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ムラヴィンスキーの録音(1980年代)


○1980年8月14日ライヴ-1

チャイコフスキー:交響曲第5番

レニングラード・フィルハーモニー交響楽
(レニングラード・フィルハーモニー・ホール)

これは名演。一般によく言われるチャイコフスキーのセンチメンタリズムとはまったく無縁の・表現に甘さのない厳しい表現です。緊張感のある表現で、全楽章が「運命」の主題を中心にした交響詩的な密度を保っています。特に第1・2楽章が優れていると感じます。オケのやや暗めの響きがロシア的な重い雰囲気を感じさせます。弦の響きは芯があるなかにもたっぷりとして、メロディーはシャープな線だが、よく歌い込まれていると感じます。この2つの楽章につながるからこそ、一種の息抜きとしての第3楽章・ワルツが生きるのです。第4楽章でのレニングラード・フィルの威力は言うまでもありません。重量感あり・リズムに推進力を持たせながらも、決して威圧的な表現になっていません。チャイコフスキーの後期3大交響曲では、この第5番が やはりムラヴィンスキーの体質に最も似合っているようです。


○1980年8月14日ライヴー2

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

レニングラード・フィルハーモニー交響楽
(レニングラード・フィルハーモニー・ホール)

ロシア情緒などというものを期待していたら大間違いで、甘い感情に溺れることのない・剛直なチャイコフスキーです。ある意味でトスカニーニの解釈に通じるところがあるようです。しかし、トスカニーニ がチャイコフスキーのセンチメンタルな部分に意識的に背を向けて曲を冷静に見つめる姿勢を崩さないのに対し、ムラヴィンスキーは情熱的な部分に対して爆発的とも言えるような激しい反応を示します。 第1楽章でオケの全奏は凄まじく、また第3楽章の行進曲などまさに怒涛のロシアの重戦車の行進のような重量感です。第1楽章冒頭はロシアの厳しい自然を思わせるような重苦しい響きです。それだけに甘い第2楽章が希望の光のように響きます。第4楽章も暗い響きですが、そこで表現されているものは絶望や諦めでもなく・もっと突き放したような厳しさを感じます。全体を通して聴くと、冷静な部分と比べて激しい反応がやや唐突で・アンバランスな感じがして、ライブ感ある演奏に聴衆が興奮するのも分かりますが、もうすこし制御が必要のように思われました。


○1980年8月19日ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第4番

レニングラード・フィルハーモニー交響楽
(レニングラード・フィルハーモニー・ホール)

情熱の塊を聴衆に叩きつけるとうな激しさを持った演奏で、曲のイメージが変わってしまうようなショックを受けました。ムラヴィンスキーは第5番の演奏回数が圧倒的に多いようで第4番の演奏回数は少ないようですが、この曲はムラヴィンスキーの体質に一番合っているように思われます。その即興性はフルトヴェングラーに似通ったところがありますが、ムラヴィンスキーは激情に我を失うことなく・冷静に表現を制御しているのです。とにかく第1楽章が圧倒的に素晴らしいと思います。交響詩のように緊張感が張り詰めており、一筆描きで描き切ったような勢いがあります。ムラヴィンスキーの演奏からは作曲者がもがき苦しんでいる姿が見えるようです。第4楽章も早いテンポでたたみかけるような表現で、いわゆるロシア冗長やセンチメンタルんば要素など毛の先ほどもない激しい演奏です。もしかしたらこの激しさはこの曲の持つものとちょっと違うような気もしますが、実に説得力があります。中間2楽章も甘みを殺した演奏で、これでこそ激しい両端楽章が生きてきます。


○1983年5月26日ライヴ

ショスタコービッチ:交響曲第5番

レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
(レニングラード・フィルハーモニーホール)

この曲の初演者だけに非常に説得力のある名演奏を聴かせてくれます。無駄な部分をすべて削ぎ落としたような直線的で、過度に熱くなることのない・冷徹な眼をかんじさせる解釈です。第1楽章における不安感・あるいは恐怖感を震えるように鋭敏な感覚で表現しています。それまでの古典音楽の感覚からすると暴力的あるいはグロテスクとも言えるような衝撃的な音楽を、レニングラード・フィルの高弦は鋼鉄のように硬い音で旋律線をシャープに描き出していきます。第2楽章のアイロニカルな味わいを持ったスケルツオも面白いと思います。そのリズムの刻みに独特の感覚があります。第4楽章はかなり速めのテンポで始まり、後半にテンポを落としてやや大時代的な表現ではありますが圧倒的・かつ劇的なフィナーレを作り上げています。


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