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吉之助への五十の質問

本サイトを見て「吉之助とは何者なるや」と思われた方もいらっしゃることでしょう。隠れ学者の変名であるか、とのメールをいただいたこともありますが、そんな大層なものじゃございません。そこで自己紹介の代わりに、吉之助へのインタビューを掲載します。最近、百の質問というのがインターネットで流行っているようですが、これをもじって「五十の質問」です。


1)初めて見た歌舞伎は何でしたか。

吉之助が初めて歌舞伎を見たのは高校生の時だから決して早いわけではないでしょう。昭和47年(1972)のことで、前進座の「俊寛」でした。 幕切れの演出を見て非常に感動しました。歌舞伎というのはとっつきにくいと思ってたけど意外とリアルじゃないかというのが最初の印象でした。 歌舞伎を一生懸命に見るようになったのはそれから数年後のことでした。

2)本職は何ですか。

吉之助の専攻は化学なので全然歌舞伎と関係ないのです。理系の人にも歌舞伎を好きな人は結構いるもので、例えば河竹登志夫先生も物理学専攻ですよね。でも、歴史や文学は昔からずっと好きでした し、音楽も美術も好きだし、もともとそうした芸術関連が好きなのです。吉之助の現在勤めている会社も化学系ですから、もちろん仕事は歌舞伎とはまったく縁がありません。今になって見ますと、もしかしたら文系に行って古典文学でも専攻したほうが良かったかなという後悔の念もチラチラしないこともありませんが、しかし、恐らくこういうことは趣味に留めておいた方がいい場合もあるみたいですね。

3)芸事を何かやっていますか。

まったく経験がない。義太夫か三味線、日本舞踊でもやっておけばよかったと内心は後悔もしているが、いまさら遅いよな。

4)本格的に歌舞伎を見始めたきっかけは何ですか。

学生時代に ヨーロッパに単身旅行して感じたことですが、当地の人々が自国の文化に持っている誇りというのは大したものだと思いました。それでは外国人に日本を紹介する時に自分に紹介できるものは何だろうと思ったのですが、その時に思い付いたのが吉之助の場合は歌舞伎であったのです。それが歌舞伎を気を入れて見るようになったきっかけです。だから吉之助の場合は、頭から歌舞伎を理解しようとして入っているようなところが確かにありますね。

5)歌舞伎に本格的に関心を持ったお芝居は何ですか。

吉之助の場合は昭和53年(1978)10月新橋演舞場での「桜姫東文章」ということになるかな。玉三郎の桜姫、団十郎(当時は海老蔵)の清玄・権助二役。これはこのコンビで再演を是非お願いしたいものです。一見するとごちゃごちゃだけど、実によく考えられて作られている精巧な作品だなと思ったわけです。あるいは昭和54年(1979)9月歌舞伎座の歌右衛門一世一代の「四谷怪談」も衝撃的で したね。当時は第二次南北ブームと言われた時期でした。

6)どのくらいの頻度でお芝居を見ますか。

かつて若かりし時には、東京でやった歌舞伎はかたっぱしから見ていましたが、今は仕事やら何やらで時間が無いせいで・年に数回というところです。昔は金がないので三階席専門でしたが、いまはとりあえず金の心配はないので見るときは一等席です。頑張った自分へのご褒美ということでそれくらいはいいでしょ う。

7)今はあまり歌舞伎を見ないということは、今の歌舞伎が好きじゃないということですか。

そういうわけじゃなくて時間がないということだけなんですが。しかし、言われてみれば、何がなんでも時間を作って歌舞伎座へ行くというほどの情熱はないな。 まあ、舞台をある程度見ちゃってその記憶で満足しちゃってるということかも知れません。今の歌舞伎が好きじゃないということでは決してありません。昔初舞台を見た御曹司が立派な役者になったのを見ると「あの子が立派になったねえ・・」というような気持ちになるのはそれだけ歳をとったということでもあるが、しかし、これからいよいよ「先代の舞台はねえ・・・」と独り言を言える楽しみが味わえるということでもあるな。

8)ご贔屓の役者は誰ですか。

六代目歌右衛門、それに十七代目勘三郎です。あれっ、どちらも物故者だな。歌右衛門はなんと言ってもその集中力から来る凄みにおいて比類ない名優でありました。勘三郎はなんとも役者の味がする人でした。ちょっと崩れた舞台も見ましたけどね、それがまた憎めないのだから。

