(TOP)          (戻る)

「妹背山婦女庭訓・三段目・花渡しの段〜山の段」床本

花渡しの段妹山背山の段(山の段)


花渡しの段


奈良の都の八重九重、禁裏守護の太宰の館。入鹿公のおなりとて、ざざめき渡る奥女中。召しに応じて大判事清澄、袴のひだも角菱ある、不和なる中の定高が屋敷。互にそれと白書院、目礼もせずつっと通り、「入鹿公の御座の間ヘ、誰そ案内仕れ」と、云ひ捨てて行かんとす。定高声かけ、
「まづしばらく、珍らしや大判事殿、太宰の少弐が跡目を預かるわらはが屋敷。挨拶もなくお通りは女と思ひ侮ってか。ただし武家の礼儀御存じなくばちっと御伝授申さうか」
と、詞の非太刀打掛けさばき。さはがぬ清澄空嘯き、
「少弐存生より領地の遺恨により、この屋敷のうちへは今日まで足踏みもせぬ大判事。入鹿公のお召しによって参ったは勅諚を重んずるゆゑ。皇居の間へ出仕の心。女童に用なければ、挨拶する口は持たぬ」
「イヤそれなればなほもって、今日入鹿様おなりなれば大内も同然。大判事に御疑ひのことあって、この定高に吟味いたせとの勅諚。この詮議済まぬうちは一寸も御前へは叶はぬ。お控へなされ清澄殿」
「ムヽハテ珍らしきことを聞く。君御詮議の筋あらば検非違使に仰せて、拷問あらんになんの御遠慮。もとより御疑ひ蒙るべき覚えなし。なまぬるき女の吟味、受けるやうな清澄でおりない。御身見事詮議して見るか」
「オヽ太宰の後家この定高が、きっと詮議して見せう」
「イヤ小癪な。そこ退いてはや通せ」
「まかりならぬ」
と根に持つ遺恨、互ひに折れぬ老木の柳。松の間の襖押し開かせ、
「出御なり」
と警蹕の声に、二人も飛び退り、恐れ入ったるばかりなり。入鹿の大臣寛然と、上段の褥より遥かに見下し、
「ヤア大判事。未明より参内せよと、勅使を立つるに甚だの遅参。アレ見よ今日は午の上刻。流星南に出でて北に拱くするは、萬乗の位に即くまろが吉星。それほどのこと知らぬ大判事でなし。ただし、入鹿に仕へるが不足と思ひ、身を退かん下心か。緩怠なり」
ときめ付くれば
「コハ御諚とも覚えず、いま一天四海君の御手に属するとはいひながら、いまだ残党先帝に心を寄する族あって帝都を窺ふ折から、われらが領地紀伊国は、西国南海の咽首にて大事の切所。弓を張り矢尻を磨くに隙なければ思はざる遅参。その上忠臣第一の大判事に、なにごとの御疑ひ」
と憚りなくぞ申しける。
「ホヽその仔細といっぱ。先帝の思ひもの采女の局を、まろが后妃に定めんと行方を尋ね求めるところ、猿沢の池へ入水せし由。いかにしても合点行かず。察するところ采女がありかは、大判事そちがよく知ろうがな」
と、思ひがけなき疑ひに、清澄不審の眉をしはめ、
「コハ存じ寄らざる儀。その采女の御事は、猿沢の池に捨身ありしとは、誰れ知らぬ者ござなきに、われらが行方存ぜしなどとは、なにを目当ての御仰せなるぞや」
「ヤアとぼけな。汝が伜久我之助は采女が付人ならずや。その親たるそちなれば、よも知らぬとは云はれまじ。サア真直に白状せよ。陳ずるにおいては計ふべき旨あり」
「イヤのう大判事殿お聞きありしか。わらはに仰せ付けられし詮議とはこのこと。サア覚えがあらば申されよ」
と云はせも立てず、
「イヤ黙り召され。女の差出るところでなし」
「イイヤ勅諚を受けての詮議なれば、勅答の有無によって、その座はちっとも立たしはせじ」
