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バロックに関する対話


○「歌舞伎素人講釈」では「バロック的なる歌舞伎」ということを言っていますが、どこが新しいのでしょうか。

これまでも「歌舞伎はバロック的な演劇だ」と指摘している論文はないわけではありません。エリザベス朝時代のシェークスピアやスペインバロック演劇と歌舞伎との類似を比較した論文はいくつかあります。しかし、それらは「形式論 ・様式論」なのですね。流血場面や愛欲描写などのゴチャゴチャ・ゴテゴテの過剰性がバロックだと・表面的な類似を指摘しているだけで、その根底にある時代的心情を捉えて・その表現の本質まで迫ろうとして いるわけではない。「歌舞伎素人講釈」のバロック論は「心情論」なのです。そこが全然違います。

○「歌舞伎素人講釈」では歌舞伎を読む視点として「かぶき的心情」という概念をずっと追求して来たわけですが、バロック論はこれと関係があるのですか

関係があるどころか、バロックというのは「かぶき的心情」の現われそのものだと思います。かぶき的心情とは個の主張・あるいはアイデンティティーの発露です。江戸初期のかぶき的心情は個人と状況を対立関係に見ることがあまりありません。ある意味で未分化 ・未成熟なのですが、安土桃山期のダイナミズムと自由を享受した・一度は実現したかに思われた個人のアイデンティティーが江戸期の狭苦しい枠組みのなかに急に押し込められた為に起こる憤懣ややりきれなさがかぶき的心情の根底なのです。膨れ上がった自我を押さえ込むことができずに噴出する個人の思いがかぶき的心情です。だから、かぶき的心情に発する行動は捻じ曲がっているのです。そこがバロックなのです。

○かぶき的心情に発する行動は「捻じ曲がっている」ということを具体的に教えてください。

最もかぶき的な行動は「自分を貫き通すために死す」という行動です。誰だって自分が一番可愛いし、もっともっと生きたいわけです。かぶき的心情も個人の思いを実現することを根本に望んでいるわけです。しかし、それが実現されない場合にどういう行動を取るかということが問題なのです。かぶき者の行動は、状況に屈服するか・あるいは徹底的に反抗するか・その二者択一です。屈服するならその後の人生はただ悶々と過ごすだけです。反抗するならば死ぬしかありません。それでも自分を貫き通すために死のうということは、別の意味で「最高に生きる」ということなのです。

○お芝居で「かぶき的心情」に発する典型的な例を挙げるならば何でしょうか。

「曽根崎心中」のお初ですね。「天満屋」で九平次は徳兵衛の悪口を言いまくりますが、お初は涙にくれながら・縁の下にいる徳兵衛に独り言になぞらえて、「さのみ利根(りこん)に言はぬもの。徳さまの御事、幾年なじみ、心根を明かし明かせし仲なるが、それはいとしぼげに、微塵訳は悪うなし。頼もしだてが身のひしで、騙されさんしたものなれども、証拠なければ理も立たず、この上は、徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい」と徳兵衛に決心を即します。そして徳兵衛の覚悟を知ると、「オオ、そのはずそのはず、いつまでも生きても同じこと、死んで恥をすすがいでは」と叫びます。お初・徳兵衛は世間から逃げているのではなく、 世間に対して自己を主張しているのです。彼らは「生きるために死す」のです。 ただし、彼らの自我は世間に対して敵対しているのではなく・彼らにとって世間は自我の劇場なのです。

○「かぶき的心情」は分かりますが、これがドールスの「バロック論」にどういう風につながるのですか。

ドールスの「バロック論」も「歌舞伎素人講釈」とは別の角度から芸術の心情に迫っているものです。特にドールスのバロック論が素晴らしいと思うのは、ロマン派美術を 古典派美術と対立する概念と見ないで、バロック美術を古典派美術の対立概念として位置付けるという点です。そして、ロマン派美術はバロック美術の一変形に過ぎないと看破することです 。

*エウヘーリー・ドールス:バロック論

○ロマン派美術は古典派美術に対立するものだというのが一般的なイメージだと思いますが、バロック美術の一変形であるというのは意外な見方ですね。

一般的な通念から言えば、形式的な要素が強い古典派と違って・ロマン派は人間的な豊かな息吹を感じさせる、だから古典派とロマン派を対立的に見ようとする傾向が強いと思います。いわば古典的な形式を崩したところにロマン派の表現があって・その表現が豊かさを増して行ってロマン派芸術の頂点を迎えるが、やがて表現に行き詰まり ・ついには様式が崩壊を見せていくという流れのうえに18世紀から19世紀の芸術の変遷を見るというのが一般的な見方ですかね。

これに対してロマン派美術をバロック美術の変形と見るとするならば、18世紀から19世紀の芸術の動きは次のように読み替えられると思います。芸術の変遷を「流れ」ではなく、バロック的な要素と古典的な要素の間での「揺らぎ」と見るのです。そう見るならば、ロマン派芸術は古典派の形式を崩していくことで表現の自由を得るわけですが・次第にそのバロック的な本質が露わに見えてくるという過程を経ることになるのです。つまり、後期ロマン派・いわゆる19世紀の世紀末美術はロマン的表現手法の行き詰まりなのではなく・ロマン的表現のなかのバロック的な本質が露呈したという風に見ることができると思います。

