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「一谷嫩軍記・三段目・陣門〜須磨浦〜組打」床本

陣門の段須磨浦の段組打の段


陣門の段

 

酒極る時は乱る。楽しみ極る時は悲しむとかや。二十余年の栄花の夢跡なく覚めて都をひらき、平家の一門楯籠る、須磨の内裏の要害、前は海(うみ)上はけはしき鵯越。大手は生田搦手は一の谷の山手より、浪打際迄柵ゆひ廻し、赤旗風に吹靡かせ、参議経盛の末子(ばつし)無官の太夫敦盛、父に代って陣所をかため、事厳重に見えにけり。頃は弥生の初めつかた、月さへ入りてくらき夜に、熊谷が一子小次郎直家。先駆けして初陣の高名を顕はさんと出立つ姿は沢潟(おもだか)を、一しほ摺ったる直垂に小桜縅の児鎧(ちごよろひ)猪首に着なす星兜星の光に只一騎、心は剛(がう)の武者草鞋足に任せてはやりをの、山道岩角嫌ひなく一の谷の西の木戸陣門に走りつき、一息ついて四方を眺め、
「ハッア嬉しや我より一番に先駆けする者もなし、跡より人の続かぬ中切入らん」
とかけ廻れど、乱杭逆茂木透間なく、厳しく戸ざす陣所の門
「いかゞはせん」
と見廻す内、遙かの奥に管絃の音、夜は深更に及んだり。折節山路に風もやみ海上も波しづまれば、伎楽のしらべ哀れげにさも面白く聞えけり。小次郎は思はずも心耳(しんに)をすまし聞きとれて
「アッア実にも上臈都人は、情もふかく心もやさしと父母の物語、今こそ思ひ合せたり。かゝる乱れの世の中に、弓矢叫びの音もなく糸竹の曲をしらべ詩歌管絃を催さる。ハヽア床しさよ。いかなれば我々は、邪見の田舎に生れ出で、鎧兜弓矢を取り、かくやんごとなき人々を敵として立向ひ、修羅の剣をとぐことは、浅ましさよ」
とばかりにて覚えず涙を流したり、まだうら若き小次郎が、身の程々を汲分けて感ずる心ぞしをらしき、後の方に蹄の音、誰なるらんと窺ふ中、平山の武者所馬上ゆゝしく駆来り、小次郎が影見るよりも、敵か、味方かいぶかしく、
「何者なるぞ」
と声かくれば、小次郎も透し見て、
「ヤア末重殿か」
「さいふ和殿は、コハ小次郎か」
と馬より降り立ち、
「フム我より先へ来る者はよもあらじと思ひしに、ホヽ心がけ神妙々々。外の人なら平山が先陣を争うて一番に乗入らんが、初陣の健気さに先陣を汝に譲る。気遣ひなしに切入れ/\」
「イヤナウ平山殿。あの管絃の音お聞きなされ。さても雲の上人は又やさしさが違ひますの」
「イヤサそれを和殿は得知るまい。昔諸葛孔明が司馬仲達に押寄せられ詮方つき、櫓にて香を焚いて悠々と琴弾いてゐるを見て、謀もあらんかと我が智恵に迷うて仲達は逃げしと聞く。アレあの管絃もその通り。なに怪しむことはない。はや駆入って高名せよ。但し和殿が恐ろしくば某が先陣せうか。なんと/\」
と気を持たされ、血気にはやる小次郎直家。木戸口に走り寄り、門打叩き大音上げ。
「敵の陣へ物申さん。武蔵国の住人私(し)の党の籏頭熊谷の次郎直実が一子同苗小次郎直家先陣に向うたり。平家方に名ある人々出合うて勝負あれ」
と高らかに呼ばはれば、門内も騒ぎ立ち、
「すはや敵の寄せたるぞ。出向うて討取れ」
と、木戸押開けば、小次郎は太刀抜きかざし駆入るを
「ソレ遁すな」
と軍兵ども俄に騒ぐ鯨波(ときのこえ)、太刀音人声かまびすし、平山いかゞとためらふところへ、熊谷の次郎直実、わが子の先陣心に徹し足を空に駆来り、
「ヤア平山殿候な。倅小次郎見給はずや」
と尋ねを待たず、
「されば/\。最前これへ見えしゆゑ小次郎にいろ/\だん/\、あの大勢の敵の中へ一騎打は叶はぬぞや。ひらによしに召され後詰を待ってのことがよかろといろ/\諌めても、はやり切ったる若者無二無三に切込まれし」
と聞くより直実髪逆立ち、子を失ひし獅子の勢ひ敵の陣へ駆入ったり。こゝやかしこの鬨の声、聞くに平山独りゑみ、
「ホウ思うたつぼ/\。親子共に袋の鼠今の間に討たれをろ。日頃からあの熊谷めと六弥太めが出頭を、くい/\と思うてゐたに、エヽ時節もあればあるもの。手を濡さず風の神よりよい敵、その上親子も剛の者、死者狂ひと働かば、よっぽど敵も悩ましをろ。あらごなしさせ討死さし、その跡へしかくれば高名手柄は思ひのまゝうまいぞ/\/\」
とぞく/\勇み悦ぶところへ、木戸口に数多の人声、スハ敵ぞと身構へし窺ひゐるも、くらまぎれ。熊谷次郎直実わが子を小脇にひんだかへ、陣門をずっと駆出で、
「ナウ平山殿おはするか。倅小次郎手を負うたれば養生加へに陣所へ送らん。お手柄あれ」
といひ捨てゝ飛ぶが如くに急ぎゆく、平山案に相違して油断ならずと馬引寄せ、打乗る間もなく門内より数多の軍兵抜きつれて、我討留めんと駆出づれば
「心得たり」
と抜合せ、受けつ流しつ多数を相手、火花をちらして挑む内、無官の太夫敦盛は、爽かに六具をかため駒を進めて乗出し、平山を見るよりも、まっしぐらに打寄せ給へば、さしったりと渡り合ひ暫しは支へ打合ひしが、先を取られし武者所、殊に多勢に取巻かれ、臆病神の誘ひてや、駒の頭を引返し行先知らず逃出せば、
「ヤアきたなし返せ」
と声をかけいづく迄もとあふり立て跡を慕うて、


