立体性のない演劇
1)ファンタジーを生む土壌
歌舞伎とは関係ない話から入りますが、「ハリー・ポッターと賢者の石」(ローリング作)のヒットで欧米のファンタジーについての関心が高くなっているようです。ところで、ファンタジー作家というと「果てしのない物語」のエンデのようなドイツの作家もいますが、古くは「不思議の国のアリス」のキャロル・「ピーターパン」のバリから近きは「ナルニア国ものがたり」のルイス・「指輪物語」のトールキンに至るまで、その多くが英国出身なのです。これは英国にファンタジーを産む特殊な精神土壌があるということなのでしょう。どうして英国ではファンタジーがこんなに盛んなのでしょうか。
これについて谷口智彦氏が面白いことを指摘しています。英国で長年暮らしていると(谷口氏は日経の英国特派員でした)、住宅地で子供の遊ぶ声が聞こえることがない、英国ほど子供が生き生きしていない国はないと感じるというのです。そこで英国の友人にその事を聞くと、こんな答えが返ってきたと言います。
「おまえの言う、子供の姿が見えない。つまり子供というのが親によって抑圧されている、そのこと自体がファンタジーを生む理由だよ。親から抑圧され、全寮制の学校では年長の子供と先生にいじめられる。思い出してもあんな悲惨な体験はないさ。人間そこまで抑え込まれると、あとは想像力の翼でもはばたかせるしかないでしょ。そういうことだよ。」(谷口智彦:コラム「地球鳥瞰」・日経ビジネスExpressメール・01/12/5)
英国の子供たちは、学校で教師によって規律を徹底的に叩き込まれるそうです。規則づくめの単調な生活。規則を破れば教師の体罰が待っています。年長の生徒にもいじめられます。「ハリー・ポッター」で登場する ホグワーツ魔法学校での生活は、英国の全寮制の学校そのままなのです。ここで教育論をする気はありませんが、しかし、目覚めかけてきた自我を厳格な規律のなかで押さえ込まれるという生活は、これは当の本人たちにとってはやはり厳しい・悲惨な経験には違いないのでしょう。そうしたなかで独り寄宿舎の窓から夜空の星を眺めながら、空想のなかでしばし日常を忘れる、あるいは外界に伸びようとする意欲・好奇心の渇をいやすというのは理解できるような気がします。それがファンタジーを生み出す精神土壌になっているということなのです。
2)時空の座標を喪失した演劇
ここで話はいきなり歌舞伎の方へ転換します。ドナルド・キーン氏が司馬遼太郎氏との対談でこのような興味深い指摘をしています。
「(江戸時代の文学は)私に言わせると立体性がないのです。つまり、徳兵衛と治兵衛と忠兵衛、この区別がなかなかつかない。だいたい同じように二枚目で、周囲の事情は違っていたのですけれども、だいたい同じようなことをした。しかし、シェークスピアはもちろん特殊な例ですけれども、ハムレットとマクベスとキング・リアが区別できないということは想像できないでしょう。考えてみると、徳川時代の典型的な美術は浮世絵だったのですね。その浮世絵には立体性がない。たしかに非常に美しい。構図も素晴らしい。色彩も素晴らしい。春信の浮世絵だったら、私はどれを見ても素晴らしいと思います。しかし、春信の浮世絵を十枚ほど見て、この人物はこういう人格であっただろう。この人は非常に悩みが深いに違いないとか、絶対に想像できないでしょう。ただ曲線の美しさや色彩に感激するだけです。そういう点では江戸文学には普遍性がなかったと言えます。」(ドナルド・キーン/司馬遼太郎:対談「日本人と日本文化」・中公文庫)
ここでキーン氏が言っている「立体性」というのは、絵画における遠近法や立体画法のことを指しているのではもちろんありません。描かれている人物の・その人固有の人間性なり生活感なりが浮き上がってこないということを言っています。キーン氏の発言に対する司馬氏の発言も聞いておきましょう。司馬氏もキーン氏に対し肯定的な発言をしています。