と、膝立直し詰寄って、双方挑み争うたり。入鹿の大臣大口開き、
「ハヽヽヽイヤ巧んだり拵へたり。定高が領分大和の妹山、清澄が領地紀の国背山。隣国境目の論により、互に確執せしとは表の見せかけ。内々には申し合はせ、故主の帝へ心を通はすおのれらと、わが眼力に違ひはせじ。さすれば天皇采女は両家の中に隠し置かんも知れざるゆゑ、大判事が詮議を申し付けた定高コリャそちにもこの疑ひはかかるぞよ」
「これはまた君の勅諚とも覚えませぬ。夫少弐より仲悪き大判事殿。なにゆゑ申し合はさうやうもなし。私にまでお疑ひは恐れながら」
「云ふな女め。さほど音信不通の中なるに、大判事が伜久我之助。そちが娘雛鳥と、密通いたしをるはいかに。イヤ知るまじと思ふか、伜どもが縁につながれたる汝らなれば、両方ともに吟味は逃れぬ。なんと肝にこたへうが」
と飽くまで邪智の一言に、なに思ひけん大判事、席を蹴立て行かんとす。すかさず定高が刀のこじりむんずと取り、
「コレ待ち給へ清澄殿。気相変へてコリャいづくへ」
「いづくへとは、親々が不和なる仲を存じながら、忍び逢ふ伜が不所存。引捕へて吟味せねば、子供が縁を幸ひに和睦せしと云はれては、わが家の恥辱となる」
「オヽそりゃこの方も同じこと。一且は武士の意地。いまさら仲が直りたいばかりに娘にわざと不義させしと、世上の人に蔑せられては、過ぎ逝き給ふ夫へ立たぬ。わらはもともに」
と裾引上げ駈出す二人をはったと睨め
「私の趣意に立ち騒ぐ尾籠やつ。汝らが伜の不義を吟味はせぬ。まろが尋ぬるは采女がありか。サアいづれかなりと早く云え。なんと/\」
「イヤ伜が性根はいざ知らず。采女殿の儀はかって存ぜず。わが詞に偽りあらば弓矢神の御罰を受けん」
と、刀すらりと抜放し、てう/\と金打し、
「この上にも御疑ひあらば、いかほどの拷問なりとも、サア遊ばせ」
とどっかと坐す。
「オヽわらはとても少弐が妻。家に換へて采女殿はかくまはぬ。水責め火責めに逢ふとても、知らぬことは存じませぬ」
と詞するどに云ひ放す。
「ムヽしからば采女が詮議は追って。まづ汝らが面晴れなれば、かくまはぬという潔白に、定高は雛烏を入内させよ。まった大判事も覚えなきに相違なくば、久我之助は今日より、朕が目通りへ出勤させよ。きっとその旨心得よ」
と、なにがな探る当座の難題。二人は胸にぎっくりと、答へもしばしなかりしが、ややあって詞を揃へ、
「かくありがたき勅諚を」
「互の子供が違背いたさば」
「オヽ云ふにゃ及ぶ」
とあたりなる生け置く桜の一枝押っ取り、
「得心すれば栄える花、背くにおいては忽ちに、まろが威勢の嵐にあて、マッこのほとり」と欄に、はっしと打折り落花微塵。『はっ』とばかりに親々の、心もともに、散乱せり。なほもゆるまぬ大音上げ、
「ヤア/\弥藤次はやく参れ。汝は百里照の目鏡をもって、香具山の絶頂よりきっと遠見をつかまつれ。コリャ/\両人よっく聞け。もし少しでも容赦いたさば両家は没収、従類までも絶やするぞ。性根を定めはや行け」
とせき立つ諚意に親々の思ひは千々の胸の中。見せぬおもてに、忠と義を、張詰めし気のたゆみなく、打連れてこそ、出でて行く。誠に秦の趙高が、馬と欺く小牡鹿の、入鹿が威勢ぞ類ひなき。かかるところへ中門より追ひ/\駈入る鎧武者。
「御注進」
と呼ばはって、御白州に頭を下げ、
