カラヤンの録音(1975年7〜12月)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、英EMI・スタジオ録音)数あるこの曲の名演奏のなかでも・叙情性と透明感で際立った演奏だと思います。まずワイセンベルクのピアノは音の粒が揃っていて、キラキラと煌めくようで・旋律が玉を転がすように優美で美しいと思います。特に第1楽章は心が洗われるような清々しさがあります。これをサポートするベルリン・フィルがこれまた響きに透明感と軽やかさがあって、スポット・ライトの光のなかにピアノを浮き上がらせるように感じさせます。弦の響きが実に繊細で、威圧的なところがまったくなく、特に弱音の美しさをよく生かしていると思います。このコンビでのモーツアルトが聞きたかったと心底思わせる美しさです。もちろんこの曲は優美さだけが信条ではないですが、しっかりとテンポを守って・形式感を凝縮させているからこそ湧き上がってくる叙情性なのです。第2楽章は後半のピアノニシモが消え入るようで・まさにカラヤン美学の極地という感じがしますが、これは聴き手の好みを分けるところかも知れません。第3楽章も第1楽章と同じことが言えますが、リズムを前面に出しながらも・オケを威圧的にせず・手堅く締めくくります。
ブルックナー:交響曲第9番(原典版)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)テンポはやや早めの部類かも知れませんが、基本はインテンポなのですが・微妙にテンポを伸縮させており・それが実に自然で・作為的な印象を与えません。造形は引き締まっていますが、強靭なベルリン・フィルの金管の響きが素晴らしく、眼前に展開していく光景が実にスリリングです。全盛期のカラヤン/ベルリン・フィルだけに可能な壮麗な表現です。 特に第1楽章はしっかりと重い位置付けを以って捉えられています。息深くスケールの大きい表現で、この第1楽章に対比される感じで第3楽章が生きてきます。3楽章の交響曲のとての完結性が自然に感じられるのは納得できる解釈です。第2楽章は荒々しいリズムの饗宴で、ベルリン・フィルの機能性が遺憾なく発揮されています。第3楽章は一転してテンポをゆったり取った・宗教的な感動を秘めた息深い表現です。ここではベルリン・フィルの弦の深い響きが印象に残ります。
○1975年9月26日・29日、1976年5月28日
ブルックナー:テ・デウム
アンナ・トモワ・シントウ(S),アグネス・バルツァ(A)
ペーター・シュライヤー(T),ヨセ・ファン・ダム(B)
ルドルフ・シュルツ(オルガン)
ウィーン楽友協会合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)カラヤンのブルックナーの交響曲はどれも足取りが確かで・スケールの大きさと気品を感じさせますが、この「テ・デウム」でも声楽陣の扱いの巧さも合わさって・宗教的な高みを感じさせる素晴らしい演奏に仕上がっています。テンポはむしろ速めにさえ感じますが、響きの明晰さが爽やかに感じられます。独唱陣も声質が明るめの歌手をそろえており、ベルリン・フィルと渾然一体となって・晴れ渡るアルプスの峰々を見るが如きです。
チャイコフスキー:交響曲第5番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)全盛期のベルリン・フィルとの録音であるから悪かろうはずはありませんが、今回改めて聴いて感じるのは、ベルリン・フィルは確かに色彩感豊かですが・やはりドイツのオケらしいちょっと暗めの音色であって、それがこの曲にしっとりとした陰影を与えているということです。第1楽章冒頭は遅めのテンポで、しっかりした流れのなかにメランコリックな雰囲気を醸しだしています。圧巻は第2楽章で遅いテンポであるにも関わらずまったく緊張感が途切れません。金管の豊かでたっぷりした響きに深い感動に誘われます。さらに第3楽章のさりげなさ。軽いというのではなく、この第3楽章あるからこそ次の楽章が生きてくるという感じです。全曲を通じてのテンポ設定のバランスが絶妙であると思います。
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番
ラザール・ベルマン(ピアノ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、独グラモフォン・スタジオ録音)特別に遅いテンポというわけではありませんが、じっくりとイン・テンポで細部を丁寧に描き込んでいるために・たっぷりした量感があって、そのスケールの大きさが比類がありません。この録音はロシアのピアニスト・ベルマンの西欧デビューで、稀代のテク二シャンとして宣伝されての登場だっただけに大いに期待されましたが、チャイコフスキーのこの曲が彼の美点を知る上で適した曲なのかはよく分かりません。確かに音色は硬質で透明なクリスタルな響きが魅力的で、テクニックも十分です。しかし、この演奏ではカラヤンの作り出す大きな枠の中に納まって・おとなしくしている熊みたいな印象があって、何か仕出かしてくれそうな迫力というものはあまり感じられません。かつてカラヤンがリヒテルと四つに組んでの名演とは違って、カラヤンの一人相撲の印象があります。オーケストラの面で見れば、これはこれ以上は磨きようがないくらいの出来栄えです。しかし、耽美的で・独特なぬめりを持つような滑らかさはかなりカラヤン臭が強・くて、曲本来の感触からは若干遠いような気がします。第1楽章はその意味で細部にこだわりすぎで冗長の感はまぬがれません。しかし、第2楽章の夜想曲の神秘的とも言える静けさは美しさの限りです。第3楽章はテンポをゆったりととって・最後まで堂々とイン・テンポで押し通す・まさしく巨匠の芸です。