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「義経千本桜」・二段目 床本

伏見稲荷の段(鳥居前)、渡海屋・大物浦の段(渡海屋・大物浦)


伏見稲荷の段

 

吹く風に、つれて聞こゆる鬨 (とき)の声、物すきまじき気色(けしき)かな。昨日は北闕(ほっけつ)の守護、今日は都を落人(おちうど)の、身となり給ふ九郎義経、数多(あまた)の武士も散り/\になり亀井六郎、駿河の次郎、主従三人大和路へ、夜深に急ぐ旅の空。後振り返れば堀川の御所も一時の雲煙(けぶり)、浮世は夢の伏見道、稲荷の宮居にさしかゝれば。

義経の御跡を慕ひこ焦がれて静御前、こけつまろびつ来たりしが、それと見るより縋り付き、
「胴慾なわが君」
と、暫し涙にむせびしが。
「武蔵殿を制せよとわしをやつたその後、早や御所をお退きと聞き、二里三里遅れふとも、追付くは女の念力。よふも/\むごたらしう、この静を捨て置いて、二人の衆も聞こへませぬ。わしも一緒に行く様に、取りなし言ふて下さんせ」
と、嘆けば共に義経も、情けに弱る御心。見てとつて駿河の次郎、
「オヽ主君も道すがら噂なきにはあらねども、行く道筋も敵の中、女義を同道なされては如何ならん」
と、すかしなだむる時しもあれ、武蔵坊弁慶息を切つて馳せ着き、
「土佐坊海野を仕舞ふて退けんと、都に残り思はず遅参仕る」
と、言ひもあへぬに御大将、扇を以て丁々と、なぐり情けもあら法師を、目鼻も分かず叩き立て、
「坊主びく共動いて見よ。義経が手討ちにする」
と、御怒りの顔色に、思ひがけなき武蔵坊、『ハツ』と恐れ入りけるが。
「またぞろ御機嫌を損なふたそふなれど、弁慶が身にとつて不調法せし覚へなし」
「ヤア覚えなしとは言はれまい。鎌倉殿と義経が兄弟の不和を取り結ばんと川越が実義、卿之君が最期を無下にして、義経が討手に上りし鎌倉勢をなぜ切つた。これでも汝が誤りであるまいか、サア返答せよ坊主め」
と、はつたと睨んで宣へば、武蔵は返す詞もなく、頭(かしら)も上げずゐたりしが。
「憚りながらその事を存ぜぬにはあらねども、主君を狙ふをまじ/\と見てゐる者のあるべきか。これといふもわが君の漂泊(ひょうはく)より起つた事。無念々々」
と拳を握り、つひに泣かぬ弁慶が足(たし)ない涙をこぼせしは、忠義故とぞ知られける。

義経面(おもて)を和らげ給ひ、
「わが行く先が敵となつて、一人でもよき郎党を力にする時節なれば、この度は赦しおく」
と、仰せに弁慶『ハツ』とばかり頭を下げ、坊主頭を撫で廻して喜べば、
「サアこれからはこの静が君のお供をする様に、取りなし頼む武蔵殿。いかなる憂き目に合ふとても、ちつとも厭はぬ武蔵殿、連れて往て下さんせ」
と、涙ながらわが君に、ひし/\と抱き付き、離れがたなき風情なり。静が別れに判官も、目をしばたゝきおはせしが、亀井に持たせし錦の袋、
「それこなたへ」
と取り出だし、
「これこそ法皇より下し賜はる初音の鼓、また逢ふまでの形見とも、思ふて朝夕なぐさめ」
と、渡し給へば鼓をひしと身に添へて、かつぱと伏して泣きゐたる。時刻や移ると主従も涙と共に立ち給へば、静はそのまゝわが君の御袖に縋り付き、
「渕川へも身を投げて死ぬる/\」
と泣き叫べば、人々も持てあまし、なんと詮方駿河次郎、立ち寄つて会釈もなく取つて引き退け、幸ひの縛り縄と、鼓の調べ引きほどき、静を道の枯木(こぼく)にがんじがらみに括り付け、
「サア邪魔は払ふたり、いざさせ給へ」
と諸共に、道を早めて急ぎ行く。

後に静は身をもがき、わが君の後影、見ては泣き泣いては見、
「エヽ胴慾な駿河殿、情にてかけられた縛り縄が恨めしい。引けば悲しやお形見の鼓が損ねう何とせう、ほどいて死なせて下され」
と、声をはかりに泣き叫ぶは、目も当てられぬ次第なり。落ち行く義経のがさじと、土佐が郎党逸見の藤太、数多の雑兵めい/\松明(たいまつ)腰提灯、道を慣らして追かけしが、枯木の蔭に女の泣く声、
「何者ならん」
と立ち寄つて、
「ヤア、こいつこそ音に聞く義経が妾(おもいもの)、静といふ白拍子。縄までかけて宛(あてが)ふたはうまし/\。この鼓も義経が重宝せし初音といふ鼓ならん。福徳の三年目」
と、藤太手早く縄切りほどき、鼓を奪ひ取り引き立て行かんとするところへ。

