バーンスタインの録音(1960年−1965年)
マーラー:交響曲第4番
レリ・グリスト(ソプラノ)
ニューヨーク・フィルハーモニック
(ニューヨーク、セント・ジョージ・ホテル、米CBS録音)バーンスタインの最初の交響曲全集のなかでも第4番は評判がよかった演奏ですが、今聴くと掘り下げが浅いように感じられます。単なるメルヘン交響曲になってしまっていて、さわやかで口当たりはいいが毒気がありません。 根本的にネアカの健康的解釈なのです。テンポは心持ち早めですが、リズムの打ち込みが浅く・音楽の流れがサラサラして心に引っ掛かってくるところがあまりありません。さわやかだけれど薄味です。第2楽章は録音のせいも あるでしょうが、ヴァイオリン・ソロがオケに埋没してしまって奇怪な感じがありません。というより、この楽章のアイロニカルな味を最初から無視しているように思えます。第3楽章は早いテンポでサラリとした淡い叙情性があり、これだけ聴けば悪くないですが、この曲全体のバランスからすればもう少し濃厚が味わいがほしいところです。全体に「メルヒェン的で純真な子供心の交響曲」という感じの解釈ですが、60年代のマーラー理解の記録として 興味深いものであると思います。
バーンスタイン:「ウェストサイド物語」〜シンフォニック・ダンス
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団
(ニューヨーク、米CBSスタジオ録音)バーンスタインの人気ミュージカル(1957年初演)からの編曲ですが、初演からそう時間が経っておらず、まだ興奮さめやらない時期だけに、作曲者バーンスタインの演奏は「クラシック作品らしく演奏しよう」というところを相当に意識した感じに思われます。決して窮屈な演奏ということではないですが、真面目に手堅くまとめている感じで、もう少しスイングしてもいいのにと感じるところがあります。しかし、これも録音時期(61年)を考慮に入れなければならないと思います。本曲がクラシック音楽のレパートリーとして組み入れられつつある21世紀初頭の状況とは若干異なるところがあるようです。
○1962年4月6日ライヴ
ブラームス:ピアノ協奏曲第1番グレン・グールド(ピアノ独奏)
ニューヨーク・フィルハーモニック
(ニューヨーク、カーネギー・ホール)演奏に先立ち「自分とオーケストラはグールド氏の主張するテンポとダイナミックの解釈にまったく賛同ができないが、今回はグールド氏に敬意を表し・とりあえずこの実験につきあう」旨のバーンスタインの異例の演説があって・演奏が始まります。これは毎度取り上げられるグールドの奇行伝説のなかでも超ど級のエピソードですが、この録音を聴くとバーンスタインが大真面目に演説しているのに聴衆の嬉しそうな笑い声がよく聞こえます。不思議に思って調べてみると、このプロのニューヨーク・フィル定期は5日・6日・8日の三回あって、この録音は2日目のものなのです。つまり前日の騒ぎを知って「期待している」聴衆が来ているわけで、すでに茶番と化しているようです。そう思って聴くとバーンスタインの演説も何やらテレビ番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」の「コンチェルトって何?」のひとコマのようにも思えます。第1楽章冒頭のテンポは確かに遅いですが、別に驚くほどの遅さではないように思います。ただしバーンスタイン指揮のオーケストラは自ら「解釈に賛同できずお付き合いでやる」と告白しているくらいなので仕方ないですが、あまり良い出来とは言えません。第1楽章はともかく・第2楽章はテンポが持ちきれていないし、後半は響きが割れていて・バーンスタイン時代に言われたニューヨーク・フィルの低迷はさもありなんと思います。バーンスタインは不承不承でもいったん解釈に合意したらそのテンポで強引に押し通してソリストに対して「俺のこのテンポに乗って来い」という感じでふてぶてしく行けばピアノ付き交響曲に仕上がって良かろうに(この曲はもともとそういう性格を持っているのです)と思うのですが、バーンスタインは正直なのでしょう。バーンスタインの伴奏を聴いているとソロに合わせよう合わせようとしている気配が濃厚に伝わってきて、却ってバーンスタインの方がソリスト主導の協奏曲のイメージに捉われているように思えます。コーダはしっかりテンポを守って重く締めてもらいたいと思いますが、ゴールに向けてテンポが上ずった感じがします。まあそれにしても付き合わされたバーンスタインの方はご苦労なことであったと思います。グールドのソロはダイナミクスを抑えて音の粒を揃えて平坦さを強調したもので・なるほど日頃のグールドの主張がそれなりに出ていると思います。
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
ニューヨーク・フィルハーモニック
(ニューヨーク、フィルハーモニック・ホール、米CBS・スタジオ録音)第1楽章はテンポが速めの活気のある表現で、希望の新世界に足を踏み入れた喜びを素直に表現していると思います。第3楽章スケルツオはテンポが速すぎて落ち着きがなく、セカセカして聞こえます。ここまで比較的軽めの仕上がりですが、第4楽章は一転して重量級のオーソドックスな表現で、ニューヨーク・フィルの響きを活かしているとも言えますが、ややアンバランスな感じがするところが難と言えます。