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ヴェネチア〜人工的な自然

*本稿は「19世紀の西欧芸術と江戸芸術」に関連した記事です。


イタリアを旅行してきました。ヴェネチアは5世紀頃にアドリア海の干潟に自然発生的に出来た集落を基礎にして次第に成長していったそうです。その後11世紀頃からヴェネチアは海運都市として繁栄を見て・ルネッサンス期に頂点を向かえ、18世紀まででほぼ今日の姿に仕上がったようです。しかし、19世紀にはヴェネチアは発展を止め・時の流れから取り残されたような・不思議な静寂を持つ都市になっていきます。

ヴェネチアは19世紀後半の後期ロマン派〜世紀末の多くの芸術家たちの心を捉えました。作家マルセル・プルーストもそのひとりです。「失われた時を求めて〜逃げ去る女」には、恋人アルベルチーヌとの別れに傷付いた「私(マルセル)」が母親と一緒にヴェネチアを旅する場面があります。

『あなたの(死んだ)お祖母さまがこんなに率直で堂々としたものをご覧になったら、どんなにお好きになったでしょうね」と母は総督宮殿を示しながら私に言った。「ヴェネチアの町をどんなに愛されたでしょう。この町のいろいろな美しいもののなかに、自然と匹敵するくらいの強い親しみを感じられたはずよ。そうした美しいものはみな充実しきっているから、ありのままの姿で何の模様替えも必要としていないのね。まるで他に場所がないからここに置かれたと言ったようなアッコの聖ヨハネの柱ね。それと、あのサン=マルコ寺院の露台にいるあの馬たちよ。お祖母さまは、山に夕日が沈むのを見るのと同じように、総督宮殿に陽が沈むのをみてもきっとお喜びになったわ」  事実、母の言葉には真実の一部が含まれていた。と言うのも、私たちを連れて戻るゴンドラが大運河を遡ってゆく間に、私たちは両岸に立ち並ぶ宮殿や大邸宅が、バラ色に染まった側面に光と時刻を反映させながら少しづつ変化してゆくのを眺めていたからで、それらは個人の住居や名高い建造物と言うよりも、大理石の断崖の連なりに似ており、夕方になると人々は日没を見るために、水路に小舟を浮かべてその断崖の下まで散策に来るのだった。だから運河の両岸に並ぶ住居は自然の風景を思わせた。ただし、人間の想像力を用いてその作品を作り出したような自然である。』(プルースト:「失われた時を求めて」〜「逃げ去る女」)

*上の写真は大運河から夕日に映えるヴェネチア本島の街並みを見る。

ここで「私」が「運河の両岸に並ぶ住居は自然の風景を思わせた・ただし人間の想像力を用いてその作品を作り出したような自然である」と言っているのは、別稿「歌舞伎の水彩画のイメージ」のなかで触れましたが・同じく「失われた時を求めて〜花咲く乙女たちのかげに」において少年時代の「私」がパリのシャンゼリゼ通りの町並みに感じた透明で明るい水彩画のイメージと同じものです。 小説のなかのイメージが循環していることが実感できるでしょう。

ヴェネチアはそう成るべくある意図を以って計画され・構築された街なのではなく、何となく自然にそういう風に成ってしまった街であるのです。その風景にはそう成ろうとして意図されたものがまったく無いように思われます。町並みの統一など は格別に意識されてはおらず、何となく時の流れに任せているうちに成るように成ってしまった・人工的な自然がそこにあるのです。 そこではそれぞれの建物が持つ時代や様式は溶け合って・渾然一体となっており、水彩画のようなイメージを呈するのです。

大事なことはこのヴァネチアの不思議な街並みは何世紀も掛けた時間の積み重ねのなかで生まれたものであり、その「自然さ」というのはある時点から過去を振り向いて見た時に感得されるある種の透明感であり・明晰さなのです。そこには未来の方向性が見出せないなかで何かを産み出そうとして苦悶する世紀末の芸術家たちの心を癒し・励ますものがあったのかも知れません。

*上の写真は船着き場からサンマルコ広場の鐘楼の方向を望む。

『夕方になると、私は魔法にかけられたようなこの町のなかに、ひとりで出かけてゆく。知らない区域に入り込むと、自分がまるで「千夜一夜物語」の登場人物になったような気がする。行きあたりばったりに歩いていくうちに、どんなガイドブックも旅行者もふれていなかった未知の広々とした広場を見つけないようなことはごく稀だった。(中略)ぎゅう詰めにされたこれらの路地は、運河と潟(かた)にはさまれて切り取られたヴェネチアの一片を、溝で縦横に分割しており、まるでこの一片が無数の薄く小さな形に結晶したかのようだ。不意に、こうした小さな道の突き当たりで、結晶した物質が膨張を起こしたらしい。こうした小さな道の作る網の目のなかに、こんな立派なものはおろか、その場所だってあろうとはとても思えないくらいの広い堂々たる広場が、素敵な館に囲まれ、月光に青白く映えて、私の前に広がったのである。立派な建物を一箇所に集めたこのような場所は、他の町だったら、何本もの通りがその方向に走っていて、その場所を指し示しながら人を導いてゆくところである。しかしここでは、わざわざ入り組んだ小路の間に隠されているように見える。ちょうどオリエントのおとぎ話に出てくる宮殿のようなもので、夜そこへ連れてゆかれて夜明け前に連れ戻された人々は、魔法の住居を再び見つけ出すことができないので、しまいには夢のなかで行っただけだと思い込むようになる。その翌日私は、前夜の素晴らしい広場探しに出かけたけれども、歩いてゆく路地はどれもこれもよく似ていて、わずかな情報も与えてくれず、ますます私を迷子にするのだった。時折ごく曖昧な手掛かりを認めたような気がして、孤独と沈黙のなかに幽閉されたあの追放の身の美しい広場の出現が見られるだろうと私は想像する。だが、その瞬間に新たな路地の姿になった意地の悪い魔人のために心ならずも道を引き返す羽目になり、そして突然大運河に自分が連れ戻されたことに気付くのだった。』(プルースト:「失われた時を求めて」〜「逃げ去る女」)

失われた時を求めて〈9 第6篇〉逃げさる女 (ちくま文庫)

上の写真は早朝のヴェネチア本島内の街のなかの小さな広場。街はほとんど無計画で自然発生的。どこか有機的な感覚さえあります。路地は迷路のように入り組んでいて・どこを歩いているんだかしばしば分からなくなりますが、あてもないそぞろ歩きも愉しいものです。暗い路地から広場に出ますと、ほっとしますね。

(H19・8・25)
 

写真は吉之助が撮影したものです。


 
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