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チェリビダッケの録音


○1973年12月ライヴ

ラヴェル:道化師の朝の歌

シュトゥットガルト放送交響楽団
(ニュルンベルク、ライヴ)

オケがラヴェルの音楽によくマッチした軽やかで・明るく透明な響きで、チェリビダッケのリズム処理が絶妙です。リズムがよく斬れて・表情が生き生きしており、決して派手派手しさはないのですが、見事な出来栄えです。


○1974年3月8日ライヴ

ラヴェル:バレエ組曲「ダフニスとクロエ」第2組曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

テンポは心持ち遅めですが、雰囲気が素晴らしい。響きが繊細かつ透明で柔らかく、香り立つように管居られます。ラテン的な直接光的な明晰さよりも、淡い間接光的な明るさなのも・このテンポでは効果的に思われます。特に「夜明け」・「パントマイム」でのニュアンス豊かな木管の扱いが素晴らしいと思います。響きの色彩感よりも、旋律線を大事にした扱いで、とても聴きやすいと思います。若干甘めでロマンティックに過ぎるという批判もありそうですが、とにかく前半は実に魅力的です。「全員の踊り」もリズムが斬れていてダイナミックです。


○1974年3月23日ライヴ

ブラームス:交響曲第4番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(ヴィースバーデン、ライヴ)

リズムの彫りが浅くて・曲の彫りが平板であると感じられます。ブラームスの重層的な構造が表現できておらず・線で描こうとしているのでしょうが、その線が細いので・ひどく痩せた音楽に聴こえます。これはチェリビダッケのブラームスに共通して言えると思います。第1楽章は表現が上滑りして・サラサラ流れるようで、ブラームスの濃厚なロマンティシムズを感じさせてくれません。響きは透明で軽くて・それ自体は美しく、あるいは清怜で叙情的なイメージを表現できるかと言う期待がなくもなかったのですが、根本的に音楽の捉え方が違っている感じです。特に第2楽章は表現に冴えがなくて・詰まらないと思います。第4楽章の中間部でテンポをグッと落として、響きに沈溺していき・音楽が停滞するのもいただけません。


○1975年4月11日ライヴ

ブラームス:交響曲第2番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

低音が弱く・響きに重量感がなくて・音楽の線が細いのはブラームスとしては不満に思います。良く言えば旋律主体ということでしょうが、悪く言えば響きが平板で・ブラームスの重層的構造を表現できていないと思えます。テンポは晩年ほど遅くはないので安心して聴けますが、リズムは一定ではなく・微妙に伸縮しています。そのせいかブラームスのフォルムを感じ取りにくいと思います。リズムが前面に出てくる両端楽章ではあまり気になりませんが、緩徐楽章においては旋律の歌いまわしが不自然に間延びした印象に聴こえます。特に第2楽章は耽美的と言うか・響きのねっとりした動きがまったくブラームスではなく・聴いていて眠くなりました。


○1975年6月1日ライヴ

ラヴェル:マ・メール・ロア

スイス・イタリア放送管弦楽団
(ルガノ)

チェリビダッケとフランス近代音楽との相性が良いのは、響きが透明で・音楽に水彩画的な感覚があるせいでしょうか。そのリズムは決して軽ろやかとは言えませんが、その感覚も不思議にラヴェルの音楽とマッチするようです。特に「パゴダの女王レドロネット」と「美女と野獣の対話」に独特の感覚が感じられます。スイス・イタリア放送管は技術的には決して十全ではないですが、チェリビダッケの意図を反映しようとよく頑張っています。


○1976年ライヴ−1

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

テンポが早くて・リズムの斬れで聞かせるシャープな表現です。旋律に思い入れを入れずに・直線的に斬り込んでいきます。これはオケの個性もあると思いますが・あまり低弦を強調しない行き方で、響きは硬質で冷たいクリスタルな感じです。そのせいか冒頭はややサラリとし過ぎの感じなくもなく、悲歌は早いテンポで拍子抜けするほどあっさりした感じです。しかし、全体としては曲が進むにつれて乗りが良くなっていき、終曲はかなり早いテンポでオケを追い込んで行って・ダイナミックに終わります。オケはチェリビダッケの棒によく喰い付いていて・白熱した演奏を展開しています。


○1976年ライヴ−2

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

テンポを遅めにして・旋律の歌い方は情感込めてじっくり歌う感じで旋律線を大事にした演奏ですが、予想以上に甘ったるく・ムード音楽のような感じに思われるのは意外。オケの響きが透明で明るく、低弦を効かせる感じではないので・軽やかに感じられます。香気を感じさせる印象派的な響きではなく、明るい陽光を感じさせ・どちらかと言えばラヴェル的な処理です。


○1976年3月12日ライヴ

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「妖精の口づけ」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

リズムが後半で若干重めの感じはありますが、色彩感もあって・オケのダイナミックな動きが楽しめます。前半はリズム処理の巧さが素晴らしく、特に第2曲「村祭り(スイス舞曲)」ではオケの木管・金管の輝かしさが見事です。


○1976年6月20日ライヴ

レスピーギ:交響詩「ローマの松」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

曲との相性がよいのか・ラテン的感性が感じられて、陽光に照らされたような・響きの抜けの良い演奏です。これも絵画的表現であると言えますが、輪郭がシャープで・冴えた造形です。中盤の涼しい表現も印象的です。オケの響きが透明で明るく、フィナーレのアッピア街道の松での金管の輝かしさは聴きものです。


