バーンスタインの録音 (1987年)
マーラー:交響曲第2番「復活」
バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィッヒ(アルト)
ニューヨーク・コラール・アーティスツ
ニューヨーク・フィルハーモニック
(ニューヨーク、エイヴリー・フィッシャー・ホール、独グラモフォン・ライヴ録音)ほぼ同時期(11月)の第3番と同じく遅めのテンポのねっとりと粘る演奏を想像していたのですが、予想に反して・早目のテンポであっさりとした感触なのは意外でした。もっともバーンスタインはマーラーを基本的にロマンチックに捉えているということは共通しているようです。あまり感情移入をせず・インテンポで比較的客観性を保っています。ニューヨーク・フィルは重量感があって・バーンスタインとは気心が知れているだけに反応が鋭敏で、リズムの立ち上がりの斬れが良いと思います。ウィーン・フィルを起用すれば・もう少しリズムの輪郭は甘くなったろうと思いますから、ニューヨーク・フィルの起用は成功していると思います・その一方でこの曲は単にロマンチックというだけでは括れない多様性を秘めていると思いますが、そうした感性のきしみというものはこの演奏からは聴こえてこないようです。バーンスタインは根本的なところでファナティックにはなり切れていないようです。しかし、そうした不満があるにしても・この演奏が確信に満ちたものであることは間違いありません。第1楽章はジェットコースターに乗ったように曲を起伏を楽しませてくれます。同じことが第3楽章にも言えます。第2楽章はもう少しテンポを落として・弱音の繊細さを生かした方が前後の楽章との対照が良いように思われました。第4・5楽章はバーンスタインならじっくりテンポを取って・粘って聴かせるかと思いきや、意外と早いテンポで聴かせます。ルートヴィッヒの歌唱は深みがあって相変わらず見事。ヘンドリックスも透明で美しい歌唱。
マーラー:交響曲第4番
ヘルムート:ヴィテック(ボーイ・ソプラノ)
アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(アムステルダム、コンセルトへボウ楽堂、独グラモフォン・ライヴ録音)バーンスタインなら濃厚なマーラーを想像していただけに意外な感じでしたが、比較的早めのテンポでサラリとした淡い感触です。すっきりとまとまった好演に仕上がりました。まず最大の魅力はコンセルトへボウ管のメロウで透明な響きの美しさで、これがこの曲のメルヒェン的なイメージにぴったりなのです。特に弦の響きが実に柔らかで美しいと思います。第1楽章も音楽の自然な流れに身を任せたのが成功していて・古典的な佇まいさえ感じさせます。第2楽章はヴァイオリン・ソロの扱いがうまく・ちょっとアイロニカルな味があって面白いと思います。第3楽章は早めのテンポであっさりと仕上げていて、全体からするとちょっと軽めの感じもしますが、その分、第4楽章のウェイトが増しているようにも思われます。第4楽章でのボーイ・ソプラノの起用はどうかと思われましたが、なかなか声が美しく・好感が持てます。歌詞がはっきりせず・深みに欠けるのは仕方ないところですが、いかにも澄んだメルヒェン的な雰囲気があります。この第4楽章には安らぎを与えられるところがあり、いつものこの曲の演奏と比べると・第4楽章の持つ意味が大きいように感じられるのは興味深いことです。
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
シュレスビヒ・ホルシュタイン音楽祭管弦楽団
(リューベック、リューベック市民ホール、シュレスビヒ・ホルシュタイン音楽祭)テンポを速めに取って、線の太い、勢いのある演奏になっていますが、音楽祭の臨時編成オケであるので、全体に表現の彫りの浅い印象です。良い点は低音が効いて重量感があること、しかし、各楽器の分離があまり良くなくて、響きが混濁します。リズムの斬り込みが浅いので、各場面の表現がやや一本調子に感じられます。第1部の「いけにえ」ではリズムが前面に出るので興奮を煽る感じになっていますが、全体にサラサラ進む感じがあって、もう少しリズム主体の構図を押し出して欲しいのです。第2部前半は、腰を据えてもっとじっくり描いて欲しいところです。この点はバーンスタインのリードに問題があるようです。いまひとつ腹応えがしないというのが正直なところ。
モーツアルト:交響曲第29番
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)やや早めのテンポで・純器楽的にスッキリした感触で処理されて・古典的な感じがします。第1楽章はウィーン・フィルの個性も相まって無理な力が入らずフレッシュな感覚があります。バーンスタインらしさはリズムと旋律線が明確なところに現われていると思いますが、後半2楽章はリズムがやや強めに出ているような印象があるのは残念です。
バーンスタイン:交響曲第1番「エレミア」