「河内の国に武智郡司安彦。先帝に味方をして大鳥の城に籠りしを、官軍残らず馳せ向ひ、敵を攻付け一昼夜に落城。大和に安曇の文次宗秀当麻の辺りに陣を取り、南都を攻むるその結構。馳向うて戦ひしに味方の、官軍利を失ひ、残らず敗北仕る」
と息つぎあへず言上すれば、
「ハヽヽヽヽもの数ならぬ逆徒のやつばら朕馳向うて微塵にせんぞよ。かの穆王が龍馬に勝れし、稀代の名馬、吉野の牧より狩出したる、その馬引け」
と広庭へ引出させ、欄より、ひらりと打乗り、名馬の勇み。手綱かいくり、しと/\/\。轡の音はりんりん/\。綸言誰か背くべき。大地狭しと馬上の勢ひ、刻むひずめも街のこだま
「いそふれ、やっ」
と出陣の駒をはやめて、


 

妹山背山の段


かけり行く。古への神代の昔山跡の国は都の始めにて、妹背の始め山々の中を流るる吉野川。塵も芥も花の山。実に世に遊ぶ歌人の言の葉草の捨所。妹山は太宰の小弐国人の領地にて、川へ見越の下館。背山の方は大判事清澄の領内、子息清船いつぞやより、ここに勘気の山住居。伴ふ物は巣立鳥。こだまとわれとただ二つ。経読鳥の音も澄て。心ぼそくも哀れなり。比は弥生の初つかた、こなたの亭には雛鳥の気を慰めの雛祭、桃の節句の備へ物、萩のこは飯こしもとの、小菊ききょうが配膳の腰も、すふはり春風に柳の、楊枝はし近く
「ノウ小菊。いつものお雛は御殿でお祭りなさるれど、姫様のおしつらひで、此山岸の仮り座敷。谷川を見はらし桜の見飽。雛様も一入お気が晴てよからふのふ。こちらも追付よい殿御持たら、常住あの様に引ついて居たら嬉しかろ」
「ノウききょうの何云やるやら。何ぼ女夫ならんで居ても、あのやうに行儀にかしこまつて、手を握る事さへならぬ。窮屈な契りはいや。肝心の寝る時は放ればなれの箱の中。思ひの絶る間は有まい」
と、仇口々も雛鳥の、胸にあたりの人目せく、
「つらひ恋路の其中に親と親とは昔より、御仲不和の関と成あふ事さへも片糸の、むすぼれとけぬ我思ひ。恋し床しい清船様。此山のあなたにと、聞たを便り母様へ、お願ひ申て此仮屋、お顔が見たさの出養生、ここ迄は来たれ共、山と山とが領分の。境の川に隔てられ、物云かはす事さへもならぬ我身のままならぬ、今は中々思ひの種、いっそ隔て恋詫びる、逢るぬ昔がましぞかし」
と、切なる思ひかきくどき、嘆けばともにこしもと共、
「お道理でござります。ほんにひょんな色事で隣同志の紀国大和、御領分のせり合で、お二人の親御様はすれすれ、雛鳥様と久我様の、妹背の中を引分る妹山背山、船も筏も御法度で、たった此川一つ、つい渡られそふな物。小菊瀬踏して見やらぬか」
「ヲヲめっそふな。此谷川の逆落し、紀州浦へ一てきに流て居たら鮫の餌食。したが申雛鳥さま。お前の病気をお案じなされ、此仮屋へ出養生さしなさったは、余所ながら久我様に、お前を逢す後室様の粋なお捌き。女夫にして下さりませと、直にお願ひ遊ばしたら、よもやいやとは岩橋の渡る事こそならず共、せめて遠目にお姿を」
と、障子ぐはらりとえん端に、覗こぼるるこしもと共。

久我之助はうつうつと、
「父の行末身の上を、守らせ給へ」と心中に、念悲観音の経机、案じ入たる顔形。手に取様に、
「ノウあれあれ、机にもたれて久我様の、物思はしいお顔持。おしゃくがな起りつらん。エエお傍へ行たい。コレここに居るはいな」
と云へど、招けど、谷川のみなぎる音に紛れてや、聞へぬつらさ。
「ヱヱしんき、こちらが思ふ様にもない。コレこっちゃ向て見たがよい」
と、あせるお傍に気のつきづきんに、
