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カラヤンの録音(1973年1月〜6月)

1973年6月:ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭を開催。


1973年2月13日・14日

R・シュトラウス:四つの最後の歌

グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ独唱)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・イエス・キリスト教会、DGスタジオ録音)

これは名演。R・シュトラウスの最晩年の諦観に満ちた心境をしみじみと歌い上げています。ヤノヴィッツの歌唱が透明感があって素晴らしく、実に魅力的。R・シュトラウスの女声歌曲の特徴である高音の美しさを 伸びやかに自然に響かせている。特に第3曲「眠りに」はそのじみじみとした情感が例えようもなく美しいと思います。加えてカラヤンのサポートがこれまた素晴らしい。スケール大きく、歌い手をやわらかく包み込むように支えて、ふんわりと至高の世界に持ち上げ られていくような感覚にさせられます。これこそR・シュトラウスです。この演奏には何とも言えない清々しさと安らぎが感じられます。


○1973年2月13日・14日・16日ー2

マーラー:交響曲第5番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン・イエス・キリスト教会、DGスタジオ録音)

これは名演。数多いマーラーの名演奏のなかでもひときわ抜きん出た個性を放つものと位置付けられると思います。それまでのマーラー演奏はマーラーの分裂的な性格を強調して、聖なるものと俗なるものの混在と言うか・音楽的に見れば静と騒が交錯 するイメージであって、はっきり言うと「うるさいマーラー」でした。それと違ってカラヤンの場合は、「うるさくないマーラー」なのです。カラヤンは、マーラーの世紀末的な性格を、健康的なリリシスト・ロマンティストとしてのマーラーの心の中の歪み、安定したリリシズムのなかに自分の音楽が安住し得ないという不安として理解しているように思われます。

例えば、第4楽章・アダージェットはベルリン・フィルの高弦の震えるように繊細な響きは大変に美しく、これは他の指揮者には真似のできないものです。そのやるせないほどの感情の高まりのなかに潜む、調性の崩壊への兆し・感性の歪み・あるいは軋みのようなものをカラヤンは見事に表現しています。このような不安を打ち消すためにマーラーは、第5楽章で意識的に自分を卑下して見せねばならないのです。この巨大な交響曲の第3部(第4〜5楽章)の位置をカラヤンは正確に見ていると思います。

この第3部が圧巻であるのは疑いありませんが、もちろん前の楽章も優れています。ベルリン・フィルは実に素晴らしく金管は必要以上にがなり立てることがありません。、ともすれば圧倒的な音響のなかでかき消されてしまいそうな叙情的な繊細な感情を描き出して、「叙情的なマーラー」を可能にしています。


〇1973年5月ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第5番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、ユニテル映像)

カラヤンの得意曲であり、全体のテンポ設定が行き届いて四つの楽章の連関が取れているのはもちろんですが、コンサート形式の映像収録と云うこともあって、より熱気がある演奏に仕上がっているようです。特に前半の2楽章が緊張感があって、メランコリックな味わいが深い仕上がりになっています。第1楽章はテンポに幅を持たせて旋律が息長く歌われて、スケールが大きく素晴らしい出来です。第2楽章はゆったりしたテンポに乗った金管の深い響きが心に残ります。この前半の重めの味わいから後半は軽みのあるワルツ・勇壮な行進曲へとつながりますが、ここで前半の重さが生きて来ます。ベルリン・フィルの弦のちょっと暗めで重い響きが曲のイメージによく似あいます。最終楽章は重めのリズムで堂々と締めます。


 

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