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吉之助の音楽ノート

レハール:喜歌劇「メリー・ウィドウ」


「三文オペラ」の稿で・「三文オペラ」はアンチ・オペレッタ作品であるということを書きました。 一方で、20世紀初頭はオペレッタ の全盛時代でウィーンでもレハール、シュトルツ、カールマンといった作曲家たちの実に楽しく・美しい旋律のオペレッタが次々と生み出されました。その最高の人気作がレハールの喜歌劇「メリー・ウィドウ」です。(初演は1905年・ウィーン)

吉之助も一時期はオペレッタのレコードを集めてよく聴きました。20世紀初頭のオペレッタは、どれも享楽的で・男と女のすれ違いとドラバタの他愛ないストーリーで・最後はお決まりのハッピー・エンドのワンパターンです。旋律は 実に美しいのですけれどね。しかし、ふたつの大戦に突入していく西欧精神の深刻 かつ不安定な危機的状況から意識的に目を背けているという否定的な一面はやはり指摘しておかねばなりません。

まあ、こういうことに一旦気が付いてしまうと、オペレッタの美しい旋律が痴呆的に聴こえてしまって・もはやその甘さに心底浸れなくなってしまうというのは確かに事実です。吉之助もたくさん集めたオペレッタのレコードを改めて聴く気になるのにかなり時間が掛かりました。しかし、今はいろんな意味で客観的かつ冷静にオペレッタの旋律を聴くことができるようになりました。

1999年にドレスデン国立歌劇場で上演されたカールマンの代表的なオペレッタ「チャルダッシュの女王」は、ペーター・コンヴィチュニーの過激な演出で大変な騒ぎになりました。第1幕はブダペストにあるヴァリシテ劇場の場面。本来は華やかな場面 のはずですが、音楽が始まるとどこかで空襲の爆音が響き、やがて劇場も破壊されて舞台は一面廃墟になってしまいます。第3幕はウィーンのグランド・ホテルのバーの場面で・本来は楽しい場面 のはずですが、舞台は殺風景な塹壕で・スコップを持った負傷した兵士たちが現われて「たくさんの小さな天使たちが歌っている、愛し合えと」(フィナーレの合唱の歌詞)と歌うのです。初日の客席は「悪趣味だ、金を返せ」と大騒ぎとなって、歌劇場の支配人は独断で演出を手直しして・ 裁判沙汰にまで発展しました。(注:コンヴィチュニーの演出の背景には1999年3月に旧ユーゴスラビア・セルビア共和国コソボ自治州で起こり、NATO軍が介入した 内戦・いわゆるコソボ紛争があるのです。)「チャルダッシュの女王」は1915年の初演で、つまり第1次世界大戦(1914年〜18年)の真っ最中の時期の作品でありました。コンヴィチュニーはインタビューでこう言っています。

『「たくさんの小さな天使たちが歌っている、愛し合えと」。これはキッチュでしょうか?センチメンタルでしょうか?今日でもなお受け容れられるでしょうか?私は可能だと思います 。』

許光俊:「コンヴィチュニー、オペラを超えるオペラ」(青弓社)

吉之助がこういう挑発的な演出が好きかと聞かれれば・はっきり言えば「嫌い」と言わざるを得ませんが、しかし、ここでコンヴィチュニーが問い掛けているものは非常に重いものです。コンヴィチュニーはオペレッタの反社会性の要素を逆手に取って見せたのです。なるほどこれはキッチュであるのか。あるいはオペレッタにはそういう要素があるのかも知れません。そう考えるとあの時代のオペレッタ全盛の理由も見えてくるわけです。カールマンもレハールも彼らの領域において・彼らの手法において・彼らなりに戦ったと言えなくもないでしょう。(同じことは幕末期の退廃的な歌舞伎にも言えることです。)