四郎兵衛忠信、君の御後慕ひ来て、かくと見るより飛びかゝり、藤太が肩骨引掴み、初音の鼓を奪ひ返し宙に引提げ二三間、取つて投げ退け静を囲ひ、ふんぢかつて立つたるは心地よくこそ見えにけれ。
「ヤア忠信殿よい所へ、よふ見へた」
と、喜べば逸見の藤太、
「さては忠信よき敵、搦め捕つて高名せん」
と、ばら/\と迫取り巻く、
「ヤア、しをらしいうんざいめら。おのれらが分際で、この鼓を取らんとは、胴より厚き面の皮、打ち砕つてくれんず」
と、ぽん/\と踏みのめせば『ぎやつ』とばかりを最期にて、そのまゝ息は絶え果てたり。

鳥居のもとの木蔭より義経主従駆け出で/\、
「珍しや忠信」と、仰せを聞くより『ハツ』とばかり、
「コハ存じよらぬ見参(げんざん)」
と、飛びしさつて手を付けば、亀井、駿河、武蔵坊、互ひに無事を語り合ふ。義経公も御悦喜にて、「今に始めぬ忠信が手柄、あつぱれ/\。今よりわが姓名を譲り、清和天皇の後胤、源九郎義経と名乗り、まさかの時は判官になり代はつて敵を欺き、後代に名を留めよ。これは当座の褒美」
とて、家来に持たせし御着長(きせなが)、忠信に給びければ、『ハツ』とばかりに押し頂き、頭を土にすりつけ/\、
「御姓名まで賜はるは生々(しょうじよう)世々の面目、武士の冥加に叶ひし」
と、喜び涙にくれければ。判官重ねて、
「汝は静を同道して都に留まり、万事よろしく計らへ」
と、君は静に別れを惜しみ、
「さらば/\」
と立ち給へば、今が誠の別れかと立ち寄る静を武蔵坊、亀井、駿河立ち隔て、押し隔つれば忠信も、わが君に暇乞ひ、互ひに無事を頷(うなず)き合ひ、嘆く静を押し退け/\、心強くも主従四人、山崎越に尼ケ崎、大物(だいもつ)さして出で給ふ。
「コレノウ、暫し待つて給べ」
と、行くを制し留むれば、御行方を打ち守り
「御容顔(かんばせ)を見る様で、恋しいわいの」
と地にひれ伏し、正体もなく泣きければ、
「オヽ道理々々。さりながら別れもしばしこの鼓、君の形見とあるからは、君と思ふて肌身に添へ、憂さを晴らさせ給へや」
と、下し賜はる御着長、ゆらりと肩に引担げ、なだめ/\て手を取れば、静は泣く/\形見の鼓肌身に添へ、尽きぬ名残にむせかへり、涙と共に道筋を、辿り/\て

 

渡海屋・大物浦の段

 