○1976年6月21日・22日ライヴ

ムソルグスキー/ラヴェル編曲:組曲「展覧会の絵」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

この曲はチェリビダッケの得意曲で・多くの録音が残っていますが、全体にリズムが重い感じでは共通しており、基調となるテンポが晩年の演奏は遅くなっている以外の点では・解釈もあまり変化していないように思います。晩年の演奏と同様で・前半部分の出来がよく、後半の2曲「バーバ・ヤーガの小屋」と「キエフの大門」はリズムが重くて粘る感じがあり、スケール感が足りないと思います。もっと音楽に躍動感が欲しいと思います。前半の小曲群は各曲の正確をよく足描き分けています。オケの響きは若干軽めですが・その透明な色彩感をよく生かし、淡いタッチの水彩画的なイメージがあります。旋律がよく歌われており、チェリビダッケは微妙な色彩の扱いがうまいと感心します。


○1976年6月22日ライヴ−1

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

薄味のシュトラウスという感じです。テンポは意外に早めで、オケの響きが透明で軽く爽やかに感じられます。したがって、テンポが遅い叙情的な部分においては清冽な美しさを出して・独特なチェリビダッケ節です。しかし、テンポが速い狂騒的な部分においてはオケの動きが空回りしている感じで、情熱の熱さが感じられません。静と動の対照が際立たないのです。 残念ながらフィナーレの寂寥感はいまひとつです。


○1976年6月22日ライヴー2

ラヴェル:スペイン狂詩曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

チェリビダッケの響きに対する感覚の鋭さには感嘆させられます。高弦と木管のニュアンスが素晴らしいと思います。オケの響きは明るく、陽光に照らし出されたように明晰な感覚に満ち溢れており、これがラヴェルの音楽にマッチしています。特に素晴らしいのは響きの香りが匂い立つような第1曲「夜への前奏曲」と第3曲「ハバネラ」で、ここにチェリビダッケの響きへの感覚が生きています。色彩はむしろ淡い感じであり、決して派手さはないのですが、押さえるべきところはしっかり押さえた見事な出来栄えです。


○1976年10月21日ライヴ

ブラームス:交響曲第1番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(マンハイム、ライヴ)

晩年と違ってテンポが早めで、チェリビダッケの傾向として・響きに傾注して若干間延びする場面もありますが、この曲の場合はリズムが比較的前面に出るせいか・ブラームスの他の交響曲よりは聴きやすい感じです。ただし響きが透明と言うか・悪く言えば薄味で軽いので、音楽の線が細い感じで・レントゲン写真を見ているような感じがあり、そういう意味でやはり違和感がぬぐえません。全体にリズムの刻みが浅くて・表現が平板に感じられるのです。第2楽章は旋律がブルックナー的で・間延びする感じで・表現に冴えがなく・つまらなく思えます。第4楽章もテンポの緩急が大きく・印象が散漫です。


○1976年11月19日ライヴ

ブラームス:交響曲第3番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

叙情的な要素の強い第3番ではチェリビダッケの個性がマッチせず、ブラームスの音楽からますます遠ざかってしまった感があります。中間の第2・3楽章の旋律がねっとりと間延びして、響きの色にばかり注意が向いている感じで実に詰まらない。耽美的と言うか・リズムが間延びして・やればやるほどブラームスではないと思います。両端楽章はリズムが前面に出るのでまだしもですが、響きが軽くて・重量感が不足していて・物足りない出来です。


○1977年2月11日ライヴ

ドビュッシー:交響詩「海」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

ラヴェル的な線の強い演奏ですが、オケの明るく・透明な響きが魅力的で、明晰な感性を感じさせます。テンポはかなり緩急をつけていますが・曲想によく合っており・作為的な感じは全くなくて、場面にダイナミックな変化が感じられます。色彩の変化も面白く、全体の構成がしっかりして・聴き応えのある演奏に仕上がりました。特に第3部「海と波との対話」は造形の彫りが深く、素晴らしいと思います。


○1978年6月26日ライヴ

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1923年版)

シュトゥットガルト放送交響楽団
(テュービンゲン、ライヴ)

シュトゥットガルト放送響の響きは透明で明るく、リズムは若干重めに感じられる部分もあるが・全体に躍動感があり・見事な出来です。特に「火の鳥の踊り」ではそのリズム処理が面白く・幻想的な雰囲気を醸し出します。「カスチェィ一党の兇悪な踊り」やフォナーレにおいてはダイナミックなオケの動きで聞かせます。細やかな色彩の扱いが上手く、この辺にチェリビダッケの特質がよく出ています。


○1979年6月20日ライヴ

ブラームス:交響曲第3番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

テンポは意外と早めに始まり・キビキビして悪くないのですが、第1楽章中間部や第4楽章中間部ではテンポが遅くなり・音楽の意識が響きの調合の方へ傾き・流れが停滞してきます。響きが明るく透明なのも・この曲の場合にはそう相性は悪くないように感じられます。しかし、第2楽章ではやはり音楽が停滞する感じで、どうも全体の構成が見えてきません。第3楽章はテンポ速めであっさりした味付けです。