9)六代目歌右衛門での思い出の舞台を挙げてください。

「関の扉」の墨染桜の精。「合邦」の玉手御前。「山の段」の定高。「兜軍記」の阿古屋。・・・「恐怖時代」のお銀の方、これを挙げるのは吉之助くらいかな。もひとつおまけ「孤城落月」の淀君。これが吉之助の見た歌右衛門の最後の舞台だったなあ。

10)十七代目勘三郎の思い出の舞台を挙げてください。

「身替座禅」の右京。「芸阿呆」の大隅太夫。「陣屋」の熊谷。「山の段」の大判事。「鮓屋」の権太。右京はともかく、その他の役は勘三郎の五役でこういうのを挙げる人はあまりいないかもなあ。しかし、 吉之助には非常に大事なのですよ。あれれ世話物がひとつもないね。おまけ「髪結新三」の新三、「巷談宵宮雨」の竜達。

11)他に忘れ難い舞台はありますか。

挙げれば切りがないけれど、十三代目仁左衛門の「道明寺」の菅丞相、二代目鴈治郎の「沼津」の十兵衛を思い出すなあ。それと昭和55年歌舞伎座での猿之助の「千本桜」三役での通し上演、これは吉之助は猿之助歌舞伎のピークだったと思ってます。鳥居前での忠信の狐六方の引っ込みは汗が玉と飛び散るようで、今でもその熱気を思い出します。

12)もう少し早く歌舞伎を見ておけば良かったと思うことはありますか。

昭和40年代は歌右衛門の全盛期であるのだけれど、二代目鴈治郎の芸のピーク時期でもあっただろうと思うのですね。国立劇場の記録フィルムで「妹背山・太宰花渡しの場」を見たことがありますが、歌右衛門の定高も幸四郎の大判事も鴈治郎の入鹿の前に完全に吹っ飛んでおりました。もう少し早くから芝居を見ていれば元気な鴈治郎の舞台がもっと見れたのに・・・というのがちょっと心残りなのです。

13)嫌いな役者は誰かいますか。

嫌いな役者などいませんよ。皆さん、それぞれ良いところをお持ちです。

14)楽屋訪問などはしたことはありますか。

特定の役者さんを個人的に存じ上げていることはありませんし、誰かの楽屋にお邪魔したこともありません。また、そうしたいとも全く思いません。三島由紀夫が何度誘われても歌右衛門の楽屋に行くのをなかなか承知しなかった気持ちは良く分かります。夢は夢のままの方がいいじゃありませんか。もし芸談を採取するような機会が出来るなら、あるいはそうしてみようかということもあるかも知れませんが。

15)好きな歌舞伎のジャンルは何ですか。

このサイトをご覧になってもお分かりと思いますが、吉之助の好みはどちらかと言えば時代物であるのは確かです。時代物のように作品に大きな骨格が備わっているものの方が分析がし易いのです。だいたい 吉之助は骨太の構造なものを好む傾向があるようです。世話物の評論は役者の味に左右されるところがあって印象論になり易いので難しいですね。

16)好きな時代物を挙げるなら何ですか。

見取りで挙げるならばやはり「熊谷陣屋」ですね。「太十」や「逆櫓」も好きです。通し狂言ならば「義経千本桜」ということになるか、三大歌舞伎はやはり吉之助にとっては大切です。

17)好きな世話物を挙げるなら何ですか。

難しいところだが「引窓」か「堀川」ということになるでしょうか。人情の温かさが感じられるじゃありませんか。

18)好きな歌舞伎作家は誰ですか。

興味深いのはやはり四代目鶴屋南北でありましょう。吉之助にとっての南北は精巧な機械職人みたいなイメージです。非常に構造的な感じがします。しかし、考えてみると南北物の上演されている作品は意外と少なくて、「四谷怪談」のほかは一般によく知られているわけではないんですよね。筋が入り組んでいて説明がしにくいし、それでメルマガの題材にはちょっとしにくいんですよね。。

19)黙阿弥は嫌いですか。

そんなことはありません。吉之助の好きなのは黙阿弥の前半期のもの、つまり四代目小団次と提携した時期の作品ですね。メルマガで四代目小団次を取り上げて「三人吉三」の台本を読んでみて、 吉之助の黙阿弥観がかなり変化したのは事実です。黙阿弥は歌舞伎を音楽的・情緒的なものに傾斜させたということが言われますが、これは間違いだと思っています。もしそうだとしたら、それは後世の歌舞伎役者たちが悪いのです。明治以降の黙阿弥については、いずれメルマガで考えてみたいと思っています。