行く空の。夜毎日毎の入船に浜辺賑はふ尼ケ崎、大物の浦に隠れなき渡海屋銀平、海をかゝへて船商売、店は碇帆木綿(いかりほもめん)、上り下りの積荷物運ぶ船頭水主(かこ)の者、人絶えのなき船問屋、世をゆるかせに暮らしける。
夫 (おっと)は積荷の問屋廻り、内を賄ふ女房おりう、宿かり客の料理拵へ、所がらとて網の物、塩がらな塩梅(あんばい)も甘ふ育ちし一人娘、お安がついの転寝(うたたね)に、風邪ひかさじと裾に物、奥の襖をがらりと明け、風呂敷わいがけ旅の僧によき/\と立ち出づれば、
「オヽこれはマアお客僧様、今御膳を出しますにどこへお出でなさるゝぞ」
「されば/\、西国への出日和待つて、連れ共もほつと退屈、たゞ居よよりは西町へ往て買物をして来ませふ」
「これは/\残り多い。外のお客へは鳥貝鱠(とりがいなます)、御出家には精進料理分だつて拵へたに、つい上がつてござらぬか」
「イヤ/\愚僧は山伏(やまぶ)なれば精進せぬ。鳥貝鱠よかろぞや」
「それでもお前、今日は二十八日で不動様の御縁日」「ほんにそふぢや、大事の精進、ハテ何としよ、しよ事がない、往てきませう」
とふいと立つ、
「あいた/\/\」
「ハアお客僧様、何となされた」
「イヤ別の事でもないが、寝てゐるはこゝのお娘(むす)か、この子の上を踏み越へたれば俄(にわか)に足がすくばつて。エヽ聞こへた、小さうても女子なれば、虫が知らして癪気(しゅき)張つた物であろ。ヤア大降りのせぬうちに、往てきませう」
と武蔵坊、ばつてう笠引被りいづくともなく急ぎ行く。
母は娘の傍に寄り、
「コレお安、その様に転寝(うたたね)して、風邪引いてたもるなや」と
、抱き起こせば目をすり/\、
「オヽ母様、お前のなさるゝ事見てゐて、ついとろ/\と一寝入り」「オヽそれならば目を覚まして、今朝習ふた清書をとつくりとよふ書いて、とゝ様のお目にかきや」
と、子には目のなき親心、手を引き納戸へ入りにける。
かゝる所へ誰とも知らぬ鎌倉武士、家来引き具し、
「亭主に逢はふ」
と内に入れば、女房驚き走り出で、
「夫は他行、何の御用」
と尋ぬれば、
「身は北条が家来相模五郎といふ者。この度義経尾形を頼み、九州へ逃げ下るとの風聞によつて、鎌倉殿の仰せを受け、主人時政の名代として、討手に只今下れども、打ち続く雨風にて船一艘も調はず。幸ひこの家に借り置いたる船、日和次第出船(しゅっせん)と聞く。願ふ所なれば、その船身共が借り請け艪を押し切つて下らんず。旅人とあらばぼいまくり座敷を明けて休息させい。早ふ/\」
と、権威を見せてのし上がれば。
女房は『ハツ』と返答に、当惑しながら傍に寄り、
「御大切な御用に船がなうてさぞ御難儀、手前のお客も二三日以前より日和待ちして御逗留。今更船を断り言ふて、お前の御用にも立てがたし。殊に先様(さきさま)も武士方なれば、御同船とも申されず。何とぞ御了簡あつて、今夜の所をお待ちなされて下さらば、その内には日和も直り何艘(ぞう)も/\、 入船の内を借り調へて上げませう」
「黙れ女。逗留がなればおのれらには言ひ付けぬ。所の守護へ権付(けんづ)けに言ひ付くる。奥の侍が怖ふておのれらが口から言ひにくゝば、身共が直(じき)に言ふベい」
と、ずんと立つ袂に縋り、
「お急きなさるは御尤もなれども、お前を奥へやりまして、直に御相対(あいたい)さしましては船宿の難儀。何分(なにぶん)夫の帰らるゝまで、お待ちなされて下され」
と、手をすり詫ぶれど、
「ヤアしちくどい女郎め。奥の武士に逢はさぬは、察する所平家の余類か義経の所縁(ゆかり)の者。家来ぬかるな油断すな」
と、留むる女房を刎ね退け突き退け、また取り付くをあらけなく踏み倒し蹴倒すを、戻りかゝつて見る夫、走り入つてかの侍が手を取つて、
「真平御免下さるべし。すなはち私この家の亭主渡海屋銀平。御立腹の様子、我等に仰せ下さるべし」
と、膝を折り手をつけば、
「ムウおのれ亭主なら言つて聞かさん。身は北条の家来なるが、義経の討手を蒙り、奥の武士が借り置いたる船この方へ借らんため、奥へ踏ん込み身が直にその武士に逢はふと言へば、わが女房が遮つて留むる故に今この仕儀」
「ヘエ憚りながらそりやお前が御無理な様に存ぜられます。何故と仰りませ。人の借つて置いた船を、無理に借らふと仰りますは、ナア御無理ぢやござりませぬか。その上にまだ宿かりの座敷へ踏ん込もふとなされたを、やらんと仰つて女房共を踏んだり蹴たりなさるゝは、お侍様にはヘヽ似合ひませぬ様に存じます。この家に一夜でも宿致しますれば商旦那(あきないだんな)様、座敷の内へ踏ん込ましましては、どうも私がお客人へ立ちませぬ。どうぞ御了簡なされて、お帰りなされて下さりませ」
「イヤ素町人め。鎌倉武士に向つて帰れとは推参。是非奥へ踏ん込む」
と、そり打ち返してひしめけば、
「アヽお侍様、それはお前が御短気でござりましよ。私も船問屋(といや)はしてゐますれど、聞きはつゝてをりますが、惣別(そうべつ)刀脇差では人切るものぢやないげにござります。お侍様方の二腰(ふたこし)は身の要害、人の麁忽(そこつ)狼藉を防ぐ道具ぢやとやら承はりました。さるによつて、武士の武の字は戈(ほこ)を止むるとやら書きますげにござります」
「ヤア小癪な奴め。囀(さえず)る頬桁(ほうげた)切り裂かん」
と、抜き打ちに切り付くる、引つ外して相模が利き腕むんずと取り、
「コリヤもふ了簡がならぬはい。町人の家は武士の城郭、敷居の内へ泥脚を切り込むさへあるに、この刀で誰を切る。その上に平家の余類の、イヤ義経の由縁なんどと、旅人を脅すのか。よしまた判官殿にもせよ、大物に隠れなき真綱の銀平がお匿ひ申したら何とする。サア真綱が控へた。ならばびく共動いて見よ。素頭微塵にはしらかし命を取り楫、この世の出船」
と、刀もぎ取り宙に引提げ持つて出で、門の敷居にもんどり打たせば、死に入るばかりの痛みを堪へ、頬をしかめて起き上がり、
「亭主め、よつく覚えてゐよ。この返報にはうぬが首、さらへ落とす、覚悟せよ」
「まだ頬桁叩くか」
と、庭なる碇をぐつと差し上げ、微塵になさんと振り上ぐれば、暴風(はやて)に合ふたる小船の如く、尻に帆かけて主従は、後を見ずして逃げ失せける。