クリスタ・ルートヴィッヒ(アルト)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)ウィーン・フィルはバーンスタインの曲のなかに潜む鋭く揺れる感性をマイルドに受け止め・古典的に処理していると思います。響きの突き刺さるような鋭さは甘いところが出ているかも知れませんが、こうした古典的な受け止め方はバーンスタイン自身が望んでいるように思われます。独特のリズムが錯綜する第2楽章などユダヤ臭がかなり強いと思いますが、ここでは臭みが薄められて聴き易くなっていると思います。ルートヴィッヒは深みのある歌唱です。
モーツアルト:クラリネット協奏曲
ペーター・シュミードル(クラリネット)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)ややゆったりめのインテンポで、しっとりと落ち着いた演奏に仕上がりました。シュミードルのソロも柔らか味のある音色で見事なソロを聴かせます。両端楽章は古典的な格調を感じさせる好演に仕上がりましたが、第2楽章はバーンスタインの取るリズムがやや重い感じで、ソロが持ちきれないような場面があります。
マーラー:交響曲第5番
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)バーンスタインとしては意外に感情ののめり込みが少なく・比較的冷静な音楽造りに終始しています。あるいはウィーン・フィルにやや共感が薄いのではないかという感じもしなくもありません。しかし、ウィーン・フィルの響きはやや暗めで、マーラーの世紀末的な雰囲気にもよく似合っており、出来は悪くありません。圧倒的に出来がいいのは第2楽章で、テンポの自在なとり方、弦のうねりなど感情表現の起伏が大きくて、マーラーの奇奇怪怪な作風の面白さを十二分に表現しています。この楽章は聴き物です。しかし、他の楽章は美しく整ってはいますが、どこか醒めているように感じられるのはどうしたことでしょうか。特にリズムの遅い第1楽章と第3楽章はリズムが重くて、表現に冴えがないように感じられます。第4楽章アダージェットは耽美的なはなく・むしろテンポを速めにして武骨な造りであって、感情ののめり込みを意識的に避けているようにさえ思われます。これは決して悪いことではないのですが、これが第5楽章に続くといつものバーンスタインらしくない・リズムの冴えのない表現が第4楽章との対照が生きてこないように思われるのです。アダージェットの旋律の回想が懐かしく響いてこないのです。この楽章はバーンスタインならばもっと面白くできるだろうにと思いました。
マーラー:交響曲第5番
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(フランクフルト、アルテ・オーパー、DGライヴ録音)第1楽章冒頭からテンポが遅めで抑えた表現と言うべきか・ダイナミクスは大きいのですが、楽章を追うにつれて・表現が濃厚に重くなり・リズムが重くなっていく傾向があります。特に中間部・第2楽章から第4楽章が重い表現になっています。やや力で押しまくる感じもあって、その過剰な表現がうるさい感じがします。それだけ曲に対するのめり込みが強いということだと思いますが、結果として中間部が重くなり過ぎて・この曲のシンメトリカルなバランスが失われているようです。第4楽章はテンポが特に遅く・表現が粘ります。そのためにこれにつながる第5楽章が生きてこないような気がします。ウィーン・フィルの色調もやや淡彩で、ここでは色彩の微妙な変化が欲しいのです。ウィーン・フィルもやや流麗さに欠けるところがあって・共感が感じ取りにくい気がします。
マーラー:交響曲第5番
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール、プロムス客演ライヴ)これは充実した演奏で、ライヴらしい活力に満ち溢れています。特に前半が素晴らしいと思います。勢いにまかせたような所もなくはないですが、これもライヴならではの魅力でしょうし、バーンスタインのマーラーの良さがよく出ていると思います。第1楽章冒頭はやや遅めのテンポで始まりますが、展開部からテンポを上げてからは旋律をしなやかに・力強く歌い上げて生きます。ウィーン・フィルは重量感があり・表現力の幅が実に大きくて、バーンスタインの熱さをよく体現しています。第2・3楽章もテンポが重過ぎず、表現が生き生きとしています。この中間楽章のテンポ設計が効いてきます。第4楽章アダージェットは線の太い表現で・甘さややるせなさの感情には若干乏しいですが、熱くうねる表現になっています。第5楽章もスケールが大きい表現ですが、ただ惜しむらくは終結部ちかくでテンポが遅くなり・表現が重くなった感じがします。
マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」
ルチア・ポップ(ソプラノ)
アンドレアス・シュミット(バス)
アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)録音のせいもあると思いますが、全体にゴージャスで素朴さに欠け、歌手よりオケが前に出過ぎと言う感じがします。オケは「死んだ鼓手」などダイナミックな動きが見事なのですが、伴奏という以上に聴いていてちょっとうるさい感じがします。シュミットは折り目正しい歌唱で悪くないですが、大人しく・引っ込んで聴こえます。「高い知性への賛歌」などもっと表現に諧謔さが欲しいと思います。一方のポップはバーンスタインが表現過剰なところがあるせいか・こちらは元気が良過ぎです。個人的にはもう少し抑えて・言葉を粒立たせた表現を望みたいところです。「トランペットが美しく鳴り響くところ」はもっと心にひんやりと冷たい風が吹くような表現を望みたいのです。死んだ兵士が恋人のもとを訪ねるのはロマンティックなのではなく、これは悲しく残酷な光景なのです。「角笛」の世界はそのような生の現実を鏡のような澄んだ目で描いているのです。バーンスタインの伴奏で聞くと、どうも生の喜びの方が先に立つような気がします。
シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」
アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)晩年のバーンスタインは自己への没入が強過ぎで、時として曲の形式感(フォルム)を無視したような演奏がなくはありませんでしたが、この演奏もちょっとその気配があるようです。基本的にはロマンティックな感性に満ちて自在な表現です。バーンスタインには「ドイツ的」という言葉は似合わないかも知れませんが、バーンスタインがそれを意識しているのは間違いないようです。そのせいか42年のフルトヴェングラーのテンポ設定に似たところがあるようです。第2楽章は前楽章の雰囲気を引き継ぐとこういう表現になってしまうのかも知れませんが、アタックが強過ぎで・まるで驚愕交響曲のような感じになっています。古き良きウィーンを感じさせる表現であって欲しいと思います。第3・4楽章は早いテンポで斬れのよいリズムの演奏ですが、ややベートーヴェン的な威圧的な表現ではあるようです。オケは非常によく鳴っており、バーンスタインの意図を反映した圧倒的なフィナーレを作り出しています。
シューベルト:交響曲第8番「未完成」
アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)気合いが入っているというか・肩に力の入った演奏で、時々バーンスタインが「ウッ」とうなり声を上げるくらいです。しかし、「未完成」でこんなに力んだ演奏はどうかと思います。べつに「古き良きウィーン」のイメージにこだわるわけでもありませんが、アタックも強圧的で・響きが刺激的に感じられます。早めのテンポで進められますが、ダイナミクスの差が大き過ぎで、シューベルトの歌謡性が損なわれているような感じがします。
マーラー:交響曲第1番「巨人」
アムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)66年の若々しさに溢れたニューヨーク・フィルとの録音に比べると、こちらは表現の幅がぐっと広くなり・深みを増してします。テンポの揺れもかなり大きく・ライヴ感覚もあるので、観客の反応も良いようです。生で聴くと圧倒的な感銘を受けたことでしょう。第1・2・4楽章のそれぞれのフィナーレではテンポをぐいぐい加速してオケをかなり煽っており・ライヴならではのダイナミックな動きで、これなら聴衆には受けるはずです。しかも、オケはバーンスタインの棒にまったく乱れを見せないのはさすがです。この演奏の特徴的なのは、第2・3・4楽章のそれぞれの中間部における叙情的な表現で、テンポをぐっと遅くして感情移入をして・旋律をじっくり歌いこんでいることで、この部分の弦の繊細な表現が聴き物です。第4楽章などはバーンスタインのうめき声が聞こえるほどです。個人的にはもう少し抑制した表現の方が好きですが、これがバーンスタインの魅力なのです。しかし、この曲の底流に流れる暗く湿った歪んだ感性はやっぱり聴こえてこないようです。どちらかと言えばやはりネアカのマーラーなのです。
マーラー:交響曲第3番
クリスタ・ルートヴィッヒ(アルト)
ニューヨーク・コラール・アーティスツ
ブルックリン少年合唱団
ニューヨーク・フィルハーモニック
(ニューヨーク、エイヴリー・フィッシャー・ホール、独グラモフォン・ライヴ録音)全体の出来が重ったるく、リズムが重い感じです。線が太いタッチで、色彩感が煌めくというよりは・渋く厚い感じの印象です。かなり遅いテンポで、オケに強いられた緊張感は相当なものだと思いますが、オケはさすがにバーンスタインによく付いて行っています。とにかくスケールの大きさは比類ありません。ぐっと息を殺して旋律を粘っこく・ねちっこく歌い上げていきます。第1楽章でも・まるで潜水して息次ぎしているみたいなバーンスタインの声が聞こえてきます。しかし、行進曲でのリズムの爆発も躁的な感じではなく・かなり重いものになっていて、アンビバレントな印象ではありません。バーンスタインの思い入れの深さは分かりますが、作曲者の志向しているものとはかなり違う印象です。本来はもっと乾いた感触の曲であろうと思います。バーンスタインはこの曲をかなりロマンチックに捉えているようです。こうしたバーンスタインの特徴は最終楽章にさらに強く現れています。スコアを拾い読みしていくような・うねるような息の長い表現・情念のうねりは、さすがに只者ではないと感嘆させられます。一方、第2・3楽章などはもう少し軽味と・透明感が欲しいところです。ルートヴィッヒの歌唱は深みがあって素晴らしいですが、この演奏の焦点はやはり両端楽章でしょう。