「ほんに夫よ、口で云れぬ心のたけ」
兼て認め奥山の鹿の巻筆封じ文、恋し小石にくくり添、女の念の通ぜよと祈願を込て打つぶて。からりと川に落滝津、浪にせかれて流れ行。
「ヱヱどんな。心の念は届いても、女力の届かねば思ふた斗り片便り、返事を松浦佐用姫の、石に成共なりたい」
と、ひれ伏山のかひもなき。久我之助川に目を付、
「何国よりか水中に打たる石は重けれど、逆巻水の勢ひに沈みもやらず流るるは、ムム重き君も入鹿といふ逆臣の水の勢には、敵対がたき時代のならひ、夫を知て暫しの中、敵に従ふ父大判事殿の心、善か悪かを三つ柏。水に沈めば願ひ叶はず浮む時は願成就。吉野を仮の御そぎ川太神宮へ朝拝せん」
と、柏の若葉つみとって、谷をつたひに水の面。見やる女中が
「申申。今の小石が届いたか、久我様が川へ下りなさるる。あの岩角のおり曲が、川端がいっち狭ひ、幸のよい逢せ」
と、いふに嬉しさ雛鳥の、飛立斗振袖も、裾もほらほら坂道を折から風に散花の、桜が中の立すがたしどけ難所も厭ひなく、
「ノウ久我様かなつかしや」
と、いふに思はず清船も、
「雛鳥無事で」
と顔と顔。見合す斗遠間の、心斗が、いだきあひ、詮方涙さき立り。
「申清船様。わしゃお前に逢たさに、病気と云立ここ迄は来て居れど、おやの赦さぬ中垣に忍んで通ふ事叶わず。女雛男雛も年に一度は七夕の、あふせは有に此様に、お顔見ながら添事の、ならぬは何の報ぞや。妹背の山の中を隔つ吉野の川にかささぎの橋はないか」とくどき言。聞清船もかぢ有ば早渡りたき床しさを、胸に包て、「道理道理。我も心は飛立ど、此川の法度厳しきは親親の不和斗でない。今入鹿世を取て君臣上下心心。隣国近辺といへ共、親しみ有ば徒党の企有んかと、互に通路を禁しめて船をとめたる此川は、領分を分る関所も同然。命だに有ならば又逢事も有べきぞ。今流したる水の柏、波にもまれて浮みしは心の願ひ叶ふ知せ。入鹿がおきて厳しければ、我も世上をはばかりて、此山奥の隠れ住み、心のままに鴬の、声は聞共ろう鳥の雲井を慕ふ身の上を、思ひやられよ雛鳥」
と、ままならぬ世を恨なき。
「ノフ又逢事も有ふとは、別るる時の捨詞。たとへ未来のとと様に御勘当受る共、わしゃお前の女房ぢゃ。とても叶はぬ浮世なら法度を破って此川の、早瀬の浪もいとふまじ。何国いかなる方へなと連て退て下さんせ。私はそこへ行ます」
と、既に飛込川岸に、あはて驚きとどむるこしもと。
「イヤイヤ放しゃ」
と泣入娘。
「ヤレ短慮なり雛鳥。山川の此早瀬。水練を得たる者だに渡りがたき此難所。忽命を失ふのみか母後室に嘆をかけ、我にも弥憎しみかかる。科に科を重る道理。アアコレコレコレコレ。必早まり召れな」
と、せいする詞一筋に、思ひ詰めたる女気も、今更よはる折こそ有。
「大判事清澄様御入なり」
『はっ』と驚き久我之助。帰るを名残押とむるも、我身を我身のままならず。
「コレのふ待て」
の声斗。
「後室様御出」
と、告る下部に詮方も、なくなく庵りの打しほれ登る坂さへ別路は、力難所を行心地空にしられぬ花ぐもり。花を歩めど武士の心のけんそ刀して、削るが如き物思ひ。思ひ逢瀬の中をさく、川辺伝ひに大判事清澄。こなたの岸より太宰の後室、定高に夫と道分の石と意地とをむかひ合ふ、川を隔て、
「大判事様。お役目御苦労に存じます」
と、声うちかけをかい取の夫のたましい、放さぬ式礼。清澄も一ゆうし、
