カラヤンの録音(1986年1月〜6月)
1986年1月25日:フルトヴェングラー生誕100年記念コンサートを指揮。曲目はシューベルト:「未完成」、R.シュトラウス:「ドン・キホーテ」。
R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」
アントニオ・メネセス(チェロ独奏)
ヴォルフラム・クリスト(ヴィオラ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)カラヤン/ベルリン・フィルのR.シュトラウスが悪かろうはずがないですが、いつもながら感心させられるのは、オケの響きが透明で軽く・決して濁らず・抜けるように澄み切っていることです。この軽さはR.シュトラウスには必要な要件だと思います。カラヤンの語り口の巧さは相変わらずで、眼前に次々と展開していく情景の面白さにワクワクさせられます。メネセスのソロは達者に弾いていますが、オケのなかにぴったり納まっていて・ロストロポーボッチのように芸がぶつかり合うスリリングはないのは仕方のないところですが、その代わりに曲全体がカラヤンの手中に納まって・見事にコントロールされていて、「カラヤンのドン・キホーテ」としての完成度は高いように思われます。
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、フィルハーモニー・ホール、フルトヴェングラー生誕100年記念コンサート)早めのテンポでスッキリと仕上げた「未完成」ですが、この作品に秘められた巨大なスケールを念頭に置いた・ロマン性を感じされる演奏になっています。第1楽章にはこの曲の悲劇性を予感させるような厳しさが漂います。つづく第2楽章も早めのテンポですが、じつに深い表現です。両楽章ともに旋律の歌いまわしはスッキリとしているのですが、息の捉え方が深いので音楽が豊かに流れるのです。アタックを強くとらずに全体の流れをスムーズにしていることで、この曲の持つスケール感とロマン性をうまくバランスさせています。
R.シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」
アントニオ・メネセス(チェロ独奏)
ヴォルフラム・クリスト(ヴィオラ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、フィルハーモニー・ホール)ベルリン・フィルの響きは独特の透明さと軽さを持ち、その語り口の巧さ・描写力の巧さは実に見事なものです。次々と展開していく場面の変化は聴き手を飽きさせるところがまったくありません。メネセスはよく頑張っていますが、コンチェルト的にソロとオケがぶつかり合うといよりも、ソロがオケに組み込まれたような印象を受けます。その分カラヤンの個性が前面に出た感じです。
ラヴェル:スペイン狂詩曲
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、フィルハーモニー・ホール)ベルリン・フィルにフランスのオケのような響きの明るさがないのは当然ですが、逆にカラヤンはオケの暗めの色彩を生かしていると思います。「夜の前奏曲」でのちょっとけだるいムードも・フランスのおけとはちょっと違う面白さです。「マラゲーニャ」のリズムもちょっと重めながら・迫力があって、表現は重めでもまぎれもないスペインの雰囲気が立ち上ります。
ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、フィルハーモニー・ホール)表現の細部まで神経が行き届いていて・旋律がしっとりとして柔らかい感じで、実に典雅な演奏であると思います。ベルリン・フィルの弦の響きが魅力的です。しかし、ロマンティックという感じとも違って・ハイドンの交響曲のフォルムはしっかり守られていると感じます。モダンオーケストラのハイドンとしては理想的なフォルムだと思います。響きが重くならず、リズムがしっかり打ち込まれているので・安心して聴けます。特に素晴らしいと思うのは第2楽章で、ゆったりしたテンポのなかに音楽する喜びがほんのりと感じられます。第3楽章の舞曲風リズムも重くならず・実に優雅そのものなのです。
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、フィルハーモニー・ホール)テンポは決して遅くなく・ムーディで甘い幹事にもなっておらず・むしろあっさりと淡々とした処理のように思われますが、それだけに曲の旋律が持つ叙情性や甘さが自然に滲み出てくるという感じです。ベルリン・フィルのふっくらとして暖かく・柔らか味のある響きを聴かせ、オケ全体がしっとりとした潤いを感じさせる響きで実に魅力的です。
ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、フィルハーモニー・ホール)カラヤンの得意曲でもあり・「キエフの大門」のようなドラマチックな曲が素晴らしいのはいつものことですが、今回は前半が特に気に入りました。印象的なのは絵のなかの情景が動き出すように思えるほど動的な印象があること、つまり音のドラマが感じられることです。作曲のインスピレーションがこれほど生き生きとスリリングに感じられる演奏も少ないように思えます。すべての旋律、音符が生き生きと飛び跳ねるように感じられます。もちろんカラヤンの語り口の巧さということもありますが、ベルリン・フィルの的確な表現力に脱帽です。
モーツアルト:レクイエム
アンナ・トモワ・シントウ(ソプラノ)
ヘルガ・ミュラー・モリナーリ(アルト)
ヴィンソン・コール(テノール)
パータ・ブルチュラーゼ(バス)
ウィーン音友協会合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)モーツアルトの繊細な神経の震えが伝わってくるような見事な演奏だと思います。各曲のテンポ設定が適切で・特にテンポの早い部分においてモーツアルトの死への慄きが感じられます。ウィーン・フィルの響きも柔らかで、合唱団も力演だと思います。フォルムの締め付けが緩められて・旋律への息遣いが感じられる点も晩年のカラヤンのモーツアルト解釈の変化かと思います。
○1986年6月−1
ブラームス:交響曲第2番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・フィルハーモニー・ホール、DGスタジオ録音)壮年期(60年代)のカラヤンとは趣が異なり、内に秘められて力を外に向けて開放する方向に表現意欲が向かっています。全体にゆったりした自然体の感じがあり、造形に余裕と大きさが生まれています。また響きを豊かにとった録音のせいもある気がしますが、響きにある種の色気と艶やかさがあります。こういう響きがブラームスらしくないとして好まない向きもありそうですが、聴いていると不思議な内面的な暖かさ・豊かさを感じさせるのです。叙情的な第2番はもとよりカラヤンの体質に合った曲なので・悪かろうはずはないですが、60年代の演奏と比べるとテンポは遅めに感じられます。第1楽章や第2楽章ではゆったりした流れのなかで息深い旋律の歌い上げが実に味わい深いと思います。特に静かな場面において深みが素晴らしいと思います。その一方で第4楽章ではリズムの推進力を前面に出してベルリン・フィルのぶ厚い響きがよく生きています。
R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・フィルハーモニー・ホール、DGスタジオ録音)カラヤンの巧みな語り口が楽しめます。ベルリン・フィルの響きが明るく透明で、メルヒェン的な軽い味わいが感じられ、オケのダイナミックな動きも決して重さを感じさせることなく・洒落たユーモアもサラリと処理されて、聴いた後の後味がとても良いと思います。極上のお話しを聴いたような感じがします。