 

須磨浦の段

 

追うて行く。
「敦盛様ァ太夫様いなう。この暗いのにただお一人、あぶないはなうお帰り」
と、いへどあてども波近き磯端をうろ/\と袖は涙の玉織姫。夫を尋ね朧夜に心細身の一腰かい込みあなたへ走りこなたへ迷ひ、須磨の浦辺をそこよ、こゝよと尋ね、さまよひ給ひけり。早しのゝめに人顔も、ほのかに見えし山道より平山武者所。漸く逃げのび須磨の浦、駒の足を休めんと暫く息をつぐ中に、玉織姫と見るよりも、やがて馬より飛んでおりつか/\と立寄ってむす
「コレお娘(むす)。テモよい所で出合ひました。いつぞや京で見初めてから、目の先にちらつくやうで、起きても寝ても忘られず、思ひ余ってそ様の親御時忠殿へいうたれば、やらうとあるを幸ひに迎いにやった其の跡でも、アヽ生娘なら術ながら、マア寝てからどうしてかうしてと、ほんに/\どこもかも木のやうに成って待ってゐたに、迎ひにいた玄蕃を殺しよう待ちほうけに召さったなう。サア乗物の代りこの馬に乗せ、連れていんで女房にする」
と、引立つれば、ふりはなし、
「エヽあたいやらしい。親が赦そがどうせうが、敦盛様とは二世の約束。かういふ内にもお行方を尋ね逢うて死なば一所。邪魔しやんな」
と駆行くを、ひん抱へ、
「ムヽ敦盛を尋ねるのか。コレなんぼ尋ねても敦盛の行方、水の底迄在所は知れぬ」
「ソリャなぜに」
「ヲヽ敦盛はたった今わが手にかけて討ってしまうた」
「ヤアなんと、敦盛様を討ったとや。ハア」
はっとばかりにどうと伏し、人目もわかず声をあげ歎き、沈ませ給ひしが、
「夫の敵」
と身構へし切付くる。腕首つかんで、
「ヤアこいつ手向ひか。モウ了簡ならぬといふところをいはぬ。テモこの手の柔かさ尋常なことわいな。モどうも/\エヽ武者ぶるひのするほどどうもならぬ。コレ悪い合点ぢゃ。とんと心を入れかへ、おれに随ふ気にならしゃれ。女房に持ってかはいがるサヽ、どうか/\」
と猫なで声。姫は怒りの涙まじり、
「コリャ世が世ならそちがようなむくつけな侍はそばあたりへも寄せつけぬに、随への靡けのとは穢はしい忌はしい。エヽ腹立ちや」
と又切付くる、腕首捻上げ取っておさへ、
「サア女房になるかならぬか。いやなら殺すがなんと/\」
と、太刀抜持って傍若無人。
「ヲヽ殺さば殺せ畜生め。エヽ誰ぞ強い人が来てこいつを切ってくれぬか」ともだえ給ふぞいたはしゝ強気(がうき)の平山むっとせき上げ、
「ヤアヽにっくい女め、靡かぬ上にいろ/\の雑言。恥面かゝされ堪忍ならず。生置いて人の花と詠めさすもむやくしい。思ひ知れ」
と持ったる刀、胸板ぐっと突通せば、
「あっ」
と一声苦しむ折から、後の方に鯨波。
「スハ又我を追ひ来るや」
と、駒を引寄せ飛乗って逸散にその場遙かに落失せけれ。