20)近松門左衛門はどうですか。

近松は「日本のシェークスピア」などと呼ばれて持ち上げられて尊敬されているし、作品も文学全集などで手軽に手に入る割には表面的に理解されているようです。義理人情の問題など、かなり実質と違うところで誤解をされているところが多いと思います。だからメルマガの材料としては格好なので、「心中天網島」などは是非取り上げてみたいと思っています。しかし、近松の世話物は注釈書も多く出ていることだし独自の斬り口を提供できるまでは慎重にいきたいと思います。

21)歌舞伎十八番は好きですか。

吉之助もその昔は歌舞伎十八番というのは歌舞伎の最高演目のリストなのかと思ってました。初めて「勧進帳」(海老蔵・今の団十郎であったな)を見た時は「十八番」の看板がやたら重く見えてえらく感激したものでした。今はまあ・・・もちろん「勧進帳」・「助六」・「鳴神」くらいならば見たいと思いますがね。

22)好きな新歌舞伎は何ですか。

真山青果の「元禄忠臣蔵」、とくに「御浜御殿綱豊卿」。日本演劇には珍しい本格的な台詞劇だと思います。やっぱり吉之助は青果みたいな理屈っぽいのが好きなのですね 。

23)好きな舞踊は何ですか。

「道成寺」・「関の扉」なんかは有り難がって見ますが、それを例外とすれば小品の方が好きですね。「三社祭」とか・「浮かれ坊主」・「藤娘」などの軽いものです。舞踊というのは吉之助にはどうも印象批評しかできなくて、メルマガで取り上げるのが難しいなあ。

24)文楽は見ますか。

文楽を見始めたのは歌舞伎を見始めてからちょっと後のことです。一時は歌舞伎より文楽だと思った時期があるくらい、文楽は好きです。とにかく歌舞伎の舞台は場面が省かれて筋がよく分からないところが少なくない。文楽を見てるとその謎が解けるのだから面白くって仕方がありませんでした。歌舞伎を勉強したい方は、是非、文楽を見ることをお勧めします。

25)タイムマシンに乗って昔の役者の舞台を見れるなら何が見たいですか。

ひとつだけならば、やはり六代目菊五郎と初代吉右衛門の共演を見なければならないでしょうな。二長町市村座での「四千両」か「湯灌場吉三」・「宇都谷峠」・「佃夜嵐」でも何でもいい、見たい。もひとつお願いできるなら、九代目団十郎と五代目菊五郎の共演が見てみたいですね。「天衣紛上野初花」か「日月星享和政談」なんてのはどうでしょうか。

26)女形は気持ち悪いと思いますか。

玉三郎なんかを見てるとあまり感じませんが、正直言うと気持ち悪いと思います。吉之助の初めて見た女形は先代国太郎ですが、もう晩年でしたし・不思議なものだなあと思いました。 吉之助が見た歌右衛門も 梅幸も・盛りは過ぎてましたし絵面としてはまあ美しいとは言えなかったかも知れませんが、これが「芸の力」なんだと納得して頭で見ていたところがあったかも知れません。しかし、慣れると不思議なものでこれがいいのですね。三島由紀夫のいう「くさやの味」ですね。これは女優では代替できないと思います。メルマガで「女形の哀しみ」ということを書きました。こういうことを書いた人はいなかったと思いますが、こういう問題には正面から向き合わないと歌舞伎の本質的な問題点が理解できないと思ってます。

27)歌舞伎のテーマは古臭いと思いませんか。

近年の歌舞伎の評論を見ますと、身替りとか・仇討ち・子別れとか古臭いねえと言われそうなので、そうじゃないと言うために「親子の情愛・男女の情愛」を前面に押し出しているという感じが否めないと思います。そうすれば古今東西・普遍の愛の論理で説得ができると信じているようですね。要するに自分自身が歌舞伎のテーマは古臭いと感じているので・説得する方に自信がないのだろうと思います。 吉之助は昔の人は昔の論理で・仇討ちも身替りも子別れも必死で演じていたし・観客も 真剣に見ていたと思っているので、別に古臭いとも何とも思いません。むしろ、こういう風に感じて行動していた人々が昔はいたのかと思うと新鮮に思いますがね。