「早かりし定高殿。御前を下るも一時参る所も一つ成共、此背山は身が領分、妹山は其元の御支配。川向ひの喧嘩とやらにらみ合ひて日を送る此年月。心解るか解けぬかはけふの役目の落去次第。二つ一つの勅命、狼狽た捌召るな」
とまじり、くしゃつく茨道。脇へかはして、
「仰の通り。入鹿様の御じょう意は、お互に子供の身の上受合ては帰りながら、身腹は分ても心は別々。若あっと申さぬ時は、マアお前にはどふせふと思し召」
「テ知た事。御前で承った通り、首打放す分の事さ。不所存なせがれは有て益なくなふて事かけず。身の中の腐りは殺いで捨るが跡の養生。畢意親の子のと名を付けるは人間の私。天地から見る時は同じ世界にわいた虫。ヤモ別に不憫とは存じ申さぬ」
「きつい思し切。私は又いかふ了簡が違ます。女子の未練な心からは、我子が可愛ふて成ませぬ。其かはりにお前の御子息さまの事は、真実何共存じませぬ。只大切なはこちの娘、忝い入鹿様のお声のかかった身の幸ひ、たとへどふ申さふ共、母が勧て入内させ、お后様と多くの人に敬ひかしづかそふと思へば、此様な嬉しい事はござりませぬ。ホホホホホホホホホ」
と空笑ひ。
「ムムシテ又得心せぬ時は」
「ハテそりゃもふ是非に及ばぬ。枝ぶり悪い桜木は、切て継木を致さねば、太宰の家が立ませぬ」「ヲヲそふなくては叶ふまい。此方のせがれとても得心すれば身の出世。栄花を咲す此一枝、川へ流すがしらせの返答。盛ながらに流るるは吉左右。花を散して枝斗流るるならば、せがれ絶命と思はれよ」
「いかにも。此方もサ此一枝、娘の命生け花を、ちらさぬやうに致しませふ」
「ヲヲサいま一時が互の瀬ごし、此国境は生死のハハハハさかい。返答の善悪に寄て、遺恨に遺恨を重るか」「サア是迄の意趣を流して、中吉野川と落合か」
「先それ迄はそう方の領分」
「お捌きを待ております」
と、詞そばだつ親と親。山と、大和路分かれてもかわらぬ紀の路恩愛の胸は霞に埋れし庵りの内に別れ入。立派にいひは放しても定かにしらぬ子の心、覚束なくも呼子鳥、
「娘娘」
と谷の戸に、音なふ初音雛鳥も、母の機嫌をさし足に、
「かか様よふぞ今日は、お目出たふ存じます」
と、武家の行義の三つ指に、かたい程なお親子のしたしみ。
「ヲヲよふ飾りが出来ました。けふはそなたの顔持もよさそふで、一入目出たい。母も祝ふて献上の此花、供へてたも。いくつに成ても雛祭は嬉しい物。女子共何成と、娘が気にあふ遊びをして、随分といさめてくれ」
と、いつに勝れし後室の、機嫌は訴訟のよい出汐。
「今のをちゃっと乗出して御らふじませ」
とこしもとに、腰押されてもとやかふと、云そそくれのもつれ髪。
「イヤのふ雛鳥。背丈延た娘を、親の傍に引付て置ば、結句病の種。それで急に思案を極め、そなたによい殿御を持す。嫁入さすが嬉しいか」
「ヱヱ」
「ハテ気遣仕やんな。可愛娘の一生を任す夫。そなたの気に入らぬ男を、何の母が持そふぞ。ナアこしもと共」
「ハイハイ左様でござります。お気の通った後室様。嫁入の先は大かた今の、ナこがるる君でござりませふ」
と、押推あてども得手勝手。誰にか縁を組紐に、胸は真紅のふさがる箱取出し、
「妹背をならぶる雛の日は嫁入の吉日、此箱の主は極る殿御。雛の御前で夫定め。コレそなたの夫といふは誰有ふ、入鹿大臣様じゃはいの」
「ヱヱそんならわたしを嫁入さすとは」
「ヲヲ太宰の小弐が娘雛鳥、美人の聞へ叡分に達し、入内させよとモ有難い勅諚」
