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吉之助の音楽ノート

ドビュッシー:前奏曲集 第1巻・第2巻


若い頃の吉之助は、クラシック音楽に関してはもっぱら管弦楽とオペラが中心で、ピアノ曲にまでは手が・と云うよりお金が廻りませんでした。それでも晩年のリヒテルは聴きましたけれど (確か1984年2月28日昭和女子大学・人見記念講堂だったと思いますが)、当時のリヒテルは演奏会当日までプログラムを発表しなかったので、何を弾くか分からないまま切符を買ったのですが、行って見たら曲目が シマノフスキーのピアノソナタ第2番とドビュッシーの前奏曲のピックアップと発表されて、ひどくがっくりした覚えがあります。吉之助はリヒテルのショパンが聴きたかったのです。当時の吉之助にはドビュッシーの前奏曲がまだ良く分かっていませんでした。おかげで暗がりのステージで手元だけ照らしたところで 背を丸めたリヒテルが何やら弾いていた記憶しか残っていません。今、同じ頃のリヒテルのドビュッシーの録音を聴くと、「あの頃の自分は何を聴いておったのか」という軽い悔恨が脳裡をよぎります。今更遅いことなれど。

ところで、昨年(2012)はドビュッシー生誕150年の年でした。ドビュッシーの曲が盛んに演奏されましたが、11月に来日したフランスの名ピアニスト、ピエール・ロラン・エマールが、ドビュッシー・前奏曲集を中心としたリサイタルを 開催するのに先立って、レクチャーをするというので・これを聞きに行きました。(11月22日、トッパン・ホール)

吉之助は最前列のエマールの真正面で聞いたのですが、とても面白いレクチャーでした。通訳を交えた90分ほどのレクチャーのなかで、エマールは「ドビュッシーの前奏曲集には隠された「引用」がたくさんあるのです、それを読み取って行くことがとても面白いのです」という意味のことを言いました。第2集第9曲「ピックウィック卿を讃えて」冒頭での英国国歌みたいなあからさまな引用は誰にでも分かりますが、そういう引用だけでなく、曲のなかに隠蔽された形で音楽的あるいは文学的な引用がたくさんあるのだそうです。これは引用というよりも、暗喩と言った方が正確かも知れません。だから、そういう秘密を、曲を弾きながら探し出していくのです。例えば・・・と言ってエマールは例として、第2集第4曲「妖精たちは良い踊り子」を挙げました。

*下記の演奏は、ウラディミール・ホロヴィッツによる「妖精たちは良い踊り子」。ホロヴィッツには前奏曲集のまとまった録音がなく、ドビュッシー自体そう多く弾いているわけで もないですが、遺された録音はどれも鮮烈なものばかりです 。

エマールは「妖精たちは良い踊り子」の、余韻を引く最後の3音を弾いてみせました。この最後の3音は確かに謎です。未解決のような、まだまだ先があるような ・ないような曖昧な終わり方です。「この3音は何を意味しているでしょうか。この曲の名は「妖精たちは良い踊り子」でしたね。妖精の王と云えばオベロンですよね」と エマールは言いました。・・・ああ、なるほど、この最後の3音は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲冒頭のホルンの音形であったということですね。吉之助は思わず笑ってしまいました。

ところで、このエマールの指摘ですが、吉之助はその後、いくつかの解説書を調べてみたのですが、似たような記述が見当たらないようです。(吉之助が勉強不足なだけかな。)これは恐らくエマールが演奏者としての経験のなかで見つけ出したものだろうと思います。別稿「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番」では、アンドラーシュ・シフがモーツアルトとの関連を指摘していましたが、これもまったく同じで、演奏していればそれは直感で分かることだと、エマールも言うと思います。 ともあれ、「妖精たちは良い踊り子」の引用の指摘に関しては明らかに正しいと、吉之助も思います。そういえば、バーンスタインがこんなことを言ってましたね。

『芸術の手管の大部分は、いかに上等に盗むかを知ることにある。もちろん、みんな無意識さ。君が良い作曲家なら、良い盗みを盗む。』(ジョナサン・コット:「レナード・バーンスタイン〜ザ・ラスト・ロング・インタビュー)

前奏曲集には他にもいろいろ暗喩が含まれているそうです。エマールは上のひとつしか挙げてくれませんでしたけれど、ドビュッシー周辺の・自作を含むいろいろな作品、あるいは文学その他を研究していくと、思わぬ発見が まだまだありそうです。ドビュッシーの場合、標題から音楽を類推・解釈することはあまり意味がないように思いますが、逆に細部からいろんなイメージを立ち昇らせていくことは、とてもスリリングな聴き方だと思います。そういうわけで、ドビュッシーの前奏曲集は、現在の吉之助にとっては汲めども尽きぬイメージの泉みたいな曲なのです。

ドビュッシーの前奏曲集に関しては、名演がめじろ押しですけれど、吉之助がよく聴くのは、まずは定評あるところでミケランジェリ、もうひとつはアラウなのですが、ここでは敬意を表してエマールの最新録音を挙げておきます。

(H25・9・9)


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