 

組討の段

 

去る程に、御船を始めて、一門皆々船に浮かめば乗り後れじと、汀に打寄すれば、御座船も兵船も、遙かにのび給ふ。無官の太夫敦盛は道にて敵を見失ひ、御座船に馳着いて、父経盛に身の上を告げ知らすことありと、須磨の磯辺へ出でられしが、船一艘もあらざれば詮方波に駒を乗入れ沖の方へぞ打たせ給ふ。かゝりけるところに後より、熊谷次郎直実。
「ヲヽイ/\」
と声をかけ駒を早めて追っかけ来り、
「ヤアそれへ打たせ給ふは平家の大将軍と見奉る。正なうも敵にうしろを見せ給ふか引返して勝負あれ。かく申す某は、武蔵ノ国の住人熊谷次郎直実見参せん返させ給ヘ」
と、扇を上げて指招き、
「暫し/\」
と呼ばはったり。敵に声をかけられて何か猶予のあるべきぞ、敦盛駒を引返せば、熊谷も進み寄り、互ひに打物抜きかざし、朝日に輝く剣の稲妻かけ寄り、かけ寄せちゃう/\/\、てふの羽がへし諸鐙駒の足並かっしかっし。かしこは須磨の浦風に、鎧の袖はひら/\/\群れゐる千鳥村千鳥むら/\ぱっと、引汐に、寄せては返り、返りては又打ちかくる虚々実々。勝負も果てしあらざれば、
「いそうれ組まん」
と敦盛は打物からりと投げ給へば、
「ムコハしをらし」
と熊谷も太刀投げ捨てゝ駒を寄せ、馬上ながらむずと組む。
「えい」
「えい」
「えい」
の声の内、互ひに鐙を踏みはづし両馬が間にどうと落つ。すはやと見る間に熊谷は敦盛を取って押へ、「かく御運の極る上は、御名を名乗り直実が高名誉を顕はし給へ。又今生に何事にても思ひ残す御事あらば、必ず達し参らせん。仰せおかれ候へ」と懇ろに申すにぞ。敦盛御声爽かに、
「ヲヽやさしき志。敵ながらあっぱれ勇士、かく情ある武士の手にかゝり死せんこと、生前(しようぜん)の面目。戦場に赴くより、家を忘れ身を忘れ、かねてなき身と知るゆゑに、思ひおくこと、更になし。さりながら忘れがたきは父母の御恩。我討たれしと聞き給はゞ、さぞ御歎き思ひやる。せめて心を慰むため、討たれし跡にて我が死骸、必ず父へ送り給はれかし、我こそ参議経盛の末子、無官の太夫敦盛」
と、名乗り給ひしいたはしさ。木石ならぬ熊谷も見る目涙にくれけるが、何思ひけん引起し鎧の塵を打払ひ/\、
「この君一人助けしとて勝軍に負けもせまじ、折節外に人もなし。一先づこゝを落ち給へ。早う/\」
といひ捨てゝ立別れんとするところに、後の山より武者所数多の軍兵。
「ヤア/\熊谷。平家方の大将を組敷きながら助くるは二心に紛れなし。きゃつめ共に遁すな」
と声々に罵るにぞ、熊谷ははっとばかりいかゞはせんと黙然(もくねん)たり。敦盛卿しとやかに、
「とても遁れぬ平家の運命。こゝを助かり行先にて下司下郎の手にかゝり、死恥を見せんより早く御身が手にかけて、人の疑ひはらされよ」
と、西に向ひて手を合せ、御目を閉ぢて待ち給ヘばいたはしながら熊谷は御後に立廻り、弥陀の利剣と心に唱名、ふり上げは上げながら玉のやうなる御粧ひ。情なや無慚やと、胸も張裂く気後れに、太刀ふり上げし手も弱り、思ひにかきくれ討ちかねて歎きに時も移るにぞ、
「アヽ後れしか熊谷。早々首を討たれよ」
と捻向き給ふ御顔を、見るに目もくれ心さえ、
「倅小次郎直家と申す者丁度君の年恰好。今朝(こんてう)軍の先駆けして薄手少々負うたるゆゑ、陣屋に残しをきたるさへ心にかゝるは親子の仲。それを思ヘば今こゝで討ち奉らば、さぞや御父経盛卿の、歎きを思ひ過されて」
と、さしもに猛き武士も、そゞろ涙にくれゐたる。
「アヽ愚かや直実、悪人の友を捨て、善人の敵を招けとはこの事。早首討ってなき跡の回向を頼むさもなくば、生害せん」
とすゝめられ、
「アヽ是非もなし」
とつっ立上り
「順縁逆縁倶に菩提、未来は必ず一蓮託生」
「南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏」
首は前にぞ落ちにける、人の見る目も恥しと御首をかき抱き、くもりし声をはり上げて「平家の方に隠れなき、無官の太夫敦盛を熊谷次郎直実討取ったり」と呼ばはるにぞ。

