カラヤンの録音(1982年7月〜12月)
ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」
ジュゼッペ・ダデイ(ファルスタッフ)、ローランド・パネライ(フォード)、フランシスコ・アライサ(フェントン)、ライナ・カヴァイヴァンスカ(フォード夫人)、ジャネット・ペリー(ナネッタ)、クリスタ・ルートヴィヒ(クリックリー夫人)、トゥルドリーゼ・シュミット(ペイジ夫人)他
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場、ヘルベルト・フォン・カラヤン演出)歌手揃いのなかでも、タデイのファルスタッフとルートヴィッヒのクックリー夫人の歌唱・演技の上手さが際立っています。カヴァイヴァンスカ(アリーチェ)も美しい歌唱を聴かせますし、アライサ(フェントン)とペリー(ナネッタ)の若いカップルもとても新鮮です。重唱・アンサンブルも素晴らしく、楽しい舞台に仕上がりました。カラヤン指揮は、歌手の声をかき消すとことなく、生き生きしたリズムが魅力的で、要所をしっかり締める見事な語り口です。演出もカラヤンですが、写実の分かりやすい舞台で、細かいところに配慮が行き届いてなかなか見せます。
マーラー:交響曲第9番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)テンポはやや早めで、旋律線は直線的で力強く、しかし息深く歌われています。このあと9月30日のベルリンでのライヴと基本的な解釈は同じですが、ザルツブルクの方が表現ガ抑制されており・古典的な佇まいであるように思えます。テンポ設計がしっかりと行われており、マーラーの狂騒や感情の爆発でさえ・音楽の流れを断ち切るものではなく、その論理的な流れのなかにしっかりと位置付けられていくような視点を感じさせます。特に第1楽章は名演であると思います。思いのほかにスッキリした音楽作りですが、透明な感情が浮かび上がってくるような気がします。そのなかに美の到達したところでの感性のきしみのようなものを正確に写し取るのがカラヤンの真骨頂だと思います。マーラーでのこういう危うい感覚はカラヤン以外では感じられないように思います。第2・第3楽章でのオケのグロテスクでダイナミックでは動きではベルリン・フィルの機動性が光ります。第4楽章アダージェットも清玲な美しさで・ベルリン・フィルの艶やかな弦が素晴らしいと思います。
チャイコフスキー:幻想序曲「ロミオとジュリエット」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)冒頭部はベルリン・フィルの弦のピアニシモが素晴らしく・細密画を想わせるような・デリケートな表現ですが、展開部に入ると一転して・オケの迫力が凄まじく・ダイナミクスの幅がとても大きい表現になっています。これはスタジオ録音の響きの作り方のせいもありそうな気がしますが、若干響きのディテールにいささかこだわりすぎで・音楽の流れが停滞した感じがちょっとします。響きは磨き抜かれて・カラヤンの得意曲だけに細部の表現に申し分はないのですが、そこは評価の分かれるところかも知れません。
チャイコフスキー:バレエ組曲「くるみ割り人形」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)オケは色彩的・かつダイナミックで、各曲の個性を見事に描き分け・コンサートピースとして申し分ない出来だと思います。響きは磨き上げられて細部の表現が精妙そのもの。小序曲はリズムが軽やかで・メルヒェンの世界に自然に引き込まれます。リズムが軽やかなので、行進曲や「トレパーク」でもオケの動きが決して重くなりません。「花のワルツ」はスケール大きく・華麗でダイナミックな仕上がりです。
マーラー:交響曲第9番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・フィルハーモニー・ホール、ベルリン芸術週間)息を大きく取った旋律が実に深く息づいています。テンポは遅いわけではなく・むしろスッキリと速めなのですが、息が深くとれているので速く感じないのです。表現の振幅が大きく、情感に満ちた名演であると思います。ベルリン・フィルの弦は艶やかで柔らかく、木管もニュアンスたっぷりで魅力的です。カラヤンのマーラーは発作的に爆発するようなマーラーではなく、むしろ論理的に整理され・古典的な佇まいさえ 感じさせます。狂騒でさえもしっかりとした流れのなかに捉えられています。情感が決して粘ることなく・スッキリと浄化されていくが如くです。過去のロマン主義からの視点でとらえた演奏ではなく、美しい響きのなかに引き裂かれた感性の歪みが聞こえてきます。これこそマーラーであると思います。カラヤンの凄いのは楽譜から、そうした未来への音楽の方向性を完全に読み取っていることです。第1楽章や第9楽章の弦の情感ある流れがうまいのはカラヤンならではですが、そこから時折のぞく黒々とした裂け目がマーラーなのです。しかし、それが生きるのも第2楽章や第3楽章の虚無的なリズムやオーケストラの重層的な動きが見事であるからです。四つの楽章が有機的に結びついているのです。死への諦観というような文学的情感よりも、もっと純粋に音のドラマになっているという気がするのはカラヤンの楽譜の読みによるものだと思います。
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)テンポを早めにとって・スマートな流れを作っているのは・いつものカラヤンの解釈だと思いますが、残響を多めに取り込んだ感じの録音は若干好みのある所かも知れません。第1楽章は絵画的な印象を受けます。淡い色彩が煌めくように聞こえます。どこまでも流麗で・響きは磨かれており、旋律は伸びやかに歌われて・幸福な気分に満ち満ちています。第2楽章が全体のバランスからみるとちょっとテンポが早過ぎの感じにも聞こえるのがちょっと残念ですが、後半の3〜5楽章は素晴らしいと思います。刻々と変化する情景が精妙に描写されています。後半もテンポは早めなのですが、それが返って表現の密度を増しているようにさえ感じます。第5楽章は自然への感謝の気分がさわやかに描かれています。