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吉之助の音楽の雑談3


○リパッティの弾くショパンのワルツ

前項で「リパッティのショパンのワルツはちょっとスタイリッシュに過ぎるところがあるのかも・・」と書きましたが、本稿はそれを補強するような話になるかも知れませんが、しかし、リパッティの演奏は、ショパンの音楽の別の一面を切り取って聴かせてくれるとも吉之助は考えているのです。それは、ショパンの音楽の革新性、あるいは前衛性とも云えるものです。

下記の録音は、リパッティの弾くショパンのワルツ第8番(作品64−3)です。この曲はワルツのなかでも吉之助のお気に入りの曲のひとつです。技巧的にそう難しくない曲とされていますが、旋法を実験したようなところがあり、下手をするとズンチャッツチャの3拍子が耳について優雅には聴こえません。それでやや遅めに弾かれることが多いようです。例えばルービンシュタインの演奏などはほんとにエレガントの極みだと思います。(ここお聴きください。)

吉之助がこの曲が難しいと思うのは、ヒロヒロ撚れるような旋律がしばしばポーンと音が半音に跳躍することです。グレン・グールドはショパンが嫌いで、ショパンの音楽では予測が付かない転調、休止、アクセントがしばしばある、「彼はたった今、何をしたんだ?」と思うような予測不可能なことが起きると云っています。これをグールドは奇態指数」(quirk quotient)と名付けましたが、吉之助が思うには、ショパンのワルツ(遺作を含めれば19曲)のなかで最も奇態指数が高いのが、まさに第8番です。これは吉之助の感覚だと神経がよじれるような感じで、心地良いような、時には煩わしくもある、これはちょっとクセになる感覚です。

吉之助がこの曲をリパッティの演奏で聴くと、家人が「頭が変になりそうだからやめてくれ」と言うので、最近はこのCDはイヤホンで聴くのですが、それで吉之助はこのワルツ第8番を個人的に「気違いピエロの踊り」と呼 んで、密かに愛好しているというわけです。吉之助が思うには、こんな風に聴感覚がよじれる奇態指数の高い演奏は、リパッティの演奏が一番です。(けなしているように聞こえるかも知れないですが、褒めているんですけどね。)テンポをやや速めに取っているのもそのひとつの要因ですが、三拍子の推進力が強いせいでしょう。このリパッティの演奏では半音の跳躍がとても印象的に聴こえます。吉之助は、ショパンではどの曲でも半音の跳躍は、つねに大事だと思っています。

リパッティが演奏するショパンは、ショパンの音楽の革新性、あるいは前衛性のことをつねに考えさせます。ショパンが、ワルツ・マズルカ・プレリュード・ノクターンその他で、民族的・歌謡的な要素を形式のなかに盛り込む行為は、形式を意識することに他ならないのですが、曲想に盛り込まれたロマン性(正確にはバロック性と吉之助は言いたい ところですが)が形式と微妙な食い違いを見せて来ます。その結果形式の溶解が起きます。二十世紀初頭の音楽家たちが行ったことを、ショパンはピアノという楽器で半世紀ほど先駆けて行っているのですね。リパッティが演奏するショパンでは、そう云うことが実感としてよく分かります。だから吉之助がショパンの音楽を考える時には、リパッティの演奏を無視するわけには行かないのです。

(H29・10・31)


○コルトーのマスター・クラス・2

コルトーのマスター・クラスについては、以前、シューマンの「子供の情景」の映像を紹介しましたが、ここに紹介するのは録音のみでショパンのワルツ第1番(作品18)「華麗なる第円舞曲」のレッスンです。この講義はとても楽しいし、コルトーの録音(1934年と43年の2種類の録音がある)と併せて聴くと、得るところがとても多いものです。このワルツの講義でコルトーが強調することは、ワルツのリズムを守ることと、タッチの軽やかさです。

『ショパンが書いたのは「華麗なる(ブリアントな)大円舞曲」なのであって、「やかましい(ブリュイアントな)大円舞曲」ではないよ(笑い声)。これも遊び。ワルツを踊ったことはあるかな?どういう踊りかは知っているね?くるくる回って、時には柔らかく、時には物憂げに、時にはもっと素早くくるくる回る。でもリズムの性格は常に同じだ。そして軽やかに・・・・これはダメ・・・1,2,3、常にこのワルツのリズムで、(シュトラウスのワルツを弾く)(笑い声)、これと同じこと。ショパンの曲では常に民謡的な要素を考えること。様式化され、洗練されてはいても、必ず、大衆的なと云うのではないが、国民的、民族的な要素があるはず。こうじゃない。(例)。よろしい。やかましくなく。コン・アニマ、つまり魂を込めて、気持ちを込めて・・・これはダメ。(例)。こうじゃない、いいね?これもダメ。(例)。これはノクターンじゃない。あくまでもワルツ・・・これで踊れる?・・強過ぎずに・・・。』

