歌舞伎の仁(ニン)を考える
歌舞伎の仁(ニン)というのは、簡単に言えば、その役柄が持っている雰囲気・「らしさ」ということになると思います。歌舞伎を長く観ていると、あの役者は○○の役の仁であるの・ないのという話になることはよくあるものです。ところで最近の劇評で仁の話題がいつになく前面に出ることが二回ほどありました。具体的には、昨年11月歌舞伎座・「勧進帳」での染五郎の弁慶であり、本年7月国立劇場・「義経千本桜」での菊之助の知盛のことです。ただし以下の文章は、上記ふたつの事例の仁のある・なしについて言及するものでないとご理解ください。
芝居でも映画でもそうですが、その役が持っているイメージというものが受け手の方に漠然とあって、それに大きな齟齬があると、この配役はちょっと違うのじゃないかと感じることはあるものです。容貌は非常に大きな要素には違いないですが・それだけではなく、表情・身のこなしとか、全体に醸し出される雰囲気というものが大事になります。それが役における仁(ニン)というものですが、それだけならば歌舞伎だけのことではありません。新劇でも映画でも、それらしき概念は間違いなくあります。
一方、歌舞伎で仁ということをうるさく言うのは、役者の仁のことがあります。それは歌舞伎には役人替名という概念があって、役というものは芝居という空間のなかで・その役者(人間)が纏う一時的な仮の姿であるという考え方から来ます。したがって九代目団十郎が演じる大星由良助が大事であるのはもちろんですが、大星由良助を演じる九代目団十郎ということも同時にとても大事だと云うことです。九代目団十郎の仁ということは、九代目団十郎の仁が彼が演じる弁慶にも熊谷直実にも通じる何かがあるということです。恐らく歌舞伎の仁の概念の特殊なところはそこです。歌舞伎では、役における仁 よりも、役者の仁ということが大事なのです。したがって、昔の役者は自分の仁でないと少しでも感じると、その役を演じることを躊躇したものでした。そういう場合、どうしても演じるならば脚本をいじって自分の仁に合わせたものでした。例えば五代目菊五郎が、「村井長庵(勧善懲悪覗機関)のような悪人がやりたい」と云って、黙阿弥に頼んで按摩道玄(盲長屋梅加賀鳶)を書下ろしてもらったというようなことです。同じような悪人の役であっても、恐らく役の愛嬌のある・なしというところでしょうが、五代目菊五郎本人だけが気にするくらいの微妙な仁の違いなのです。
一方で仁の違いを承知のうえで敢えてその役を演じて役の新しい解釈(可能性)を拡げるということもあったはずです。歌舞伎には「兼ねる役者」という言葉があります。役柄の広い役者ということですが、仁ということにこだわって・その枠内にとどまっているならば、「兼ねる」という称号を得られる可能性はまったくないわけですから、歌舞伎は仁ということを大事にしながらも、仁の枠を越えることを禁じていたわけではないと思います。そのような挑戦がないと歌舞伎は変わって行かないでしょう。全般的な流れとすれば、現在は歌舞伎でも仁ということを以前ほどには厳密に考えない方向になりつつあると思います。というか「兼ねる」ことに積極的な意味を見出しつつあるということかも知れませんね。
思うには、これは洋の東西を問わないようですが、演劇でも音楽でも、自分の守備範囲を自ら定めて・俺はここをじっくり掘り下げて行こうというタイプよりも、自分の可能性を信じて・挑戦できることは何でも挑戦してみようというタイプの方が増えてきているようにも思いますね。まあこれはどちらにも良さはあると云うべきですが、ある意味において自分の仁(自分らしさ)の追求ということが強く出てきているということなのでしょうかねえ。
(H27・8・12)
2)役の仁と、役者の仁
前項で歌舞伎の仁(ニン)について考えました。役の仁と、役者の仁と、ふたつの要素があると思いますが、歌舞伎の特殊なところは、役者の仁に重きを置くところです。どうしてこうなるかと云うと、初期の歌舞伎は上演する度に狂言作者が役者の個性・雰囲気に合わせて役を書き変えたものなので、当然その役は役者の仁にぴったりしたものになったわけです。当時は、役の仁と、役者の仁が重なっていました。しかし、やがて演目が固定して同じ役を多くの役者が演じるようになって来ると、必ずしもそういうわけに行かなくなってきます。どうしてもイメージの齟齬が出て来る。前の役者が当たり役にして・観客にそのイメージが強く残っている役であると、前の役者と印象が似たようでないと観客が許さないことがあるものです。だから昔の役者はちょっとでも仁が違うと思うと、その役を演じることを躊躇したものでした。そんなことが積み重なって、歌舞伎のなかでこの役はこんな感じという漠たるイメージが徐々に出来て来る、そんなこともあるものです。そのようなものが歌舞伎の歴史が作りあげた役の仁でした。
