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アバドの録音 (2004年)


〇2004年2月

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番

マルタ・アルゲリッチ(ピアノ独奏)
マーラー・チェンバー・オーケストラ
(フェラーラ、コムナーレ劇場、独グラモフォン・ライヴ録音)

2000年2月の同じ組み合わせのベートーヴェン・第3番の演奏での傾向が、4年経った第2番ののライヴではより強く感じられます。特にアバドに関して云えば、これはどこか重しが取れたようにさえ感じられます。これはベルリン・フィル辞任(2002年)ということも関係しているのかと思われます。音楽の線が細身になって引き締まり、特に第1楽章においてはリズムの跳ねが強くまり、音楽がピチピチ弾ける感じがします。ただし、そうなると音楽が軽くなって、ベートーヴェンのイメージからどんどん離れていく感じがします。アルゲリッチのピアノは、生気のあるリズムと音色の揺れが魅力的ですが、これもベートーヴェンとはちょっと違う感じに色っぽい。その点が評価が分かれるところだと思いますが、アバドとアルゲリッチが互いに方言で語ったユニークなベートーヴェンだと思って聞けばよろしいのではないかと思います。


○2004年2月・3月

アンナ・ネトレプコ・アリア集
ヴェルデイ:歌劇「椿姫」(ヴィオレッタ)〜シェーナとアリア「不思議だわ、不思議だわ」〜「ああ、たぶん、あの方よ・・馬鹿らしい、これこそ無意味なうわごとだわ」〜「私はいつだって自由」
ベルリー二:歌劇「夢遊病の女」(アミーナ):シェーナとアリア・ぢナーレ「ああ、彼が他の女性を祭壇に導く前に」〜「ああ、花よ、お前がこんなに早く」〜「ああん、私がひたっているこの喜びは」
ベルリー二:歌劇「清教徒」(エルヴィーラ):シェーナとアリア「おお、私に希望を返してくださいませ・・ここであなたの優しい声が」〜「ああ、あなたは微笑んでいらっしゃる」〜「いらっしゃい、いとしい方、月が空に掛かっています」
ベルリー二:歌劇「カプレーティとモンテッキ」(ジュリエッタ):レチタティーヴォとロマンス「私はこうして晴れの衣装を着せられ・・ああ、いくたび」
ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」(ルチア):シェーナとアリア「ああ、神よ」〜「彼の甘い優しい声が」〜「ああ、あの恐ろしい幽霊が現れ出て」〜「かぐわしい香りがくゆり」〜「この世のにがい涙のヴェールを」
ヴェルデイ:歌劇「オテロ」(デズデモーナ):「ご主人様のお心は」〜「私の母は一人の気の毒な女中を使っていたの」〜「寂しい荒野に歌いながら泣く」〜「聖母マリアよ」
プッチーニ:歌劇「ジャン二・スキッキ」(ラウレッタ)

アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
マーラー・チェンバー・オーケストラ
(レッジョ、エミーリア、独グラモフォン・スタジオ録音)

ネトレプコは弱音は美しく、叙情的な表現に優れたところを見せます。しかし、コロラテューラの音の転がしの斬れ、線の明確さにおいてはかなり不満が残ります。ヴィオレッタのアリアでは「不思議だわ、不思議だわ」の部分は叙情的でなかなかのものですが、「私はいつだって自由」は声量的にも苦しく、引き裂かれた感情は伝わって来ず、綺麗綺麗にとどまっています。したがってベルリー二やドニゼッティの各アリアでのテンポの早い劇的なフィナーレ部分においては感銘にまで至らず 、不完全燃焼気味です。もっともテンポの遅い部分においてはなかなか表現細やかなところを見せていますが、ここの変わり目を明確に聞かせないとベル・カントはやはり不十分です。結局、この録音でコロラテューラの技巧が必要ないデズデモーナとラウレッタのアリアが一番聴き物です。アバドのベルリー二やドニゼッティは珍しいと思いますが、オケがスカラ座のようなオペラに慣れていないオケであることもあ り、ネトレプコの歌唱と同じような印象をうけます。表現が平板な感じで、音楽のダイナミックな起伏を感じにくいようです。しかし、テンポの遅い場面でアバドらしい情感の深さを感じさせて 、ハッとさせる場面ももちろんありますが。


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