(TOP)     (戻る)

第三期の「歌舞伎素人講釈」〜この20年・これからの10年


2001年1月3日、サイト「歌舞伎素人講釈」はひっそりと誕生しました。本年(2021年)1月で、本サイトは21年目に入ります。こう云う場合、歳月を10年(decade)単位で測るものだそうで、本サイトはこれで第三期に突入することになるわけです。我ながらよく続いたものですねえ。道のりは決して平たんであったわけではなく、吉之助もモチベーションの維持にはいつも苦労してきました。ここまで続いたのも、みなさまのご贔屓・ご鞭撻の賜物と、厚く御礼申し上げる次第です。ここまで来たからには、吉之助も体力が続く限り、本サイトを続けていきたいと思っています。幸い歌舞伎の場合は材料は無尽蔵にありますから、ネタについては全然心配していません。まあ気負わずマイ・ペースで続けて行きたいと思います。

おかげさまで「歌舞伎素人講釈」も、歌舞伎のサイトとして一応の評価をいただける存在に成長しました。現在インターネットで初めての方が歌舞伎について調べようと思ったら、吉之助のサイトを踏まないで済むことは多分あり得ない状況です。現在、本サイトはトップ頁のアクセスカウンターだと日々の訪問は大体100〜150くらいのところで推移していますが、実は検索でその下の記事の方へ直接飛んで来られる方がとても多くて、ユニーク・ユーザーで日々1,000〜1,500くらいありまして、ページ・ビューだと更にその2〜3倍くらいの数字になります。20年書き続けてサイトの記事総数は既に1,200を越えていますから、このくらいの訪問数があっても不思議はないのかもしれませんが、理屈ばかりの堅苦しい歌舞伎サイトであるにも関わらず、日々これだけ多くの方に記事を読んでいただいているらしいとは、我ながらちょっと驚きの数字ではあります。一体どんな記事が多く読まれているのか気になりますが、残念ながらそこまでは解析が出来ません。多分、直近に見る(見た)芝居の関連で、本サイトに辿り着く方が多いのだろうと推測はしています。芝居を見てふと疑問を感じた時や・もっと歌舞伎を深く知りたいと思った時などに、伝統芸能・歌舞伎を深く考えていくためのヒントとして、「歌舞伎素人講釈」をお役に立てていただけているならば、これは大変嬉しいことです

さて10年前(2011)の第二期口上において、「歌舞伎素人講釈」の最初の10年は、吉之助にとって「六代目歌右衛門以後の10年」、歌右衛門の死を自分のなかに落とし込んでいく為の10年であったと書きました。それはサイト開設間もなく・2001年3月31日に六代目歌右衛門が亡くなったからでした。吉之助が歌舞伎を本腰を入れて見るようになったのは昭和50年代初めのことですが、当時の吉之助にとって「昭和歌舞伎イコール歌右衛門」であったからです。

ここで吉之助にとっての「歌舞伎素人講釈」第二期(2011〜2020)を総括せねばなりませんが、やはり第二期は、「十八代目勘三郎以後の10年」と位置付けることになると思います。勘三郎が亡くなったのは2012年12月5日のことなので、現時点で没後8年目ですが、食道がんの闘病期間と・その以前に突発性難聴で芝居を休んでいた時期があるので、第二期に限れば、勘三郎が舞台で活動した時期は実質1年くらいのものでした。また勘三郎は歌舞伎で天下を取る前に亡くなってしまいましたから、「平成歌舞伎が勘三郎の時代であった」とまでは言えません。(これについては別稿「平成歌舞伎の31年」をご覧ください。)

サイトでも何度か書きましたが、勘三郎と吉之助は同世代であり、勘三郎が七十過ぎた頃(吉之助も七十過ぎになった頃ということだから、まだあと7年ほど後のことになりますが)「勘三郎もやっと先代(十七代目)に似て来たねえ・・」とか客席でブツブツ呟きながら泣くことを将来の楽しみに、吉之助はずっと歌舞伎を見続けてきたようなものでした。それなのに勘三郎が先に死んでしまいました。「・・それでもまだ三津五郎がいる」と思っていたら三津五郎まで死んでしまい、吉之助も身の回りに片づけなければならない事案が色々あってドタバタ格闘しているうちに、第二期が終わってしまいました。そういうわけで勘三郎の死を自分のなかに落とし込んでいく実感がないまま、気が付いてみたら、心にぽっかり穴があいていたというところです。こういう感覚は、まったく偶然のことですが、最後の2020年が新型コロナの自粛生活のせいで空虚なものになってしまったこととも、吉之助のなかで象徴的に重なっているようです。そのような微妙な気分で「歌舞伎素人講釈」第二期を終えることになりました。

