(TOP)               (戻る)

山田耕作の長唄交響曲


クラシック音楽のNAXOSレーベルから日本作曲家選集というシリーズが出ていまして・このほど山田耕作の長唄交響曲・その他の作品を収めたCDが出ました。別稿「音楽と言葉」において、明治の作曲家・山田耕作の日本語による歌曲あるいは歌劇の取り組みについて触れました。以来、長唄交響曲を聴いて見たいと思いつつ・機会果たせずにいましたが、今回やっとその響きを耳にした次第です。

NAXOS:8・557971J 山田耕作:長唄交響曲「鶴亀」、交響曲「明治頌歌」、舞踊交響曲「マグダラのマリア」。湯浅卓雄指揮・東京都交響楽団ほか*CDには片山杜秀氏のとても詳しい解説が添付されており・これは非常に参考になります。

この長唄交響曲(昭和9年・1934)ですが、山田耕作が長唄まで作曲したわけではなくて、長唄は嘉永4年(1851)に十代目杵屋六左衛門作曲の名曲「鶴亀」を そっくりそのまま使って、これに対位法的に共演するハープを伴う2管編成管弦楽のための音楽を付加したというものです。この発想にまず吃驚させられますが、聴いて見ると管弦楽が長唄に付いたり離れたりしながら・くねくねと音楽が展開して行く感じです。残念ながら・録音は長唄が前に出過ぎて・管弦楽がちょっと引っ込み気味の感じですが、管弦楽だけを注意して聴くと・旋律の展開は飛んでいる感じで・ちょっとした現代音楽の先取りという感じもします。明治の先達の挑戦を非常に面白く聴きました。

興味深いのは、片山氏の解説によれば・山田耕作は「長唄においては三味線が常に定旋律を形成し、唄はその定旋律に対して自由に流転する対位的旋律を形作っている」と見なし、三味線の旋律から管弦楽を発想して行ったと言うことです。これは長唄は唄が主旋律で・三味線は伴奏であるという一般的見解とは全く異なる見解ですが、三味線が渡来楽器としてのギターから発した楽器であると言う武智鉄二説などをご存知ならば・なるほど長唄の西洋音楽との接点を見るならば・それは旋律楽器である三味線であろうと言うのは道理だと思えます。したがって、三味線から管弦楽を構築していくのは・目から鱗が落ちるような発想だと思いました。だから山田耕作の音楽を長唄の唄の方で合わせて聴きますと「訳が分らなくて・気持ち悪い」という感想にもなるのでしょうが、三味線のリズムから合わせて聴くと・これは管弦楽が三味線の周囲をうねりながら展開している感覚になります。管弦楽がとてもスリリングな動きを見せます。

「長唄の旋律は流動するものである。それはあたかも河の水の如くである。三味線は河床である。この河床に沿って唄の旋律は時に広くときに狭く、時に緩やかにあるいは急に、あたかも水の自由な流れそのものに美しく流れ去るのである。」

と山田耕作は語ったそうです。これも日本の伝統音楽を研究し尽くした音楽家ならではの見解です。「長唄の旋律は流動するものである」という見解はまさにその通りだと思います。そのような流れのなかにも河床はあるはずです。機会があれば是非この録音を聴いて見てください。

(H18・11・6)


 

 (TOP)              (戻る)