○「かぶき的心情」をドールスのバロック論に関連させることにどういう意味があるのでしょうか。

歌舞伎の舞台だけ考えているならば「かぶき的心情」だけ論じていても、まあそれはそれで足ります。バロックなんてことを言い出さなくても別に構わないのです。しかし、西欧における19世紀のジャポニズム ・特に世紀末美術において江戸美術が西欧に与えた衝撃を説明するには、歌舞伎や浮世絵のなかに存在するバロック的な要素を考えないと・ジャポニズムの衝撃の本当の意味が理解できないのです。それまでの西欧芸術にないエキゾチックな要素・奇抜な手法が芸術家たちを魅了したなんて思っているのでは、日本の芸術も分かってないし・西欧の芸術も分かってないことになると思います。

○江戸の芸術はジャポニズムを先取りしていたというのが「歌舞伎素人講釈」の見方ですね。

結局、西欧芸術はジャポニズムというものに行き当たるのが必然であったのです。産業革命以後・帝国主義の台頭のなかで西欧の社会経済は急激な変革を遂げ・個人が感じ始めた軋轢・ストレスは、江戸初期の庶民が感じていた憤懣・いらだちと言ったものと質的に似通ったものなのです。もちろん社会学的な背景・要因は全然異なっていますが、心理学的に見た症状がまったく 良く似ているのです。それは結局どちらも個人のアイデンティティーに係わるものだからです。だから、そうした心理的症状が芸術表現に与える歪みにおいても似たような形態を呈するということになります。当時の西欧の芸術家が江戸の浮世絵を見て「これだ」と感じたのは当然であったと思います。それは西欧の芸術家がこれから進んでいく方向を指し示していたからです。その方向は現代 においても続いています。だから歌舞伎に「バロック」という概念を導入することで、さらに普遍的かつ今日的な歌舞伎の視点を提供できるという風に考えるわけです。

付け加えますが、吉之助のバロック論は日本文化の優位性・歌舞伎の独自性を論じているのではありません。むしろ、その逆。普遍性のなかに日本文化や歌舞伎を位置付けしようとするものです。

○ドールスが言うところの・心情論としてのバロックとはどういうことですか。

ドールスのバロック論の特長は、「もっと激しく生きようとして死ぬ」・あるいは「神に憧れつつ・堕落する」という葛藤の状態・引き裂かれた感覚をバロックであると捉えていることです。要するに上昇感覚と下降感覚のなかで両方から引っ張られて・その中間に留まった状態がバロック感覚なのです。どちらかの感覚に偏ってしまったのではバロックではないのです。こういうバロック的な心情を説明するには、ドストエフスキーの次の一節がもっとも分かり易いかも知れませんね。

『美という奴は恐ろしい・おっかないもんだよ!つまり、杓子定規に決めることができないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかり掛けていらっしゃるもんなあ。美のなかでは両方の岸がひとつに出会って、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。(中略)ああ、美か!俺がどうしても我慢できないのは美しい心と優れた理性を持った人間までが、往々聖母(マドンナ)の理想を抱いて踏み出しながら、結局、悪行(ソドム)の理想を以って終わるということなんだ。いや、まだまだ恐ろしいことがある。つまり、悪行の理想を心に抱いている人間が、同時に聖母の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、心底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや、実に人間の心は広い、あまりに広すぎるくらいだ。俺はできることなら少し縮めてみたいよ。ええ、畜生、何が何だか分かりゃしない、本当に!理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。』(ドストエフスキー:「カラマーゾフの兄弟」)

○これが表現になるとどういうことになるのですか。

ドールスは「飛翔するフォルム(古典性)」と「重く沈みこむフォルム(バロック性)」ということを言っています。すべての表現はその間に位置づけることができるのです。つまり、完全なる古典的表現・完全なるバロック的表現というものはないのです。すべての様式は古典とバロックを両極に置いたところの間(はざま)に位置付けされ、 その揺らぎのなかで固有のフォルムを持つことになります。すべての様式は古典性がより強いか・あるいはバロック性がより強いかで測ることはできますが、様式自体の意味はな くなるのです。 様式の変遷を「流れ」ではなく・「揺らぎ」で捉えるというのはそういうことです。

上昇感覚と下降感覚のなかで両方から引っ張られて・その中間に留まった状態がバロック感覚であるということは、何かの表現に落ち着いた時点でそれはバロックではなくなるということですか。

ご指摘の通りです。ある人物がバロック的感覚に引き裂かれて・その後にある決断した時点ではそれはもう収束に向かっているわけですから、その後の行動自体はバロックではありません。

例えば先ほどの「曽根崎心中」のお初で言えば「この上は、徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい」と床を叩いて叫ぶ時点がバロック的感覚のクライマックスです。生きたいという気持ちと・自分たちの一分(いちぶん)を死んで見せることで証明するのだという気持ちがここに交錯しているのです。二者択一を迫られるその瞬間がバロックなのです。この後二人が心中に向かう道行の場面ではすでに決断は選択されていますから・この場面自体はバロックでない。しかし、それはクライマックスの余韻を引きずっており・バロック的心情で裏打ちされているから、観客にカタルシスを与えるのですね。

○そう考えると、すべての劇的な決断というのは何がしかの意味でバロック的であるということですね。

その通りです。バロックという概念を特定の時代と結びついた表現様式であると考える限りは、この事は決して理解ができないと思います。決断というのはそのことによって何かを取り・何かを切り捨てるという 行為なのです。だから、決断することによって・何らかの形で感情は引き裂かれているのです。

バロックを「心情」において理解することで、すべての様式は古典とバロックを両極に置いたところの間(はざま)に位置付けされ、そこから固有のフォルムを固定化することになります。すべての様式は古典性がより強いか・あるいはバロック性がより強いかで測ることはできますが、様式自体に意味はなくなるのです。歌舞伎もベートーヴェンもピカソも同じ座標軸上において論じることが可能になります。

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