○1978年10月26日ライヴ

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

オケの響きは透明ですが・柔らかく暖かい感じで、ラテン的な涼しいラヴェルとはまた違った趣があります。旋律線を大事にした演奏で、香り立つような細部のニュアンスが素晴らしいと思います。特に木管の扱いが繊細で・タッチが柔らかくて印象的です。中間の2曲(フォルラーヌ、メヌエット)はテンポ遅めの設定ですが・実にロマンティックで、甘ったるくなる寸前の表現です。高弦の繊細な響き、旋律をいとおしむように奏でるニュアンスの急高さなど、この中間2曲の扱いが重要であると感じます。リズム処理も見事で、とても印象に残る演奏です。


○1979年11月8日ライヴ

R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

全体に感触がのっぺりして・平板な印象です。聴いている時にはそれほど感じませんが、聴き終わって・いまひとつ物足りない感じがします。表情の彫りが浅い感じなのです。響き自体は豊穣で美しいのですが・主旋律が浮かび上がってこないことに起因しているようです。表面的・音響的な美しさに耽溺しているような印象があります。リズムの打ちも甘い感じで・深みに乏しい気がします。曲の展開への設計を チェリビダッケが十分掴み切れていない気がします。絵画的な感触と言うか・動的な印象があまりなくて、愛の場面も・戦場の場面もそれぞれの場面が際立ってこないのです。


○1979年11月19日ライヴ

ラヴェル:ラ・ヴァルス

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

旋律線を大事にした演奏ですが、テンポが大きく伸縮して・作り方が作為的で、あまり感心できない解釈です。響きは透明で・柔らかで良いのですが、ラヴェルが書いたウィンナ・ワルツの幻想曲としての音楽に酔い切れていないようです。部分では確かに面白いところもありますが、全体が一貫し ていない感じです。


○1980年2月29日ライヴ

ドビュッシー:管弦楽のための映像〜第2曲「イベリア」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

第1曲「街の道と田舎の道」冒頭からしてみずみずしさに溢れています。オケの透明な音色がドビュッシーの音楽によくマッチしており、曲のすみずみまで見渡せるような・明晰でみずみずしい表現です。リズム感は精妙で、オケの軽やかな動きが涼しい響きを作り出します。木管の絶妙なニュアンスにチェリビダッケの響きに対するこだわりが感じられます。明るい陽光に照らしだされたような感覚が印象的です。


○1980年4月18日ライヴー1

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

ロンドン交響楽団
(東京、東京文化会館)

チェリビダッケお得意の曲ですが、絵画的・静的な表現であり・ドラマを感じにくい演奏です。派手に鳴らすのが良いとは言えませんが、ババ・ヤーガやキエフの大門はもっとドラマティックにできると思います。もちろん敢えてそうしないところにチェリビダッケの意図があるのでしょうが、全体に渋い表現なのです。。カタコンブなどでは遅いテンポが沈滞していくムードに拍車をかけるようで・音楽が重くなります。弱音の表現にもう少し工夫が欲しいと思います。ロンドン響は硬質で引き締まった響きで、チェリビダッケの棒によく付いていると思います。このコンビはなかなか相性が良いと思います。


○1980年4月18日ライヴー2

プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」〜タイボルトの死、
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第8番

ロンドン交響楽団
(東京、東京文化会館)

当日のアンコール2曲はいずれも素晴らしい出来です。プロコフィエフはその精緻なリズム処理が実に面白く、描写音楽的ではないにせよ、とても密度が高い演奏です。ロンドン響の引き締まった細身で硬質な響きが、この曲によく似合っています。ドヴォルザークも民族的というのではなく・純音楽的な表現ですが、中間部の透明な美しさと動的な部分での躍動感の対比が効いて・スケールが大きい表現であると思います。


○1980年10月16日ライヴ

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

各変奏の変化を楽しむ曲だけに・微視的に細部の構築にこだわるチェリビダッケの行き方はどうかと心配しましたが、各変奏ともにきっちり描き分けられていて、スケール感もあり・なかなかの出来。もう少し音楽に推進力が欲しいところもありますが、全体としてテンポ遅めで・茫洋として感覚はなかなか良いと思います。


○1980年11月15日ライヴ

ドビュッシー:夜想曲

シュトゥットガルト放送交響楽団・合唱団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

響きの色彩のブレンドに対する配慮が行き届いている演奏で、木管の響きがよく通る・明るく透明な響きが魅力的です。旋律線を大事にするチェリビダッケの行き方はドビュッシーよりラヴェルに合う感じであり、そのせいで「祭り」は相性が良く、リズムが斬れて・ダイナミックで良い出来に仕上がりました。一方、「雲」はテンポが遅くて・やや腰が重い感じがします。「シレーヌ」は合唱とオケとのバランスが良く、チェリビダッケの響きへのこだわりがよい方に作用しています。


○1981年2月ライヴ

プロコフィエフ:バレエ組曲「ロミオとジュリエット」からの三曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

オケの響きは冷たく冴えた透明な響きで・リズムが軽やかです。澄み切った叙情的表現が聴き物で、特に「ジュリエットの墓の前のロミオ」での清冽さと・弦のピアニシモの美しさは格別です。「タイボルトの死」でのオケのリズム処理も素晴らしいと思います。その色彩的かつ絵画的表現が、実に魅力的です。「少女ジュリエット」も透明で冷たく感じられるほどに神経が冴え切った表現です。オケの響きが磨き上げられている感じがします。


○1981年7月2日ライヴ

ブラームス:ドイツ・レクイエム

アイリーン・オージェ(ソプラノ)
フランツ・ゲリーセン(バリトン)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団・合唱団
(ミュンヘン、聖ルカ教会)

