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ヴァレリー・アファナシエフ・ピアノ・リサイタル2015


ピアニスト・ヴァレリー・アファナシエフ のリサイタル(2015年6月25日・紀尾井ホール)を聴いてきましたので、メモを残しておきます。アファナシエフは、演奏活動の傍らで詩・小説などの創作活動も行っており、「思索するピアニスト」とも呼ばれています。アファナシエフの演奏は遅めのテンポ・間の取り方に独特なものがあり、そこに禅とか・もののあはれなどという感性にどこか通じるところがあるようで、日本でも根強いファンを持っています。もっとも吉之助がアファナシエフに関心を持ったのは、ごく最近のことです。日本の音楽マスコミは表面的なテンポの異様な早さとか遅さを喧伝する傾向があると思いますが、そんなことが吉之助がアファナシエフを聴く機会を遅らせたと思います。テンポが早くても・リズムの打ちが浅いのでは仕方がない。( あえて名前を挙げることをしない。)テンポが遅くても・緊張感が持ちきれないのでは仕方ない。(これも名前は挙げないことにする。)そのテンポには息の裏打ちがなければなりません。(これは歌舞伎の芸でも同じことですね。)アファナシエフのテンポの表面的な遅さのことをことさらに言われるせいで、吉之助はアファナシエフを敬遠していたのです。今回の来日公演に合わせてスタジオ録音されたベートーヴェンのソナタ集(悲愴・月光・熱情ソナタの定番の組み合わせ)のCDもその宣伝文句に「3曲トータルの演奏時間が75分58秒は史上最高」とあります。3曲合わせた演奏時間を比較して一体何の意味があるのかね?いつまで経ってもこういう演奏家の売り方をするのは情けない。こういう宣伝はアファナシエフにとっても迷惑この上ないと思いますがね。

まあそのことは置くとして、それならどうして吉之助がアファナシエフのリサイタルを聴く気になったのかと云えば、それはアファナシエフのエッセイ集「ピアニストのノート」を読んで、この人独特の粘着質的で根クラな感性を興味深く感じたからです。文章も錯綜していて、決して読みやすいわけではありません。またNHKで放送されたドキュメンタリー「漂白のピアニスト・アファナシエフ・もののあはれを弾く」もアファナシエフの 半生の大まかなところを知るうえで大いに参考になりました。ですから吉之助はアファナシエフに関しては本を読んだ方が先でして、それならばこの人のピアノを聴いてみようかということになったわけです。

ヴァレリー・アファナシエフ:ピアニストのノート (講談社選書メチエ)

ただし現時点の吉之助はアファナシエフの芸術を十分理解出来たというところにまで行っていないようです。事前にいくつかの録音を聴いたところでは、思索的な演奏であるなあ・そこに何かあるらしいなあということは確かに感じますが、吉之助にはどうも間が持ちきれないように聴こえて、いまひとつ感動にまで至りませんでした。特にショパンについては納得できるものではありませんでした。ただし、これは吉之助にはそう聞こえたということに過ぎませんが。月並みな言い方ですが、録音では捉えきれないところがあるような気もします。そういうところで6月25日の紀尾井ホールでのリサイタルを聴いたわけです。

紀尾井ホールでのリサイタルでは前半プロがベートーヴェンの「悲愴」・「月光」のふたつのピアノ・ソナタという点が注目でしたが、これは素晴らしい出来でした。いわゆる古典的ながっちりした構成感を持つ音楽とはちょっと違って、どちらかと言えば線を強く意識した演奏と云えましょうか。描線の筆致にアファナシエフ独特の間合いと色合いがあり・しかも緊張感が維持されて、それが意志的なベートーヴェンの曲によくマッチしていました。もともとベートーヴェンはメッセージ性が強いですが、ここでは「この曲を弾かずにはいられない」というアファナシエフの内的な鼓動が聞こえるようでした。テンポは遅いとも言えますが、長い間合いも旋律の息によく合致しており・それほど遅いとは感じません。むしろオーソドックスに曲に対しているように感じられました。どちらのソナタも冒頭楽章を若干ロマン風に重めに作り、中間楽章をやや軽めに淡々と取り、終楽章をきりっとした造形で締めるという構成もよろしかったのではないでしょうか。確かにこのピアニストは息遣いが見て取れるライヴの方が面白いということが言えそうです。

一方、後半プロのショパンのポロネーズ5曲に関しては、吉之助はやっぱり納得できない気がしました。実はベートーヴェンの後にショパンを置いていたこともあって、古典的な構成感でショパンの造形を引き締めるかと想像したのですが、外れでしたね。多分ショパンのフォルム感覚においてアファナシエフと吉之助とは考え方が異なるということだと思います。吉之助はショパンに関しては緩急を付けることでアジタートな気分を醸し出すことが肝要だと思っています。全体のテンポが異様に遅くてもポゴレリッチのようにフレーズに強烈な緩急が付いているならこれを称賛するのにやぶさかではないですが、アファナシエフのようにどこもかしこもテンポを一様に引き伸ばしたように遅く取るのは印象が平板になって、まあ少なくとも吉之助 の好みではないということです。アファナシエフのショパンに関しては、吉之助はもうしばらく評価を保留したいと思います。

ベートーヴェンに関しては、最新のスタジオ録音(上述)の出来が構成が練り上げられて技術的にもさらに素晴らしく(ライヴにおいては微妙なところで瑕疵が少なくなかったようで した)、これはこの曲の名演として十分お薦めできるものと思います。またこのCDにはアファナシエフのインタビューDVDが添付されており、これを見ることも大変に得るところが大きいと思います。それにしてもベートーヴェンの曲 はどんな扱いでもビクともしない。構成が実に緊密であるなあということを改めて思いますね。

ヴァレリー・アファナシエフ:ベートーヴェン:悲愴・月光・熱情(ソニー・クラシカル・スタジオ録音)

(ちなみに6月25日・紀尾井ホールでのプログラムは以下の通りでした)

(H27・7・12)


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