追悼・マウリツィオ・ポリーニ
先日(2024年)3月23日、世界最高峰のピアニストのひとり、マウリツィオ・ポリーニがミラノの自宅で亡くなりました。吉之助はまだ老けてはいないつもりですが・それなりに歳を取って、ここ数年、自分の問題として「晩年をどのように実りあるものにするか」、或いは「最晩年をどのように処するか」ということを時折考えるようになりました。きっかけは大抵、長い間慣れ親しんできた芸術家が亡くなった時です。
ちょうど吉之助がクラシック音楽を聴き始めた辺り(1970年代初め)にポリーニは本格的なレコード・デビューをしました。独グラモフォンでの初録音・ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」からの3楽章を初めて聴いた時の鮮烈な印象は、今も忘れません。それ以来、吉之助の音楽歴のなかでのポリーニは、或るピアノ曲を勉強するために何人かの名演奏家の録音を選ぶ時に、その数人の選択肢に必ず入る一人と云う存在なのです。このように「好きな芸術家」とか「優れた芸術家」というところを越えて、自分の音楽歴(と云うか・この場合は「人生」と云うべきかも知れないが)と重なってくるところが多い人が亡くなるのは辛いことですね。音楽に限らず・歌舞伎に於いてもそう云う方・或いはこれからそうなりそうな(未来形)方は、吉之助にも何人かいます。そのような方々の芸を拝見する時、芸を見せてもらうことは勿論ですが、その方の「生き様」を見るということもあると思います。
かつて「ミスター・パーフェクト」と云われたピアニストが老齢を迎えてミスタッチが散見されるのを見ることは・ちょっと寂しいことではあるが、それを越えてその方の「生き様」を聴いたと思えるならば素晴らしいことであるし、またそのような聴き方をしたいと思います。もしかしたらポリー二は聴く方に全盛期の「パーフェクト」のイメージが強すぎて、晩年のケンプとかルービンシュタインのように「枯淡の芸」と云われるような・芸の枯れ方をしなかったかも知れませんが、それも含めてこれがポリー二の生き様だと思います。或る意味ではそういう苦しいところをさらけ出して見せてくれたとも言えます。それにしても昨年(2023)6月23日のポリーニのロンドン・ロイヤルアルバート・ホールでのリサイタルのレビューを見ても、同じ日の批評でも「悪夢のよう」と書いているのもあり・「人間精神の勝利」と書いているのもありましたが、どちらの聴き方が人間として「正しい」のかは言うまでもないと思います。技術的な問題を超えて「心の内から語らしむ」と云う芸が必ずあるはずです。そういう芸が分かる批評家でありたいと思います。最後は互いの人生を賭けた真剣勝負ということですね。
ポリー二の来日公演は、2018年10月が最後となりました。7日のリサイタルはポリー二のコンディションが良くて素晴らしい出来でありました。メインのショパンのソナタ第3番を弾き終えた時の表情は、ガッツポーズはしなかったけれど・心のなかではそれをやっていたのじゃないかと思ったくらいで、多分「俺もまだまだやれる」と思ったのであろう、アンコールでショパンのスケルツォ第3番(難曲)を弾き始めた時には内心ちょっと驚きましたが、この時の頑張り過ぎが祟って腕の疲労が抜けず、その後のリサイタルの日程・曲目が変更になってしまいました。今となっては、この最後の来日リサイタルの思い出は吉之助の一生の宝物です。ご冥福をお祈りします。
*2018年10月・最後の来日公演のチラシ。
(R6・3・28)