(TOP)             (戻る)

吉之助流「歌舞伎の見方」講座

第6講「芸談を読む」


1)芸談とは何か

芸談というのは芸にまつわる役者の苦心談やエピソードのことですが、広い意味では雑誌の役者のインタビューも芸談ですし、評判記などの文献や古い雑誌の劇評なども芸談の範疇に入れてもいいと思います。これらは「歌舞伎とは何か・芸とはなにか」を考えるための材料・ヒントであり、系統立っているとは言えないこの世界では、こうした芸談を読みながら少しづつ自分なりのイメージを作り上げていく以外にはありません。

なかには正反対のことを言っている芸談もあって混乱することがあるかも知れません。それはどっちが正しくてどちらが間違っているということではないのです。芸を考える材料に過ぎないのですから。

その多くはバラバラの断片で、本や雑誌やプログラムの中から探していくしかありません。これでは余りに時間と手間が掛かりすぎますが、実際、歌舞伎の好きな人はこういうのをシコシコ集めながら勉強しています。しかし、これが玉石混交で、量も多いし質もバラバラ。自分が読んでハッとする芸談に出会う確率もそう多いものではありません。テーマ別に芸談をまとめていくといいかも知れませんが、もう少しなんとかならんかなとは思いますね。

作品別に芸談を手繰っていくのでしたら国立劇場が上演のたびに編集して出している上演資料集がもっともお手軽で重宝します。すべての必要な文献が網羅されているわけでもありませんが代表的な芸談・劇評を読むことが出来ます。(残念ながら国立劇場の売店でバックナンバーがそろいませんので、過去の上演のものが欲しければ古本屋を漁るしかありません。 )

芸談は、芸談集の白眉ともいわれる六代目梅幸の「梅の下風」・「女形の事」のように、ひとりの役者によってある程度系統立ってまとめられたものもありますが、今では上演されない芝居の記述も多く、これを一冊読み通すのは正直申して相当に難儀です。専門の研究者でない限りは興味ある部分の拾い読みで十分だと思います。

素人読者の存在を意識して「歌舞伎とは何か・芸とは何か」を平易にまとめた芸談集は意外に少ないようです。そういう意味でレベルが高いのは、十三代目仁左衛門の「菅原と忠臣蔵」・「夏祭と伊勢音頭」(以上向陽書房)・「とうざいとうざい」(自由書館)、八代目三津五郎の「歌舞伎・虚と実」(玉川大学出版部)などでしょうか。これも今では古本屋でしか手に入らないかも知れません。

そういうわけで芸談集めをしますと必然的に古本屋通いが多くなりますが、吉之助はここで「古本屋通い」をお勧めしているわけではありません。ふだんから雑誌「演劇界」などを読みながらそこに載っている芸談に関心をもつことをお勧めします。「芸談を読む」ことこそ「歌舞伎・伝統・芸を考えること」だと申し上げます。芸談なしでは、こうした問題を考えていくことは不可能だと思います。


2)「芸談を読む」ということ

芸談を通しておぼろげに浮かぶ上がってくるのは、その作品・役の性根の解釈だけにとどまらず「芸とは何か・伝統とは何か」、はたまた「日本のこころとは何か」という問題です。芸談はひとつの知識を教えてくれるものではなくて、これらを数多く読み、芸の世界の周辺を浮遊していくことで、おぼろげながら「芸とは・伝統とは・歌舞伎とは」ということの輪郭を自分なりにつかんでいくということです。それが「芸談を読む」ということです。

たとえば本サイトの記事「舞台の足取りを考える」を例にあげますと、ここで取りあげたエピソードは「山城少掾が相三味線の四代目清六のテンポに文句をつけた」というそれだけのことであります。「清六のテンポがちょっと早かった」という表面的にはそれだけのことですが、このエピソードから『丞相名残』をどうとらえるかという作品解釈の問題を考えることもできますし、さらに、サイトの記事のように芝居の足取り・テンポの取り方を考えることも可能だと思います。また、山城少掾・清六の名コンビの芸への葛藤を読むことも可能です。(これについては四代目清六・山城少掾との訣別」をご参照ください。)それを読みとって「芸とは何か・作品とはなにか」を自分なりに引き出していくのが、「芸談を読む」ことの面白さであり、難しさであります。

「もっとお手軽に・体系的に『丞相名残』を解説してくれよ、まどろっこしい」とメルマガをお読みになってお感じになられたかも知れませんが、本サイトで文章を書き始めてみて改めて痛感していますが、芸とか伝統とかいうものはそういう風にストレートに性急に結論を求めていくものではなさそうであります。第一、そんなに簡単に歌舞伎が分かっちゃ詰まらないのじゃないでしょうか。芸とか伝統というのは、「この役はこうしたものだ・こうすべきだ」といった結論ではありませんので、そんなものは実はどうでもいいのです。そんなものは演じる人・見る人が違えば微妙に変わるものでして絶対的な解釈なんてものはないのです。大事なのは「芸とは・伝統とは何か」を考えつづけるという態度なのです。これを続けているうちに、ある時に「何か分かってきたみたい」というのが来るのではないでしょうか。

「芸談」はそのことを考えるきっかけを与えてくれるものだと思います。

(H13・9・6)



   (TOP)            (戻る)