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「いつも変わらぬ美しさ」〜竹原はんの地唄舞「雪」について


先日必要があって地唄舞のことを調べていて手持ちの映像を浚(さら)って見たのですが、そのなかに竹原はんの「雪」(云わずと知れた伝説の名品)を扱った番組(随分前に放送されたものです)がありました。その番組では、竹原はんが59歳の時の「雪」と・70歳の時の「雪」の映像を比較して、解説者のお二人が「比べても・どこがどう違うか分からないほど・変わってませんね、とても70歳とは思えません」、「美しさが変わらない、年齢が分からないというところに彼女はこだわったんじゃないですか」という会話をやっていたので、ハア?と思って聞きました。美と云うものにこだわって・お客さんの期待に応えられるように・以前と変わらず自分を美しく見せる・・・それが「芸」なんだと云うようなことを仰ってましたね。ハア「芸」というのはそう云うものなんですか?仰りたいことは分からぬこともないですけど、この解説を竹原はんが聞いたら、さぞガッカリするだろなあと思いました。

59歳ならば・59歳の時なりのベストの「雪」を、70歳ならば・70歳の時なりのベストの「雪」を見せるのが、「芸」というものだと思います。もし70歳の「雪」が59歳の「雪」とホントに全然変わってないならば、それは「進歩がない」と云うことです。だから「ふたつ比べても全然変わらぬ美しさです」なんて云う言葉は、言ってる方は誉め言葉のつもりで言っていることは分かりますけど、言われたご本人(竹原はん)はガッカリすると思います。それはお客が70歳現在の自分の「芸」を見てくれていないということだからです。

70歳となれば、当然壮年期とは違って同じ形を取るのがキツいこともあるでしょう。容色が衰えると云うことも、確かにあると思います。そこはハンデであるかも知れないが、代わりに歳を経て違う・成熟したものが、70歳でなければ出せないものが、育まれたはずです。それが舞台に現れないのならば、70歳になって・同じ「雪」を舞う意味がないのです。竹原はんほどの人が、そのことを分かっていないはずがありません。

ですから舞台を見る時は、59歳の「雪」から70歳の「雪」へ、竹原はんの何が変わったかを見なければなりません。変わっていないように見えても、何か変わっているのです。それはホンの些細な違いかも知れません。言葉にしてしまうほどでもない・些細な違いかも知れませんが、そこに舞踊家竹原はんの「生き様」が現れるということです。そこを味わねば。ひとりの芸術家を経時的に追って行くということにはそういう意味がありますのでね。生き様を味わうということになれば、或る意味これは演じる者と・見る者との「勝負」ということになると思います。

イヤ別にそう云う疲れる見方だけが「正しい」わけではありませんよ。いろんな愉しみ方があるのです。ただ、長く芝居を見たり音楽を聴いたりしていれば、或るひとりの芸術家の生き様が、自分の生き様と交錯したように感じる瞬間が来るかも知れません。その瞬間をしっかり掴むために、常に用意をしておいて欲しいとは思いますね。

(R3・5・22)




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