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吉之助の音楽ノート

ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番「月光」嬰ハ短調作品27の2


別稿「ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番」において、芸術家が作品を生み出す素材はすべて過去から来るが 、それは彼のインスピレーションによって別の形に昇華したもので・それは高次元なレベルの創造の現象であるということを書 きました。ところでベートーヴェンのピアノソナタ第14番嬰ハ短調(1801年)は通常「月光ソナタ」と呼ばれ ていますが、これはベートーヴェン自身が付けた標題ではありません。 ベートーヴェン自身はこの曲に「幻想曲風に」というタイトルを付しています。しかし、これは無視されて・「月光」の方が一般に使われます。「月光」というのはベートーヴェンの死後・1832年に詩人ルートヴィッヒ・レルシュタ−プがこの曲の第1楽章について「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう だ」と評したことに由来します。確かに冒頭の右手の三連音符と左手の重厚なハーモニーがとても幻想的な雰囲気を醸し出します。「月光」という標題が後世に非常な影響力を持ったことはさもありなんと思います。 子供の頃に雑誌で「ベートーヴェンが月の輝く夜に散歩していると盲目の少女がピアノを弾いていて・ベートーヴェンは彼女のために即興で弾いてあげた・その旋律が月光ソナタの基 となっているのである」というような話を読んだ記憶がありますが、あれは実は日本で作られた音楽物語だったそうですねえ。

これについてアンドラーシュ・シフがベートーヴェンの月光ソナタの講義のなかで、第1楽章の三連符 のモティーフはモーツアルトの「ドン・ジョヴァン二」(1787年)での主人公ドン・ジョヴァン二の騎士長殺害の場面から来ているということを指摘しています。(下記は音声のみ。8分30秒辺り です。分かり易い英語です。)シフによれば、この三連符のモティーフは葬送行進曲のリズム・つまり棺桶を乗せた荷馬車の車輪が粛々と進むリズムを模しているのです。 講演冒頭部でシフが弾くのを聴くことができますが、残響と使わず・ポツポツ淡々と弾いていますね。テンポも心持ち早めに感じられます。

これを聞いて吉之助もビックリしまして早速該当箇所を確認してみました。下記映像の4分18秒で主人公ドン・ジョヴァン二が騎士長殺害の場面、騎士長が剣に刺されて倒れて「あぁ助けてくれ! やられた! 殺人者に刺された、 脈打つ胸から 魂が旅立ちつつあるのを感じる」と歌う箇所で確かに管弦楽がこの三連符のリズムを刻んでいます。これは相当 気を付けて聞く人でないとうっかり聞き逃しますねえ。吉之助はシフに指摘されるまでまったく気が付きませんでした。そこでまた吉之助はここでハタッと考えるわけですが、そもそもベートーヴェンはこの箇所でホントにドン・ジョヴァン二をイメージして作曲したのであろうかということです。このソナタに突然ドン・ジョヴァン二が出てくる必然があるのでしょうか。しかし、結論 から言えば、このように過去の素材が変容して現れるということは高次元の創造行為においてはしばしばあるということなのです。

*映像は1984年ザルツブルクでのカラヤン指揮。ドン・ジョヴァン二はサミュエル・レイミー

吉之助がベートーヴェンのソナタ第14番と「ドン・ジョヴァン二」との関係を興味深いと思うのは、ベートーヴェンは潔癖な人物で「「ドン・ジョヴァン二」の音楽は素晴らしいけれど内容が不道徳だから嫌いだ」と公言しているくらいですから、ベートーヴェンが「ドン・ジョヴァン二」のモティーフを使うことにちょっと意外の感がしたことです。 しかし、やっぱりベートーヴェンは「ドン・ジョヴァン二」の音楽の魅力には勝てず、しっかりその音楽を研究していたのだなあとある種の感慨がありました。ところで三連符のリズムが葬送のリズムだということは先に書いた通りですが、誰のための葬送のリズムかということが問題になると思います。オペラの舞台を見ると騎士長が死ぬ場面で鳴っているのだから騎士長の葬送のリズムなのは明白ですが、実はこれは深層的な意味でドン・ジョヴァン二のためのリズムなのです。不道徳の限りを尽くしてきたドン・ジョヴァン二の破滅のきっかけがこの騎士長殺害であるからです。 最終場面で騎士長の亡霊が現れてドン・ジョヴァン二を地獄へ引きずり込みます。そう考えるとベートーヴェンがこの三連符のリズムを取り上げたのも理解できるかも知れません。

ドン・ジョヴァン二のことは別稿「軽やかな伊右衛門」のなかで取り上げましたが、補足として次のことを触れておきたいと思います。ドン・ジョヴァン二は女たちのみならず・男たちとも対立し、あらゆる階級と折り合いません。旧体制の出身でありながら旧体制と対立し、旧体制を否定しながら・旧体制のみならず・次の時代に台頭していく新体制とも折り合わないのです。そこにドン・ジョヴァン二の行き過ぎた急進性・革新性があります。それゆえドン・ジョヴァン二は不道徳であるとされました。そのような不道徳な存在は抹殺されねばならないわけですが、直接的に「お前は不道徳だ」と名指しして彼を捕らえて消し去るわけにいかないのです。それはドン・ジョヴァン二のなかに何かしら否定し難い人間の本音・願望が含まれているからなので、それを否定し去ってしまうと自分たちの 不道徳も糾弾しなければならなくなるのです。だから体制はドン・ジョヴァン二を別な理由で消し去ろうとします。ドン・ジョヴァン二は不道徳ゆえに地獄に堕ちるのではありません。騎士長殺害の罪で地獄に堕ちるのです。つまり別件逮捕ということです。これが体制側の常套手法なのです。騎士長殺害の場面の三連符のリズムが深層的な意味でドン・ジョヴァン二の葬送のリズムであるというのはそういう意味です。(同じことは「四谷怪談」の民谷伊右衛門についても言えると思います。)

話を戻しますと、そういうわけですから例えソナタ第14番・第1楽章に「ドン・ジョヴァン二」のモティーフが使われていたとしても、別にそれを引用であるとする必要はないわけです。まったく別の役割が与えられているのですから、それは完全にベートーヴェンの創造行為の産物なのです。この講演でシフが指摘することは、この三連符のリズムから「葬送」という共通した深層的なイメージ を読み取ればそれで良いということです。確かにこの曲はあまり文学的な修辞で読むことをせずに、もう少し純粋器楽的・古典的な感覚で読む必要があるのかなと思います。現代の我々はベートーヴェンの音楽をかなりロマン派寄りにイメージし過ぎなのかも知れません。もっともレルシュタ−プの「月光」の連想も必ずしも間違いというわけでもないでしょうねえ。そこには死あるいは冥界のイメージがあるようにも思われます。それはそれで興味深いことです。


 

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