テンポが遅いのはいつものチェリビダッケ節。響きは汚れがなくて、透明で実に美しいと思います。特に合唱団はこの遅いテンポに付き合って・本当にご苦労さまという感じです。その集中力はたいしたものです。この合唱はなかなか素晴らしいと思います。ただし、このテンポではやはり音楽は持ちきれません。聴き終わって響きの美しさは耳に残っていますが、何を聴いたのかほとんど印象が残っていません。音楽が残らず・ただボワッとした印象だけが残る感じです。第1曲からその印象で・ダラダラと音楽が続く感じです。第2曲は比較的テンポが早く判じられて・このなかでは聞けます。第6曲は遅いテンポでスケール感はありますが、音楽にとにかく勢いがない。全体のフォルムへの意識が弱く、何が描きたいのかいまひとつ分かりません。どうもチェリビダッケはブラームスとの相性が良くないと思います。


○1982年ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第5番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

全体的にかなり遅いテンポですが、テンポの伸縮がかなり大きくて、遅いところは倍くらいの遅さ、早い場面ではまあ普通よりやや遅い程度のテンポになる場合もあるというちょっと風変わりな演奏です。問題はチェリビダッケがこういうテンポ設計をどういう意図でやっているかということですが、クライマックスに向けて力を溜めるために遅いというのでもなく、クライマックスの熱気を沈静化するために遅くなるというのでもなく、ただ何となくテンポが揺れているという感じに聴こえます。というのはリズムの揺れが曲想の変化にマッチする感じではなく、曲から距離を置いたところでコントロールされているような醒めた印象があるからです。第2楽章などかなり遅いテンポで・これを緊張を保ってそれなりに聴かせるのはオケもご苦労さんと言いたいところですが、どこか没入しきれない・表面的な音楽に聴こえます。中間2楽章が重めに設計されていることはそれなりに感じられますが、両端楽章のテンポの揺れが作為的に過ぎてあまり良い評価ができないというのが正直なところです。


○1982年2月18日ライヴ

R.コルサコフ:交響組曲「シェラザード」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

これはなかなかの好演です。テンポは意外に早めですが、この色彩豊かな曲を透明な響きで・明るく照らし出した感じです。オケのリズムも良く斬れていて、スッキリと爽やかなラテン的感性を感じさせて、その手触りの軽やかさが魅力的です。スケールの大きさはさほどでないのですが、明るい絵画的な面白さがあり・音楽が軽快そのものです。濃厚な民俗色を出すのではなく、淡彩の水彩画を見る趣です。したがって、旋律の歌い方に粘りはなく・サラリとした味わいが持ち味になっています。


○1982年11月11日ライヴ

R.シュトラウス:交響詩「死と変容」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

全体に絵画的表現と言うか・響きは確かに美しいのですが、聞いていて表現が平板で・彫りが浅い印象があります。特に中盤のクライマックスでは、リズムの打ちが浅く感じられ・どうも表現にシャープさが感じられません。音楽の深みに乏しい感じで・表現が表面的に流れるようで、いまひとつ曲がつかみきれていないもどかしさを感じます。


○1985年3月16日ライヴ

ブラームス:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

テンポは意外と早めに始まりますが・微妙にテンポが揺れており、ともすれば音楽が響き主体に傾く傾向があります。例えば第1楽章中間部や第4楽章中間部など気が緩むと響きのブレンドに気が行って・音楽が弛緩する感じです。チェリビダッケはどうもブラームスをムーディーにとらえる傾向があるようです。第2楽章は特にテンポが遅くて・響きだけの感じで音楽がまったく止まっているように思います。こうなるとブラームスのフォルムはまるで感じられません。第4楽章など遅いテンポでスケール大きい表現で・部分的には面白い場面もありますが。


○1986年9月23日ライヴ−1

シューマン:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

出だしからテンポが遅めのチェリビダッケ節。ゆっくりとしたテンポで・旋律を嘗め回すような歌い方で・どこかぬめりを感じさせ、確かに響きは美しく・独特の構えの大きさも感じさせますが、音楽の持つ生命力・推進力に欠ける感じです。この点は両端楽章においては・その茫洋としてスケールの大きさに独特な魅力を感じさせますが、中間楽章においてはかなり不満を感じます。微視的で・全体のバランスが悪くて、中間2楽章はもう少しはやめのテンポ設定が望ましいと思います。


○1986年9月23日ライヴ−2

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

これも出だしから遅めのチェリビダッケ節で、テンポを意識的に遅くして・聴衆に発想の転換を迫っているようでもあります。スコアをじっくりと嘗め回すような歌い方は独特の斜に構えた趣があり、この曲の別の面を見せているようです。チェリビダッケは本曲を得意としているだけに各曲の性格を見事に描き分けており、オケもこの遅いテンポでも緊張感をしっかりと保っていて秀逸です。。古城やカタコンブにその良さが出ています。最終2曲(ババヤーガ、キエフの大門)はちょっとテンポを遅く取り過ぎに思いますが、その間合いの大きさとスケール感は群を抜いています。


○1986年10月15日ライヴ−1

R.シュトラウス:交響詩「死と変容」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、東京文化会館)

全体のテンポは遅めで、特に前半のテンポが遅くて・旋律に粘りが強いと思います。高弦のきめが細かい響きは透明で美しいですが、シュトラウスにしてもちょっと耽美的に過ぎて・甘ったるい感じです。響きの色合いの混ぜ具合に注意が行っているような感じで、音楽の流れが停滞していると思います。中間部からの盛り上げは遅いテンポを利用して・スケールの大きさを感じますが、全体としては流れが平板な演奏であると思います。