「ホヽウよいざま/\」
と、煙草盆引き寄せ、
「何と女房、奥のお客人も今のもやくや、お聞きなさつたであらふな」
と、女夫がひそめく話声、曳れ聞こえてや一間の襖、押し開き義経公、旅の艱苦(かんく)に窶れ果てたる御顔(かんばせ)、駿河、亀井も後に従ひ立ち出づる。
「こは存じ寄りなや」と、夫も俄に膝立て直し、夫婦諸共手を下ぐれば、「隠すより顕はるゝはなしと、兄頼朝の不興を受け世を忍ぶ義経、尾形を頼み下らんとこの所に一宿せしに、その方よくも量(はか)り知つて、時政が家来を追ひ退け、今の難儀を救ふたるは、業に似合はぬうい働き。我れ一の谷を攻めし時、鷲の尾といへる木樵(きこり)の童(わらわ)に山道の案内させしに、山樵(やまがつ)には剛なる者故武士となして召使ひしが、それに優つた汝が働き。あつぱれ昔の義経ならば、武士に引き上げ召し使はんに、あるに甲斐なき漂泊の身」
と、武勇烈しき大将の、身を悔やみたる御詞、駿河亀井も諸共に、無念の拳を握りける。
「これは/\ありがたい御仰せ。私もこの界隈では真綱の銀平とて、人に知られてゐますれど高が町人。今日の働きも必竟申さば竈(かまど)将軍。些細な事がお目に止まつて、我々連れに御褒美の御詞、冥加に余る幸せ。殊に君を見覚へ奉るは八島へ赴き給ふ時、渡辺福島より兵船(ひょうせん)の役にさゝれ、拙者が手船も御用に達し、一度ならずこの度も、不思議にお宿仕るも深き御縁。さるによつて、お為を存じ申し上げたきは、北条が家来取つて返さば御大事、一刻も早く御乗船しかるべし」
と、言ひもあへぬに駿河の次郎、
「我々もその心、この天気にて御出船はいかゞあらん」
「アヽそれをぬかつてよござりましよか。弓矢打物はお前方の業、船と日和を見る事は船問屋の商売。昨日今日ふは辰巳(たつみ)、夜半(よなか)には雨も上がり、明方には朝嵐に代はつて、御出船にはひん抜きの上々日和、数年(すねん)の功にて見置いた」
と、見透す様に言ひけるは、その道々と知られける。
亀井の六郎ずんど立ち、
「オヽ銀平出かしたり。その方が詞に付いて、雨の晴間に片時(へんし)も早く、主君の御供仕らん」
と、申し上ぐれば義経公、
「船中の事は銀平が宜しく計らひ得させよ」
と、仰せに『ハツ』と頭(こうべ)を下げ、
「只今も申す通り、幼少より船の事はよく鍛錬仕れば、御見送りのため拙者も手船で、須磨明石の辺まで参らん。元船の有り所は五町余り沖の方。船は則ち日吉丸、思ひ立つ日が吉日吉祥、我も雨具の用意を致し、跡より追付き奉らん。女房君を御見立て申せ」
と、言ひ捨て納戸に入りければ。
妻は心得御身をば、隠れ蓑笠参らする、
「オヽ心遣ひ忘れじ」
と、亀井、駿河諸共に、蓑笠取つて着せ参らせ、二人も手早く紐引きしめ、
「いざさせ給へ」
と主従三人、打ち連れ立つて浜辺に出で、兼ねて用意の艀(はしふね)に召し給へば。両人も飛び乗り/\、
「サア/\船頭仕れ」
と、もやひ解けば女房は、門送りして船場に下り、
「御武運めでたくまし/\て、御縁もあらば重ねて御目にかゝるべし。さらば」
「さらば」に艪を押し立て、沖へ出で船女房は、いきせき

