「とにかくやってみることだ」〜歌舞伎の型を考えるヒント
例によってクラシック音楽の話から始まりますが、そのうち歌舞伎の話になりますから。吉之助の場合は歌舞伎を考える時にクラシック音楽から示唆を受けることがしばしばですから、これはどうにも分けられません。先日、メトロポリタンオペラのライヴビューイングでマスネの歌劇「マノン」(2019年10月26日の上演映像)を見たのですが、その時に騎士デ・グリューを歌ったマイケル・ファビアーノ(35歳)が幕間インタビューで、ファンからの質問に答えて、こんなことを語っていました。ファビアーノは現在オペラ界で人気急上昇のアメリカ出身のテノールです。質問は「学校でやるディベートの授業は、オペラをやる時に役に立ちますか?」と云うのです。これを質問したのは高校生かな?意表を突く質問で、吉之助も一瞬意図が分からずでしたが、これをファビアーノが即答で見事に切り返してみせました。
『大いに役に立つ。もし君が何かしようとする時、誰かに「こんな風にしてみたらどう?」とアドバイスされたら、とにかくやってみることだ。例え君が心のなかではそれに同意していなくても。』
さすが一流になる人の返答は違うものだと感心しきりでした。短いインタビューでも立派な芸談にしてしまうのですね。アメリカの高校でやるディベートの授業では、例えばこの事項に対して君は賛成か・反対か、それでは右半分の席の君たちは賛成の側、左半分の席の君たちは賛成の側ということで議論をやってみようか。それでしばらく自由討論をやってみて、しばらくしたら今後は立場をチェンジして議論を行なう、そう云うことをやるのです。そうすると或る考え方にも、立場によって見え方が変わる、どの立場にもそれなりの理屈があると云うことが、感覚で分かって来るわけです。日本人の場合はそのような訓練が出来ていないので、議論と云うとしばしば相手の揚げ足取りか・重箱の隅を突く些末論義、「その言い方は何だ」という言葉尻の非難、あげくの果てには「お前にそんなことを云う資格はない」という人格攻撃になる、まあ大体そんなところですかねえ。このところの国会議論など見ているとまさにそれです。
ところでオペラ歌手の場合ですが、或る曲・役どころに対して彼自身もそれなりの見解・意見を持っているものです。しかし、実際に歌劇場で歌う時は、演出家あるいは指揮者あるいは共演者の解釈によって必ずしも自分の見解に沿わないことをやらねばならぬことがしばしばあります。世界の歌劇場を渡り歩けば、同じ役でも様々な解釈と付き合わねばなりません。その場合でも彼は結果を出さねばならないわけです。そこで自分の見解に固執していたのでは、良い結果は決して出せません。そういう時に学校でやったディベートの経験が必ず役に立つと、ファビアーノは言いたかったのだと吉之助は理解します。演出家や指揮者のアドバイスに沿って「とにかくやってみる」と、そこから自分が予想も付かなかった果実を得る場合がある、これが実に堪らない感動体験なのです。だから自分の見解に固執していたのでは、自己の成長はあり得ないと云うことです。
つまり「形から入る」、そこから何かを得ることだって出来ると云うことなのです。これで吉之助が何を言いたいかお分かりになったでしょうが、歌舞伎の「型」のことです。「型」と云うと、何かと「やらされている」感覚がつのる、自分の意志で演技するのでなく「無理にさせられている」ぎこちない感覚がつのる、そう云うことが現代に生きる歌舞伎役者には多いのだろうと思います。これは現代に生きているからこそそうならざるを得ないと云うことかも知れませんが、見方を替えてみると、これは「形から入る」ということの意味、とにかくやってみて・そこから型の心をつかむと云うプロセスの意味を、現代の歌舞伎役者はあまり分かっていないのだなあ、ファビアーノのような世界の歌劇場を渡り歩く一流オペラ歌手と比べると、ずいぶん甘っちょろいことだなあとも思うわけです。「形から入る」と云うことにもっと厳密さを求めるように自らを戒める必要があるようです。古典歌舞伎の舞台を見て、そう云うことを考えることがこのところとみに多くなりました。
(R2・2・2)