○1986年10月15日ライヴ−2

ブラームス:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、東京文化会館)

全体にテンポの遅いチェリビダッケ節で、特に中間2楽章のテンポが遅くて・バランスが悪いと思います。響きの色合いの調整にばかり関心が行っているようで、確かに肌触りの良い響きですが、フォルムへの関心は最初からない感じです。特に第2楽章中間部、第4楽章中間部などは耽美主義的というか・響きの艶が美しければ美しいほどブラームスの音楽から遠ざかる感じです。もうひとつの不満は主旋律の浮かび上がりが明確ではなく・ブラームスの音楽の重層的構造が明らかにならない点で、茫洋としたスケールの大きさはあるが・音楽につかみ所がない感じです。こうなると低音が効かないオケの明るめの響きも気になってきます。強いてあげれば第1楽章は比較的無難な出来です。


○1987年1月21日ライヴ

ブラームス:交響曲第1番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

テンポの遅い・典型的なチェリビダッケ節です。曲の構成がしっかりしているから持っていますが、このテンポで持たされるのはオケもご苦労さんという感じです。しかし、響きのブレンドに気を使う余り、音楽の躍動感が犠牲になっています。表情の彫りが浅くなり・のっぺりした表現で、それが茫洋とした雰囲気を醸し出していると 確かに言えなくもないですが、ブルックナー的な感じで・ブラームスの本質からはほど遠いと思います。両端楽章のようにリズムが比較的前面に出る場面はともかく、中間の緩徐楽章はかなり不満を感じます。またテンポを微妙に伸縮させること・特に休止の取り方が長く気を持たせます。響きは確かによく調整されて美しく・透明感があります。しかし、全曲を通じて響きの色調が変わらないのも一本調子な感じで気になります。テンポの遅さより・根本的に曲との相性が合っていない感じなのです。


○1987年4月12日・13日ライヴ−1

ベートーヴェン:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

ベートーヴェンの交響曲のなかではチェリビダッケの体質に合った曲のようです。確かにテンポは遅いですが、リズムの持つ推進力に頼らず・響きの細部に磨きを掛けて・フォルムの縛りから音楽を開放したような感じがあり、そのイメージのふわふわした浮遊感が面白いとは言えます。その意味で第1楽章が興味深い出来です。第2楽章は第1楽章の遅いテンポからすると似たような感じで・その関連が見出せませんが、これもチェリビダッケの行き方に沿うと言えるかも知れません。しかし、第3楽章 のテンポ設計には疑問を感じます。この楽章の軽味や・曲全体のなかでの転換という意味が見えてこない感じです。第4楽章は可もなく・不可もなしと言ったところ。しかし、聴き終わって・四つの楽章の連関は見出せず・構成感には乏しい感じ は否めません。


○1987年4月12日・13日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

テンポはチェリビダッケらしく非常に遅いのですが、ミュンヘン・フィルの弦はなかなか美しくて・このテンポでご苦労さんと言いたくなります。両端楽章はこの遅いテンポでは少々違和感を感じなくもないですが・音楽が動き出せば器の大きさで語るような所があるのはベートーヴェンの音楽の偉大さに改めて脱帽という感じです。しかし、茫洋としたスケールの大きさというのともちょっと違った感じで、躍動感とか推進力は希薄であり、全体に造形の彫りが浅く平板で・のっぺりした感じがします。オケの響きは透明ですが・色調が淡く、くっきりした陰影に乏しいように思います。第2楽章など悲愴感とか言うのとも違って、澄んだ純音楽的な美しさがあって・透明な感覚が中空に漂っている感じがあって、確かにユニークなベートーヴェンではあります。響きの美しさを追求しただけのようにも思えますが、ベートーヴェンから観念的な要素を取り去り・純音楽的にアプローチした結果なのでありましょうか。


○1989年1月20日ライヴ−1

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

この曲をオペラの序曲として演奏することも・交響詩として演奏することも可能だと思います。いずれにしてもこの曲にはドラマがあると思います。ところが、このチェリビダッケの演奏にはドラマがまったく欠けています。チェリビダッケはこの曲を純器楽と見て・この曲からドラマ 性も思想性も取り去りたいのでありましょう。これはただテンポが遅いだけの・音響の塊りで、音楽にすらなっていないと思います。この曲でこういう演奏ができるのは、まあかなりの変人だということは確かに実感できます。


○1989年1月20日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第7番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

曲自体がリズム主体にしっかりした構造を持っているので、チェリビダッケが多少テンポを遅くして・リズムの刻みを明確にしないで・仕掛けてきても、ビクともしないのはさすがだと・妙なところで納得してしまいます。響きは透明で・あまり低音を効かせない・軽めの響きで、リズムが持つ推進力をあまり感じさせず・ゆっくりと流れのままに流れていく感じです。フォルムへの意識を感じさせず・躍動感も感じさせませんが、茫洋としたスケール感はあります。第2楽章は第1楽章と比するとバランス上速めに感じられます。ゆったりと透明な流れが美しいですが、第1楽章と似たような感じで・対比感が出てきません。第3・4楽章でも・各楽章の連関はあまり感じられず、ただ同じような流れがあるだけなのです。