内へ入相時。
「アヽ心せかれや」
と、火燧(ひうち)ならして油さし、神棚お上に灯(ひ)を照らし、
「娘、娘、お安/\」
と呼び出だし、
「暮方(くれかた)に手習ひもおきやらいで、今夜は父(とゝ)様侍衆を、元船まで送つてなれば、そなたも寝るまでこゝにゐや。ほんに主とした事が、千里万里も行く様に身拵へ。もふ日も暮れた。用意がよくば行かしやんせ」
と、呼べどぐつとも答(いら)へなし、
「もし昼の草臥れで、転寝ではあるまいか。銀平殿、銀平殿」
と呼び立つれば、
「そも/\これは桓武天皇九代の後胤(こういん)、平の知盛幽霊なり。渡海屋銀平とは仮の名、新中納言知盛と実名(じつみょう)を顕はす上は、恐れあり」と娘の手を取り上座(しょうざ)に移し奉り、「君は正しく八十一代の帝、安徳天皇にて渡らせ給へど、源氏に世をせばめられ、所詮勝つべき軍(いくさ)ならねば、玉体(ぎょくたい)は二位尼抱き奉り、知盛諸共海底に沈みしと欺き、某供奉(ぐぶ)してこの年月、お乳の人を女房といひ一天の君をわが子と呼び、時節を待ちし甲斐あつて、九郎大夫義経を今宵の内に討ち取り、年来の本望を達せんは、ハアハ悦ばしや嬉しやな、典侍(すけ)の局も悦ばれよ」と、勇める顔色(がんしょく)威あつて猛く、平家の大将知盛とはその骨柄に顕はれし。
「さては常々の御願ひ、今宵と思し立ち給ふな。わきて九郎はすゝどき男(おのこ)、仕損じばし、し給ふな」
「ムヽムヽムウそれにこそ術(てだて)あり。北条が家来相模の五郎と言つしはわが手下の船頭共。討手と偽り狼籍させ、某義経に方人(かとうど)の体(てい)を見せ心を赦させ、今夜の難風を日和と偽り、船中にて討取る術(てだて)なれども、知盛こそ生き残つて義経を討つたんなりと、沙汰あつては末々君を御養育もならず。重ねて頼朝に仇も報はれず、さるによつて、某人数(にんず)を手配り、艀(はしぶね)にて後よりぼつ付き、義経と海上にて戦はゞ、西海にて亡びたる平家の悪霊、知盛が怨霊なり。と雨風を幸ひに、彼等が眼をくらませんため、わが形もこの如く、怪しく見する白糸縅(おどし)、この白柄の長刀にて九郎が首取り立ち帰らん。勝負の合図は大物の沖に当つて、提灯松明(たいまつ)一度に消へなば、知盛が討死と心得、君にも御覚悟させまし。御骸(から)見苦しなき様に」
}「オヽ後気遣はずとよき奏を知らせてたべ」
「知盛早ふ」
と勅(みことのり)、
「ハヽヽヽこはありがたし」
と竜顔を、拝し申せばおとなしき八つの太鼓も御年の、数を象(かたどる)る合図の知らせ。
「はやお暇(いとま)」
と、夕浪に/\、長刀取り直し、巴波の紋、辺りを払ひ、砂(いさご)を蹴立て、早風(はやて)につれて、眼(まなこ)をくらまし、飛ぶが如くに

