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色で導き、情けで教え〜「曽根崎心中」をかぶき的心情で読む

〜「曽根崎心中」


1)敵役の存在

「曽根崎心中」で理解しがたいのは、お初・徳兵衛を心中の原因を作った敵役九平次の存在です。九平次は徳兵衛の友人ですが、いくら徳兵衛がお人よしでも銀二貫目という大金を貸したほどの友人ですから、それなりに気の合った付き合いをした仲だったのだろうと思います。ところが九平次は何ゆえに徳兵衛に対してこれほどの悪意をもって恩を仇で返すのか ・徳兵衛に何の遺恨があるのかがどうしても理解できません。

現代の観客は主人公を破滅に導く悪役にもやはりそれなりの必然(動機・理由)を求めたくなるものです。もし九平次に徳兵衛を嫌う正当な理由が見出せないなら、九平次はやはり相当な悪意ある人物・性根の悪い人物としか思われません。そこのところが近松の「曽根崎心中」では理解しにくて、作品の欠陥のようにも見えます。それならば逆に九平次の敵役の性格をもっと強調して、お初・徳兵衛をいたぶり・追い込んでいけば、ふたりが心中にひた走る哀れさが一層増すというものです。そういう訳で「曽根崎心中」は原作通りに上演されずに、もっぱら改訂版で上演されていくことになります。

正徳5年(1715)、お初・徳兵衛十三回忌に豊竹座で上演された「曽根崎心中十三回忌」(紀海音の改訂による)では、「天満屋」の最後(お初・徳兵衛が逃げ出した後)で、徳兵衛の伯父平野屋久右衛門が登場し、九平次が徳兵衛を陥れた偽せ判を暴き、徳兵衛の無実を明らかにするという改訂がされました。この改訂では、九平次はある意図をもって徳兵衛を陥れた悪い奴であったということになります。現在上演される宇野信夫脚本の「曽根崎心中」でもこの改訂は取り入れられています。

こうなるとお初・徳兵衛は無実の罪に陥れられたわけで、「ホントは死ななくてもいいのに・心中に追い込まれてしまった」ということになります。こうすれば確かに可哀相な話にはなりますが、なんだかお初・徳兵衛の心中が被害者的・逃避的に見えてきて、吉之助はこの改訂はどこか釈然としないのです。筋は分かりやすくなったかも知れないが、着想が平凡 なのです。本「歌舞伎素人講釈」では、お初・徳兵衛の心中は、「彼らが生きようとして、最後まで生きようとして、彼らの生の意味(アイデンティティー)を追求したところで起きたもの」だと考えたいと思います。彼らの心中は「追い込まれた」のではなく・自ら「突き進んだ」ものなのです。

だとすればここで改めて、お初・徳兵衛の心中の原因を作った九平次のことを考えなくてはなりません。九平次がお初・徳兵衛を嫌ってあのような行為をしたとすれば、その理由にこそ「曽根崎心中」を解く鍵があると考えなければなりません。


2)九平次の気持ち

徳兵衛は醤油屋の手代ですが、店の主人とは叔父・甥の関係です。その主人は徳兵衛に目をかけて妻の姪と結婚させて商売をさせようと言って来ますが、徳兵衛はすでに天満屋のお初という遊女と馴れ合っており、この話を断ってしまいます。主人は怒って、結婚を前堤にして徳兵衛の義母に用立てた銀二貫目を期限までに返すように要求し、「それが出来なければ大坂の地は踏ませぬ」とまで言います。

当時の大坂の商家で奉公する番頭・手代にとって、主人の娘(この場合は姪ですが)と結婚してその店を引き継ぐというのは願ってもない最高の夢でした。商家にとっても生まれる子供は女の子の方が喜ばれました。出来のいい息子を育てるよりも、奉公人の中から出来のいいのを選んで娘と結婚させて後継ぎにする方が家を存続させる確実性は高くなるからです。徳兵衛は醤油屋の後継ぎとして見込まれていたわけで、この大坂で商売をする人間の最高の夢を、たかが遊女風情のために捨てた「馬鹿な男・愚かな男」というのが一般の大坂人の目から見た徳兵衛のイメージだということです。九平次はこの大坂人の目を代表していると考えるべきでしょう。

九平次の素性は作品では明らかではありません。徳兵衛の遊び友達なことは確かですが、九平次はつかみ合いの喧嘩になった時に徳兵衛に「ヤアしやらな丁稚あがりめ、投げてくれん」と言ってますから、おそらくはどこかの 大店のボンボンでしょう。将来の商売仲間だと思って付き合っていた徳兵衛が、遊女との純愛を貫くなどという「馬鹿なこと」を始めた時から九平次の友情は軽蔑に変わったということで す。「お前らの仲間にはならないよ」と言われたのと同然であるからです。いくら徳兵衛がお初を真剣に愛していたとしても、九平次から見れば所詮は「売り物・買い物」の遊女であり、お初は徳兵衛に金でなびいている女だとしか九平次は思っていません。九平次には、こんな女に道を誤った徳兵衛が自分たち「大坂商人」を否定して・踏みにじった存在にさえ見えたかも知れません。