本稿で喜歌劇「メリー・ウィドウ」を取り上げるのは・第1幕で主人公のダニロ・ダニロヴィッチ伯爵が登場して歌う有名な曲「マキシムに行けば」の旋律が・クラシック史上でも重要なふたつの作品に引用されているからです。その歌詞は次のようなものです。

『そこで私はマキシムに出かける/そこの女の子たちとは皆親しいのだ/女たちはすべて愛称で呼ぶ/ロロ、ドド、ジュジュ、クロクロ、マルゴ、フルフル/彼女たちは大事な祖国を忘れさせ てくれる 』
(ドイツ語原詩: Da geh' ich zu Maxim / dort  bin ichi sehr intim / ich duze alle Damen / ruf' sie bei Kosenamen / Lolo, Dodo, Joujou, Cloclo, Margot, Froufrou, sie lassen mich vergessen, das teu're Vaterland!』

この「Da geh' ich zu Maxim / dort  bin ichi sehr intim」の旋律を引用している有名なクラシック作品がふたつあります。

ひとつはショスタコービッチの交響曲第7番「レニングラード」(1941年初演)の第1楽章のボレロ風に執拗に繰り変えされる主題 のなかの一部です。この奇妙な主題は迫り来るファシズムの脅威を描いているとされています。しかし、ヴォルコフ編の「ショスタコービッチの証言」では、ショスタコービッチは・ヒトラーだけでなく・スターリンだって独裁者 であるとして、「第7番がレニングラード交響曲と呼ばれることに私は反対はしないが、それは包囲下のレニングラードではなく、スターリンが破壊し・ヒトラーが止めの一撃を加えたレニングラードのことを主題にしていたのである」と述べています。この主題のなかに・「Da geh' ich zu Maxim / dort  bin ichi sehr intim」のメロディーが隠されています。その真意は「(それは)大事な祖国を忘れさせてくれる」というところにあったようです。

もうひとつはバルトークの管弦楽のための協奏曲(1943年初演)での第4楽章「中断された間奏曲」のなかの木管の旋律です。ここにも「Da geh' ich zu Maxim / dort  bin ichi sehr intim」の旋律が隠されています。せせら笑うような騒がしい旋律がこれを中断します。バルトークはショスタコービッチの「レニングラード」交響曲のアメリカ初演のラジオ放送(トスカニーニ指揮NBC響による)を聴いてそこからインスピレーションを得たそうですから・孫引きということになるかも知れません。

ここでのショスタコービッチやバルトークの引用ですが、これはいわゆる「パロディ」の手法なのですが、何のための・誰に向けてのパロディなのかはよく考えてみる必要があります。ここでの引用はレハールの音楽の享楽的な要素を皮肉っている要素もあるでしょうが、決してそれだけではないでしょう。ショスタコービッチもバルトークも 、右を斬りながら・返す刀で同時に左も斬ったのです。


(吉之助の好きな演奏)

オペレッタは歌劇(クラシック音楽)とミュージカル(ポピュラー音楽)の中間的な存在でして、どちらに傾いても面白くない感じです。「メリー・ウイドウ」にも有名なオペラ歌手の歌った録音は多くありますが、どれもちょっと分不相応な豪華さと高尚さがあって、何となく居心地が良くありません。もっと庶民的で・気さくで下 世話なもののはずなのだな。そういう訳で、今回はウィーンでオペレッタを専門に上演しているフォルクス・オーパー(国民歌劇場)の録音を挙げておきます。ルドルフ・ビーブル指揮ウィーン・フォルクス・オーパー管弦楽団、ダグマール・コルマーのハンナ、ペーター・ミニッヒのダニロによるDENON録音。ミニッヒはフォルクス・オーパーの 芸達者の人気歌手でして、吉之助がウィーンに行って・フォルクス・オーパーで聴きました時も彼が舞台端に顔を見せただけで ウィーンの観客は拍手喝采で・彼の歌のリズムに合わせて観客はみんな肩を揺らせながら聴くのです。いや、実に凄い人気でありました。


 

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