「ヱヱハアハア」
『はっ』とびっくりうろうろと詞は涙、ぐむ斗
「ヲヲ肝が潰れる筈。夫と申すも恐れ多い、一天の君をむこに取る家の面目。日本国に此上のない嫁入の随一。果報な娘。此様なめでたい事が有物か。ナア女子共」
「ハイハイおめでたいと申そふか。イヤモいっそ乱騒ぎでござります」
と、工合違ひの嫁入に、菊もききょうも投首の、二人は小腹立て行。母の心も色々に、咲分の枝差出し、
「親の赦さぬ云かはし、徒はしかって返らず。一旦思ひ初た男、いつ迄も立て通が女の操。破りゃとは云ぬが、貞女の立やうが有そふな物。コレとっくりとよふ思案仕や。此花は八重一重、互ひに不和なる親々の、心揃はぬ二つの花、一つ枝に取結び、切放すにはなされぬ悪縁の仇花。今そなたの心次第で、当時入鹿大臣の深山颪おろしに吹散され、久我之助はコレ腹を切ねば成ぬぞや。雛鳥と縁きって入鹿様へ降参すれば、清船も命を助る。知せは川へ流す桜、散るかちらぬが身の納まり。時に従ふ風になびき、君が手生の花になれば、八重も一重もつつがなふ、九重の内に伝るる互の幸ひ、恋しと思ふ久我之助、たすけふと殺さふと今の返事のたった一つ。貞女の立て様。サアサアサササササ見たい」と、恋も情も弁へて、義理の柵みせき留ても涙せき上せき上ながら「母様段々聞訳ました。お詞は背きませぬ」「そんなら得心して入内仕てたもるか」
「アイ」
「ヲヲ嬉しや、出かしゃった/\。それでこそ貞女なれ。馴ぬ雲井の宮づかへ、武家の娘と笑われな。けふより内裏上ろうの、髪も改めすべらかし、祝ふて母が結直してやりませう」
といそ/\立ちは立ながら娘の心思ひやり、別れの櫛のはかなさも、ときほどかれぬ憂思ひ。重き背山の、庵の内、父が前に謹んで
「久我之助が心底聞し召分られ、切腹御赦免下さるる事、身に取ていか斗大慶至極」
と手をつけば、黙然たる大判事、やや打うるむ、目を開き、
「今朝入鹿大臣此大判事を召出し、先帝寵愛の采女、身を投げ死たりとは偽。其方がせがれ久我之助。人知ぬ方へ落しやりしに極れば、必定汝らが方にかくまひ有べしとの難題。もとより知ぬ大判事。よくよく思へば采女の御難をさけん為、猿沢の池に入水のていにもてなして、密に落し参らせしは、中中久我之助が智恵でない。鎌足公の差図を受ての計ひと、知たは身もけふが始。親にもかくし包みしは大事を洩さぬ心の金打。若輩者には神妙の仕かた。ハハア出かしたりと思ふに付、邪智ふかき入鹿。久我之助が降参せば命を助ん連来れと、情けの詞は釣よせて、拷問にかけん謀、責殺さるる苦しみより切腹さすれば采女の詮議の根を断大功。天下の主の御為には、何せがれの一人など。葎に生る草一本引抜よりも些細な事と、涙一滴こぼさぬ武士の表。子の可愛うない者が凡、生有者に有ふか。余り健気な子に恥て、親が介錯してくれる。侍の奇羅をかざり、いかめしく横たへし大小。せがれが首を切る刀とは五十年来しらざりし」
と、老の悔に清船も、親の慈悲心有難涙、
「命二つ有ならば、君には死て忠義を立、父には生て養育の御恩を送り申さんに、今生の残念是一つと」
顔を見上、見下して『わっ』とひれ伏す親子の誠。こなたの亭には母後室。
「サア/\目出たい。そなたの名の雛鳥を、其ままの内裏雛、装束の付様も、此女雛と見合せて、。サア/\早ふ」と有ければ、恨めしげに打守り、
