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アバドの録音 (1988年)


○1988年1月26日ライヴ

モーツアルト:交響曲第38番「プラハ」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ザルツブルク、ザルツブルク祝祭大劇場、ザルツブルク・モーツアルト週間)

ウィーン・フィルの柔らかな弦を生かして、旋律をよく歌わせた演奏です。オケの編成が大きめですが、リズムが重い印象はあまりありません。特に第1楽章が躍動感があって、スケールの大きい好演です。第2楽章もテンポをゆったり取った味わい深い表現だと思います。


○1988年4月2日・4日-1

チャイコフスキー:交響曲第4番

シカゴ交響楽団
(シカゴ、シカゴ・オーケストラ・ホール、米CBSスタジオ録音)

端正な造形で、彫りが深く、響きが磨き上げられています。シカゴ響の素晴らしさは言うまでもありません。楽譜を冷静に見据えて・音楽を理性的にコントロールしようとする意思が強く感じられます。テンポは早めで、四つの楽章のバランスがよく撮れています。特に第1楽章は緊張感があって、交響詩的な密度ある演奏で、聴き終わった後、思わず唸ってしまいます。


○1988年4月2日・4日ー2

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」

シカゴ交響楽団
(シカゴ、シカゴ・オーケストラ・ホール、米CBSスタジオ録音)

スケールの大きい華麗な表現で聴かせます。愛の場面でのシカゴ響の弦のきめの細かい透明な響きを十二分に生かしています。戦いの場面ではオケの機能性が発揮されていて、見事な演奏です。


○1988年5月15日ライヴ

シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(ウィーン、楽友協会大ホール、ウィーン芸術週間オープニング)

アバドがシューベルトの自筆楽譜を調べ上げて、削除されていた部分を復活させた原典版による演奏です。その削除が誰によってどうして行われたのかは分かっていないそうですが、それはともかく・例えば第2楽章の木管の旋律に多少の違いがある(もっとも改訂された旋律の方がスッキリしているようにも思う)とか、第3楽章に4小節ほどのカットがある(これもカットされた方がスッキリしている)とか、第4楽章のティンパニの扱いに多少の違いがあるというのが目立ったところです。もっとも大筋のところではこの曲の従来のイメージを塗り替えるようなものではないようです。全体として早めのテンポで、イタリアの指揮者だからというのではないが・南国的な明るい響きの演奏です。リズム感が優れており、第4楽章はオケのダイナミックな動きでスケール大きく締めています。それにしても細かい部分で繰り返しが多くなっているのか 、早いテンポであるにもかかわらず・何かしら冗長な感じを与えられました。それが57分という演奏時間の長さにも現れているようです。何が何でも原典版が良いというわけでもないのでしょう。


○1988年8月6日ライヴ

マーラー:交響曲第3番

ジェシー・ノーマン(アルト)
ウィーン・ユース・コーラス、ベルリン・フィル合唱団
テルツ少年合唱団
グスタフ・マーラー・ユース管弦楽団
ヨーロッパ・コミュ二ティ・ユース管弦楽団
(ベルリン郊外ヴァルトビューネ、ヴァルトビューネ野外音楽堂)

アバドが組織した若い音楽家主体のオケですが、テクニックは十分で・マーラーの音楽への共感も高いので、とてもフレッシュで見事な演奏を展開しています。彼らのマーラーへの共感をひしひしと感じます。アバドは若いオケだといって妥協はしておらず、テンポ早めで斬れの良い造型を目指しており・またオケもその要求によく応えています。まず第1楽章が重量感があって 、なかなかの力演です。この第1楽章の後の、中間2・3楽章をあっさり軽めに処理していることがまた効果的です。特に第2楽章はその清潔な処理がとても印象に残ります。第4楽章はジェシー・ノーマンの深みのある歌唱が素晴らしく、終楽章はゆったりした懐の深い音楽で締めます。


○1988年11月13日ライヴ

ブラームス:セレナード第2番

ヨーロッパ室内管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・カンマームジーク・ザール)

ヨーロッパ室内管の響きが透明で、木管がよく抜けて爽やかです。全体のテンポを速めにとって・明るいフレッシュな感覚の演奏に仕上がっています。早いテンポで旋律の歌い方がサラサラとした感じに聞こえます。 その分ブラームスの濃厚なロマンティシズムという点で物足りない感じもしなくないですが、切り口として成功しているのは第1楽章・第2楽章です。第1楽章は木管の明るい響きが心地良く、第2楽章は躍動的なリズムが面白く感じられます。曲後半は弦の厚みに不足を感じる場面があります。もう少しテンポを遅めにして旋律に息を持たせてもらいたい 気がします。


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