町人階級と浄瑠璃
司馬遼太郎の作品のなかで吉之助が一番好きな作品は「菜の花の沖」です。作者にとっても主人公高田屋嘉兵衛は思い入れのあった人物であったようで、後年の講演でも次のように語っています。
「江戸時代を通してだれがいちばん偉かったでしょうか。私は高田屋嘉兵衛だろうと思います。それも二番目が思いつかないくらいに偉い人だと思っています。」(85年5月11日州本での講演)
この「菜の花の沖」では廻船問屋である嘉兵衛が北海道航路、千島航路を開拓していく前半も面白いのですが、物語のクライマックスはロシア軍艦に拿捕されカムチャツカに連行されてからです。捕まえたのは軍艦ディアナ号の艦長リコルドという人物ですが、彼は友人のゴローニンが幕府のだましうちで函館の牢屋に入れられていたのを何とか救い出そうとしているうちに、たまたま出合った日本の船が嘉兵衛の船だったのです。物語後半は嘉兵衛がリコルドがお互い不自由で片言の外国語を使いながら友情を育み、ついにゴローニンを救出し嘉兵衛が日本に戻るその過程を追うものです。
物語の詳細をつづるのは本稿の役目でないので作品をお読みいただきたいですが、非常に印象に残ったのは司馬遼太郎がそのあとがきで次のように書いていたことです。
「リコルドと嘉兵衛とのあいだを接着しつづけたのは稀有なほどの信頼であったのは言うまでもない。それでも嘉兵衛は最後にディアナ号の艦上で修羅場を演じざるを得なかった。(中略)言語表現を越え、相手の心と生命を気迫で衝く場合、自然に演劇的になってしまうことが、人の世にしばしばある。嘉兵衛もまたそのぎりぎりの場において、誠実と物ぐるいのあげくごく自然に演劇的になった。その演劇性にくるまれた主張が相手のリコルドに我意を折らせたのだが、素養としての浄瑠璃がなければ、こうはいかなかったろう。」(「菜の花の沖」あとがき6)
司馬遼太郎:菜の花の沖 (文春文庫)
江戸時代には武家階級は謡曲を、町人階級は浄瑠璃を素養としてたしなみました。これは単なる娯楽とか教養とかを越えて、ある意味では生活のための必須事項でもありました。当時の日本語には共通語というものは存在せず各地独特の方言の違いが今より大きかったのです。出身地が異なれば日常語でのお互いの意思の疎通は困難でした。したがって幕末の京都において各地の志士たちが集まった時など彼らは謡曲で学んだ言葉遣いと抑揚で情報交換をしたのです。それが彼らの共通の素養であったからです。
嘉兵衛は航海中は浄瑠璃本をかならず離さずに持っていき、カムシャツカに連行されたときも浄瑠璃本を数冊持っていったほどの浄瑠璃好きであったと言います。嘉兵衛は商人であったわけですから当然浄瑠璃は商談のために必須であったわけですが、こうして浄瑠璃を学ぶうちにそれが彼の論理、行動パターンになにがしかの影響を与えただろうことは容易に想像できることです。
ディアナ号が函館に近づいた時リコルドと嘉兵衛のお互いの友情に疑念が生じます。嘉兵衛は髻を切り落とし刃物をかまえ、リコルドに対し「捕らわれ人になるという恥辱を受けた以上は、お前と一戦を交えその後俺は腹を切る」と叫びます。その気迫に押されてついにリコルドは嘉兵衛の気持ちを理解し上陸を許可せざるを得なくなります。こうした芝居がかった誇張のある行動が嘉兵衛のたしなみとしての浄瑠璃から発したものであるという司馬遼太郎の指摘は実に鋭いものがあります。聴き手の倫理感情に熱く激しく迫り揺さぶりをかけて相手の心情を吐露させるというのがクライマックスにおける浄瑠璃の表現手法だということでしょうが、嘉兵衛も知らず知らずのうちにその手法を使っていたということなのです。
そしてこのことは、実はこうした窮地においてはむしろ喜怒哀楽をこのようにストレートに表現したほうが外国人にはその気持ちが理解されやすいのだということも教えてくれます。もしリコルドに捕まったのが嘉兵衛ではなく、もし武士であったらどうなっただろうと考えるのも無駄ではないでしょう。たとえその武士が嘉兵衛に比するほどの人物であったとしても謡曲の素養でこの難局が乗り切れたでしょうか。司馬遼太郎も言っているように「こうはいかなかった」のではないでしょうか。
さらに飛躍するがこの話は現代日本人の外国人とのコミュニケーション方法についても考えるヒントを与えてくれそうです。一般的に日本人はコミュニケーションが下手だと言われています。日本人は英語が堪能といわれる人でもよく聞くと抑揚が平板であり身振りなどの表現が乏しいことが少なくありません。こうした英語では文法は正しくとも「記号」をしゃべっているだけで「情報交換」はできても「意思の交流」が十分できているのかは疑わしい面があります。むしろ多少文法が間違っていても自分の気持ちをストレートに出して身振りを大きくつけたほうが相手にアピールすることが少なくありません。
「日本人は自分の感情を生に出す事を恥じる傾向が強く、どうしても照れてしまう」と吉之助も思っていましたし、それが日本人に一貫した表現パターンのように思っていましたが、最近これは違うのではないかと思うようになりました。日本にも自分の感情を生に出しストレートに泣き笑いする思考パターンがあるのではないか。歌舞伎や浄瑠璃に見られるこうした表現は実は西洋人の表現パターンに比較的近いものなのです。長年歌舞伎や文楽を見ながらこのことに思いが行かなかったのは不覚でした。だとすれば「日本人が世界とコミュニケーションする表現方法の手掛かりは歌舞伎と浄瑠璃にあり」と言えるのではないか、というのが今の 吉之助の考えていることです。
(H13・6・25)