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大阪人の野性味


吉之助が折口信夫に傾倒していることはご存知の通りですが、折口の短歌の領分(つまり歌人釈迢空)についてはまだ知らないことが多い。その迢空の大正7年の文章に「茂吉への返事」と題するものがあります。「力の芸術家」を標榜する・田舎人斎藤茂吉に対して、迢空が「私は都会人です、しかし野性を深く遺伝している大阪人です」ということを言っています。そのなかに歌舞伎に関連して 吉之助に興味深く感じる記述があるので、ここに引用します。

『三代住めば江戸っ子だ、という東京、家元制度の今尚厳重に行われている東京、趣味の洗練を誇る、すい(粋)の東京と、二代目・三代目に家が絶えて、中心は常に移動する大阪、固定した家は、同時に滅亡して、新来の田舎者が、新しく家を興す為に、恒に新興の気分を持っている大阪、その為に、野性を帯びた都会生活、洗練せられざる趣味を持ち続けている大阪とを較べて見れば、非常に口幅ったい感じもしますが、比較的野性の多い大阪人が、都会文芸を作り上げる可能性を多く持っているかも知れません。西鶴や近松の作物に出て来る遊治郎の上にも、この野性は見られるので、漫然と上方を粋な地だという風に考えている文学者たちは、元禄二文人を正しゅう理解しているものとは言われません。その後段々出てきた両都の文人を比べても、この差別は著しいのです。このところに目を付けない江戸期文学史などは、幾ら出てもだめなのです。江戸の通に対して、大阪はあまりやぼ(野暮)過ぎるようです。』(折口信夫:「茂吉への返事」:大正7年6月)

折口信夫文芸論集 (講談社文芸文庫)

ここで折口は「大阪人の野性味」ということを指摘しています。このことは近松門左衛門・そして彼の作中人物に発する上方和事芸の本質を考える時に、とても大事な点なのです。現代ではそれが「つっころばし」に代表される、ナヨナヨした・同じ仕草を行ったり来たり繰り返ししつこくやるのが上方芸みたいに思われています。どのような過程でそんな風に変質してしまったのかも、興味があるところです。吉之助が思うには、大阪人の野性味ということは気質としては、近松の時代から現代まで、ずっと繋がって来ているのだけれど、個々の時代感覚としては途切れているのだろうと思います。家系の変転が激しくて時代感覚が 連続して来ないので、同じ大阪人であっても昔のことはリアリティを持ってこないということかも知れません。上方和事芸の変質は恐らくそのことから来ます。このことは伝統というものに対する東京と大阪の態度の違いにも表れます。

しかし、平成の世において上方歌舞伎を復興しようとするならば、「願わくば近松の野性味を以て現代人を戦慄せしめよ」と言いたいですね。上方歌舞伎復興の手掛かりは、多分そこにしかないと思います。

(付記:別稿「上方歌舞伎の行方」をご参照ください。)

(H26・3・30)


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