ナ何故死なぬ」と叫びます。この点は覚悟の切腹のせいか息子の方がよほど冷静で、「イヤ存知もよらず。この期に及んでさほどうろたえた未練な性根はござりませぬ。」と言っています。このあたり大判事は同じ親でも定高よりもセンチメンタルな反応を示しており、定高のほうがずっと肚がすわっているように見えます。こういうときの男親と女親の差がよく出ていて面白いところです。

「雛渡しの場」は琴の音楽を伴奏にした美しい情景の場ではありますが舞台の仕掛けの見せ場であって、役者にとっては、大判事にしても定高にしても間を持たせるのが結構難しいように思います。大判事の場合であると、次々と流れてくる雛道具にはらはらどきどきしながら、、特に最後の雛鳥の首を運ぶ駕籠を早く取ろうとする事に役者の演技の注意がどうしても行きがちであるようです。

勘三郎のように、右手で久我之助の肩を強く抱き「いま嫁を連れてくるから待っていろ」とやられると、父親の強さと情愛がぐっとくるような感じです。またこれなら前の「女が面、一目見て何故死なぬ」という科白が生きてくるし、何よりも久我之助の前に雛鳥の首を置いた後の、「生きているうち、このように聟よ嫁よというならば、いかばかり悦ばんに」という科白が暖かい情味をもっていっそう強く響いてくるように思われます。

問題はこの勘三郎の初日の演技がひと月持続しなかったことですね。タイミングが合わなかったのか、やる気が失せたのか、そこのところは分かりません。ムラッ気のある中村屋らしいということでしょうか。しかしこれもまた中村屋の魅力のひとつだということにしておきましょう。

(H13・1・20)


 

 

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