ところで、この講義でコルトーが「この弾き方はダメ」と云って例に挙げているものですが、名指しはしていませんが、聴くと、これは明らかにディヌ・リパッティの弾き方ですねえ。(この音源でご確認ください。)リパッティのショパンのワルツの有名な録音は1950年(リパッティは同年に没)のもので、これは当時もっとも最先端な演奏でしたから、特に若い音楽学生には魅力的に感じられたと思います。真似する学生も多かったのではないしょうか。それでコルトーがちょっとクギを刺したのじゃないかと思います。まあこれは解釈の相違と云うべきで、どちらが良くてどちらが悪いということではないです。吉之助はリパッティのワルツも好きなんですが、しかし、コルトーに弾き語りで力説されると、なるほど確かにそうだなあ・・と思うところはあります。

ショパンのワルツは決して舞踏用ではないのですが、しかし、この三拍子の舞踊のリズムを使ってショパンが試みたものは、民族的な要素を三拍子の形式のなかにどれだけ盛り込めるかということだったと思います。これは当時革新的な試みであったわけです。コルトー教授の指遣いを聴いていると、軽やかさのなかにホントに揺らめくようなニュアンスがあります。ショパンの歌謡性ということが、心に残ります。そう考えると、リパッティの演奏はちょっとスタイリッシュに過ぎるところがあるのかも知れませんねえ。

コルトーのマスター・クラス(CD):コルトーが1954年〜1960年にエコール・ノルマル音楽院で行なった行なったマスタークラス録音(音声のみ)

(H29・10・30)


○ハイフェッツの「エストレリータ」

前回エルマンを紹介しましたが、ヴァイオリン小品の名手として、もう一人、ヤッシャ・ハイフェッツの名を挙げねばなりません。硬質で力強い響き、斬れのある技巧、 バリッとした造形、演奏スタイルとしてはエルマンとまったく好対照です。ビング・クロスビーとボブ・ホープの映画・珍道中シリーズのひとつ、「モロッコへの道 Road to Morroco」(1942年制作)だったと思いますが、ビングが相方のボブに「仕事を首尾よくやったか?」というようなことを聞くと、ボブが「Like Heifetz!」と答えるのですねえ。「バッチリですよ」とか「完璧ですよ」という意味なのです。こういう表現が当時のアメリカの大衆映画に出てきて、これで 通用したということだけでも、この時代のハイフェッツの人気の凄さが分かると思います。

ここで紹介するのは、ハイフェッツが弾くポンセの名曲「エストレリータ(小さな星)」です。これはハイフェッツを主演に仕立てた1939年制作の音楽映画「彼らに音楽を They shall have Music」のなかの1シーンです。

ハイフェッツは協奏曲だと見事な造形なんだけど、ちょっと形式感が強すぎるところもあって硬い印象がしなくもないのですが、小品はホントに宜しいです。エルマンとはスタイルが全然違いますが、旋律の息の取り方の巧さは、言葉に言い尽くせません。旋律に歌心が溢れていて、堅い感じがまったくありません。自由な表現がピシッと枠のなかに収まって、形式感がホントに良い方に作用しています。ハイフェッツの小品はどれも素晴らしいのだけれど、なかでもこの「エストレリータ」は、吉之助のお気に入り。切なくて愛しくて、ヴァイオリンの魅力全開と云ったところです。 映画のなかとは云え、演奏を聴いている子供たちの表情が放心状態なのは、さもありなんでしょう。

(H29・4・5)


○エルマンの「モスクワの思い出」

その昔、SP録音の時代(凡そ1950年より以前)には、盤面の収録時間が短かったせいで、器楽奏者の録音は小品が多かったものでした。しかし、LP録音になって、次第に曲目が大曲中心になって、今度は小品が忘れられてしまった感があります。ヴァイオリンで云えば、ポルディー二の「踊る人形」とか、ドルドラの「思い出」とか、或は今回紹介するヴィエ二アフスキーの「モスクワの思い出」など、昔はよく知られていた小品なのですが、近年はほとんど新録音がないようです。演奏会も大曲ばかりのプログラムになってしまって、アンコールでもクライスラーの「愛の喜び」など は聴くことがありますが、ほんとに曲が限られています。しかし、ヴァイオリンの魅力が本当に味わえるのは、やっぱり旋律の語り口が楽しめる小品にこそあると思うのですがねえ。

