バレンボイムの録音 (2000年ー2010年)
バッハ:管弦楽組曲第3番〜ガボット、モーツアルト:ディヴェルティメント第17番〜メヌエット、モーツアルト:ピアノと管弦楽のためのロンド、ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第8番、チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」〜花のワルツ、シベリウス:悲しいワルツ、ヨハン・シュトラウス:皇帝円舞曲、コダーイ:ガランタ 舞曲、ヨハン・シュトラウス:ポルカ「雷鳴と電光」、ブラームス:ハンガリー舞曲第1番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、ジルベスター・コンサート)プログラムのタイトルは「舞踏への招待」となっており、ダンスの小品が並んでいますが、肝心のウェーバーの曲がないというところが味噌なのでしょうか?ジルベスター・コンサートですから曲を気楽に楽しめばよいわけですが、目くじら立てる必要はないですが、バッハのガボットは図体が重くてあまり楽しめません。モーツアルトの2曲はさすがに素敵です。リズムが明確で、やや線が強めの感じがしますが、今宵のテーマがダンスということですから、これで良いのかも知れません。しかし、アクセントはもう少し柔らかめの方が好みではあるが。コンサート・ロンドでのバレンボイムのピアノは端正で魅力的な演奏を聴かせます。ドヴォルザークのスラブ舞曲はちょっと元気が良過ぎで、木管のニュアンスにもう少し哀愁味が欲しいところ。チャイコフスキーの花のワルツも、リズムを明確に取ってダンスを意識した気配が明らかですが、やはりこの曲はベルリン・フィルのゴージャスが響きがよく似合います。シベリウスの悲しいワルツは、客観性を保って、曲にのめり込まない感じですが、この演奏をバックに踊るならば、確かに踊りやすいと思います。コダーイのガランタ 舞曲は、ベルリン・フィルの機能性がよく生きて、力の入った振幅の大きい見事な演奏になりました。 リズムもよく斬れて、民族舞曲のダイナミックな動きが楽しめます。メイン・プロでは本曲が最も聴き物だと思います。ヨハン・シュトラウスの 2曲は、なかなか楽しめます。皇帝円舞曲は、コンサート・スタイルで恰幅が大きめでゴージャス過ぎる感じはしなくもないですが、如何にもベルリン・フィルのヨハン・シュトラウスらしい感じがします。 アンコール曲目のブラームスのハンガリー舞曲第1番は暗く湿ったベルリン・フィルの音色がぴったりして、いい演奏に仕上がっています。
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
スカラ・フィルハーモニー管弦楽団
(ミラノ、ミラノ・スカラ座、トスカニーニ没後50年メモリアル・コンサート)スカラ・フィルの弦に艶と柔らか味があって、しなやかなベートーヴェンという感じがします。剛より柔の印象が強い点にこのオケの持ち味があるようです。しっかりとテンポが取れて 、リズムの打ちが深いので・安定感があります。特に第2楽章はオケのしっとりした響きと相まって、静かに・落ち着いた情感が漂っており、トスカニーニの追悼にふさわしい演奏だと思います。
マーラー:交響曲第9番
ベルリン国立管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、フェスト・ターゲ)バレンボイムはマーラーには比較的慎重でしたが、この第9番の演奏を聴くと・その理由がよく分かります。曲に対するのめり込みをどれだけ制御できるかが大きな課題であったと思います。当然このマーラーは感情移入の強いものになっていますが、これはバーンスタインのような没我的のめり込みではなく 、バレンボイムは感情の揺れ動きを意識的かつ冷静にコントロールしようとしています。リズムを揺り動かし・リズムを意識的にプッシュするように聴き手を押していきます。響きのブレンドを粗くして・耳に刺激的な要素を入れるなど、この手法は特に中間楽章において効果的に使われています。生々しさを感じさせるマーラーで、全体の鑑賞はシェーンベルクに似通うようなゴツゴツぎた粗い肌触りです。現代のマーラーとして傾聴すべきメッセージを孕んでいます。終楽章のピアニシモにも割り切れない思いが込められているようで・聴き手に問いかけるものが深いと思います。
マーラー:歌曲集「さすらう若人の歌」
トーマス・クアストフ(バリトン)
ベルリン国立管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、フェスト・ターゲ)クアストフの歌唱は言葉のひとつひとつのフレーズをしっかりと歌い込んで・思索的で深く、F=ディースカウ以来久しぶりに納得できる充実した歌唱だと思います。バレンボイムはテンポの緩急・強弱をはっきりつけた雄弁なサポートで、クアストフの歌唱をしっかりと支えます。
マーラー:交響曲第7番「夜の歌」