かけり行く。後見送つて典侍の局、御傍にさし寄つて、
「今知盛の仰つたをよふお聞きなされたか。稚なけれども十善(じゅうぜん)の君、このさもしき御姿にては、軍神(いくさがみ)への恐れあり。御装束」と立ち上がり、まさかの時は諸共に、冥途の旅の死装束と、心に込めし納戸口、涙隠して入りにける。
夜も早や次第に更け渡り、雨風激しく聞こゆれば、
「今頃は知盛の難儀しやらん、いとをしや」
と、ねびさせ給べばひたすらに、案じ詫びたる御気色(けしき)。
程なく局は、山鳩色の御衣冠、うや/\しく台に乗せ、その身も共に衣服を改め、一間を出で、「片時(へんし)も早く御装束」
と、御傍に立ち寄り、賤(しづ)の上着を脱ぎ替へて、下の衣(きぬ)、上の衣(きぬ)、御衣冠に至るまで、召さし替ゆればあでやかに、始めの御姿引き替へて、神の御末の御粧(よそお)ひ、いと尊くも見へ給ふ。
「サアこれからは知盛の吉左右(きっそう)を待つばかり」
と、そよとの音も知らせかと、胸とゞろかす太鼓鐘、すはや軍(いくさ)真最中と君のお傍に引添ふて、知らせを今やと待つ折から。
知盛の郎党相模五郎、息つぎあへず馳せ付けば、
「様子は如何に、早ふ聞かせよ/\」
と、局も急きに急き立つたり。
「されば兼ねての術(てだて)の通り、暮れ過ぎより味方の小船を乗り出し/\、義経が乗つたる元船間近く漕ぎ寄せしに、折しも烈しき武庫山颪に連れて降りくる雨雷(いかずち)、時こそ来たれと水練(すいれん)得たる味方の勢、皆海中に飛び込み/\、『西国にて滅びし平家の一門、義経に恨みをなさん』と声々に呼ばはれば、敵に用意やしたりけん、提灯松明ばら/\と、味方の船に乗り移り、こゝをせんどと戦へば、味方の駆武者(かりむしゃ)大半討たれ、事危ふく見へ候ふ。某は取つて返し、主君知盛の御先途を見届けん」
と、申すもあへずかけり行く。
「サア/\大事が起こつて来た。さるにても知盛の御身の上気遣はし、沖の様子いかならん」
と、一間の戸障子押し明くれば、提灯松明星の如く、天を焦がせば漫々たる海も一目に見へ渡り、数多の小船やり違へ/\、船矢倉を小だてに取り、敵も味方も入り乱れ、船を飛び越え刎ね退けて、追つまくつゝゑい/\声にて切り結ぶ。人影迄もあり/\と戦ふ声々風に連れ、手に取る様に聞こゆるにぞ。
「あれ/\御覧ぜあの中に知盛のおはすらん」
「やよいづくに」
と延び上がり、見給ふ内に提灯松明、次第々々に消へ失せて沖もひつそとしづまれば。
『是こそは知盛の討死の合図か』と、余り呆れて泣かれもせず、途方にくれて立つたる所に。
入江の丹蔵朱(あけ)になつて立ち帰り、
「義経主従手いたく働き、味方残らず討死、まつた主君知盛も、大勢に取り巻かれすでに危うく見へけるが、かいくれに御行方知れず、必定(ひつじょう)海に飛び込んで御最期と存ずれば、冥途の御供仕らん」
と、言ひもあへず諸肌くつろげ、持つたる刀腹に突き立て、汐の深みへ飛び込めば、
「ヤアさては知盛も、あへなく討たれ給ひしか」
『ハツ』とばかりにどうど伏し、前後も知らず泣きければ。君も見る事聞く事の、悲しさ怖さに取りまぜて、共に涙にくれ給ふ。
局は嘆きの内よりも、君を膝に抱き上げ、御顔つくづくと打ち守り、
「二年(ふたとせ)余りはこの見苦しきあばら屋を、玉の台(うてな)と思し召しての御住居、朝夕の供御(ぐご)までも、下々と同じ様にさもしい物。それさへ君の心では、殿上(てんじょう)にての栄花とも、思ふてお暮しなされしに、知盛お果てなされては、賤(しず)が伏屋に御身一つ、置き奉る事さへも、ならぬ様に成り果てゝ、つひにはこの浦の土となり給ふかや。上もなき御身の上に、悲しい事の数々が続けば続くものかいの」
と、口説き立て/\身もうくばかり嘆きしが。
「アヽよしなき悔み事。御覚悟急がん」
と、涙ながら御手を取り、泣く/\浜辺に出でけれど、いと尋常なる御姿、この海に沈めんかと、思へば目もくれ心もくれ、身もわな/\とぞ震ひける。
君はさかしくましませど、死ぬる事とはつゆ知り給はず、
「これなう乳母、覚悟々々と言ふていづくへ連れて行くのぢやや」