「女夫一対いつ迄も添とげるこそ雛の徳。思ふお人に引放され、何楽しみの女御后。茨の絹の十二単、雛の姿も恨し」と、取て打付えん板に、ころりと落し女雛の首。驚く母の胸板に必死と極る、娘の命、包めどせきくるはら/\涙、「娘入内さすといふたは偽り、真此様に首切て渡すのじゃはいのふ」
「ヱヱそんならほんぼんに、貞女を立さして下さりますか。アアかたじけない有がたい」
と、ふし拝む手を取て、
「ノウ入内せずに死るのを、それ程に嬉しがる、娘の心知いでならふか。あっと受ても自害して死る覚悟は知ながら、そなたの死る事聞たら、思ひ合た久我之助。倶に自害召れふもしれぬ。せめて一人は助けたさ、一旦得心したにして、母が手づからといた髪は、下髪じゃない、成敗のかき上髪、介錯の支度ぢゃわいの。尊いも卑いも姫ごぜの、夫といふはたった一人。けがらはしい玉の輿、何の母も嬉しかろ。祝言こそせね、心斗は久我之助が、宿の妻と思ふて死にゃ」
「アイ」
「ヤ」
「アイ」
「エヽ是程に思ふ仲。一日半時添しもせず、さいの河原へやるかいの」
と、引寄/\、雛鳥も膝に取付抱付、かたじけなさと嬉しさと逢で別るる名残の涙。一つに落る三つ瀬川。川を隔て清船が、最後の観念わるびれず、焼刃直なる魂の、九寸五分取直し、腹にぐっと突立る。
「ヤレ暫く引廻すな。覚悟の切腹せく事はない。コリャ冥土の血脈読さしの無量品。親が読じゅする間、一生の名残女が面、一目見てなぜ死ぬ。」
「イヽヤ存じも寄ず、此期に及んで左程狼狽た未練な性根はござりませぬ。去ながら、今はの際の御願ひ、私相果しと聞ば、義理に繋がれ雛鳥も、倶に生害と申べし。左有時は太宰の家も断絶。暫くの間ながら、切腹の義はお隠しなされ、降参承知致せしていに、後室方へお知せ有ば、女も得心仕り、入内致せば彼が為。不義の汚名は受たれ共、是ぞ色に迷うはぬ潔白」
「オヽ出かしたよく気が付た。年来立ぬく武士の意地、不和な中程義理深し。命を捨るは天下の為、助くるは又家のため、気遣ひせずと最後を清ふ、花は三吉野侍の、手本になれ」
と潔く、いへど心の、乱れ咲きあたら桜の若者を、ちらす惜さと不憫さと小枝にそそぐ血の涙落て、なみ間に流れ行。夫共しらず悦ぶ雛鳥。
「アレ/\花が流るるは、嬉しや久我様のお身につつがのないしるし。私は冥土へ参じます。千年も万年も御無事で長生遊ばして、未来で添て下さんせ」
と心でいふが暇乞。
「思ひ置事、云置事もふ何にもござんせぬ。片時も早ふサアかか様。切て/\」
と身を惜まぬ、我子の覚悟に励され、胸を定めて取上れど、刀は鞘に錆付如く、離れ兼たる血筋のきずな、今切殺す雛鳥を無事と知する返事の桜、同じく川に浮くぶれば、
「ハヽア嬉しや、是ぞ雛鳥が入内のしらせ。久我之助が心の安堵、采女の方の御有家は最前申上る通。此世に心残りなし。御苦労ながら御介錯」
「サア/\かか様切ていの。未練にござんす母様」
と泣ぬ顔するいぢらしさ。刀持手も大盤石。思ひは同じ大判事。子よりも親の四苦八苦。命もちりぢり。日もちりちり。
「ハアそふぢゃ。早西に入日輪はむすめがお迎ひ、弥陀の来迎、西方浄土へ導き給へ、南無あみだ仏」
と眼をとぢて、思ひ切たる首諸共『わっ』と泣声。答ゆるこだま。肝に徹して大判事。刀からりと落たる障子。

「ヤア雛鳥が首討たか」
「久我殿は腹切てか」
「ハア」
「しなしたり」
とどふど座し、悔むも泣も一時にあきれて詞もなかりしが、やや有て定高声を上げ、