○1989年3月17日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

ヘレン・ドナート(ソプラノ)/ドリス・ゾッフェル(アルト)
ジークフリート・イェルザレム(テノール)/ペーター・リカ(バス)
ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

第1楽章はフルトヴェングラー的原始霧開始ではなくて・むしろ純器楽的にとらえようとしているようにも思えます。思いのほかに早めのテンポでサラリとした感触なのも意外で、フルトヴェングラーの亜流と見られたくないという感じもあるのかも知れません。第 2楽章はリズムの緩急に独特の個性を感じるユニークな解釈です。アイロニカルに乾いた感触なのは面白いですが、第1楽章につづく楽章としてはやや重めに感じられます。第3楽章はチェリビダッケのイメージからすると早めに感じられます。オケの響きに透明感がありますが、音楽の流れが少々重く感じられます。第4楽章は可もなく不可もなしという出来。全体にのっぺり とした平板な感じで・ドラマの起伏を感じさせてくれません。あるいは音楽に哲学的な重さを与えるのを意識して避けているようにも感じられますが、それでは「合唱」の場合は 意味がないと思います。独唱合唱は優秀な出来です。


○1990年10月18日ライヴ

ブルックナー:交響曲第7番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、サントリー・ホール)

全体の印象は20日の第8番の演奏とも共通しますが、第7番は叙情的要素が強い曲であるだけにチェリビダッケの遅いテンポが音楽の流れを単調にしていると感じられる部分が多いと思います。この遅いテンポではブルックナー・ゼクエンツの推進力が失われ、音型が単なる無機的な音符の上がり下がりになる寸前に思われる場面が多々あります。これもある程度意図的なことかと思われますが、チェリビダッケはブルックナーの宗教的な高揚にはあまり関心がないようです。この遅いテンポが後半のふたつの楽章ではあまり効いていないと感じられます。第8番の場合でもそうですが、スケルツオ楽章はほとんど動的な興奮を示しません・というよりも聴き手にそう感じさせないようにしているように思えます。一方、第2楽章アダージョでは相対的に遅さが際立たないせいか・流れがスムーズで、この楽章が一番出来が良いようです。全体として音楽の流れが単調で・ミュンヘン・フィルの金管にもっと輝かしさが備わっていればアクセントがついただろうと思われるところがあります。しかし、弦セクションはこのテンポをダレずに・息をよく保っているのには感心させられます。


○1990年10月20日ライヴ

ブルックナー:交響曲第8番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、サントリー・ホール)

テンポをじっくり過ぎるくらい・じっくりと進めるチェリビダッケのブルックナーはとても個性的ですが、その滔々とした大河の流れはこの曲のスケールの大きさを確かに感じさせます。ミュンヘン・フィルはチェリビダッケの要求によく応えています。金管がちょっと渋い感じで・もう少し 輝きと力強さがあればという不満が両端楽章にありますが、弦セクションはこの遅いテンポを息深く取って・よく緊張感を持続しています。ただし全体の色合いが一様に感じられるようで、テンポと色合いに細やかな変化がもっと必要 だと思います。第1楽章では遅く感じられるテンポも慣れてくればそれなりですが、第2楽章スケルツオが遅いのがこの演奏の重い印象をバランス上さらに重くしているようです。第3楽章は響きに耽溺していくようで・その茫洋とした大きさと単調さが背中合わせ のところがあるのも確かです。しかし、チェリビダッケのブルックナーの特徴が第3楽章によく出ていると思います。


○1990年11月ライヴ

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番

ダニエル・バレンボイム(ピアノ独奏)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

全体として音楽がサラサラと平板に流れて、感銘度が薄い。チェリビダッケが細部を磨こうとするほどブラームスの音楽から遠くなる印象です。強固な構成のなかからフッと漂う物憂げな情感の揺らぎこそブラームスの魅力であるのに、そういうものが完全に吹っ飛んで、冗長な流れがあるのみです。バレンボイムのピアノは打鍵が力強くなかなか健闘しています。第1楽章ではオケとピアノがぶつかりあう協奏曲的な面白さが出ているかも知れません。


○1991年5月29日ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第5番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

テンポは異様に遅いのは・チェリビタッケの特徴なので別に驚きませんが、ミュンヘン・フィルが指揮者の要求によく応えて・この遅いテンポにも関わらず・緊張感を持続させて美しい響きを出していることには感心させられました。全体としてテンポが遅過ぎで・音楽の推進力と言う点で問題があると思いますが、四つの楽章の連関が失われていると感じられます。茫洋としてスケールの大きな点がこの演奏の持ち味だと思いますが、ここまで細部の磨き上げにこだわるのがチェリビダッケらしいところと言えましょう。第2楽章はかなり遅いテンポですが、それなりに瞑想的な雰囲気を出していて・ここだけ聴けばそれなりかとも思えます。オケは遅いテンポを良く持たせていますが、息の持続と言う点ではさ すがにこのテンポでは息が持ちません。それでも弦の響きは磨き抜かれてなかなかの美しさです。問題は第3楽章のテンポ設定にあるように思えます。この楽章のリズムがもう少し早めならば全体のバランスはかなり良く なると思いますが、この部分の歪んだワルツのリズムの面白さをチェリビダッケは体現できていないと思います。両端楽章は遅いテンポでスケール感がありますが、音楽が求めるものより重過ぎる感じは否めません。第1楽章の展開がスローモーションのように感じられ、いかにも作り物に感じられて・音のドラマが聴き手に迫ってきません。