「結局、社会的な事情というものがあるだけで、人間があまりいないのですよ。義理というのは社会的な事情ですし、人情を持ち出してはいけない。いけないんだけれども、ついせっぱつまって持ち出すと、義理と人情のしがらみができるわけですね。その時にドラマが成立する。しかし、人情がパッと出てくる時に、人間臭さが出るだけで、立体感として人間が最初から出てきませんね。」(前掲書)
対談のお二人の指摘する「立体性」のことですが、なるほど歌舞伎で言えば、「寺子屋」でも「熊谷陣屋」でもだいたい見取り上演でして、そのドラマに至る人物背景・状況というものがバッサリ欠けていても、不思議なことにちゃんと芝居として見れてしまうのが歌舞伎なのです。
「寺子屋」では松王の牛飼舎人の生活感などは芝居では見事にすっ飛んでいます。そういう要素はドラマに関係ないのです。というよりむしろ邪魔なのかも知れません。どうして松王は主人のために我が子を身替わりに差し出すのか・松王がそう思うに至る心理的背景は何か・葛藤はなかったのかというのは、「歌舞伎素人講釈」では大いに気にして論じていますが、そんなもの知らなくたって芝居は十分に楽しめます。極端に言えば親が子を失う悲しみさえ理解できればこと足ります。作品に「立体性」が全くないとは言い切れないと思いますが、たしかに「立体性」は歌舞伎というドラマにとって必要不可欠な要素ではないのかも知れません。
もうひとつ、上記のメンバーに山崎正和氏が加わった別の対談での、山崎氏のご発言です。
「私自身は人間像という点では室町・桃山の方が江戸時代よりはるかに理解できるんです。つまり文学という形式ということから言えば、たしかに近松の方が世阿弥よりもついていきやすい。しかし描かれている人間像という点から考えれば、世阿弥あるいは観阿弥の書いた人物で、私がこんなことは理解できないということをするような人はひとりもいないんです。狂言にいたっては、本当に隣に連れてきてもおかしくない人間が動いていますよね。その点、近松を含めて歌舞伎の人物はきわめてバロック的で、面白いけれども、少しグロテスクだという気がします。」(ドナルド・キーン/山崎正和/司馬遼太郎:対談「近世の発見」・「司馬遼太郎・歴史歓談」に収録・中央公論社)
これに対して司馬氏は「ぼくは山崎さんの感覚に似てるんです。歌舞伎というのは、どうもねえ。」と言ってますが、まあ、正直でよろしいと言っておきましょう。しかし、「歌舞伎はバロック的で少々グロテスクだ」という指摘は重要な指摘だと思います。この感覚は、キーン氏の「(歌舞伎は)立体性がない」という指摘とも通じ合うものがあるのです。つまり、作品の背景や登場人物の人間に立体性がないということは、それぞれの要素の関連性がバラバラになっており、設定が極端に走りやすいということだろうと思います。
時代と風俗・思想・行動というのはそれぞれが密接な関係にあり、それぞれがバラバラに成立することは決してありません。武士の格好をしたサラリーマンはあり得ません。サラリーマンの格好をした武士もあり得ない。これは時代考証とは違う意味で大事なことなのです。しかし、例えば「妹背山婦女庭訓」の舞台は飛鳥時代であり「菅原伝授手習鑑」の舞台は平安時代ですが、そこに活躍する登場人物たちの倫理観・道徳観はまさに江戸時代の庶民のものなのです。我々は歌舞伎の舞台のなかに江戸の庶民の感覚で捉えた歴史を見るのです。
つまり、歌舞伎は時空の座標を喪失した演劇だと言えます。時空の座標を喪失してしまうと、作劇の課程で「この時代にはこうした行動をする人物はあり得ない・こうした風俗の人間はこういう行動をしない」というような・ある種の抑制が効かなくなってきます。よく言えば「趣向本位」ということですが、それは趣向が作品の本質と関係ないところにあるからそうなるわけです。
その結果として、山崎氏の指摘するように歌舞伎は趣向の幅を次第に広げていって、バロック的で少々グロテスクな演劇に成長していくのです。この点において、歌舞伎という芸能は能・狂言などの先行芸能とは明らかに違う・日本古来のものとは言いかねるような不自然な要素・断層を孕んでいます。それはいったいどうしてなのでしょうか。