ベルリン国立管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール、フェスト・ターゲ)リズムの緩急・強弱をはっきりつけて・響きのブレンドを粗くして・ザラザラした感触があり、旋律の滑らかさや響きの心地良さを拒否しているかのようで、聴き手に対して問題意識を突きつける生々しいマーラーです。重量感ある両端楽章が素晴らしいですが、それも弱音を効果的に使った中間楽章「夜曲」の対比があって生きてくるのです。特に第3楽章スケルツオの歪んだワルツのリズムはマーラーのメランコリックな感性を見事に描き出していて、この曲の要としての意味をしっかりと見出しています。
マスネ:歌劇「マノン」
アンナ・ネトレプコ(マノン・レスコー)、ローランド・ヴィラゾン(デ・グニュー)他
ベルリン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
(ベルリン、ベルリン国立歌劇場)ベレンボイムがこのマスネの歌劇を取り上げたのは、資本主義の物質的・享楽的性格が次第に人々の心を侵していく「マノン」の社会的視点を明らかにするためと思われます。ヴィンセント・パターソンの演出は時代を1950年代辺りに設定し、同時に今旬のスターであるネトレプコの魅力をよく生かしたものとなりました。ベルリン国立歌劇場のオケの・リズムが前面に出て旋律の描線が強い音楽作りもここではよい方向に作用しています。ネトレプコの歌唱は美しく素晴らしいですが、破滅型ヒロインと言うよりは・自分の願望に対してとても素直な娘という感じなのは・演出の線に沿ったものかも知れません。ヴィラゾンのデ・グニューの歌唱は力強く情熱的で、これが舞台をとても説得力あるものにしています。
チャイコフスキー:歌劇「エウゲニ・オネーギン」
アンナ・サムイル(タチアーナ)、ペーター・マッケイ(オネーギン)
エカテリーナ・グヴァノーヴァ(オルガ)、ジョセフ・カイザー(レンスキー)
フェルッチョ・フルラネット(グレーミン)ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場)
バレンボイムの指揮は力強く・作品の核心に一気に斬りこんでいくように、オーケストラ主導でぐいぐいとドラマを引っ張っていく感じです。リズムをプッシュして・旋律を直線的に歌い、切迫した熱く・生々しい感覚があります。演出はオネーギンとレンスキーというふたりの若者の心の葛藤・不毛に焦点を当てており、舞台面では主役級以外の人物は意図的に虚無的に見えるように仕組んでいるようですが、いまひとつ感銘が薄いと思います。歌手陣は声が若々しく・よく伸びていて・それも好感が持てる歌唱です。特にカイザーは役の震えるような繊細な感覚をよく表現して聴かせ、まだフルらネットも深みある説得力のある歌唱で、カーテン・コールでもひときわ拍手が多かったのも当然だと思います。
モーツアルト:ピアノ協奏曲第27番
ダニエル・バレンボイム(ピアノと指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)
しっかりリズムを踏んだ演奏で、がっしりとした構成感が感じられて・渋い印象が強いと思います。バレンボイムのピアノの真摯そのもので・音楽は深いもおがあり、その良さは内省的な第2楽章に出ていると思います。反面、リズムが重めの分躍動感に欠けるところがあって、第3楽章は音楽が沸き立つところがいまひとつのようです。
ブルックナー:交響曲第9番
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、ウィーン楽友協会大ホール)
速めのテンポをオケをダイナミックに動かすブルックナーですが、妙にこじんまりした印象があり・茫洋としたスケール感はいまひとつ。オケはよく鳴っており、やることに不足はありませんが、深い宗教的感動に至らないように思います。その理由を考えるに、リズムをプッシュして・オケを追い立てる感じに指揮するバレンボイムのアプローチに原因があるようです。ブルックナーの場合は手綱を緩めにもって・音を引っ張らねばならないとろこは目一杯引っ張る方が良ろしいのではないか。音楽が滔々と流れない印象なのです。このことを第1楽章と第3楽章で強く感じます。
ハイドン:オーボエ・ファゴット・ヴァイオリン・チェロのための協奏交響曲
ラモン・オルデガ(オーボエ)、モール・バイロン(ファゴット)
グイ・ブラウンシュタイン(ヴァイオリン)、ハッサン・モータツ・ディヴァン(チェロ)
ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団
(ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール)
オーケストラの編成が大きめのせいもありますが・太いのタッチで描いたハイドンで、予想したよりもロマンティックな印象が強い演奏になりました。リズムをゆったり取って、こういうロマンティックなハイドンは近年少なくなりましたが、悪くないものです。柔らかいオケの響きのうえに、ソロの闊達な動きが乗ってゆったりと楽しめる演奏に仕上がりました。各ソロ 奏者も一生懸命で・素敵なハーモニーを聴かせます。
シェーンベルク:管弦楽のための変奏曲
ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団
(ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール)
鋭い線で音楽の軋みを描き出すのではなく、むしろ響きの軋み・不調和のなかから調和(ハーモニー)を生み出そうとする方向へ音楽を作ろうとしているかのような演奏です。したがって音楽全体がロマンティックな印象を生んでおり、響きの軋みもその感触がザラザラと刺激的な響きを出すのではなく・その断面 の角が取れており・響きは太めで゙暖かい感じで、古典的に落ち着いた印象です。それがまたこのオーケストラの理想の姿を描き出しているようであり、オケ全体の真摯な姿勢が伝わってきて・なかなか感動的です。
ブラームス:交響曲第4番
ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団
(ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール)
第1楽章冒頭から遅めのテンポで・旋律を粘るように歌わせます。低音を強調した太いブラームスらしい響きで、特に両端楽章がなかなかロマン性の濃厚な味わいに仕上がっています。第4楽章中間部・管楽器のソロはメランコリックと言えるほどの情感の入れようで・なかなか聴かせますが、そのため中間部がやや重過ぎになって第4楽章終結部とのバランスを失したところがあるかも知れません。ここでは特に高弦がテンポを持ちきれていない感じが否めません。第1楽章終結部にも同じことが言えそうです。熱さがあるだけにこの点はちょっと残念。一方、中間2楽章を軽めにした設計はバランス的に良いと思います。
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
ウェスト・イースタン・ディヴァン管弦楽団
(ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール)
当日のアンコール曲目。ややテンポを速めにとって・颯爽とした印象です。オケの響きが太めで低音がよく効いているので、聴いていて・なかなか充実感があります。
R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)響きはゴージャスで、冒頭部の疾走感などダイナミックな演奏で聴かせますが、若干の物足りなさを感じるのは、中間部でのオーボエなど木管パートの歌い廻しに寂寥感・焦燥感が乏しい点です。木管の扱いはR.シュトラウスではとても大事だと思いますが、よりに選ってベルリン・フィルでこういう情感の乏しいソロを聴くのはちょっと残念ではあります。テンポが遅い叙情的な箇所においてテンポが少し落ちて曲の緊張が緩む感じがあるのも、ちょっと不満に思います。
R.シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)ベルリン・フィルの響きは豊穣ですが、そのため乾いたアイロニカルな感覚を含んだユーモアに乏しい感じです。ダイナミックな音絵巻には仕上がっていますが、全体として曲が大柄で重めに感じらるのは、そんなところに原因があると思います。その意味では生真面目な演奏ということなのです。
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕への前奏曲
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)ベルリン・フィルの弦の深みのある音色と、朗々と響き渡る柔らかいホルンの響きがこれまた素晴らしく、ゆったりとして懐の深い・とても味わいのある演奏であると思います。
エルガー:チェロ協奏曲
アリサ・ヴァイラー=シュタイン(チェロ独奏)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)ベルリン・フィルの暗めの響きが曲によくマッチしています。ヴァイラー=シュタインのチェロも若干線の細さは感じさせますが、感情を込めて力演しています。旋律の細やかな歌い廻しに女性らしい繊細さを感じさせます。特に第1楽章はバレンボイムのサポートと相まって緊張感ある演奏に仕上がりました。
ブラームス:交響曲第1番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)テンポはさほど遅くは感じられませんが、旋律を聴いていると余裕というか・幅というか・ゆったりした感覚があるのは、恐らく・あまりリズムを鋭角的に取らないせいでしょう。そのことの良さも悪さもあります。きっちりした構成感よりも、茫洋としたスケールの大きさが感じられます。その良さが第1楽章に最もよく出てくるようです。ただし、もう少し主張を明確にしてくれないかなというような気分になってくるのも事実で、中間楽章は悪くはないけれども・もう少し引き締まった感じが欲しいと思います。いまひとつバレンボイムのイメージの焦点が定まっていないようなもどかしさを感じます。第4楽章でのバレンボイムは少しテンポを動かして仕掛けに入る気配を見せますが、全体にやや不発気味で、もっとがっちりした骨太い感覚が欲しいと思います。