二人の役者の死を以て「歌舞伎素人講釈」の20年を振り返ってみました。このことは吉之助にとって、歌舞伎が現在進行形の趣味ではなく・過去形の趣味に次第に変っていくことを意味しました。但し書きを付けますが、これは現在の歌舞伎が駄目で興味がなくなったと云っているのではなく、むしろその逆です。このようなことは、或る思いを以て長い期間歌舞伎を見続けていれば、決して避けられないことなのです。こうして観劇体験はその人の人生のなかに徐々に浸みこんで行くのです。そもそも伝統芸能とは過去に発し・過去から高められる芸能なのですから、自分のなかで歌舞伎が「過去形」になっていく感覚が伝統芸能である歌舞伎を考える上で、とても大事なことになってきます。しかも、この境地は決して自らが望んで得られるものではありません。ですから歌舞伎を研究する身にとってみれば、吉之助もいよいよ新しい段階に入るということだと思います。まあそういう意味でも、これから老境に入っていく吉之助が第三期に何が出来るかが、大事なことになるでしょう。

晩年の柳田国男が或る時、「・・しまった。えらいことをした。民話の収集や語源の研究に時間を費やすんじゃなかった。もう時間がない。・・」と呻いたそうです。現在の我々が柳田民俗学に入る時は、膨大な著作のなかから、大抵まず民話や語源の著作を選ぶだろうと思いますけれど、しかし、柳田自身は他のもっとやらねばならないことが別にあると思ったようなのです。多分柳田が一番取り組みたかった仕事とは、「日本人とは何か、日本という国はどこから発して・どこへ向かうのか」というテーマであったと思います。

幸い吉之助の場合には、柳田のようなことを呻く歳になるまでには、まだ時間があります。そこでまずサイト・トップページの角書に標榜した通り、歌舞伎・文楽など伝統芸能を通じて「日本のこころ・芸のこころ」をさまざなな角度から考えていくための「伝統芸能研究サイト」であるとした・原点に立ち返って、これまでの二十年間で培ったものの集大成するための第三期にしたいと思っています。

このところのサイトの記事は、毎月の舞台の観劇随想が中心になっています。この路線は、云わば「日本のこころ・芸のこころ」を考えるための「各論」として、これからも堅持していきます。また過去映像(特に昭和期の)の観劇随想を意識して増やしていきたいと思っています。吉之助は生(なま)の舞台と、過去映像を区別するところはまったくありません。両者の間を可逆的に行き来することで、「歌舞伎素人講釈」の、過去から発し・過去から高められる伝統芸能サイトのコンセプトを、より明確に提示出来るものと考えています。(別稿「過去の映像を見ることの意義」をご参照ください。)

もうひとつ、これまで培ってきた「歌舞伎素人講釈」の理念を整理して、「日本のこころ・芸のこころ」を考えるための総論的な記事、あるいは周辺事象から伝統芸能を考えていく記事を充実させることを考えています。以前どこかで予告してそのままになっていますが、折口信夫の「死者の書」論考、谷崎潤一郎の「細雪」論考、これと本居宣長の論考については挫折したわけではなく、材料を集めて・いずれ書くつもりでゆっくり準備を進めております。但しまだ書き始める段階に至っておらず、時間が掛かるかも知れません。

吉之助はもともとクラシック音楽批評を志し・その後歌舞伎批評の方へ転向した人間です。したがってクラシック音楽は常に「歌舞伎素人講釈」の柱ですが、現在の吉之助の立ち位置であると、どちらを取るかと云われれば、歌舞伎を取らねばなりません。今後のクラシック音楽関連の記事は少なくならざるを得ないと思いますが、こちらも折に触れて更新したいと思います。

(R3・1・1)


 

    (TOP)    (戻る)