ただし歌舞伎の役の仁というのは、さほど厳然としたものではないのです。そこに客観的かつ絶対的な基準などないのです。多くの場合、それは一世代前か・せいぜい二世代くらい前の役者のイメージを追っています。「七代目幸四郎のようでないと弁慶とは言えないよ」、「二代目松緑の弁慶と比べれば、今の役者はなってませんね」というようなものです。(吉之助も二代目松緑の弁慶は見ましたけどね。)その人にとっては、その昔に見た舞台が弁慶という役のイメージとして絶対的なものです。ただしその人にとっては・・ということです。そこに真実がないとは言えません。古老の言うことは参考として聞いておきましょう。しかし、そういう言い方は、七代目幸四郎とか二代目松緑とか過去の役者の仁と、弁慶という役の仁とを混同してはいませんか?ということも、ちょっと疑ってみた方が良いのです。弁慶の性根の置き方だって、いろんな可能性があるはずです。別の役者が演じるならば、別の可能性がある。もちろん伝統に対する尊敬は決して忘れてはなりませんが、役作りの可能性を認めなければ、弁慶を演じても過去のイメージをただなぞるだけになりますね。
だから「○○は弁慶の仁でない」という決め付けた言い方は、いわゆる芝居通の会話にはしばしばあるものですが、あまり良い言い方と思えません。役の仁と役者の仁とを混同しており、役者に対してフェアでない言い方です。確かにその昔は役の仁と役者の仁は重なっていたかも知れないが、歌舞伎も現代の演劇思潮の上にあるのですから、もうこれをはっきり分けて使うべきです。もうそういう時代になっていると思います。「○○の仁に弁慶はぴったりはまる役ではない」という言い方ならば、役者の仁に重点を置いた表現になります。これならば歌舞伎の仁の議論として納得できます。付け加えますが、吉之助は言葉をいじくっているつもりはないのです。吉之助は批評家ですから、仁という語句の使い方には十分気を付けているつもりです。吉之助の師匠である武智鉄二は厳しい言葉で役者を批判することがありました(このことは批評家武智の良くない点でした)が、武智は「○○は弁慶の仁でない」という書き方はしなかったと思います。
先日ドイツの名歌手ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのインタビュー映像を見ていたら、彼がとても興味深いことを語っていました。歌手としてのF=ディースカウの本領はシリアスな役どころ、悲劇にあると思います。冗談ばかり言って不真面目なファルスタッフは、F=ディースカウの仁からもっとも遠い役だと言えそうです。1966年ウィーン国立歌劇場での「ファルスタッフ」上演(ヴィスコンティ演出、バーンスタイン指揮)のためにファルスタッフの打診を受けた時には、本人も最初やる気がしなかったそうです。しかし、ファルスタッフを演じてみて、F=ディースカウは或る体得をしたと云います。
『オペラでの俳優兼歌手の問題は複雑だ。対立するふたつの要素、ひとつは天賦の声、もうひとつは私も悩む様々な役柄。演劇俳優ならば容姿や年齢に即し役を与えられる。ところが私たち(オペラ歌手)の場合は、役は声域次第だ。役に向かい、役に成り切る為には、ブレヒト流に言うと、「異化」しなければならない。ドン・ジョヴァンニをやるのに、彼になり切る必要はない。』
ディ‐トリッヒ・フィッシャー=ディースカウ:秋の旅~シューベルト・リサイタル [DVD]
ベルトルト・ブレヒトの演劇概念・異化とは、慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法のことです。役者は単に役になりきるのでなく、特徴的な身振りを見せることで役を示します。ブレヒトはこのことを「俳優がある人物を引用する」と言っています。このことは歌舞伎だって、同じことではないでしょうか。「九代目団十郎の弁慶か・弁慶の九代目団十郎か」という現象は、ここから起きるのです。
(H28・9・20)