28)今の歌舞伎はテンポが間延びしていると思っていますか。

間延びしてると思ってます。しかし、それは単に台詞のテンポを早くすればいいとかいう問題ではないようです。腹に息を詰めてられるかという問題であるようです。古典の場合はむしろテンポは遅くても 息を詰めて・構成感をしっかりと保つことが必要だと思ってます。これは歌舞伎だけのことではないようです。というのは、クラシック音楽でもリズムの打ち込みが浅い・旋律の呼吸が浅い演奏が多くなって、また聴衆の方も息の浅い・なんだかセカセカした演奏を活気がある演奏のように誤解するような傾向があって、聴く側の感覚にも問題があるように思うからです。これは現代という時代が持つ問題なのかも知れませんね。

29)尊敬する評論家は誰ですか。

サイトを見てもお分かりの通り、武智鉄二と折口信夫です。それぞれ一冊お勧めするならば、武智鉄二:「芸十夜」(八代目三津五郎との対談集)・折口信夫全集第17巻「芸能史篇」を是非お読みください。頁をめくるたびに発見がありますよ。

30)武智鉄二について何か。

武智さんには直接お会いしたことはありません。武智鉄二というといやらしい映画の監督さんみたいに思っている人が多いのは本人のためにも大変に残念です。武智さんは最後のパトロン・芸能庇護者というだけではなくて、演劇評論に初めて理論・科学を持ち込んだ人であってその功績は非常に大きいものがあると思っています。この科学性こそが それまでの日本の演劇評論になかったものなのです。吉之助は勝手に武智鉄二の弟子を自称していますが、「歌舞伎素人講釈」を3年やって・まあ泉下の武智さんにも少しは認めてもらえるかなとは思っておりますが。

31)折口信夫について何か。

折口さんの文章はどこか懐かしい遠くのふるさとを感じさせてくれるところがあります。その感性は非常に敏感に芸能の勘所を押さえている、だからどこを読んでも何かヒントがあるという気しています。ただし、 吉之助はまだ折口学の全貌を見ているわけではないのです。もうすこし時間を掛けて折口学の深遠に迫っていきたいと思っています。

32)歌舞伎批評について思うことは何かありますか。

伊藤整氏が「日本の文芸批判は、みな生活批評だ」と言ってます。吉之助が思うには日本の批評はほとんど生活批評・印象批評の域から出ていないようです。いわば私小説的な批評なのです。個人的感想に留まり、それ以上に高まってくるものがあまりないような気がします。満足できるレベルの批評家は、文芸では小林秀雄、音楽では吉田秀和くらいしかいない。演劇 評論のジャンルでは未だにいないというのが吉之助の考えです。このサイト「歌舞伎素人講釈」は・・・まあ、その域に少しでも迫りたいものとあがいておるところです。どの程度のものか、御判断は皆さんにお任せしましょう。

33)歌舞伎以外の趣味は何ですか。

吉之助の場合はもはや歌舞伎は趣味とは言えないかも知れません。吉之助の趣味は、クラシック音楽の鑑賞。吉之助の場合は歌舞伎歴よりクラシック音楽の方が長いのです。金と時間も音楽に使った方がはるかに多いと思います。聴くのは圧倒的にオーケストラ曲とオペラです。オペラと歌舞伎というのは意外と共通性があるのです。オペラを見る人で歌舞伎も好きという人は多いですよ。玉三郎もイタリア・オペラ好きで有名ですよね。

34)歌舞伎座の切符とウィーンフィルのコンサートの切符のどちらかをあげる、と言われたら、どっちを取りますか。

ウィーン・フィルの方を取る。どうして・・と言われても困るが、音楽が好きだし、興奮度合いは音楽の方が高いんです。吉之助の場合はアドレナリンの分泌量は音楽の方が多いようです。吉之助は歌舞伎をやはり頭で見ているのでしょう。

35)こういう歌舞伎の見方していて疲れませんか。

・・・疲れないと言うと嘘になるかもね。あなたの歌舞伎は趣味じゃなくて勉強だねと言われますが、それはそういうところがあるかも知れません。しかし、「知る・分かる」ということは苦行ではなくて楽しいことだってあるんですから。おお分かった、そうだったのか・と気が付く時ほど楽しいことはありません。

