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松蔦のような女


「松蔦のような女」という言葉があったそうです。二代目市川松蔦は、二代目左団次の新歌舞伎作品にはなくてはならない相手役でありました。松蔦の美しさは、左団次の舞台に詰め掛けた若い学生さんの憧れの的でした。

上の写真は、「今様薩摩歌」(岡鬼太郎作)のおまん。

ご覧の通り、歌舞伎の女形のエグ味はほとんど感じられない「素の美しさ」という感じです。歌舞伎にキレイな女形・キレイでない女形というのがあると言いますが、さしずめ「キレイな女形」の先駆けがこの松蔦でありましょう。折口信夫は松蔦について

『生涯娘形で終るかと思われる位小柄で美しい女形であった。だが松蔦の美しさは素人としての美しさに過ぎなかったのである。こうした美しさは鍛錬された芸によって光る美しさではなく、素の美しさで、役者としてはむしろ恥じてよい美しさである。』( 折口信夫:「役者の一生」)

と書いています。しかし、キレイなのを素直にキレイと言わないのも野暮というものでしょう。大正時代の学生さんたちが松蔦の美しさに熱狂したというのは分かるような気がしませんか。

*折口信夫:「役者の一生」はかぶき讃 (中公文庫)に収録

上は「番町皿屋敷」(岡本綺堂作)のお菊。

松蔦の本領は新歌舞伎にあって、古典の方は評判はあまりよろしくないようです。しかし、誰にでも向き・不向きはあるもので、まあ、よろしいじゃありませんか。二代目左団次の大正ロマンの香り漂う新歌舞伎の華 こそが、この松蔦なのです。

相手役の左団次が昭和15年2月に亡くなると、まるで後を追うように同年8月に53歳で亡くなりました。

(H15・7・21)


 

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