「入鹿大臣へさし上る雛鳥が首、御検使受取下されと」
呼はる声を吹き送る。風の案内に大判事、嘆きの姿改て、衣紋つくろひしづ/\とおり立つ川辺の柳腰。娘の首をかき抱き、
「大判事様わけては何も申ませぬ。御子息の御命はどふぞと思ふたかひもない、あへない有さま。お前様のお心も推量致しておりまする。添に添れぬ悪縁を、思ひ合たが互の因果。此方の娘も添たい/\と思ひ死。余り不憫に存じます。せめて久我之助殿の息有うちに、此首を其方へお渡し申すが、娘を嫁入さすこころ」
「実尤嫁は大和むこは紀伊国。妹背の山の中に落る、吉野の川の水盃。桜の林大島だい。めでたふ祝言さしませふはい」
「そんなら是までの心もとけて」
「ハテ互にあいやけ同士」
「エヽかたじけない」と悦ぶも跡の祭。
「ほんに背丈延た者を、いつ迄も子供の様に、思ふてくらすは親のならひ。あまやかした雛の道具。一人子を殺して何にせふ。跡に置程涙の種。こしもと共、其一式、残らず川へ流れ潅頂」未来へ送る、嫁入道具。行器。長持犬張子、小袖箪すの幾さおも、命ながらへ居るならば、一世一度の送り物、五丁七丁続く程、びびしうせんと楽しみに、思ふた事は引かへて、水になったる水葬礼。大名の子の嫁入に、乗物さへもなか/\に、かたみも仇の爪琴に、首取り乗せる弘誓の船、あなたの岸より、彼の岸に流るる血汐清船が、今はの顔ばせ見る親の、口に祝言心の称名
「千秋万歳の千箱の玉の緒も切て、今はあへなき此死顔。生て居る中此様に、むこよ嫁よといふならば、いか斗悦ばんに、領分の遺恨より、意地に意地を立通す、其上重る入鹿の疑ひ中直るにも直られぬ、義理に成たが二人が不運。あれ程思ひ詰めた嫁、何の入鹿に従はふ。速も死ねば成ぬ子供。一時にころしたは、未来で早ふ添はしてやりたさ。云合さねど後室にも、是迄不和な大判事を、あいやけと思し召ばこそ、せがれに立て一人の娘。オヽよくぞお手にかけられし。過分に存る定高どの」
「アヽもったいない。其お礼はあちらこちら。ふつつかな娘故、大事のお子を御切腹。器量筋目も勝れた殿御。夫に持た果報者、とは云ながらあれ程迄てしほにかけて育てた子を、又手にかけて切心」
「サゝゝゝ推量致しておる。武士の覚悟は常ながら、まさかの時は取乱し、介錯しおくれ面目ない」
「イエ/\、夫でめでたい此祝言。是がほんの葬よ嫁入。一代一度の祝言に、むこ殿の無紋の上下」「首斗の嫁御寮に対面せふとは知なんだ」
「それも子供が遁れぬ寿命」
「とにも角にも世の中の子と云文字に死の声の」
「有も定る宿業」
と、隔つる心、親々の積る思ひの山々は、解て流れて吉野川いとど、みなぎる斗也。涙払ふて大判事首かき上て声高く、
「せがれ清船承はれ。人間最後の一念に寄て輪廻の生を引とかや。忠義に死る汝が魂ぱく。君父の影身に付添て、朝敵退治の勝軍を草葉の影より見物せよ。今雛鳥と改て親が赦して尽未来、五百生迄かはらぬ夫婦。忠臣貞女の操を立、死たる者と声高に、。閻魔の庁を名乗て通れ、南無成仏得脱」
と、唱ふる声の聞へてや物得云ねど合す手を、合せ兼たる此世の別れ。早日も暮て人顔も、見へず庵の霧隠れ、うづむ娘の亡骸はこなたの山にとどまれど、首は背山に検使の役目。我子の介錯涙の雛、よしや世の中憂事は、いつかたへまの大和路や、跡に妹山、先立つ背山、恩愛義理をせきくだす、涙の川瀬、三吉野の花を、見捨て、出て行。


 

     (TOP)      (戻る)