国立劇場開場50周年
国立劇場が開場したのは、昭和41年(1966)11月のことで、開場記念の演目は2か月続きでの通し狂言「菅原伝授手習鑑」でした。それから50年経って、今月(10月)から開場50周年記念公演のシリーズが始まります。思い出すに、吉之助が初めて国立劇場公演に行ったのは昭和48年(1973)7月の歌舞伎鑑賞教室でのことで( これは学校団体で行ったのではなくて個人で行ったのですが)、これは開場6年半くらいのことだったわけです。当時は吉之助はまだ高校生で、吉之助にとってこれが歌舞伎初観劇ではなかったのですが、当時の吉之助は歌舞伎をほとんど知らなくて、これが歌舞伎十八番の内だというので多分これは演目として見ておかなきゃならないものなのだろうということで勉強のつもりで見に行ったのです。後で「忠臣蔵」も「千本桜」も歌舞伎十八番ではないのを知って「へーそうなの、なんで?」と思ったくらいです。演目は十二代目団十郎(当時は海老蔵)の粂寺弾正による「毛抜」でした。他愛ない芝居だなあと思ったけれど、面白かったですよ。前座の「歌舞伎の見方」の解説は半四郎であったと記憶します。まあそういうところから吉之助の歌舞伎観劇も始まったわけですね。
それにしても、かつて吉之助もお世話になったように、歌舞伎鑑賞教室で初めて歌舞伎を見た学生・若者は50年通算すると相当な数にのぼるはずです。国立劇場の活動の大きな柱が日本文化に親しんでもらう・あるいは伝統芸能の啓蒙ということにありました。それは地道な活動ではありましたが、着実に成果を挙げて来たと思います。このことは国立劇場の50年の功績として高く評価されるべき ことだと思います。 昭和40年代の歌舞伎は興行的にはどん底期でしたが、現在の歌舞伎隆盛に、国立劇場の努力も一役買っているところはあると思います。
現在の吉之助はビジネスマンとしての仕事があるので、歌舞伎興行のすべてをフォローしているわけではなく、どうしても観劇は歌舞伎座が中心になります。昔と比べると国立劇場へ足を向ける回数が減ってはいますが、通し狂言であるとか、復活もの、松竹がいろんな理由があって上演しない(できない)取りこぼした演目を拾い上げるとか、国立劇場に期待したい役割は、これからますます増えて来ると思います。まずは今月から3ヶ月掛けての「仮名手本忠臣蔵」通しを期待したいと思います。
(H28・10・2)
2)国立劇場のこれからの役割
ところで昭和41年(1966)11月の国立劇場開場公演の筋書には「国立劇場における歌舞伎公演はどんな方針でおこなわれるか」という記事があって、そこに七つの方針が掲げられています。劇場創建に係った方々の理念・意気込みがよく分かって、とても興味深いものです。七つの方針のポイントだけを記しておきますが、
1)原典を尊重した上演
2)通し狂言を心掛ける。
3)意欲的な復活狂言を試みる。
4)演出を努めて観客に分かりやすいものにする。
5)配役は適材適所を旨とする。
6)役者の仕勝手を排除し演出を統一化する。
7)伝統的な歌舞伎の技法を基盤とした新作上演にも努める。というようなものです。
この50年を通覧してみると、見取り狂言が多くなった時期もあったし、これを国立でやる意義があるのだろうか?と思うような上演もなくはなかったけれど、まあ紆余曲折もありながらも、大筋では七つの方針を守りながら運営がされてきたのだろうと思います。思えば今は「四の切」(「義経千本桜」)・狐忠信の定番の如くとなっている澤瀉屋の宙乗りも、最初に行われたのは昭和43年4月の国立劇場でのことでした。近年の上演では「伊賀越道中双六」通し(「岡崎」を含む)(平成26年12月)であるとか、「神霊矢口渡」通し(平成27年11月)とか歌舞伎座ではこれからも決して上演されないだろうと思える演目も上演されました(いずれも吉右衛門主演)。「絵本合法衢」(平成24年4月・仁左衛門主演)のようにその後大阪松竹座の本興行で再演された演目もありますから、国立劇場もなかなか頑張っていることは大いに認めて良いと思います。吉之助が思うのは、松竹さんは長期的な観点から国立劇場との連携を真剣に考えるべきだということです。つまり役者の貸し出しということですがね。 松竹から貸してもらえる役者が決まってからでないと企画が決まらないようです。これじゃあ意欲的な企画は立てようがありません。50年前の国立創建時だと、映画・テレビに観客を取られて歌舞伎が落ち目の時期でしたから 、何となく補完関係が成立していたと思います。近年の歌舞伎ブームの状況では、人気役者を国立に貸すのが惜し くて仕方ないと云う感じが露骨に見えます。どうも 松竹は目先の算盤のことしか考えていないようです。松竹の本興行ではなかなか実現できない演目(配役)を国立で役者に経験してもらうとか、国立で成功した演目を歌舞伎座へ持って行って本興行のレパートリーを増やすとか、若手に修業がてらいろんな演目や配役を 経験してもらうとか、そういう太っ腹なところを意識して持って欲しいと思うのですがねえ。そうなれば長い目で見れば結局、松竹のためにもなるのです。今や歌舞伎は世界の無形文化遺産なのであるし、伝統芸能の木の幹を太くするために、いい意味において国立劇場を使うという戦略を持ってもらいたいものです。そういうことならば国立劇場側だって大歓迎ではないかと思いますが。
(H28・10・10)