ここで英国のファンタジーと日本の歌舞伎がつながります。英国のファンタジーもまた立体性のない物語なのです。想像力を羽ばたかせて、時空の座標を喪失してしまった物語なのです。
3)想像力の翼
歌舞伎は、明らかにそれまでの日本の芸能とは異なる異質な感覚・美意識を含んでいるようです。たとえば広隆寺の弥勒菩薩像などはもっとも日本的な美しさを持つものだと思いますが、あれはもともと金箔を押してあってキンキラなものでした。しかし、私たち日本人は、むしろその落剥した地肌の姿に美を感じます。中国や朝鮮ならば、 こうした仏像は金で塗り直してしまうでしょう。法隆寺でも元のような鮮やかな朱や青に塗り直してしまうに違いありません。私たちはそういう感覚に違和感を覚えてしまいます。しかし、どちらかと言えば歌舞伎の場合はそうしたギラギラこってり感覚に近いような感じがします。日本紹介のパンフレットに筋隈つけた荒事の歌舞伎役者の写真などが載っていると、正直申して、吉之助はこれが日本的なものとしてふさわしいのものなのか疑問に思ってしまうのです。
どうして歌舞伎は日本的な流れとは別にバロック的でグロテスクな要素を孕むのかのでしょうか。それは江戸時代という「寄宿舎的」な状況のなかで、桃山の世でひとたび知ってしまった自由奔放な気風を押さえつけられて暮らさなければならなかった庶民の精神状況が作用しているのではないでしょうか。あるいは、豪華絢爛の金銀の桃山文化・世界へ羽ばたく南蛮文化への遠い記憶と憧れがそうさせるのかも知れません。江戸時代の身分職業が固定された・社会規制の多い世の中で、庶民はひそかに自我を育てていかねばなりませんでした。「人間そこまで抑え込まれると、あとは想像力の翼でもはばたかせるしかないでしょ。」とそういうことではないかと思うわけです。
これは江戸時代の特徴と言えますが、感情生活に対して個人と社会というものの関係が大きくクローズ・アップされてきます。このことは、別稿「かぶき的心情とは何か」・「かぶき的心情と世間・社会」で述べましたが、これも桃山の世で目覚めた庶民の自我が押さえつけられることで吹き出るものです。押さえつけられれば押さえつけられるほど、内面にふつふつと煮えたぎるもの、その一例が「かぶき的心情」であり、また想像力なのです。それが能・狂言などの先行芸能とは明らかに異なる感覚・美意識の原因ではないかと考えるのです。
もうひとつは、江戸時代というのは私たちの想像している以上に何の事件も起きなかった平和な時代であったということがあります。このような状況も英国の寄宿舎的生活を思い起こさせます。何も起こらず・起させず日々はただ同じように流れていくのが良しとされた時代でありました。だからひとたび赤穂浪士の討ち入りのような大事件が起きると、人々はこれを何十年も取っかえ引っかえ、講談でも芝居でも読本でも、筋をちょっと変えてみたり新しい枝葉をつけて見たりして、牛の反芻行為みたいに何度も何度も同じ題材を楽しみ・味わいます。そして、その決定版(つまり「仮名手本忠臣蔵」 のことですが)を完成するまでに事件から実に四十七年もかかっているのです。
ご注意いただきたいのですが、吉之助は江戸時代を「武士が農工商を弾圧して・搾取しつづけた暗黒時代であった」というようなステレオ・タイプ的な見方は決して取りません。むしろ英国流の教育が立派な成果を上げあまたの傑物を輩出して きたという事実と同様、江戸時代についてももっと積極的な評価がされてしかるべきと考えています。しかし、江戸幕府が芝居興行においては神経質過ぎるほどの気を使い、弾圧をしてきたこと も事実なのです。そうしたなかで歌舞伎は持てる限りのファンタジーの翼を羽ばたかせつつ、立体性を次第に喪失した演劇に変容していったのではないかというのが吉之助の想像なのです。
(H14・7・7)