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フルトヴェングラーの録音(1942年)


○1942年2月15日または17日ライヴ

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

前半の表現はまっとうだと思いますが、後半の乗りが凄いのには驚かされます。テンポがだんだん早くなっていって、旋律が熱狂的に振り回されるが如くです。その官能の表現は熱く ・「トリスタンとイゾルデ」の愛の死の場面さえ想い起こさせます。前半と後半の対照が面白いと言えますし、狂熱の後だけにフィナーレの寂寥感が際立つとも言えそうです。とにかくライヴならではの表現で、フルトヴェングラー・ファンにはこたえられない演奏であろうと思います。ベルリン・フィルはフル トヴェングラーの強引とも言える棒さばきに見事についているのにも驚嘆させられます。しかし、その一方でやや興にまかせた表現という感じがするのも事実です。


○1942年2月15日または17日ライヴ−2

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

録音状態が悪く・低音がこもりがちです。また旧フィルハーモニー・ホールの残響が長めなのか、低弦とティンパニが全奏では音がダンゴ状態になります。もっともこれがフルトヴェングラーの神秘的な重々しいイメージ造りに大いに役立っていることもあるでしょう。それにしてもベルリン・フィルの低弦セクションは威力があります。これがこの演奏の重量感をぐんと高めているのです。録音のせいだと思いますが、第1楽章冒頭の木管と弦のからみあいは・さながら天上の声と地底の精霊との掛け合いの如くであり、「ファウスト的世界」のようにも思われます。そんなことを考えさせるのもフルトヴェングラーゆえと言えるかも知れません。第1楽章展開部へのテンポの変化はちょっと作為掛かっていますが、効果的であるのは疑いありません。表現が自在であり・実に説得力があります。むしろ、引っかかるのは第2楽章の表現です。シューベルトの緩徐楽章のなかでも傑作であるこの楽章は、この曲のバランスの要に置かれるべきものと思いますが、フルトヴェングラーの表現はアタックが強過ぎて威圧的に思われます。もう少し安らぎのある表現を求めたいと思います。第4楽章は曲がもともと聴き手の興奮を誘うような圧倒的なものであるので当然ですが、楽員が目の色を変えてフルトヴェングラーの棒に食いついていくのが目に見えるようです。しかもこのテンポでリズムが崩れず音を鳴らしきっているのには驚嘆させられます。しかし、ここでのフルトヴェングラーの棒は興にまかせてテンポを揺り動かしてちょっと強引な感じがしなくもありません。逆に言えば、それだけ迫力があってライヴ感覚横溢で・ファンにはこたえられないものでありましょう。


○1942年3月1日または3日ライヴー1

シューマン:ピアノ協奏曲

ワルター・ギーゼキング(ピアノ独奏)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

濃厚なロマン性を感じさせる好演だと思います。まずギーゼキングのピアノですが、テンポをしっかり取って・音楽のフォルムがしっかりしているので安心して聴けます。フルトヴェングラーの作り出すオケの暗めの濃厚な背景のなかで、ギーゼキングのピアノがくっきりと浮かび上がるような印象です。フルトヴェングラーの指揮はあまりテンポを揺らさず・端正な音楽作りがギーゼキングにマッチしており、控え目なのが好ましいと思います。それでいて濃厚かつメランコリックな雰囲気が自然と立ち上ってくるのが素晴らしいと思います。


○1942年3月1日または3日ライヴ−2

ベートーヴェン:交響曲第7番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

重量感のあるドイツ的表現の名演です。第1楽章前半のリズムは重くて、リズムで聴き手を興奮させようと言うよりは、意識的に表現のベクトルを内に向けることで曲の重量感を高めているとでも言えましょうか。低弦の力強い響きがそのドイツ的印象をさらに強くします。息のタメが実に大きく、いかにもフルトヴェングラーらしい凄みを感じます。この緊張感ある第1楽章は素晴らしいと思います。第3楽章からはテンポに自在さを与えたディオ二ソッス的表現になってきます。曲前半で抑え込んできたものを一気に開放しようとでも言うかのように、第4楽章ではフルトヴェングラーの棒のもとベルリン・フィルが熱狂的な演奏を展開しています。


○1942年3月22日または24日、または4月19日

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

ティラ・ブリーム(S)/エリザベート・ヘンゲン(A)
ペーター・アンダース(T)/ルドルフ・ワッケ(B)
ブルーノ・キッテル合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

フルトヴェングラーの第9には特別の雰囲気があります。ベルリン・フィルの低音が効いた・渋い響きがまことにドイツ的です。低音がダンゴになる粗悪な録音でかえってイメージが増幅される感じがあるようです。第1楽章や第4楽章の冒頭部は情念の塊りのような響きがします。第1楽章はその原始霧のなかから雷のような世界が創出する感じがあり・まことに壮大です。しかし、第2楽章は予想外にリズムが軽く、あっさりとして拍子抜けします。第3楽章は内省的な表現と言えるかも知れませんが、前半のテンポは遅過ぎて・音楽がもたれている感じがします。以上中間楽章がバランスが悪いように思われます。第4楽章前半はフルトヴェングラーらしいスケールの大きい表現。しかし、中間部・行進曲のあたりからテンポが異様に早くなって、リズムが前のめりになって・音楽が軽くなっていきます。こういうところを押さえ効かないのがフルトヴェングラーらしいところかなと思います。終結部の早いテンポは唐突に感じられます。


○1942年10月25日または28日ライヴ

ブルックナー:交響曲第5番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

51年ウィーン・フィルとの演奏と比較すると、このベルリン・フィルとの演奏の方が音色が暗めで重量感を感じさせます。しかし、造形の細やかさでは51年の方が勝っている印象です。テンポの伸縮が大胆で・ジェットコースター的な感覚があって・テンポが早くなるとリズムが前のめりになる感じがあり、時に粗野に思えるほどの荒々しさにハッとさせられる瞬間がありますが、やればやるほどブルックナーから離れる感じがします。終楽章フィナーレなどまるでワーグナーです。まあ、それもブルックナーのある断面を示しているという気もしますが、取りこぼしたものは結構大きいような感じです。全体としてはこの交響曲の巨大な構成を十分掌握し切っていない印象を受けます。ベルリン・フィルの金管は渋い響きで聴かせますが、弦の表情はやや単調のように思えます。


○1942年11月8日または9日ライヴ

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番

エドウィン・フィッシャー(ピアノ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、旧ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

フィッシャーのピアノが素晴らしいと思います。打鍵の強い・渋い響きはまさにブラームスという感じがします。創り出す音楽の骨格が太く、じっくりと足を大地に踏みしめている音楽作りだと感じます。演奏をリードしているのは明らかにフィッシャーです。フルトヴェングラーはフィッシャーのピアノによくあわせています。ベルリン・フィルの重厚で温かい響きも魅力的です。フルトヴェングラーは交響曲の時には激してテンポを揺らして・しばしばブラームスの形式感を崩しますが、ここではピアノ独奏をしっかりとサポートすることに徹しているのが良いと思います。ここではピアノとオケが火花を散らすというよりは、渾然一体となっています。音楽がじっくりと発酵して発するような熱気を感じます。だからこのピアノ付き交響曲の持つスケールの大きさが自然な感じで出ています。


 

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