徳兵衛はちょうど「義理と人情の世界から足を洗おうとして仲間から誅される」のと同じような罰を九平次から受けたということです。「大坂商人の世界」はそんなに甘いものじゃなかったのです。徳兵衛は期限までに銀二貫目を主人に返さなければ店を追い出されることになり、さらに九平次に偽印を使ったと言われて、商道徳を踏みにじってはもはや大坂に居ることはできません。

「生玉社の場」の冒頭で、近松は徳兵衛に自身の置かれた状況をかなり詳細に説明させています。これだけ説明すれば、当時の観客には徳兵衛が破滅寸前であることは明白であった と思います。九平次の徳兵衛いじめの動機をわざわざ説明しなくても、大坂商人の感覚からすれば徳兵衛が「軽蔑すべき人間」であったことは明らかなのです。


3)お初の気持ち

もちろん、徳兵衛をそういう社会の義理にあえて背を向けて「人間としての真実・お初への愛」を貫いた人間と見ることも可能ですが、そういう見方はやはり後世の見方かも知れません。徳兵衛はかなり情けない男に描かれています。しかしお初は違います。「曽根崎心中」でのお初は、金で身を売る遊女であるにもかかわらず、まことの心で徳兵衛をとことん愛し抜く女に描かれています。その情熱は熱く、観客の心を揺さぶります。

楼主にしてみると遊女は「商品」ですから、遊女が客に入れ込むのは厳重に警戒したものでした。遊女は商売ですから誰にでも惚れたふりはするものですが、客に本気で惚れてはならなかったのです。ところがお初は本気で徳兵衛に惚れています。さらに自分が遊女である境遇に反発していると思いますが、お初は自分もまたひとりの人間であり、ひとりの女性であることを本気で主張しようとしています。当時にしてみれば、これは「とんでもないこと」なのですが、この熱い気持ちが観客の気持ちを揺さぶるのです。なぜかいうと、これは当時の時代的気質というべき「かぶき的心情」に訴えるところがあるからです。

「天満屋」で九平次は徳兵衛の悪口を言いまくりますが、お初は涙にくれながら、縁の下にいる徳兵衛に独り言になぞらえながら、

「さのみ利根(りこん)に言はぬもの。徳さまの御事、幾年なじみ、心根を明かし明かせし仲なるが、それはいとしぼげに、微塵訳は悪うなし。頼もしだてが身のひしで、騙されさんしたものなれども、証拠なければ理も立たず、この上は、徳さまも死なねばならぬ。しななるが死ぬる覚悟が聞きたい」

と徳兵衛に決心を即します。そして徳兵衛の覚悟を知ると、

「オオ、そのはずそのはず、いつまでも生きても同じこと、死んで恥をすすがいでは」

と叫びます。これには九平次も思わずギョッとしますが、この前後の近松のお初の描写は鬼気迫るというか、実に迫力があって、九平次でなくても鳥肌が立つような感じがします。

お初の主張は「こうなった以上、徳兵衛は自分の身の潔白を示すために死んで見せねばならぬ」ということにあります。こうしなければ大阪商人徳兵衛が徳兵衛であることの証はたてられない、その証を立てるために死ぬのだということです。これは「自己のアイデンティティー」の主張であり、まさに「かぶき的心情」から発せられた科白なのです。かなり直情的ではありますが、それがまさに「かぶき的心情」の現れ方なのです。そして感情的ではあるがそれなりの理性もあって、そこでは社会と個人の関係がしっかりと見据えられていて、自分の確かな位置(評価)を主張します。そのために「死ぬ」というのです。しかも、その科白が「遊女風情」から発せられているのですから、当時の観客が受けたその衝撃はかなりのものであったと推測されるのです。だからこそ「曽根崎心中」はあれほどのヒットになったのに違いありません。

お初のこうした心情の背後には、自分が遊女であり「売り物・買い物」と見られることへの不満がかなりあると思われます。そこに現れたのが徳兵衛という男で、徳兵衛はお初を遊女としてではなくひとりの女性として対等に見てくれる男であった。この意識がお初を徳兵衛と一心同体にさせています。「天満屋」でのお初は本気で怒り、徳兵衛に対して「あなたは怒るべきだ、受けた恥をすすぐには死ぬしかない」と主張します。しかし、徳兵衛と自分を同一視しながら、お初は「この男を愛した私」という自己のアイデンティティーの主張をしているのです。だからこそお初の主張は熱く、観客を感動させるのです。

お初の主張が無くとも徳兵衛は死ぬことになったと思います。しかしそれは情けない死に方になったことでしょう。お初が「オオ、そのはずそのはず、いつまでも生きても同じこと、死んで恥をすすがいでは」と叫んだ時に、お初・徳兵衛の心中は「自己のアイデンティティー」の主張であるにもかかわらず、ただの個人的行為ではなくはっきりと「メッセージ」を持った行為として大阪の観客の目に写ったのです。だからこそお初は「色で導き、情けで教え、恋を菩提の橋となし、渡して救う観世音」なのです。この感動こそ社会を巻き込んだ「心中ブーム」の根源であり、また江戸幕府に心中を危険視させた理由なのです。

(H13・12・15)


 

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