そういうわけでヴァイオリン小品の名手と云えば、まずフリッツ・クライスラーの名前が挙がるのはこれは当然ですが、吉之助はもうひとり忘れ難い名手として、ミッシャ・エルマン(1891〜1967)を挙げておきたいと思います。エルマンは晩年まで長く活躍しましたが、全盛期は1910〜20年代のSP録音時代とされます。エルマンの音色は艶やかで、ポルタメントを効かせた語り口は独特の粘っこさがあって、甘いと云うより濃厚な味わいで、まあ確かに時代を感じさせるものではありますが、以降の演奏家の誰も真似することができない独特な味わいです。エルマンは歌い回しの息がとても深くて、旋律がじっくり心に沁み込んで来ます。旋律楽器としてのヴァイオリンの魅力を心底味あわせてくれます。このような旋律のなかの呼吸の採り方は、現代のヴァイオリン奏者にとっても学ぶところが多いと思います。そのためには大曲ばかりに取り組むのではなく、もっと小品を弾き込んでくれないか なと切に思います。


 

日本では「エルマン・トーン」ということが云われて熱心なファンが多かったのですが、これは「名曲決定盤」で野村あらえびす(「半七捕物帳」の野村胡堂の別筆名)が名付けたものだそうです。ドヴォルザークの「ユモレスク」の録音もほのかな哀愁を感じさせて忘れ難いものですが、ここではヴィエ二アフスキーの「モスクワの思い出」の録音 (1910年、ヴィクターSP録音)を挙げておきます。曲の基になっているロシア民謡は「赤いサラファン」というもので、これも当時の日本の女学校の音楽の授業でよく歌われたもので した。

(H29・3・28)


○バイロン・ジャニスのショパン

今年(2016年)初頭の報道ですが、映画監督マーテイン・スコセッシが次の題材として米国のピアニスト・バイロン・ジャニスの自伝の映画化を検討しており、脚本の準備に入ったそうです。(記事はこちら。)吉之助は実はジャニスのことをあまり知らなかったのですが、調べてみると、バイロン・ジャニス(1928〜  )はホロヴィッツの数少ない弟子で、若い頃は 華麗な技巧の持ち主として評判で、1960年には当時冷戦下だった米ソの文化交流で最初の米国人として選ばれてモスクワなどで演奏を行い大喝采を受けました。また偶然フランスのお城で、それまで所在が分からなかったショパンの自筆譜を発見したことも大きな話題となりましたが、そういうこともあってかジャニスはショパンの楽譜の校訂も行っており、ショパン演奏の権威とされています。ある時期に強度の腱鞘炎に見舞われ演奏から遠ざかっていましたが、その後、回復して、米国では最も尊敬されているピアニストの一人だそうです。スコセッシがどんな映画を作るのかは楽しみに待ちたいと思います。

ところで、ここに取り上げた映像は、2012年5月30日ニューヨークでの映像(ジャニス84歳)と思われます。曲目はショパンのワルツ第9番(変イ長調・作品69−1)とノクターン第18番(ホ長調・作品62−2)です。 これが技巧を超えたところの、なかなか味わい深い演奏で、これを聴くとスコセッシが映画で描きたいものが何だか分かる気がするんですよ。

吉之助もそう数多く聴いているわけではないですが、ワルツ第9番でこれほど遅い演奏は聴いたことは少ないように思います。この遅いテンポだと三拍子の推進力が失われて、聴いていてこれがワルツであること さえ忘れてしまいそうです。しかし、響きのひとつひとつが心に染み入るようです。このテンポだと下手すると旋律の流れに沈滞して過度にロマンティックに甘ったるい方向へ行きそうなところですが、ジャニスの演奏は コントロールが効いて、旋律の流れに粘るところがまったくありません。そこから澄み切った抒情性が湧きあがります。ノクターン第18番も同様な傾向です。こちらではテンポの揺れがノクターンの幻想的な雰囲気をよく表出していますが、決してムーデイではない。とても理知的な印象ですね。しかし、これを聴くと音楽というのは技巧だけではないんだ、年齢を経ないと描けないものもあるんだというのが、よく分かりますねえ。

(H28・10・24)


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