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若手を観る楽しみ


○若手を観る楽しみ・その1

先月(平成18年11月)ほんとに久しぶり・10年ぶりくらいで新橋演舞場へ行ってきました。海老蔵・菊之助・松緑らによる花形歌舞伎です。吉之助は彼ら三人の初舞台を見て いますから、思い返せば随分長いこと歌舞伎を見てるわけです。だからと言うわけでもないですが・彼ら若手の舞台を見ていると「お若いのによくそこまで覚えて・頑張ってるなあ」と言うような 感心した気分になることがあり、なんだか孫を見るご隠居の心境のようでもあります。まだそんな歳じゃないのだけどね。

いずれにせよ若手連中の芸がまだこれからなのは当然のことですから・これをベテラン役者の芸と同じ基準で論じるわけにはいきませんし、またあってはならぬことと思います。そこは長〜い目で見守ってやる必要があります。だから飛んでもない(間違った)方向へ芸が伸びていくならば注意する必要はありましょうが、まあ、一生懸命やっているのならばいいじゃないですか・という感じです。もっともこういう境地に至りましたのも、吉之助にしてもそう昔のことではありません。

『われわれ園芸家は未来に生きているのだ。バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。10年たったら、この小さな唐檜(とうひ)が一本の木になるだろう、と。早くこの10年がたってくれたら!50年後にはこのシラカンバがどんなになるか、見たい。本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。新しい年を迎えるごとに高さと美しさが増していく。ありがたいことに、わたしたちはまた一年歳をとる。』(カレル・チャペック:「園芸家12ヶ月」)

チェコの作家カレル・チャペックのこの文章ほど正鵠を射ているものはありません。歌舞伎400年の歴史にあっては10年如きはアッと言う間のことです。若手を観る時の観劇家 はこの園芸家の心境みたいなものでありたいと思います。

(H18・12・10)


○若手を観る楽しみ・その2

名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが若き日のお話です。1940年、カラヤンがベルリン国立歌劇場でリヒャルト・シュトラウスの楽劇「エレクトラ」を初めて指揮することになって、その初日を作曲者が聴きに来ました。翌日、シュトラウスはカラヤンを昼食に招待し、その後、ピアノを弾きながらいくつかのアドバイスを与えてからこう言ったそうです。

「君はこの二ヶ月もの間、この作品の楽譜を勉強し・リハーサルし・指揮して、この作品とずっと暮らしてきたわけだ。もう何年もこの作品から離れている私よりも、この作品に通じているわけだ。多分君が正しいのだ。さあ、昨夜と同じようにしっかりと振りたまえ。」そう言った後、老シュトラウスはちょっと間を置いてウインクしてこう言いました。「いずれにせよ五年もしたら君も振り方が変わってくるさ。」

「素晴らしい老人の知恵です。」後にカラヤンはそのことを回想して、深い感謝を込めてこう語っています。若手に対するアドバイスはかくありたいものだと思います。

さて、先月(平成18年11月)の「勧進帳」での海老蔵の弁慶ですが、確かに表情が生(なま)に出るというところはあったようです。「まさしく主人を打擲、天罰そら恐ろしく・・・」と義経に謝る時はホントに打ちしおれておりましたし、この後、義経の平家追討の述懐での振りで弓を引く仕草の時には獲物を狙う目付きが実に真剣。まあ、こういうところはあまり表情を変えずにサラリと演技した方がよろしいのでしょうが、海老蔵はちょっと生でハッとしますねえ。しかし、こういうのは長所と裏腹なところがありまして、例えば海老蔵の弁慶は不動の見得や元禄見得などかどかどの決まりでの鋭い目付きが 忘れられていた「荒事の心」を感じさせるものでした。まさに「瘧(おこり)が落ちる」とはこの事かと思わせるような何かがある。「表情を生に出すな」などと言うアドバイスは返ってこうした海老蔵の長所を消すように思われます。

海老蔵の弁慶で教えられたなあと思ったのは、延年の舞の最中に弁慶が仲間に合図して・一行を出発させた後、弁慶が富樫に一礼して去る場面です。今まで(ビデオも含めて)七代目幸四郎に始まり、十一代目団十郎・二代目松緑・初代白鸚など・・いろいろ弁慶を見てきましたが、 どれも「ちょっと先を急いでいるので失礼します・・」という感じで・富樫に向かって頭を下げると同時に・腰が浮いているような弁慶ばかりでした。ところが、海老蔵の弁慶はしっかりと富樫に正対し・富樫を見て頭をしっかりと下げるのです。花道七三で富樫に向かって礼をする時も「富樫さん、有難う、あなたのお陰です」という気持ちが明確に出ていました。弁慶は当然こうであらねばならぬなあと思います ねえ。若手の素直な解釈から新鮮な驚きが得られることも・これは確かにあるものなのです。

いくつかの劇評で・四天王の詰め寄りを弁慶が押さえる場面において「海老蔵が歯を剥いた・云々・・」と書いているのを読みましたが、あの場面ははやり立って富樫に歯向かおうとする四天王を止める弁慶の必死の気持ちが観客に伝わってくることが大事なのです。その必死の気持ちが出ているならば、目を剥こうが・歯を剥こうが別によろしいことと思います。吉之助はこういうことは一向気になりませんねえ。今の段階においては・まずは必死の思いを伝えることの方が肝要です。まあ、今は感じた通りに一生懸命勤めたまえ・あと五年か十年すれば海老蔵もやり方が変わって来るさ・と言うようなものです。それでいいのですよ。

(H18・12・14)


○若手を観る楽しみ・その3

「初心忘るべからず」と言えば・もちろん世阿弥の言葉であります。入学式とか・人生の門出に必ず引き合いに出る名言ですが、そのせいか「初心」と言うと・何となく十代半ば頃の若者の初々しい志(こころざし)みたいなものを指すようについ思ってしまいます。しかし、「風姿花伝」を読みますと・世阿弥は二十四・五歳の頃のことを書いていて・「初心」とはこの年頃のことだと書いているのです。

どうして二十四・五歳の頃が「初心」なのか。それは世阿弥の役者としての体験から来ます。ご存知の通り、世阿弥は十二歳の時に観阿弥が今熊野で催した猿楽(申楽)能に出演して、その時に室町将軍足利義満の目にとまり・その寵愛を受けます。しかし、成長して変声期に入ると世阿弥も人並みに苦労したようです。人に笑われたり・罵声を浴びたりして・役者をやめようかという経験もしたようです。二十四・五歳というのは、そういう地獄の時期を経て・声も体格も常態に定まってきて・役者の出発点に立つ時なのです。「初心忘るべからず」とはそうした世阿弥の地獄の体験のなかから出てきた言葉です。

歌舞伎役者でも十代半ば頃は中途半端で・ピッタリした役が付きにくい年頃でして、やはり二十五歳頃というのが役者としての出発点ということにな るのでしょう。先月(平成18年11月)演舞場での花形三人(海老蔵・菊之助・松緑)だけでなく・同年代の若手たちも同様ですが、それぞれ役者としての方向性を見出すべく・意欲的な活動を行っています。今の段階においては「ニンにあるかどうか」など考えずに・何でもチャレンジしてみることです。そうしたなかから「初心」を掴み取ればよろしいの だと思います。

(H18・12・18)


 

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