「オヽそふ思し召すは理り、コレよふお聞き遊ばせや。この日の本にはな、源氏の武士はびこりて恐ろしい国、この波の下にこそ、極楽浄土といふて結構な都がござります。その都にはナ、祖母君(ばばぎみ)二位の尼御を始め、平家の一門知盛もおはすれば、君もそこへ御幸(みゆき)あつて、物憂き世界の苦しみを、免(まの)がれさせ給へや」
と、なだめ申せば打ちしをれ給ひ、
「アノ恐ろしい波の下へ、只一人行くのかや」
「アヽ勿体ない。このお乳(ち)が美しう育て上げたる玉体(ぎょくたい)を、あのなん/\たる千尋(ちひろ)の底へやりまして、何と身もよもあられふぞ。このお乳もお供する。いとし可愛ひの育ひ君、何とお一人やられふぞ」
「それなら嬉しい。そなたさへ行きやるならば、いづくへなりとも行くわいの」
「オヽよふ言ふて給はつた/\」
と、引き寄せ/\抱きしめ、
「火に入り水に溺るゝも、前(さき)の世の約束なれば、未来の誓(ちかい)ましまして、天照らす太神(おおんがみ)へ御暇乞ひ」
と、東に向はせ参らすれば、美しき御手を合はせ、伏し拝み給ふ御有様、見奉れば気も消へ/\。
「オヽよふお暇乞ひなされたのふ。仏の御国はこなたぞ」
と、指差す方に向はせ給ひ、
「今ぞ知る、御裳濯川(みもすそがわ)の流れには、波の底にも都ありとは」
と詠じ給へば、
「オヽお出かしなされた、よふお詠み遊ばした。その昔、月花の御遊の折から、か様に歌を詠み給はゞ、父帝は申すに及ばず、祖父(ぢい)清盛公二位の尼君、取りわけて母門院様、何ぼう悦び給はんに、今はの際(きわ)にこれがマア、言ふに甲斐なき御製(ぎょせい)や」
と、かき口説き/\、涙の限り声限り、歎き口説くぞ道理なる。
局は涙の隙よりも、御髪(おぐし)掻き上げ掻き撫でて、
「今ははや、極楽への御門出を急がん」
と、帝をしつかと抱き上げて、磯打つ波に裳(もすそ)を浸し、海の面を見渡し/\、
「いかに八大竜王恒河(ごうが)の鱗(うろくず)、安徳帝の御幸(みゆき)なるぞや。守護し給へ」
と、うづまく波に飛び入らんとする所に、いつの間にかは九郎義経、駆け寄つて抱き留め給へば、
「ノウ悲しや、見赦して死なせてたべ」
と、ふり返つて
「ヤアこなたは」
「声立てな」
と帝を小脇に引ん抱へ、局の小腕ぐつと捻ぢ上げ、無理無体に引立て/\、一間の内に入り給ふ。
かゝる所へ知盛は、大わらはに戦ひなし、鎧に立つ矢は身の毛の如く、縅(おどし)も朱(あけ)に染めなして、我が家の内に立ち帰れば、後を慕ふて武蔵坊、表の方に立ち聞く共、知らず知盛声を上げ、
「天皇はいづくにまします、お乳の人、典侍の局」
と、呼ばはり/\どうと伏し、
「エヽ無念口惜しや。これ程の手に弱りはせじ」
と、長刀杖に立ち上がり、
「お乳の人、わが君」
と、よろぼひ/\駆け回れば、一間を踏み明け九郎判官、帝を弓手(ゆんで)の小脇にひん抱き、局を引き付け突立ち給へば、
「アラ珍しやいかに義経。思ひぞ出づる浦浪に、知盛が沈みしその有様に、また義経も微塵になさん」
と、長刀取り直し、
「サア/\サヽヽヽ勝負々々」
と詰め寄れば、義経少しも騒ぎ給はず、
「ヤア知盛、さな急かれそ。義経が言ふ事あり」
と、帝を典侍の局に渡し、しづ/\と歩み出で。
「その方西海にて入水と偽り、帝を供奉(ぐぶ)しこの所に忍び、一門の仇を報はんとはあつぱれ/\。我この家に逗留せしより、並々ならぬ人相骨柄、察する所平家の落人。弁慶に言ひ含め、帝を探る計略(はかりこと)。誤つて踏み越えしに、果たして武蔵が五体の痺(しび)れ。その上我に方人(かとうど)の体を見せ、心を赦させ討ち取る術。我れその事を量(はか)り知り、艀(はしふね)の船頭を海へ切り込み、裏海へ船を廻しとくより是へ入り込んで、始終詳しく見届け、帝も我が手に入つたれども、日の本を知ろしめす万乗(ばんじょう)の君、何条義経が擒(とりこ)にする謂はれあらん。一旦の御艱難(かんなん)は平家に血を引き給ふ故、今某が助け奉つたるとて、不和なる兄頼朝も、我が誤りとはよも言ふまじ。必ず/\帝の事は、気遣はれそ知盛」
と、聞く嬉しさは典侍の局、