○1991年6月8日ライヴ

ブラームス:交響曲第2番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケ晩年の演奏ですが・意外とテンポは遅くなくて、比較的淡々としたテンポで進められます。第1楽章はその響きの透明感と叙情性で好ましい出来です。しかし、中間部ではテンポが落ちて・響きの調合に意識が移るような感じがあります。同様な傾向が第2楽章や第4楽章中間部にもあり、ともすれば響きの美しさの方に傾いて・音楽が停滞気味になります。全曲通すとやはり四つの楽章の連関が見えないきらいがあります。


○1991年7月ライヴ

シューマン:ピアノ協奏曲

ダニエル・バレンボイム(ピアノ独奏)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケらしいというか・細部の響きの磨き上げにこだわって、遅いテンポで音楽をじっくりと描きあげていきます。バレンボイムのピアノは力強く聞かせますが、全体的にはオケの響きのなかに埋没気味です。もともと構成に難ある曲だと言われますが、部分部分ではハッと思わせるところがありますが、山場なく・どこを聞いても同じ感じがします。


○1991年7月ライヴ

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

ダニエル・バレンボイム(ピアノ独奏)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(エアランゲン、エアランゲン市立ホール)

テンポは遅く(遅すぎると云うほどでもないが)、スケール大きい構えの演奏ですが、感銘度は薄い。全体的にやや長く、第1楽章冒頭の金管の扱いなどはオルガンみたいなスケール感があるのが、興味深いところです。ミュンヘン・フィルの響きが透明で流麗な流れを作りだしていますが、恐らく低音を意識的に弱めにしているので、音楽の感じが軽いのもブラームスとしては違和感があり、細部を磨きぬいた滑らかな音楽は聴けば聴くほどブラームスからは遠くなるようで、つかみどころがなく、かなり不満を感じる演奏です。どこかブルックナー的な流れの音楽としてブラームスを捉えているようで、がっちりした重層的な形式感が感じられない点が、決定的に不満。構成感に欠けるので、どこを聴いても同じような印象で、山も谷もあるようでなく、ダラダラと冗長に聴こえます。録音のせいもあると思いますが、バレンボイムのピアノがオケの響きのなかに埋没してしまって印象が薄い。もともとピアノ付き交響曲みたいな感じの曲ではあるが、バレンボイムもちょっと萎縮し過ぎで、もう少し自己主張した方が良いのではないか。


○1991年11月27日〜30日ライヴ

ブルックナー:交響曲第6番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール、ソニー・クラシカル・ライヴ録音)

チェリビダッケのブルックナーは宗教性をあまり感じさせず・むしろ悪魔的な凄みを感じさせる点がユニークで興味深いと思います。まあこれはブルックナーの音楽のバロック的な一面を捉えているとは思います。それがどこから来るのかは断定しにくいですが・全体にテンポは遅めで・揺れ動くこともないのですが、立ち上がりの鋭いリズムの打ち方にあるようです。第1楽章冒頭から無機的なリズムの打ち方で・普通は宗教的な荘厳さを感じさせるところですが、まるで暴力的な奇怪なイメージを呼び起こします。第4楽章もとても荒々しい音の蠢きがあります。仕上げが微視的であり・全体への配慮があまりない感じで、建築のような重層構造や荘厳さは感じられません。ミュンヘン・フィルの出来は素晴らしく、特に弦の繊細さが印象に残ります。それは第2楽章のクリスタルなピアニシモによく現れていますが、これとてもあまり人間性を感じさせるものではありません。マーラーにも通じるような歪んだ感性を感じさせる点ではある意味で現代的と言えるのかも知れませんが、 チェリビダッケならではの演奏と言えるでしょう。


○1992年1月ライヴ

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

冒頭からぐっと遅めのテンポを取った期待通りのチェリビダッケ節で、聴き手に対して挑戦的に始まります。楽譜の音符を丹念に音にしましたと云う感じで、弦がお互いの響きを探り合うようです。響きの表面的な美しさを整えることばかりに気が行っているように聴こえます。それでもオケは緊張感を失わずに、チェリビダッケの棒に付いて言っています。しかし、聴き終わって感じるのは、曲の細部にこだわりすぎで、全体の構成感がまったく欠如して、ドラマが聴こえてこないことです。細部では面白いところもあります。例えば戦いの動機は立ち上がりが鋭くダイナミックで聴かせますが、全体としては音楽の劇的密度の点で問題ありです。


○1992年4月1日ライヴ

ブルックナー:交響曲第7番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

戦後ベルリン・フィルと深い関係にあったチェリビダッケが久しぶりにベルリン・フィルを振ったということで話題になった演奏会ですが、端的に言えば別居生活が長過ぎたということかと思います。テンポ設定が異様に遅いチェリビダッケの音楽作りにベルリン・フィルが共感しているとは言えず、響きが表面的に鳴っている感じが・特に両端楽章で強く感じられます。息を保って旋律をねっとりと嘗め回すような感覚もミュンヘン・フィルのようには行きません。この遅いテンポでは音楽が停滞することは否めず、茫洋としたスケールの大きさと言うのともちょっと違う感じで、かなり変わったブルックナーだと思います。第3楽章スケルツオの鋭角的なリズムにはチェリビダッケの独特な感覚が感じられ て、テンポがもう少し速ければ面白いものになったかなとも思います。