36)いつもどんな本を読んでいるのですか

本はジャンルを問わず雑多に読んでいる方であろうとは思います。しかし、時間もないし・昔と違って小説をあまり手に取ることがなくなったのは頭が固くなってきたせいかもなあ。メルマガを書くようになってからは、何読んでいても自然にメルマガのネタに関連つけているところがあるので、その ために歴史・思想・評論の類が多くなっているようです。読む速度は速い方だろうと思います。吉之助のメルマガ読んでどれだけの本を読んでる人なのかと驚いたようなメールを戴いたりしますが、実は結構つまみ読みも多いので大したことはないのです。しかし、あそこでこれが載っていたな・こんなことが書いてあったなということは覚えてないと、やはり原稿は書けませんね。

37)メルマガはいつ書くのですか。

仕事から帰ってからパソコンに向かってつれづれなるままに。吉之助はどうも気分の切り換えが下手な人間なので、これが仕事のストレス解消にもなっているのです。もともと夜型人間ですから、こういうのはあまり苦にはなりません。出来るときは1〜2日で出来ちゃいます。あと何回か読み直して論理や字句を手直しして出来上がり。締め切りがあると落ち着かない性分なので、原則的にはつねに完成原稿のストックを数本持つようにしています。そのほかに書き出しだけとか・中間部だけといった素材だけの原稿も三十本くらいあります。そういうのが何かのきっかけでポンと出来て来るわけです。

38)サイトを始めてよかったことは何ですか。

サイトを始めて、こういうことをしなければ決してお会いできなかった方々と知り合いになれました。ハンドルネームだけでお顔も知らない方も多いですけれど、いずれにせよ、サイトで出会う方々から刺激と励ましをいただいています。何と言っても、ちょっと昔なら自費出版でもしなければ出来なかったことがパソコンでお手軽に出来るようになったのだから有難いことです。

39)サイトやり始めて歌舞伎の見方は変わりましたか。

自分の歌舞伎の見方の基本的な見方は変わったとは思いません。しかし、自分の考えを文章にして明確にしていく作業のなかで・詰めの甘いところを矯正したり・新たな視点を発見することができたりして、自分の見方はかなり深まったということができると思います。歌舞伎の見方も自然にそれに沿ってかなり客観性のあるものに成長してきたと思ってます。やはり頭のなかで考えているだけでは駄目で、筆にしてみないと分からないこともありますね。

40)ネタ探しは苦労しますか。

歌舞伎の場合は材料は無尽蔵ですからネタに苦労したことはないです。ネタというのは探すこともありますが、むしろ向こうから来る場合の方が多いのです。本の頁をめくっていて「これは使える」と思った時に原稿の大半は出来ているという感じです。芋づる式に考えた先から別の題材が出てくる時ほど面白いことはありません。

41)自分のサイトについてどう思いますか。

これは歌舞伎のサイトじゃないという人がいてもおかしくないと思います。これは歌舞伎をダシにした歴史学・民族学サイトなのかも知れません。始めは恐る恐る作品解説サイトみたいな感じで進めてきましたが、自信が付いてきたのか・厚かましくなったのか、だんだん理屈っぽくなってるなあと思ってます。改めてサイトを見てみると、我ながらごった煮サイトですね。知の遊園地みたいで面白いじゃないかと自分では思っているのですが。

42)メルマガをやってていいことは何かありますか。

メルマガが自分のペースメーカーになっているということでしょう。 サイトを自分の好きな時に自由に更新するのだと、吉之助みたいなズボラな性格では更新を怠けて記事が充実しなくて駄目なのです。締め切りがあって半強制的に書いている方が少し後ろから背中を押されるような感じで定期更新が進んでいいみたいです。毎週メルマガ発行のペースでも書けないことはないですが、いまの隔週くらいがちょうど生活のペースに合っているようです。それで、おかげさまでいろいろ考え発見することができるわけです。

43)「かぶき的心情」なんて言ってますが。

「かぶき的心情」というのは吉之助の造語ですが、歌舞伎を考える上での重要なキーワードだと思っています。メルマガ書く以前にもこういうことを漠然とイメージしなかったわけでもなかったのですが、かぶき的心情をある程度理論化・思想化できたところが、この「歌舞伎素人講釈」の目下最大の成果であると思います。このかぶき的心情ですが、知れば知るほどバリエーションがあって奥が深いのです。まだまだ突き詰めるべき問題がその先にあるように思います。このキーワードでさらに歌舞伎を解析して行 くのが本サイトのひとつのテーマでしょう。