「オヽあの詞に違ひなく、先程より義経殿段々の情けにて、天皇の御身の上は知るべの方へ渡さふと武士の固い誓言(せいごん)。悦んでたべ知盛卿」
と、聞くに凝(こ)つたる気も逆立ち、局を取つて突き退け、
「エヽ無念、口惜しや。我れ一門の仇を報はんと心魂(しんこん)を砕きしに、今夜暫時(ざんじ)に術(てだて)顕はれ、身の上迄知られしは天命々々。まつた義経帝を助け奉るは、天恩を思ふ故、これ以て知盛が恩に着るべき謂はれなし。サア、只今こそ汝を一太刀、亡魂(ぼうこん)へ手向けん」
と、痛手によろめく足踏みしめ、長刀押取り立ち向かふ。弁慶押し隔て、
「打物技(うちものわざ)にて叶ふまじ」
と、数珠さら/\と押し揉んで、
「いかに知盛、かくあらんと期(ご)したる故、われも今朝より船手に回り計略の裏をかいたれば、もはや悪念発起せよ」
と、持つたるいらだか知盛の首にひらりと投げかくれば、
「ムヽさてはこの数珠をかけたのは、知盛に出家とな。エヽけがらはし/\。そも四姓(しせい)始まつて、討つては討たれ討たれて討つは源平の習ひ。生き代はり死に代はり、恨みをなさで置くべきか」
と、思ひ込んだる無念の顔色(がんしょく)、眼(まなこ)血走り髪逆立ち、この世からなる悪霊の相(そう)を顕はすばかりなり。
かくと聞くより亀井、駿河、主君の身の上気遣はしと、追ひ/\駆けつけ取り廻せば、御幼稚なれども天皇は、始終のわかちを聞こし召し、知盛に向はせ給ひ、
「朕を供奉し、永々の介抱はそちが情、今日またまろを助けしは、義経が情けなれば、仇に思ふな知盛」
と、勿体なくも御涙を浮かめ給へば典侍の局、共に涙にくれながら、
「オヽよふ仰つた。いつまでも義経の志、必ず忘れ給ふなや。源氏は平家の仇敵と、後々までもこのお乳(ち)が、帝様にあだし心も付けふかと人々に疑はれん。さあらば生きてお為にならぬ。君の御事くれぐれも、頼み置くは義経殿」
と、用意の懐剣咽(のんど)に突き立て、名残惜しげに御顔を、打ち守り/\、さらばとばかりこの世の暇(いとま)あへなく息は絶へにける。
思ひ設けぬ局が最期、君は猶更知盛も、重なる憂き目に勇気も砕け、しばし詞もなかりしが。天皇の御座近く涙をはら/\と流し、
「果報はいみじく一天の主と産れ給へども、西海の波に漂ひ海に臨めども、潮(うしお)にて水に渇(かっ)せしは、これ餓鬼道(がきどう)。ある時は風波に逢ひ、お召しの船をあら磯に吹き上げられ、今も命を失はんかと多くの官女が泣き叫ぶは、阿鼻叫喚(あびきょうかん)。陸(くが)に源平戦ふは、取りも直さず修羅道(しゅらどう)の苦しみ。又は源氏の陣所々々に、数多(あまた)駒のいなゝくは、畜生道(ちくしょうどう)。今賎しき御身となり、人間の憂艱難目前に、六道の苦しみを受け給ふ。これといふも父清盛、外戚の望みあるによつて、姫宮を御男宮と言ひふらし、権威を以て御位につけ、天道を欺き天照太神に偽り申せしその悪逆、積り/\て一門わが子の身に報ふたか、是非もなや。われかく深手を負ふたれば、ながらへ果てぬこの知盛、只今この海に沈んで末代に名を残さん。大物の沖にて判官に仇をなせしは知盛が怨霊なりと伝へよや。サア、サヽ息のあるその内に、片時も早く帝の供奉を頼む/\」
と、よろぼひ立てば、
「オヽわれはこれより九州の尾形方へ赴くなり。帝の御身は義経がいづくまでも供奉せん」
と、御手を取つ出で給へば、亀井、駿河、武蔵坊、御跡に引添ふたり。知盛莞爾と打ち笑みて、「昨日の仇はけふの味方、アラ心安や嬉しやな。 これぞこの世の暇乞ひ」
と、り返つ竜顔を見奉るも目に涙、今はの名残に天皇も、見返り給ふ別れの門出、とゞまるこなたは冥途の出船。『三途(さんず)の海の瀬踏みせん』と、碇を取つて頭(こうべ)にかづき、
「さらば/\」
も声ばかり、渦巻く波に飛び入つて、あへなく消へたる忠臣義心、その亡骸(なきから)は大物の、千尋(ちひろ)の底に朽ち果てゝ、名は引く汐にゆられ流れ流れて、あと白浪とぞなりにける


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