○1993年1月25日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケには比較的似合った曲かと思いましたが、遅めのテンポが全曲ダラダラと続く感じで・構成力が見出せません。しかし、遅いテンポですが・オケの響きが透明で明るいので、重い雰囲気になっていないのはまあ良いと思います。響きの瞬間だけ捉えれば独特の開放感というか軽さがあるようです。ただしチェリビダッケは描写音楽としての「田園」には全然興味がないようで、展開していく光景にまったく気分の変化が見られないようです。テレビか何かで田園風景を見ているような実体感の希薄さがこの演奏の特徴でしょうか。特に第1・2楽章 がそう言う感じです。第5楽章など湧き上がる自然への感謝・生への喜びという感じはなく、ただ美しい音響の歩みがあるだけです。チェリビダッケが一体何を描きたい のかよく分かりません。


○1993年9月24日、25日ライヴ

ムソルグスキー/ラヴェル編曲:組曲「展覧会の絵」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケはこの曲をよく取り上げていますし、個人的にも好きなのでしょうが、チェリビダッケの色彩感覚とオケのコントロールの上手さがよく分かります。全体としてのテンポは期待通りに遅いけれども、チェリビダッケはテンポを自在に伸縮させて、各曲の性格を上手く描き分けています。プロムナードはゆっくりと舐めるような遅いテンポで、これからどうなるかと思わせますが、第1曲グノーム(小人)は遅いテンポのなかに奇怪な感じをよく出しています。第4曲「ブイドロ」もスケールが大きい表現です。一方、テンポを速めた第3曲「ティルニーの庭」・第4曲「卵の殻をつけた雛の踊り」もオケの動きが面白く聴けます。しかし、後半の2曲はもう少し工夫が欲しいと思います。スケール感がいまひとつなのです。第9曲「ババ・ヤガー」はテンポが遅すぎでオケのダイナミックな動きが出ない。終曲「キエフの大門」は終結部を長く引き延ばす大見得をみせていますが、出だしがあっさりして、演出がやや作為的です。


○1994年

ラヴェル:ボレロ

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ケルン)

ゆっくりしたテンポを予想していたら、テンポは意外と速めに感じられます。しかし、じっくりと足を踏みしめるようなリズムの取り方は独特の重量感と威厳があります。クレッシェンドしていく音楽のドラマと言うよりも、積みあがっていく建築物を見る趣です。なかなかの好演だと思います。


○1994年6月18日ライヴ

ラヴェル:ボレロ

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

確かに遅めのテンポですが、遅すぎるというほどのテンポではありません。最初のテンポを決めてしまえば、音量コントロール以外は指揮者の解釈の入る余地が少ないので、個性的なのかは判断しかねる所です。ピアニッシモからの悠然としたクレッシェンドは、堂々たるスケールであり、なかなか聴かせます。オケの響きは透明度が高く、大音量になっても混濁せず威圧的な感じはないのは、素晴らしいです。このラヴェルは高水準の出来だと思います。


○1994年11月29日ライヴ

シューマン:交響曲第2番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

この演奏は素晴らしいと思います。フォルムへの意識を感じさせず、イメージが宙に浮遊する感じで、ベートーヴェンやブラームスでは不満に感じる要素がシューマンのこの曲ではそのまま長所になっています。明るく透明で 、軽さを感じさせる響きが、シューマンの叙情性を揺らぎを以って立ち上らせます。ここではチェリビダッケのかなり遅めのテンポさえ心地良く感じられます。旋律の響きを手探りするようにして・その最も美しい部分を手繰っていくような錯覚さえ覚えます。微視的な行き方で、結果としては全体のフォルムを見失っているように思いますが、これもまたシューマンの行き方に合っているのです。両端楽章では旋律は大きく歌われ、リズムの躍動感には乏しいのですが、その代わりスケールは大きい音楽になっています。どこにも無理な力が入っていない感じで、第3楽章などはその典型で、ゆったりと浮遊するイメージがたとえようもなく美しく感じられます。実に大きいロマン的世界を構築しており、この曲では特筆すべき名演だと思います。


○1995年1月4日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第8番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケのベートーヴェンは第9のようなメッセージ性の強いものは身構える感じがあって、成功していると言い難いところがありますが、この第8番は純器楽的な曲だけに・肩の力が抜けた良い方の出来になっています。もっともチェリビダッケのことですから・軽い感じ に仕上がっていはいませんが、テンポが遅いにしても・重苦しい感じはあまりありません。第1楽章ならばもう少しテンポの早い方が良いと思いますが、響きは澄んでいて軽いので・演奏は重くは なっていません。しかし、通して聴いてみると四つの楽章がどれも同じような感じがして・単調に思われます。部分では、第2楽章など面白い場面があるのですが。


○1996年6月4日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第2番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

最晩年の演奏と言うこともあるでしょうが、チェリビダッケ節が濃厚です。遅いテンポに全体の構成が持ちきれていないと思います。響きの細部の磨き上げばかりに注意が傾き過ぎで、部分には聴くべきところがあっても 、ほとんど完璧な音響を聴くだけに等しい感じです。冒頭の第1楽章序奏からそんな感じで、序奏から展開部に移行するその意味さえこの演奏からは聴こえません。中間2楽章はもっとひどくて、音楽というよりほとんど音響のような感じで・ただ透明な情感の浮遊だけのイメージだけが残ります。ベートーヴェンでこういう演奏ができるとはいや驚き です。


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