44)他にこれから詰めて行きたいテーマは何ですか。

「歌舞伎素人講釈」のもうひとつの重要なキーワードは「写実・反写実」ということであると思っています。いわば観念論・抽象論なのでメルマガでは読みにくいと思いますが、これはこのサイトをやる以上は避けて通れないと思っています。あと吉之助の師匠である武智鉄二が「身体行動論」という論文を書いていますが、この延長線で演技論を書いてみたいなと思っているのですが。

45)どうして最新の劇評をサイトに掲載しないのですか。

自分の見方に自信がないから・・・というのは嘘じゃないです。こういうサイトをやっていますと、読者を集めるのに最も有効なのは最新の舞台を話題にすることでしょうが、吉之助の場合は感想を書きたいと思うものはよほどいいものか・よほど悪いものであって、作品によって自分の関心度もかなり差があるし、どの舞台も等分に感想を書くという気にはとてもならないです。あるスペースでもってその月のお芝居を紹介して・ちょっと批評も加えて要領よくまとめるというのはある種の職人芸ですが、吉之助には関心がないし、ちょっと無理でしょうね。

46)歌舞伎は不滅だと思いますか。

吉之助が歌舞伎を見ていた昭和50年代は歌舞伎のどん底期で・客席はガラガラだったし、脇役や竹本の不足が言われたりして、20年後の歌舞伎はどうなるのかと本気で心配しました。それから20年経ってみ ると・あの時の心配は何だったのだろうと思うほどの盛況ぶり、今は歌舞伎役者にとって実に恵まれた状況であると思います。そういう意味で歌舞伎というのは不死鳥みたいでなかなかシブトイ芸能であるなと思いますが、こういう時期にこそしっかり芸を磨いてもらいたいと思いますね。

47)郡司正勝先生が「歌舞伎は博物館入りすべし」と言っていましたが。

歌舞伎はまだお能みたいに固定していないで流動的なところがありますし興行として成り立つから、まだ「生(なま)な・現在進行形の伝統芸術」なのですね。もちろん現代の風俗を取り入れた歌舞伎活性の試みも必要かも知れませんが、それにはもっとそれにふさわしい表現法があるはずで歌舞伎の役目ではないでしょう。国立劇場あたりは、そろそろそれを意識した定本化・固定化の役割を果たして欲しいと思います。

48)歌舞伎で心配なことは何か。

歌舞伎を見る若い観客の反応が外国人の反応とあまり変わらないような感じになってきていることです。むしろ日本に来て歌舞伎を見ようなんて外人の方が、歌舞伎から何かを得ようと努めているようですね。京都の竜安寺の石庭の前なんか座禅を組んでいる外人でいっぱいじゃないの。歌舞伎が日常感覚から離れてきていることは如何ともし難い。しかし、それが歌舞伎じゃなくても別にいいのだが、日本人が日本人であることをどこかでつなぎ止めるものが欲しいと思います。そのためにはガイドである演劇批評の役割は大きいと思うのですが。そのために本「歌舞伎素人講釈」は一役買いたいと思います。

49)これから歌舞伎を見る人にお勧めしたいことは何か。

歌舞伎をもっと深く知りたいと思われる方は、歴史や哲学・文学・心理学などを浅くてもいいから 広範囲にお勉強された方がいいです。知識のバランスがとれていないと、偏った見方でしか芝居を見れないです。歌舞伎評論を読んでると、この人は見方が浅いねえと思う ことも少なくないですね。芝居の知識は豊富でも、歴史や哲学を知らないなあと思う評論家は多いです。歴史や哲学をもっと知っていれば、全然違う方向から芝居を斬れるのにねえ。だから、そこが素人のこのサイトの付け目になるわけですがね。このサイトを見て面白いと思っていただいた方には、「舞台は面白ければそれでいい」というところからさらに先に行って欲しいなと思います。

50)最後にあなたにとって歌舞伎とは何ですか。

いやあ、そんなに正面切って質問されても返答に困りますが、吉之助にとっての歌舞伎は「私が日本人であることを思い出させてくれる・考えさせてくれる材料」です。こういうサイトを始めたからには、別に使命感があるわけでもありませんが、まあ、出来る限りはそこのことを追求していきたいと思います。サイト「歌舞伎素人講釈」を末永く応援してください。

(サイト開設4年目の平成16年1月1日)



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