磯に臥したる玉織姫絶入りし気も一筋に、夫を慕ふ念力の耳に入りしかむっくと起き
「ナウしばし待ってたべ。敦盛様を討ったとは、いかなる人かナウ恨めしや。せめて名残りに御顔を、一目見せて」
といふ声も、深手に弱る息づかひ。見るより熊谷御首携へ歩み寄り、
「敦盛を慕ひ給ふはいかなる人」
と尋ぬれば、今はの苦しき声音にて、
「我こそは敦盛の妻と定まる玉織姫。お首はどこに。エヽもう目が見えぬ」
と撫廻せば、
「ムヽなにお目が見えぬとや。ヲヽいとしや/\御首はコレコレこゝに」
と手に渡せば、
「わっ」
と泣く/\しがみ付き、膝にのせ抱きしめて消入り絶入り歎きしが、
「ナウコレ敦盛様。アヽはかない姿になり給ふなう。陣屋を出でさせ給ひしより御跡したひ方々と尋ぬる中に源氏の武士、平山武者所。我を見付けて無体の恋慕、だまし討たんも女業。この如く手にかゝり、二人が二人で悲しい最期。せめて別れた御顔が、見て死にたいと思へども、深手に心が引入って、目さへ見えぬか悲しや」
と又御首を撫でさすり、
「宵の管絃の笛の時、後(のち)にとありしお詞が、今生後生の形見かや。この世の縁こそ薄くとも来世では末ながう、添ひとげてたべわが夫」
と、顔に当て身に添へて、思ひの限り声限り、泣く音は須磨の浦千鳥涙にひたす袖の海、引く汐時と引く息の、知死期と見えて絶果てたり。熊谷は茫然と、
「エどちらを見てもつぼみの花。都の春より知らぬ身の今魂はあまざかる、鄙に下りてなき跡をとふ人もなき須磨の浦、なみ/\ならぬ人々の成り果つる身の痛はしや」
と悲歎の涙にくれけるが、是非もなく/\玉織の亡骸を取りをさめ、母衣をほどいて敦盛の、御死骸をあけまき押包み、総角取って引結び、手綱をたぐり結付ける鞍のしほでやしを/\と、弓手は御首、携へて、右に轡の哀れげに、檀特山(だんとくせん)の、うき別れ悉陀太子を送りたる、車慝(しやのく)童子が悲しみも、同じ思ひの片手綱、涙ながらに

 


 

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